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終章~深くて自由~  一人で過ごしていると自堕落が過ぎていけない。あっという間に一日が過ぎてし まった。昼過ぎに起きて、特に何もせずリラックスできる“ハッパ”を吸ってソフ ァでぼんやりしてる内に日が暮れた。色々改めていかないとな。  とは言え、この一週間は怒涛の日々だった。部隊の回収と、鷹野を通しての軍事 施設の引き渡し。地図にもない施設だ、一度奪い取れば、武力行使以外に奪い返す 術がない。  激痛に脈打つ左肩に耐えながら、図書館に缶詰め状態で報告書を作り。お偉いさ んの集まりで適当な言葉を並べ奉り。昨日の夜中にやっと解放された。  “M.Y.P戦線”と名付けられた今回の作戦の後、病院に担ぎ込まれ、手術台 の上で麻酔を浴びる俺の前で、蓮夢はチタンの骨を露出させたまま、暗紫色の左目 をギラ付かせて“次”の話をし出した。その話は、決して無視できない内容で、休 む暇などない事を突き付けて来た。――まだ終われない。  俺は後始末を、蓮夢は次にすべき事に向かう為、治療も程々に病院を出たのだ。  この一週間。たまの連絡で互いの進行状況を共有し、療養中のユーチェン達の様 子を伝え、簡単な雑談をするだけだった。  不思議な気分だな。一週間も蓮夢に会っていない。この一週間、仕事に追われる 毎日でゆっくり考える暇もなかった。  深くて自由な関係。相棒にも友人にも、恋人にもなれる関係か。蓮夢が望むその 関係を、俺は受け入れた。  俺と蓮夢の付き合いは、長くもないが短い訳でもない、その期間の中で増してい く情が、かつて同性に向けて抱いた事のない感情にまで大きくなっているのは事実 だったが、なら異性に向けるかと自分に問えば明確な答えが出せなかった。  自分の気持ちを正当化しようとしたり、丁度良い言葉を必死になって探そうとす るのは何故だろう。――俺は何を恐れているんだ。  これから俺は蓮夢とどう向き合い、どんな関係を築いて行けばいいのか。今日は その事ばかりが頭の中を駆け巡っていた。  携帯端末を開く。今日目覚めてから何回も繰り返している動作。胡散臭いデザイ ンと画面の半分以上を埋め尽くす目障りな広告。その隙間に――蓮夢がいた。  何時だったか、アイツが軽口で言っていた通りだった。ポルノサイトに違法にア ップロードされたポルノデーモンの動画。  サムネイルは辛うじて際どくはなかったが、覆い被さる筋肉質な俳優越しに、今 より若い蓮夢が表示されている。快楽を噛み締める事に精一杯で、余裕のなさそう な恍惚の表情に――目を奪われる。  俺は何がしたいんだ。この画面に軽く指を触れるだけで、相棒を裏切り、陥れる 様な真似をしかけている。  知りたくて、或いは知っておきたくて、知るべきなのか。尽きない興味を抱く半 面で、理想と現実に警戒もしてる。蓮夢を傷付けてしまうのではないか。  結局、俺は何も分からず、いざ向き合おうとすれば、何時もの逃げ癖が脳裏を過 って、目を逸らしてしまえと囁いて来る。  こんな事は許されない。このページとユーザーは通報して閉じてしまおう。  蓮夢に会いたい。会って話せば、この歯切れの悪いさや、胸の痞えが和らぐかも 知れない。  ポルノサイトの通報作業を進めていると、突然、小刻みの振動と着信画面に切り 替わる。蓮夢と表示された画面に頭がパニックを起こし、携帯が手の平から抜け落 ちた。――間が悪いな。  軽い深呼吸で動揺を抑えてから、携帯を拾って応答した。 『テツぅ! もう無理、マジ疲れた! 今すぐ会おう! 輝紫桜町でお酒飲もうよ ぉ~。死んじゃう!』  静寂に包まれた部屋に響かんばかりの蓮夢の声。甘え口調とは思えない声量だ。 「藪から棒だな……」  少々付いて行けないテンションだったが、会いたいと言う言葉を先に言ってもら えると手間が省けるな。 『そっちも落ち着いたんだろ? 打ち上げしよ、俺の事労って!』 