1.― JIU WEI ― 虎の威を借る狐。それにだけは成りたくなかったのに。アウトローの黒狐が、組 織の後ろ楯で行動する事になるとは。勿論、贅沢は言ってられないが。 眼前のオートマタは十体、練習相手は壊す訳にもいかず、加減が難しかった。 九尾を重ねて攻撃を弾き、間合いを詰めて、尾と尾の隙間を掻い潜った鵜飼がオ ートマタを切り裂き薙ぎ払っていく。その速さは変わらないが、今までよりも一撃 が重々しくパワフルだった。 中距離の敵を念動力で抑え込んで叩き伏せる。十体程度ならあっと言う間だ。 それにしても“組合”――恐るべき組織力だった。 山中の図書館が本拠地なのも驚きだが、その地下には、これだけの演習スペース まで完備されているとは。 「ユーチェン、休もう。今更ジタバタしたってしょうがない」 落ち着かない一日だった。寝付きも悪く、ひたすら零時を待っていた。緊張は増 していくばかり、身体を動かせば少し落ち着けるかと思ったが、何一つ効果はなか った。 「大丈夫か?」 鵜飼が肩に触れて来る。こう言う気遣いは珍しく思えた。 真っ白な演習フィールドを、倒したオートマタ達が起き上がり所定の位置へ戻っ ていく。見た事もない重装甲のオートマタだ。 大口径の銃弾でも貫けないそうだが、鵜飼の太刀筋が深々と刻まれている。 「とんでもない事になったな」 「全くだ……」 一言に余裕のなさを感じる。鵜飼も緊張しているのか。滅多に外さないマスクも 外して呼吸を整えていた。 「刀、変えたんだ」 身のこなしや刀捌きは変わらないが、今まで使っていた刀と違う形状の物を手に していた。 何時もの刀より、刀身は長めでガッシリしていて、鍔は角張っていた。 「所謂、忍刀だ。小太刀は隙がなくて気に入ってるが、力不足だからな。この刀は 直刀だが“斬鉄”も出来る」 「望月対策?」 伊賀流、望月の得物は鋼鉄のトンファ―だった。直線の刀は斬るのに適さないと 聞くが、鵜飼ほどの手練れなら上手く使いこなすのだろうか。 「それもあるが、オートマタやサイボーグも相手にするからな」 透明な防弾ガラス仕切りにある自動ドアが開く。面を外して深呼吸した。即席の デスクには彩子さんと鷹野さん。作業机には組合長の秘書役の男が待っていた。 彩子さんも鷹野さんも、此処へ来てからノートPCに釘付けになっていた。蓮夢 から用意されたオペレーティングシステムを習得しようと、四苦八苦している。 「二人とも素晴らしい才能と実力だ。鉄志が無茶をしようと思うのも理解できる」 秘書役の男、秋澄がペットボトルの水を差し出す。私は受け取ったが、鵜飼は拒 んで汗を拭っていた。わざとらしい警戒心と反発。 秘書役の男は組合長の河原崎同様、紳士的で風格を漂わせていた。素晴らしい才 能と実力か。 優れた人材を育て、或いは招き入れては手駒とする。その誉め言葉を素直に受け 止めるには、不気味過ぎる。 大きな作業机に綺麗に並べられた無数の武器や装備品を鵜飼は眺めていた。その 中の大小様々なナイフ類を手に取り、手のひらで器用に弄んでいた。 「これは業物だな……」 黒鉄に赤のラインが鮮やかな、刃渡り二〇センチ程のサバイバルナイフ。 「何か希望する装備があれば言ってくれ。すぐに用意させる」 大盤振る舞い。これが世界規模の組織の力か。 なけなしの予算で活動する公僕や、叩き伏せた悪党共の金を押収して活動してい た私には雲の上の存在に思える。漠然とした――不公平を感じた。 気の滅入る事を考え、ペットボトルの水を飲んで軽い溜息が吐くと、鵜飼がおも むろに鞘に納めたナイフを私の黒衣に付いた左肩のベルトに結わい付けた。 「念の為だ、もらっておけ……」 そう言えば、随分前にナイフの一本でも持っておけと、鵜飼に言われた事があっ たな。 ナイフなんてまともに使った事もないし、サイキックに武器は不要と言う考えだ ったけど、いよいよ考えを改める時なのかもしれない。 