6.― DOUBLE KILLER ― 何か妙だった。いやにピリピリとした空気を感じる。ここが輝紫桜町だからとい う訳ではない。数分歩いては立ち止まり周囲を警戒していた。 張り詰め過ぎだな。仕事の方もいよいよ大詰めに差し掛かってきているせいだ。 今日は蓮夢が“ヴィオ・カミーリア”のボスとやらにトラブルの弁解をする日だ った。終わったら連絡をする事になっているが、時刻は二十三時を超えている。 正直なところ、しばらく蓮夢とは会いたくないと言うのが本音だったが、大事な 時期だ、そう言う苦手意識は早いところ払拭すべきだと思い、こうして輝紫桜町ま でやって来た。出来るだけ人の多い飲み屋とか、“そういう”雰囲気になりにくい 場所で酒でも飲んで、適当に過ごせればと思っている。本当――まいったな。 蓮夢のセクシュアルが何であれ、蓮夢は蓮夢だと思うし、良き相棒だと思ってい るが、いざそれを受け止めるのが自分となると、あらゆる面において考えさせられ た。 心の何処かで、同性愛なんて自分には無縁だって思っていた。それでも、相手が そうであれば、可能性はあるんだ。 あの夜、秋澄や“組合”の事もあって神経質になっていたのは事実だが、やはり 立場と環境を切り離す事は出来ない。蓮夢の期待には応えられそうになかった。 かと言って蓮夢の言う自分の本心を考える事もしていなかった。考えられる訳が ない。考えてしまえば、何もかもが望まない結末を迎える。 まったく、思春期のガキじゃあるまいし、そもそも思春期らしい事なんて、一度 も経験した事もないのに、好い歳した殺し屋が、こんな事ばかり考えていてどうす る。明後日には警戒厳重なアクアセンタービルへ乗り込むんだ。しっかり気持ちを 切り替えないと。 蓮夢は切り替える事が出来るのだろうか。アイツは頭が良いし、案外に器用にや れるのかも知れないな。俺と違って一本芯が通っているところは本当に羨ましい。 携帯端末を取り出して、通知を確認するが何もなかった。まさかとは思うが、組 織と揉め事になってるなんて事はないだろうな。こちらから蓮夢の端末へ、着信履 歴だけでも入れておこうか。後ろのプロジェクションマッピングの光が反射して鬱 陶しい。 プロジェクションマッピングの真下の店の前に移動する。女性物の下着を扱うシ ョップの様だが、マネキン人形はかなり際どいデザインの物が付けられていた。輝 紫桜町らしいと言うべきか。 三コール程、発信して電話を切っておく。蓮夢なら数秒で気付く。本人の話では 携帯端末とデジタルブレインは常に接続されているので、情報や通知は見逃さない そうだ。 まただ、またピリ付いた気配を感じる。周囲に視線を送るが、この人混みでは判 別できない。気のせいという可能性もまだ捨てきれない。 夜中だと言うのに、賑やかなものだ。週末の大歓楽街か。 携帯端末からの反応を待っていると、意外な所から反応が起きた。スーツのポケ ットの中でモゾモゾと蠢く、アシストドローンの“インセクト”を取り出すと、小 さなモノアイが真っ赤に光って起動していた。 「蓮夢……」 相棒の名が口から漏れ出たタイミングで、視界は一瞬でブレて、全身を覆う衝撃 とガラスが粉砕する不快な轟音が襲いかかって来た。 既に頭の中では、何をすべきか定まっていた。この後に襲い掛かる痛みの度合い も把握している。――対処が難しい。 ショーウィンドウを突き破り、店の中を二回半転がる。ガラスの破片が顔と手を 傷付ける。拳銃は既に取り出した。何時でも実行可能。 敵は何人いる。まずは俺を吹っ飛ばしたヤツを先に仕留めてからだ。のしのしと 近付いて来る音が聞こえる。 掴みかかってきて、無理矢理起こし上げられるタイミングで腹に一発撃ち込んだ が手応えがない。