「分かった、分かった。輝紫桜町に行けばいいんだな」  蓮夢の言い振りだと、そっちの仕事の方も大方片付いたらしい。ならば丁度良か った。  療養中の鵜飼やユーチェン達にはちょっと悪いが、先に相棒と二人だけで祝杯を 挙げると言うのも悪くない。 『“ETERNAL STAR”ってBARがあるから。場所はメールする。俺も 二時間ぐらいで行けるから』  名前の雰囲気だと、変な店ではなさそうだ。  一時間もあれば輝紫桜町に行けるが、蓮夢は二時間。輝紫桜町にいないのか。 「街にいないのか? 今、何処にいるんだ?」 『ウィンストン記念図書館』 「お前一人でか、どうしてまた……」  一瞬耳を疑った。今も図書館にいるのだろうか。  無茶な事を、俺を通さずに単身で乗り込んでいくなんて。些細な事でも命を落と しかねない。  秋澄やルオシーに用があって会いに行ったなんて事もないだろう。河原崎に会っ たんだ。一体何の為に。 『その事も会ってから話すね』 「おい、蓮夢!」  慌ただしい奴だ、あっという間に電話が切れてしまった。携帯端末には輝紫桜町 のマップと店の情報が記されている。  ソファの横に置いてある秋澄からの預かっている荷物を確認して、支度する事に する。  一週間振りに会える蓮夢。さて、どんな面持ちで会えばいいのか。  悪くない雰囲気だった“ETERNAL STAR”。騒々しい歓楽エリアの外 れにある、蓮夢のお気に入りのBARの一つだそうで、地下の小さめの酒場にして は酒の種類も多かった。女のバーテンダーが飲み終えた蓮夢のカクテルグラスを下 げて、バーボンのロックを差し出す。  グラスを持ってカウンターのマスターに一瞥する。蓮夢が言うには、唯一の友人 だそうだ。それ以上には決してならない存在だと言うクールな雰囲気のマスターだ った。  久し振りに会った蓮夢は、黒のレザージャケットにパーカーと珍しく落ち着いた 服装をしていた。今日は鵜飼達のいる病院に、“組合”の拠点であるウィンストン 記念図書館と、バイクを走らせていた。  久し振りにBARで飲むジンは全身に染み渡り、普段よりも飲むペースがつい早 くなってしまう。  馬鹿な事をしたな。あんな動画のサムネイルなんか見るんじゃなかった。若い頃 の蓮夢を見て改めて感じた。見慣れている筈の今の蓮夢の方が、どういう訳かずっ と綺麗に見える。成熟していると言うか――何を緊張しているんだ俺は。  今夜は蓮夢を直視し辛くなっていた。大失敗だ。  しかも、蓮夢がテーブルの真ん中に置いた、とんでもない代物のせいで更に心が 搔き乱される。  “組合”に入って長いが、実物を見るのは初めてだった。磨き上げたクリスタル に三日月を型どったモリオンを組み合わせ、ゴールドで縁取ったメダルサイズのコ イン。属さない存在を嫌う“組合”が特例で余所者を受け入れる“密約の証”。 「どんな交渉をすればこんな物を手に入れられるんだ?」 「サイキック兵を多く吸収する事になった“組合”には次世代戦闘ユニットのノウ ハウは喉から手が出るほど欲しい情報だ。このメダルの所有者は“組合”の特別な 顧客になれるんだろ? 安い取引だと思うけど」    裏切りの可能性、戦力差。俺達が気付いた時には既に止められない状況だった。  日本の“組合”に出来る事は、俺達を使って被害を最小限に抑える事のみ。  蓮夢が手に入れた、軍事施設から海楼商事に至るまでの全てのデータが手に入れ ば、イワンの任務だった、サイキック兵の確保とデータ回収を肩代わりした事にな った。外の“組合”は益々、日本の“組合”に頭が上がらなくなる。絶好の取引材 料を河原崎は手に入れる事になった。  顧客を一人増やして、この状況が手に入るなら、確かに安いのかも知れない。  だとしても、大昔から限られた数しか存在しない“密約の証”をここで使ってく るとは。河原崎も思い切った決断をしたものだ。  俺を介さず直接、河原崎に会うなんてリスキーな真似をと思ったが、俺に波風立 てさせまいと蓮夢が配慮したのが伝わって来る。