「カーボンスチールの高級ナイフ。手入れも一流に任せている。希望するなら君の 得物もメンテナンスさせるぞ」 「いや、いい……」 自分の道具を触られたくないだけじゃなく、そもそも関わり合いを避けている様 にも見えた。 鵜飼も“組合”の規模に圧倒されているらしい。 「二人とも良い動きだ。やれそうか?」 声の方を振り向くと鉄志が来ていた。黒のカーゴパンツに、ダークグリーンのボ ディウェア。いかにも兵士と言う格好だった。 スーツ姿の時は気付かなかったが、身体に密着したウェアだと、上半身の筋肉が ハッキリ浮かんでいる。鵜飼ほどではないが鍛え込まれていた。 「やるしかない……。それしか言い様がないけどね」 「鵜飼、さっきの連携はお前の考案か?」 「九尾の攻撃を最大限に活かす。生じた隙を俺がカバーする。何か言いたげだな」 攻撃力重視のフォーメーションだ。私の大振りを小回りの利く鵜飼がフォローす る戦法。 鉄志は演習場をしばらく見つめた後に鵜飼を見据える。 「逆も悪くないんじゃないか?」 鉄志は作業机前に移動して、大きなコンバットナイフを手にした。三〇センチ以 上の刃が銀色に鈍く光っていた。 「お前の速さと突進力を活かす。ユーチェンの尾は攻撃も確かに強力だが、守りも 強固だった。近距離は二人で戦い、中距離の相手は守りながら接近すればいい。戦 場で“盾”を持っているのは、有利だぞ」 「守り優先か? 強力な念動力を九つ同時に使えるんだ。力にブレーキをかけては 意味がない」 「一〇〇パーセントを出し切るよりも、八〇パーセントを持続させる方が成功に近 い。いかに長く戦い続けられるか、それが重要だ。ユーチェンが完璧に守り、お前 が敵を完璧に討てばいい」 確かに敵のど真ん中に斬り込んで行く鵜飼は強い。全方向、向かうところ敵なし だ。サイキックと言えども懐に入られれると発動に集中出来ず、対処が難しいのは 身を以て知っている。 今のフォーメーションでは私を優先するあまり、それが出来なくなっているのも 事実だった。――サイキックが相手なら、鵜飼を活かす事を考えるべきか。 私の念動力と衝撃波、鵜飼の戦法。双方を活かす為の防御か。 「鵜飼が動き易いなら、それでも構わない。理にかなっていると思う。密輸船もア クアセンタービルも盾役七本、念動力を二つで結構戦えてた。三人の安全を確保で きれば、それだけ反撃の機会も選択肢も増えていく」 私も鵜飼も基本的には相手に接近して戦うタイプだ。今まで考えた事がなかった 発想だけに、新鮮に思えた。 倒さねば先に進めない。故に攻撃ばかりに固執してた。それが私の隙を大きくし ていた。力の入れ所を状況によって変えていく戦法。今ならその重要性が理解出来 た。――ジャラを助ける為に三人を守るんだ。 「後で軽く合わせてみるか……」 鵜飼も概ね納得している様だった。たった一回の共闘で、私達の特性を的確に見 抜いている。経験も感覚も私達より遥かに格上だった。 「頼むぞ、甲賀流」 「本当、リーダー気質だな。ところで前から思ってたんだが、アンタは“超感覚” なのか?」 意外な言葉が鵜飼から鉄志へと渡される。伊賀流忍者、望月偲佳と同様に鉄志も 異常に発達した感覚の持ち主だと言う。 彼の戦う姿をしっかり見た事はないが、鵜飼から見て、望月に匹敵する程の実力 が鉄志にはあったと言う訳か。 「さぁな……。正直俺にも分からない。そう指摘される事はあるけどな。蓮夢にも 言われた事がある」 どういう訳か、鵜飼の表情が僅かばかり曇った。何か気に障る事でもあったのだ ろうか。 「まぁ、いい。もし、アンタが“超感覚”を相手するなら、どう戦う?」 「こちらの手の内は全て見切られる。それを前提に対処するしかないだろうな」 「具体的には?」 いやに鵜飼が食い付いていた。他人に助言を求める柄でもないのに。 それだけに望月偲佳は強敵なのだ。