撃たれれば叫んだりよろめいたり、何か反応がある筈なのに。そ の異様な相手を見上げてギョッとした。 とんでもない巨漢だ。身体の分厚さも立端も俺の二倍以上だった。二百キロは軽 く越えたウェイトが突進してきたらしい。道理で車に突き飛ばされる様な衝撃だっ た訳だ。 胸ぐらと腰のベルトを掴み、軽々と持ち上げられ、割れていないガラス窓に目掛 けて投げ飛ばされる。 耐え難い痛みが全身を巡っているが、今はそれどころではなかった。相撲レスラ ーめ。 路上は人だかりが出来てる。その中に紛れて、コイツと同じ殺し屋が潜んでいる のは間違いない。おそらく、“組合”と関わりのない、フリーの殺し屋だ。早いと ころ仕留めないと。 ふらつきながら立ち上がると、巨漢は拳銃を手に俺に止めを差そうしてる。至近 距離、怯まずに飛び掛かって右腕を押さえ込むが、抵抗する腕力は凄まじく振り回 される。何発か暴発し、路上は一気にパニックに陥るが、拳銃を叩き落とす事には 成功した。 組み合いを解いて撃とうとするも、一気に距離を詰められて、再び取っ組み合い になった。脇腹にどうにか四発撃ち込めたが、勢いが止まらない。踏ん張ってもど んどん押されていく。本当に相撲レスラーだな。 組み手を解いて、巨漢を受け流し、後ろへ回り込んで首を締め上げようにも腕が 回りきらない。ロデオの暴れ牛に必死にしがみ付いてる様な気分だ。 銃口を肩に押し当てて、四発撃ち込み、ようやく動きが鈍ってきた。脳天へ銃口 向けて一発、やっと仕留める。嘘だろ、十発も使ってしまった。 全身軋むような痛みに朦朧とするが、折れたり深く切れたところもなさそうだ。 周囲は純粋なまでの歓楽街の喧騒のみ。人から発せられる音はなかった――だか らこそ、正確に状況を把握できる。 この目が敵を捕捉するよりも先に敵を撃ち抜く。近付きながら二発づつ、動き続 ける事が、弾避けの絶対条件。間合いや距離は関係ない。三人、六発、残り三発は 見切りをつけて弾倉を交換。弾倉十九、薬室一、計二十発。 残りの敵を見据える。扇状に感覚を空けられ素早く仕留め難い状態で六人。そし て厄介な事に、中央の奴は人質を取っている。――或いは女の盾か。 「銃を捨てて、投降しろ!」 銃を捨てる気もないし、投降する気もない。戦場で無駄死は腐る程、見て来た。 どうせ中央の奴は、俺が抵抗すれば、俺を撃つか人質を撃つかで迷う。その僅か な差が命取りだ。人質になった女は一か八かと言ったところだろう。 なんの躊躇もない。何時も通り実行すればいい。左側から仕留めつつ右側の射線 から逸れていけばいい。 そう、何の問題もない、俺は“組合”殺し屋だ。――ただ実行すればいい。 あの女、派手な格好をしている。ジャケットからはだけた色白の肩。娼婦だろう か。あの雰囲気に蓮夢の姿がチラついて来る。 アイツは今どうなっているんだ。コイツ等のせいで確認も出来ない。畜生が、こ うなる危険があるから、近づき過ぎるのは良くないんだよ――蓮夢。 動けば、始まる。だから動けばいいのに、躊躇していた。ミリ単位の精密な立ち 回りだ。集中できてるが、この迷いは誤差が生まれる。何か手を考えないと。 怯える女の息遣い、敵の鼻息、張り詰めた緊張感に集中力が脈打つ。 ふっと、頭上から妙な気配を感じた瞬間、女を人質に取る中央の敵から発せられ る断末魔の叫びが拮抗を崩した。 一体、何が起きたのか。速すぎて見えないが、黒い影が中央の敵を刃物で切り裂 き、怒号と悲鳴の中を流れる様に右側の敵も仕留めていく。見た事もない得物が敵 を突き刺し、引きずり回していた。――刃の付いた鎖。 状況を理解出来てないが、こっちも手早く左側の二人を仕留めた。