大した度胸だよ。 「これでお前も“組合”とズブズブだな……」  “組合”に深く関わり続けるのは、顧客にとってもリスクはある。  特に蓮夢のスキルは組合長の河原崎だって既に一目置いている。距離を縮めてき て、取り込もうなんて考えてる可能性は充分あり得る。 「それでも客さ、立場は上だよ。今回の一件は、別件で海楼商事を調査してた顧客 の要望に応えて“組合”がテツを派遣した体になる。不穏な動きに日本の“組合” が秘密裏に手を回し、情報を収集して。結果、軍事施設を制圧して、裏切り者を排 除。サイキック兵とその関連情報も全て手中に収める事になり、日本の“組合”は お株が上がったってシナリオが出来上がる」 「施設のデータアーカイブが全て壊れていて回収不能だったのは、イワンの仕業っ て事で、いいんだよな?」 「さぁね……。俺はハッカーだから、その場にある情報を奪うだけさ、その前後の 事なんか、知った事じゃない。ハッカーにとって唯一の武器は“情報”。最大限利 用しないとね」  バーテンダーが空のグラスを下げて、おかわりを持ってくる。何時も通り、俺は ジンのロック、蓮夢はバーボン。  追求はしないが、蓮夢は始めから、今のこの状況を作る為に、意図的に元データ を破壊して情報を独占したに違いない。  確たる証拠はないが、その事も含めた上で河原崎は証を蓮夢に与えている筈だ。  腹の探り合いが収まる事はないだろう。足を掬われない様に用心しなくては。 「畏れ入る。とだけ言っておくよ」 「これで今後も俺達は“組合”の人間を雇って仕事出来る体を保てる。正式にね」  ジンとバーボンが注がれたグラスを交わし合う。全て計画通りだ。  大した奴だよ。駒に過ぎない殺し屋の俺に取り入り、全面的な協力を約束した立 場の弱い歓楽街のハッカーが、気付けば組織の明暗を左右し、更に恩を売って顧客 にまで成り上がるのだから。 「あとは、あの二人がどうするかだな」 「また、様子見に行くさ」 「頼むよ、俺や鵜飼じゃ上手くやれそうにない事だ……」  まさか、ジャラが記憶喪失に陥るとはな。回収されたサイキック兵の中にも近い 症状に陥っている者が一部存在しているそうだ。甲賀流の秘薬に余計な混ぜ物を施 した副作用だろうか。  ジャラとユーチェンのケアはきっと蓮夢が適任だ。彩子はユーチェンに寄り添い 過ぎて同調してるだろうから。  的確に鋭く心を見通し、それとなく入り込める蓮夢なら、二人に道を示してやれ る筈だ。  この一件における一通りの処理は終わった。ここから先は、未来へ向かう為の行 動だ。俺と蓮夢、ユーチェン達、鵜飼達。その全てにおける未来だ。  全てに決着したと、今までと同じ様な日々に戻れるなんて事はない。こうしてる 間にも俺達の知らないところで、何かが始まっているだろうから。 「そう言えば、吉岡は一ヶ月もあれば復帰出来るそうだ。和磨とは今後、連絡し合 える様にしてある。助けになれる事があれば遠慮なく相談しろって言っておいた」 「和磨達もテツの様に戦い続けるの?」 「それが、仕事だ。だからこそ助けにならないとな。俺にはそれぐらいの事しか出 来ないよ……」  傭兵達がどうなったか。蓮夢はずっと気にしていた。昨日やっと和磨と連絡が取 れたのだ。  今回の実績は日本人傭兵にとって大きな成果として評価されるだろう。待遇も良 くなると同時に仕事も増えていく。  何か助けになれる事があれば、協力は惜しまない。――生き残った者の務めだ。  残りのジンを飲み干して、足元に置いたリュックをテーブルに置いた。最後の仕 上げだ。 「それと、コイツをお前に渡しておかないとな」 「うわ、スゲェ……」  蓮夢がリュックのチャック開けると、乱雑に詰め込まれた札束がお目見えする。  良い仕事の後は納得のいく報酬。そう言う当たり前で肝心な事に関して“組合” はしっかり対応する組織だ。 「“組合”の金だが、河原崎を経由して独立した金だ、これで貸し借りが出来る訳 じゃないから安心しろ。