鵜飼は打開策を欲している。おそらく同類で あろう鉄志に対して。 「お前も自分や周りの動きを数手先まで予測を立てるだろ? 相手も同じだ。感覚 だけじゃなく段取りを考えてる。瞬間的な反応に優れているだけなら、その瞬間を 重ねていけば勝機が見える……かもな」 「決定打となる一撃を、かわされる前提で何度も仕掛けていく……」 鉄志のスムーズな解答には脱帽する。彼自身が“超感覚”なのかは定かではない が、既にそんな相手と相見える準備は出来ている様子だった。 鵜飼も手応えを感じたのか、その場で考え込んでいた。 サイキックのサイボーグに“超感覚”の忍者。出来る事なら避けたい相手だ。 「秋澄、蓮夢からだ。HQのどの端末でもいい、仕掛けて欲しいそうだ」 「マルウェアでも流し込む気か?」 「そうだ、タイミングを図って本隊と“DP”を連帯させる。蓮夢の見通しでは俺 達が現場の情報を誰よりも吸収出来るそうだ」 ここへ戻って来て、最初に蓮夢から話された段取りだった。 最初に秋澄達が組合長の権限でHQへ赴き、彩子さん、鷹野さんを配置する。そ れからほぼ同時にヘリを利用して私達が前線へと降り立つ。 そこから先は臨機応変の遊撃任務。進撃しながら情報収集してジャラを見つけ出 し、敵の指令システムを破壊する。 「タイミングってどんな?」 「敵のシステムを破壊した後の状況を素早く伝えれば、スムーズに制圧出来る。そ れがタイミングだ」 「際どい注文だ……」 秋澄の苦虫を噛み潰したような表情。何もかもがギリギリの状況だった。成るべ くして成った今の状況。他に選べた道もない。 だとしても――もっと時間が欲しい。 「頼むぞ。そっちはどうだ?」 「正直、チンプンカンプンだ……」 これがコミックの類いなら、彩子さんの頭からはプスプスと煙が立ち込めていた だろう。 腕利きのハッカーが使いこなすソフトウェアなんて代物が、複雑怪奇だと言う事 は容易に想像できる。 「この手の事には明るいつもりだったけど、かなり複雑なシステムね……。彼って 意外とオールドスクールなハッカーなのね」 鷹野さんはこの手の知識には明るいらしく、横目に見てても彩子さんをサポート していた。やはり時間が足りていない。 十五歳のジャラの顔。モニターに表示されている、幼さの消えた顔立ちに、まだ 実感が湧かなかった。 彩子さんの話では、警察で使用しているAIよりも蓮夢の作ったアプリの方が優 れた補正能力だそうだが。私の持っていたジャラの写真は八歳の物だ。このアプリ と索敵ドローン、どこまで信頼できるか。 「もう少しすれば、蓮夢もここの様子を見に来る。アイツなら数分でソフトウェア を使い易く書き換える事が出来るだろう」 「それで、あの変態ハッカーは何やってるんだ?」 「射撃訓練とマルウェアと捜索アプリの作成、ドローンの調整。忙しなく動いてる よ。俺達には手伝えない事ばかりだ」 蓮夢の作業内容は複雑な上に多い。任務の鍵を握っているのは確かだが、そのほ とんどを手伝えないのは、確かにもどかしく思えた。 今までずっと、あんな風に動き回って調べてくれていたんだと思うと、嬉しくも あり、忍びなく思えた。 「戦闘じゃ完璧な素人だ。正直、不安要素しかないな。奴には……」 「いざと言う時はしっかりやる奴だって、お前も見ただろ。少しは信用しろ」 「悪いな、どうも男とヤる男ってタイプは、信用出来なくてね……」 鵜飼の悪態に、一瞬でその場の空気が重くなる。鉄志も眉を寄せ不快な表情を見 せた。 鵜飼の蓮夢に対する蔑みや嫌悪感は、まるで遠慮がなかった。どうして、そこま で言うのか。 「思っていても口に出すな。今はそれで勘弁してやる……」 「鵜飼、良くないよ。そう言う考え方」 堪える鉄志にフォローする鷹野さんの言葉も虚しく、鵜飼は改める雰囲気を見せ ない。 それどころか鉄志に絡む勢いで近づいていった。 