残り十六。 解放され、しゃがみ込んでいた女を起こし上げて走らせた。 全員仕留めた。黒い影の正体を見据える。全身は限りなく黒に近い藍色。着物の 様な上下、胴にはアーマーを重ね、深々とフードを被る顔は、マスクとバイザーで 完全に隠れていた。 噂には聞いていたが、本当に存在していたとは――忍者だ。 右腕から垂れ下がる鎖が袖に引き戻されて先端に付いた刃を握る。忍者もこちら を見据えていた。 結果的に女も無事で敵も倒せたが、この忍者は味方ではない。その気配から敵意 をひしひしと感じる。一体、何者なのか。 思い巡らす間もなく、忍者が目の前に迫ってきた。五メートル以上は離れていた 筈だ。その間合いを一瞬で詰めて来た。なんて速さだ。 左手から繰り出される刀の二振りが空を切る。避けれたが、忍者の身のこなしは 隙がなく予測がつかなかった。このままだといずれ押し切られてしまう。 隙を突いて発砲するも、アーマーには弾かれ、腕を掴まれれば出鱈目な無駄撃ち に終わってしまう。残りは十二発。 刀を避けるのが精一杯で、打撃は何発も受けていた。隙がないだけじゃなく、無 駄のない立ち回りをしてくる――この忍者、強い。 装備品の特性上、近接戦闘を主体としてるが、迂闊に距離を取ろうとすれば、あ の刃の付いた鎖の餌食だ。戦い振りで分かる、この忍者が絶対的な自信を持ってい る得意な得物はあれで間違いない。 ならばと、こちらから掴みかかる。これだけ近過ぎると刀も役に立たない。 しかし、忍者の方も状況を察して刀をしまって組み合ってきた。とことんやる気 らしい。 立端は低い割に、岩の様にどっしりとしている。俺にも一通り、日本武術の心得 はあるが、この忍者相手では素人と玄人の差になる。 互いに肘や膝をぶつけ合って投げの機会を奪い合う。僅かな隙で腰投げに持ち込 むが、忍者は投げられても着地して、逆にその反動を使って巴投げで返された。衝 撃に息が詰まる。そして厄介な事に――距離が開いてしまった。 鎖が飛んで来る。勢い任せに立ち上がるが、身構えるよりも先に、忍者は鎖を飛 ばしてきた。やられてたまるか。集中しろ――スローになるまで。 勘を頼りに身を反らして、すれすれのところで刃をかわせた。刃がレンガ造りの 壁に突き刺さる。すぐさま銃口を向けるが、引き抜かれた刃に腕を切られた。 反射的に切られた腕の傷を庇おうとする僅かな隙に忍者が襲いかかってくる。 振り下ろされた刃が左胸に四、五センチ程、突き刺さった。更に深く突き刺そう と体重をかけてくる。食い縛る歯にヒビが入りそうだ。 これ以上刃が深く刺されば、まともに動けなくなるぞ。それだけは絶対に避けな くては、こんなところで、立ち止まる訳にはいかない。 そもそも、相撲レスラーの殺し屋や忍者なんかと遊んでいる暇はないんだ。蓮夢 に何かあった。早く確認しないと。 「この、クソ忍者が……」 言葉に反応もせずひたすら体重をかけて突き刺そうとしてくるが。気配は完全に は消せない。忍者は勝ちを確信している。――そうはいかないぞ。 右手を忍者の腰へ伸ばし、ボールの様な道具を一つ奪い取る。そのせいで刃が更 に刺さったが、忍者のビクリとした反応を見る限り、このボールは予想通りグレネ ードの類いらしい。リスクはあるがボタンを押して足元へ落とした。 一瞬で灰色の煙が周囲を包み込む。煙幕とは忍者らしいな。しかし、大して効果 はないだろう、忍者のマスクとバイザーはこういう場合を想定して然るべきだ。 忍者がいるであろう方向に銃口を向けながら、壁伝いに移動する。裏路地へ入り 込んで、輝紫桜町を出なくては。 重なり鳴り響く銃声。――敵の増援か。 悪運ってヤツだな。これで忍者はしばらく足止めになる筈だ。