秋澄が全員に配ろうとしてた物を俺が引き継いで持ってき た。お前に直接渡したくてな」  札束に触れたい手を堪えながら、蓮夢は怪訝そうに俺を見つめてきた。  これだけの札束が手に入るのはおかしいと思っているのだろう。 「内訳はこの一件で最も貢献していた俺とお前が五〇〇万づつ。ユーチェン達、鵜 飼達はそれぞれ三〇〇万だ。ユーチェンと彩子は受け取ったよ、今後の事もあるか らと。鵜飼と鷹野は公僕の立場を理由に受け取りを拒否した」  鵜飼達に関してはある程度予想していた結果になった。何か別の方法があれば良 いのだが。  チャックを閉めて残りのバーボンを飲み干すと、蓮夢は煙草に火を着けて一息つ いた。 「五〇〇か……ナノマシンの足しになるよ」 「龍岡先生から連絡が来たよ。またお前をボロボロしてしてくれたなって、五、六 分の説教と、諸々の請求をされたから、キッチリ払っておいた。借りだなんて思う な、これは組織として保証すべき損害であり労災だ。ケジメだと思ってくれ」  報酬とは当然別物として対応させた。この短期間で蓮夢には無茶ばかりさせてし まったから。  言わないでおくが、これに関してはかなり揉めた末に何とか“組合”に支払わせ る事が出来た。  高性能な違法サイボーグである事を伏せて金を用意させるのは苦労した。 「でも……」 「お前が誰よりも凄い事を成し遂げた。そして誰よりも時間を使って向き合ってき た。これは当然の対価だ。そのリュックの金は、報酬を放棄した二人分と俺からも 四〇〇万入れてある。俺は荒神会の幹部を仕留めた時にもらう筈の報酬で充分だ」  蓮夢が組織や他人の世話になる事を、極端に拒む事も知っている。しかし、今回 ばかりは俺も譲らないぞ。  俯いたまま目を泳がせている。この金を受け取る事で、本当にリスクがないのか を探っているのだ。  貧しさしかなかった世界を生き、大歓楽街で罪人に紛れて生きてきた、蓮夢の防 衛本能だ。  俺を見ろ蓮夢。お前にリスクは背負わせないから。 「ありがとう……。でも鵜飼達の報酬は、匿名で市に寄付しておくよ、それならア イツ等もきっと納得する。それが一番良い選択だと思う」  欲に溺れる事もなく、強い目で蓮夢は選択した。賢い選択と思える。トラブル慣 れしてるだけに、最良ではないだろうか。本当に大した奴だ。 「お前の金だ、好きに出来る。これからの人生をどうするか考える時間に使ってく れれば、それでいい……」  蓮夢の事だ、陽の当たる堅気の世界で生きていけなんて、安っぽい言葉は受け入 れないだろう。  きっとこれからも、トラブルと言う名の危ない橋を渡って人助けをしていく。だ としても、選択肢を増やすには金が必要なのは、避けられない現実だ。  リュックを受け取り、自分の足元に置く。屈託のない蓮夢の笑顔が何よりも嬉し かった。 「これで俺も、一先ず貧乏脱出か。ねぇ永星! 一番高いバーボンをダブルで!」  一度言ってみたかったと言わんばかりに、カウンターでマグカップに入れたビー ルをちょい飲みしてたマスターの永星に向かって注文した。 「一杯、五千円の希少バーボンならあるけど」 「じゃ、それ二つ! ロックね。あと、ビターチョコにココアパウダーまぶしたヤ ツ!」 「毎度あり」  ダブルで二杯、二万円が飛んだ。反動でおかしな事にならなければ良いが。歓楽 街住まいでは金銭感覚が麻痺し易い環境だ。 「おいおい、散財するなよ……」 「分かってるよ、ちょっとだけだって。乾杯しよ」  永星が注いでくれた希少なバーボンを、バーテンダーが早速持って来た。薄口の 上等なグラスに丸くカットされた氷が琥珀に輝いている。  蓮夢はグラスを軽く掲げた。 「それじゃ、俺達のこれからに」 「俺とお前のこれからにも……」  心地良い音、こうしてグラスを交わせる相手がいるのが、こんなにも良いものだ と、しみじみと思ってしまう。  やはり今の俺にとって、蓮夢と二人で過ごす時間が最も気が安らいでいるのは間 違いなかった。 