「分かってても、嫌なものは嫌なんだよ……」 「ハッカーとしての蓮夢を信用しろ、俺達は全力を以て蓮夢をサポートする必要が ある。アクアセンタービル同様、勝ち目のない状況を引っ繰り返せるのは、蓮夢だ けだ」 六〇〇人と六〇〇人が入り乱れる戦場を、システムを制するだけで本当に終息さ せる事が出来るのだろうか。 一刻も早くジャラを助けたい。しかし、想像を遥かに超えた今の状況を、上手く 処理し切れない私には、疑う事しか出来ないのだ。それがもどかしい。 「そう、願いたいもんだ……。まぁ“彼女”を贔屓したくなるのも分からんでもな いがな……」 「まだ言うか、輝紫桜町での続きをしたいのか? 鵜飼」 互いの胸が当たる数ミリの距離での睨み合い。一瞬でも触れれば殺し合いでも始 まりそうな程の張り詰めた空気を放っている。 輝紫桜町で鵜飼と鉄志が揉めていたのは、こう言うやり取りの果てだったのか。 二人とも少々大人気ないんじゃないか、と言うのが正直な印象だが、忍者と殺し 屋のレベルだと気迫が尋常じゃない。――止めないと。 「鵜飼、印象だけでそんな事を言うべきじゃない……」 「チームだと言うなら、私情のない信頼感系が絶対条件だ。アンタと奴の間の絆が 深すぎる。その偏りは危険を招くぞ……。違うって断言できるのか?」 鵜飼の肩に手をやり、半歩程引かせたが、互いに視線は逸れる事なく睨み合って いた。 蓮夢と鉄志が、互いに深く信頼あっているのは、私の目から見ても明白ではある が、鵜飼は野暮ったく勘繰っているのか。 「下らん、殺し屋とハッカー。それ以上でも以下でもない。差別は止めろ……」 溜息をウンザリと吐き捨てて、鉄志は踵を返してその場を去って行く。この場に 四人もいたのに、鵜飼と鉄志と止める事も出来ず険悪な雰囲気を険悪なまましてし まった。 私にはチームで行動した経験がない。鵜飼の言い分が正しいのか、的外れなのか を判別する事は出来ないが――やはり贔屓に繋がるのだろうか。 ただ、そうであっても。 「鵜飼、少し加減して物が言えないのか? さっきのは無礼が過ぎるぞ」 「私も正しくこう言う事を理解出来てる訳じゃないし、誤解や偏見を持っているか もしれない。でも、人はそれぞれだって思わないと」 「そうよ、これから私達は協力し合わないとならないのに、どうしてそんな心無い 事を……」 彩子さんが先陣を切り、三人がかりで鵜飼を責める形になってしまった。チーム としては、これは良くないって事は分かる。中々上手く行かないな。 「俺だって言いたくないさ。あの二人は信用に足るし、腕前だって申し分ない。だ が、共に戦っていて感じたよ。仕事の相棒関係とは違う絆をな……。兄貴がそうだ った……。そんなものに巻き込まれるのは迷惑なんだよ」 「鵜飼……」 鷹野さんの呟く様な声で、私と彩子さんの熱は奪われて行った。何かは分からな いが、鷹野さんの心配そうに鵜飼を見る雰囲気が熱を奪っていった。 「執着と依存は、視界を曇らす。あの二人は危険だ」 それ以上、誰も言葉を発する事が出来なかった。鵜飼のやり方や言い草は決して 肯定できる物じゃないが、闇雲な差別や卑しめだけではないと伝わって来る。 「青臭いな、若いのは結構だが、余裕のない生真面目さは如何なものかな? 甲賀 流の鵜飼よ」 長く続きそうな沈黙を防ぐ様に、秋澄がわざとらしく鼻で笑い、挑発的に鵜飼に 言い放った。間髪入れず睨む鵜飼を物ともせず、鵜飼の傍まで歩み寄る。 「あの二人は充分に大人だ。厳しく律さずとも、すべき事に集中出来るよ」 大人の定義は私にとっては疎ましい物だったが、最近はそれを認めざるを得ない 事も多々あった。――鵜飼にも言える事だが。 秋澄から漂う大人の雰囲気はあからさまだったが、少々クレバーでズルくも思え る。今この状況で完全な“組合”の人間には手は出せないと分かっていてやってい るのは透けて見えた。 