傷口を抑えながら 携帯端末で“インセクト”を呼び寄せる。微かなモーター音と共に“インセクト” が目線まで降下して来た。 「裏路地から最短で輝紫桜町を出たい。案内しろ」 “インセクト”がスムーズに入り組んだ裏路地を移動する。銃声は遠くなってい く。奴等、おそらく荒神会の連中だ。海楼商事が動き出したのか。 先手を取られた。あと数日でアクアセンタービルを攻略すると言うのに。流石に 敵もやられっぱなしとはいかないか。 あの忍者は一体何者だ。“組合”の話によれば、忍者は日本固有の傭兵組織とし て、世の中の裏で暗躍し続けていたらしいが。認めざるを得ない、古風だが実力は 確かだった。 あの忍者は始めから俺を狙っていた。荒神会の連中には目もくれず、真っ直ぐ俺 を狙っていた。俺達の身の回り事も既に知っていると思っていいだろう。 忍者の狙いも、俺達が狙うものと同じ――海楼商事だ。 蠢いていた。闇の中の裏側で“組合”も俺と蓮夢も、林組も荒神会も。海楼商事 を巡って蠢いていた。他の勢力が絡んでいてもおかしくはない。深みへ行けば行く 程、遭遇率は高まっていく。 裏通りを潜り抜け、表通りが視界に広がる。輝紫桜町の正門前は警察が陣取って いて、検問を張って人流を制御していた。この流れに紛れてしまえば、輝紫桜町の 外に出られる。 拳銃をホルスターへしまい、忙しない赤灯と赤灯の隙間を掻い潜って人混みに紛 れる。携帯端末を眺める仕草をしながら、オートマタと警官の誘導灯をやり過ごし た。 “インセクト”は周囲の状況を判断してか、警察のドローンよりも高い位置まで 上昇して移動している。思っていた以上に優秀なドローンだ。 輝紫桜町から出て早足で車に向かう。携帯端末に記録された“インセクト”の情 報が気を急かした。 マップが表示され、この街から中央区にかけて途切れ途切れに放たれたシグナル の発信履歴。それが何を意味するものか、すぐに理解した。だからこそ、焦ってい るのだ。――蓮夢が海楼商事に捕まったんだ。 マップの先を確認するまでもない。アクアセンタービルへ向かっている。 輝紫桜町へ来た時に利用する何時もの駐車場へ辿り着く。何故、どうしてと、時 間をかけて考えるべき事は山程あったが、やるべき事は既に決まっている。 酷く興奮している。それでいて、かつてない程の高い集中力を保てていた。 スーツを脱ぎ捨て、ワイシャツも破り捨てる。車のトランクに詰め込んである装 備品を引っ張り出した。 ホルスターを巻き付け、ベストを纏う。染み付いた習慣だ。目隠ししても素早く 準備出来る。安田から仕入れた得物を助手席へ放り込む。 “インセクト”が目の前まで降下して、肩に乗ってきた。六本の足でしっかり固 定して。 全く予定にない行動だ。事前に決めていた段取りは既に破綻している。新しい段 取りを組まないと。確かな事は――実行あるのみ。 運転席へ乗り込もうとした時、覚えのある気配を感じる。忌々しい殺気に振り返 った。見上げると、三階建ての建物の屋上に忍者が立っていた。荒神会の雑魚が束 になってどうにかなる相手でもないか。 忍者はその場にしゃがみ込み、静かにこちらを見下ろしている。しばし睨み合い が続いた。 本心を言えば、この場で仕留めてやりたい。ここで車に乗れば、奴は間違いなく 追ってくる。睨み合うだけでここに来ないのが、その証明だ。 ドアを閉めてエンジンをかける。後先など考えずフルスロットルで飛ばした。 俺が今、考えるべき事は二つだけだ。それだけに集中しろ。 視界に入る敵は一人残らず全員仕留める。――そして、蓮夢を救い出せ。
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