「うわ、度数きっつ! でも美味しい!」  確かに五十五度は軽く越えていそうだ。香りとコクが突き抜けて長く残った。  蓮夢もうっとりと余韻を楽しみ、一息つくと煙草を持った右手で頬杖をついて静 かに俺を見つめて来た。不味い、目のやり場に困ってしまい咳払いで誤魔化してし まった。 「なんだか、怖くなってくるなぁ」 「どうして?」 「物騒な戦場を生き残って、仕事も実を結んで、好きな人の傍に入れて……。反動 で酷い事が起きなければいいけど」  確かに、よくここまで上手く物事が進んでくれたなと思える事もあるが、全ては 互いの選択と行動の結果だ。悪運ですら困難を切り開く武器に変えた。そして今も まだ、選択と行動は続いている。  運任せにはしていない。だからこそ、不安が解消される事もないのだ。 「人生ってヤツは、何が起きるか分からないもんだな……」  今更、相棒を持って仕事をする事や、再び戦場に出て戦った事も、しかも満足の 行く結果が出せた。――男を人生初の恋人として、受け入れようとしてる事も。  本当に何が起きるか分からない。  男、同性愛、異性愛、或いは両性愛。きっと単純な事かも知れないのに、言葉の 数だけ複雑になっていく。  ただ、蓮夢を受け入れたいだけなのに、ノイズの様な情報や、凝り固まった偏見 が思考を鈍らせ、惑わしてくる。偏見に曝されるかもしれないと言う不安も抱いて いた。蓮夢に悟られたくない感情だ。 「どうしたの?」  怪訝そうに顔を覗き込んでくる。落ち着け、慌てず冷静に。蓮夢に会ってからず っと、挙動不審な上に浮足立ってるぞ。 「お前、この街を出ないのか?」 「え? 何で?」 「まとまった金も手に入ったし、わざわざ物騒な街に住む必要もないだろ」  咄嗟に出した話題は大して興味はなかったが、とりあえず会話を続けていこう。  意外にも蓮夢はこの問いについて考え込んでいた。輝紫桜町で生きる事意外の選 択肢が、今まではなかったからだろう。  グラスに残ったバーボンを飲み干して余韻を噛み締めている。 「物騒なのは認めるけど、なんだかんだこの街がシックリしてるんだよねぇ。それ にさ、この街で散々酷い目に遇ってきて、嫌な思い出だけで終わるのは、なんだか 癪じゃん。面白おかしく、この街に居座ってやりたいんだよ。俺にとって、ちょっ とした“仕返し”なんだ」   煙草を灰皿に押し付け、チョコレートを一つ口にする。愛憎にも似た執着をこの 街に抱いている様に思えた。  蓮夢に“借り”がある組織も幾つかある。傍若無人に引っ掻き回して振る舞うの が、蓮夢なりの仕返しなのかも知れない。 「歪んでるな」 「ガキの頃からずっと、捻れたはぐれ者だからね……。だからこの街でやっていけ た。このクソビッチな地獄が俺の庭さ」  この街に染まってしまった蓮夢。今後の事を考えると、この大歓楽街、輝紫桜町 が俺達に一体どんな影響を及ぼすのか、或いは蓮夢が利用するのか。  俺や鵜飼の様な整った組織と違い、この街は予測不能だ。 「あ、テツ。俺も聞いていい?」 「何だ?」  バーテンダーを呼んで、おかわりのバーボンは安物に戻し、水を二つ注文した。  本当によく飲むな。酒は強いとちょっとした自信はあったが、蓮夢の底無しには 敵わなかった。これ以上氷で薄まるのも勿体ない。残りのバーボンを飲み干す事に した。 「前々から気になってたんだけどさ。俺の出てるポルノムービーって見た?」  思いもよらない蓮夢の質問は、あらぬ器官へバーボンを流し込み、喉元を焼き尽 くし、盛大に吹き出してしまった。昼間に見たサムネイルが脳裏を過る。  まさか、それすらもバレてるのか。鋭い蓮夢の事だ、何処から読み取られるか分 かったものじゃない。  噎せ返って蓮夢を見る余裕はないが、どんな顔して蓮夢を見ればいい。何を言え ばいいんだ。  やはり俺は大馬鹿野郎だ、余計な事をするんじゃなかった。

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