「鉄志とは幼馴染だ、傭兵時代には二人で“火遊び”も散々してきた仲だ。彼はス トレートだよ。安心したか?」 鵜飼の肩にポンと手を置き視線を全員へ向けた。鉄志の雰囲気から秋澄とは親し い間柄だとは思っていたが、幼馴染みなら相当長い付き合いのようだ。 「日が浅く、信用し切れない気持ちも分かる。でも断言する。今の鉄志は、昔の様 に研ぎ澄まされてるよ。もっと不利な状況でも仲間を引っ張って任務を成功させて きた男だ」 秋澄は話しながら、右手の黒い皮手袋を外し、袖を軽く捲った。手首の辺りまで は肌の色に会わせた樹脂製の手だったが、腕は棒と言ってもいいぐらい簡素な作り をしていた。サイボーグと言うより義手かもしれない。 戦場で戦ってきた証明である事は明白だった。 「今の俺は大した力にはなれない。鉄志の事をお願いします……」 高まってた熱もすっかり冷めきっていた。これ以上は何も言えないだろう。 秋澄は強かな男だったが、鉄志を案じていると言う思いは本当の様だ。 「よぉ! ビッチ共、調子どうだい?」 沈黙が続く中、飲みかけの水を飲んでいると、噂をすればと言わんばかりに、陽 気で口の悪いのがやって来た。――蓮夢。 普段の派手で露出の多い服装は封じられ、黒のカーゴパンツと七分袖のTシャツ を着ていた。鉄志と違って身体のラインは細く、華奢と言わざるを得ない。 「うわ、テンション低! シケてるなぁ、テツも機嫌悪そうだったし……。もしか して、みんな緊張してる?」 「蓮夢はどうなの?」 「ちょっとはしてるけど、目前に迫ると開き直るタイプなんだよね。やる事多くて 少しだけ現実逃避しに来たの」 「ほらな、コイツは何も分かっちゃいない……。所詮、歓楽街の軟派者だ」 間が悪いな。プロ意識の高い鵜飼には蓮夢の軽い言葉は神経を逆撫でする様なも のだ。 鵜飼に背を向けていた蓮夢は、鵜飼いの言葉を受け止めても、表情を変える訳で もなく、静かに鵜飼の方へ振り向いた。 「何も分かってない馬鹿はお前だろ、鵜飼……」 「何っ!」 「必ずジャラを救い出して、一分でも早く戦闘を終わらせるんだ。俺はその為に必 要な事だけを考えてる。それ以外の事を考えたり思ったりするのは、時間の無駄遣 いなんだよ。後ろ向きのクソみたいな精神論や根性論で、この状況を優位に出来る 根拠があるなら言ってみろよ。ただのノイズだね」 ただ理路整然と目的一点のみを、凄んで来た鵜飼に向けて真っ直ぐ迎え撃つ。睨 み合う二人の様は街で揉めるチンピラのそれなら、蓮夢の方が凄味があった。暗紫 色の目が際立つ。 「別に嫌ってもらっても全然構わないし、異常だって思うなら、勝手にそう思って ろよ。変えられるもんじゃないし、かと言って我慢する気もない。好きにするだけ さ。変に気を遣われて特別扱いされるの面倒……。だから俺は鵜飼を嫌わない。や る事さえやってくれれば、不満はないさ」 作業机に置いてある椅子に腰かけて足を組む。 強い人だ。理解できない人を突き放している様で、理解してもらえるまで待って るとも取れる。仲間としてやっていく以上、蓮夢は鵜飼と向き合い続ける。 結局、鵜飼も私も、蓮夢や鉄志に比べれば、大人じゃないんだ。――器が違う。 もう少し時間があって、蓮夢と接する機会が増えていけば、何時かはなくなるだ ろうか。特別視なしで蓮夢と接する事が。 今はただ、人はそれぞれだからと、身構えずに振る舞うしか出来ない。その意識 もまた、差別的なのだろうか。 「ねぇ、ユーチェン。ジャラってどんな子?」 急に話を振られて、軽くビクリと反応してしまった。こんな時に何故。 「なんか話そうよ。気が楽になるからさ。秋さん、酒とかないの? 息抜きしよう よ」 「今は遠慮してもらうよ。それとここは禁煙」 「もう火着けちゃった、今夜は無礼講って事で」 呆れる秋澄を尻目に、煙草の煙が天井高く舞い上がっていく。 話か、ここで話す数分が惜しいなんて事もないだろう。その場に座り込んで、残 った水を飲み干し、私に残された唯一の人を想う。 「優しい子だった。活発ではなかった。家の庭には大きな岩や桜の木があって、私 は何時も登って遊んでいたけど、ジャラは何時も近くで本を読みながらそれを見守 ってた……」 今になって思えば、本当に良い暮らしをさせてもらってたな。庭中を駆け回って いた。 母がジャラを抱き上げ、桜は日本の花だと教えていた。小枝に咲いていた、桜の 花にニコニコと手を伸ばしていたジャラを今でも覚えている。 ジャラの顔だけは忘れないよう想い続け、家族の思い出は極力思い出さない様に していた。辛くなるだけだから。 それでも、今夜は溢れる様に過去が甦ってきた。 「ある時、父が言ったんだ。私がお兄さんなら良かったのにと。そうしたら、ジャ ラが僕は妹になるの? って聞いてきて。しっかりしろって、小突いてやった事が あったっけ……」 遠回しに、女の子らしくしろと言われていたのに、当時は男の子に負けないぐら い活発だった自分が気に入っていて、得意気にしていた。 常々男らしく振る舞えとか、家でも学校でも言われてたのは、ジャラにとって居 心地が悪かったかも知れないな。 そんな事を考えていると、沈黙を破る様に彩子さんが笑い始めた。軽く咳払いを して落ち着かせている。 「ごめんなさい、なんか可愛くて……。ユーチェンらしいよ、それ……」 蓮夢の強引な無礼講に乗じて、彩子さんも煙草を吸い始める。 「三人で一緒に暮らすの、楽しみになってきたな……」 「彩子さん……」 そうだ、私達には――未来がある。 叶うかどうかも分からない、確率から目を背けたくなる様な現実が目の前にあっ ても、追い求める未来があった。不安と恐怖で忘れかけていた、欲しい未来。 必ず手に入れるんだ。その為に、今日まで戦ってきたのだから。 「ジャラは今日まで耐えて、ユーチェンが来るのを待ってた筈だ。俺が必ず見つけ 出す。CrackerImpってハッカーは一度だってしくじっちゃいないんだ」 その為の、最後の戦いが目前に迫っている。気負いなんかしてる場合じゃないん だ。 言葉にして話す事で心が解放された様な気分になった。――蓮夢は凄いな。 「CrackerImpって、今までどんな仕事をこなして来たの?」 今度は私から話を持ちかけた。 ポルノデーモンにも、CrackerImpにも聞いてみたい事や話したい事が 沢山あった。 「そうだなぁ、結構、色んなトラブルを弄んだっけ……。初めての仕事は、輝紫桜 町のナイトクラブでダンサー達を搾取するオーナーをこらしめてやったって、ヒー ローな話さ……。その仕事であのバイク手に入れた。聞きたい? それともポルノ デーモンとっておきのクソエロ話とか」 「「それは止めろ」」 ポルノデーモンの猥談を鵜飼達が一斉に止めにかかる。 初仕事だけじゃなく、きっとCrackerImpの仕事は、人助けばかりなの だろうなと、蓮夢を見ていて思えた。 不思議な人だ。こんな狂った世界で、地獄と言われる歓楽街の不条理に曝されな がらも、かくも気高くある。 「えぇ、なんでぇ。そっちの方がおもしろいのに……。見ろよ、秋さんスゲェ聞き たそうな顔してるぜ」 急に巻き込まれた秋澄が、必死に取り繕っている姿に、皆から笑顔が溢れて、言 葉が飛び交う。張り詰めていた糸は、何時の間にか切れて宙を舞っていた。 不意に見た蓮夢の表情は安堵と共に、一仕事終えた様な満足感を浮かべつつ、目 の奥では留まる事なく思考し続けている様に感じた。鉄志とはまた違ったリーダー シップを感じる。 この二人の元なら、私と鵜飼は存分に力を発揮できるじゃないかと、今だ漠然で はあるが、そんな気になれた。 仲間と望む未来を信じて、突き進んで行く。私に出来る事はそれだけだ。
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