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「聞かせてよ、鉄志の話を」  テーブルに両肘を立てて店の壁を眺めている。昔を思い出して言葉に変換する為 の間。横顔が様になってて格好いい。  軽い深呼吸を一つして、鉄志は口を開いた。 「生まれは沖縄だ、親はいない。小さな養護施設の出入り口、段ボールに入れられ て置かれてたそうだ。首が座っていたから、生後五ヶ月ぐらいかな」 「親が、いなんだ……」 「物心付いた頃から施設暮らしだ。それが当たり前だったから、大して寂しいと思 った事はない。なんとなく、漠然としたものはあったけどな。施設の運営が厳しく なっていって。身寄りのない数人と一緒に、九州、鹿児島の施設にもらわれていっ た。そこは大きかった、一気に兄弟と姉妹が増えて賑やかになったよ」  明確な予想や想像をしていた訳ではなかったが、生まれや育ちも全てが予想外に 思えた。  鹿児島とは随分と遠い所に思えた。そう言えば、ハッカーのイルカちゃんが沖縄 にいるって話した時、どこか遠くを見る様な目をしていた。そう言う事か。  漠然という言葉、様々な含みを感じたけど、親なんてロクなもんじゃないって考 えが強い俺には、親を知らない鉄志の気持ちを正確に察する事が出来なかった。 「親を知ってる子と、親を知らない子で結構違いがあったな。年齢が上がっていく と、自然と寂しがる子達の世話をする様になっていった。何時の間にか施設の連中 が俺の事を、“まとめ役”みたいな感じに期待する様になっていった」 「しっかり者だったんだね。でもわかる気がする。なんかさ、鉄志が何か決めたり すると、大した事なくても説得力あるもんね。何て言うの? 仕切るの上手くて慣 れている感じ、まぁ大事な事は大体は俺が決めてるけどね」  少しムッとした表情が可愛かった。  でも鉄志の魅力の一つだって思ってる。迷いや躊躇がないのだ。感情を見せない なりにも、自信と意思を示せる雰囲気が鉄志にはある。――シオンの様に。  自然とこの人の言う事に従っておけば大丈夫そうだと、その気になれる不思議な 魅力を持っていた。  ことリサーチ関係に関しては考えが浅いところもあるけど。一緒にいると心地良 い安心感がある。 「施設の連中がよく言う、仲良くだとか、協力し合えってとか、それが成ってない のが、なんとなく気持ち悪くてな。決して楽な生活環境じゃない。みんなで助け合 うべきだった。変に大人振ったガキだったよ。快感だったんだと思う、みんなで足 並み揃えて目標に向かって成功を分かち合うのが」  帳尻と足並みを揃えて連帯感と結束を強める。その為なら自分は妥協すると言う 奴か。そのせいで流され易く見られる。 「施設の中は概ね、みんな仲の良い環境になった。次の問題は学校に通う様になっ てからの“敵”への対処が必要になった事かな。施設育ち、親無し。それを理由に 俺達は差別の対象になっていた。施設の中では強面だったり、威張り散らしている 様な年上が、学校ではいじめられっ子。愕然としたよ……」 「独特のコミュニティだよね学校って、一人の弱味や隙を見付けると、全員で弄り 回してさ……。血が噴き出してても止めない奴等ばかりで……」  差別と言う言葉に鼓動が早まる。学校と言う未熟な人間の集合体、役に立たない 大人。  何もかもが詰まらなくて、下らない時間の浪費に思える時分。 「お前も経験が?」 「俺は危険を感じて、閉ざしていた。“こんな感じ”だしね」  最良の選択、それは孤独。そうやって俺は十代の頃を上手くやり過ごして生きて いた。  セクシュアルやジェンダー表現。生れや育ち。何処の誰とも知らない大人達が無 責任に定めて押し付け、脈々と継がれていく――スタンダード。  それを無知で未熟に振り回す狂気のコミュニティが学校ってとこだ。 「俺も同じ目に遭った……。初めは耐えてたが、三回目で限界に達した。投げ付け て来た石を握って、頬骨が割れるまで殴ってやったよ。色々面倒になったけど、暴 力が有効で手っ取り早い手段だって悟った。俺達は結束して対抗する事にした。ク ラスや学年を超えて連携して。リーダー格や主犯格を追い詰めて、集団で分からせ てやるんだ。程よい暴力でな……。時には中学の人間だって相手取る事もあったが 徹底的に対抗して、施設の仲間達を守ったんだ」 「リーダーってより、番長だね」 「すっかり拍が付いたよ。十二になる頃には、大人からは悪童と呼ばれ、同年代か らは狂犬だの狼だの言われて。得意絶頂だった。でもそれが良くなかった、意気が る様になって施設で踏ん反り返って、みんな必要とされる内に養子縁組とかそう言 うのに興味がなくなって、施設の生活を楽しんでいた。十五になれば施設を出ない とならないのに……」  時折、鉄志は妙に口が悪くなる時があるが、元ヤンキーって訳か。だとしたら普 段の物静かな雰囲気や整ったスーツ姿も、ある意味、猫を被っているのかも知れな いな。 「この御時世じゃ、中々親代わりってのは見つからないんじゃない?」 「それもあるが、良い印象もなかった。ある時、養子にもらわれて行った女の子が 下半身を血だらけにして施設に逃げ戻った事がある。残酷だよ……。俺にもその手 の話は何度かあったが、内心は拒んでいたし、知らない大人にご機嫌取りなんて出 来なった。かと言って施設を出た連中の行くとこも最悪だ。男は肉体労働の果てに 薬漬けか犯罪組織の下働きで捨て駒。女の大半は風俗に身を墜と……。す、すまな い……」  鉄志が何に対してはっとして慌てたのか、一瞬分からなかったけど、確かに目の 前にセックスワーカーがいるとこで言うべき表現ではないね。 「ん? ああ、別に気にしないよ。そう言うの慣れてるし、鉄志ならね。それ以外 の奴で金にならない奴だったら、ブッ飛ばしてたけど……」  鉄志の本心がセックスワークは身を墜とす行為と内心思っているのは、残念だし 切なくなる。――仕方ないと思ってしまう自分も嫌だった。  輝紫桜町で知った事だ、お店だってポルノムービーだって、プロ意識持って真剣 に取り組んでいる人達がいる事を。  俺の始まりはクソな強制だったし、“ナバン”のやってた事もロクなものじゃな いけど、立派な仕事だって思っている。――そう思いたい。  と言う複雑な気分を隠す為に、皿に盛った料理を口にしてやり過ごした。バツの 悪そうな表情の鉄志が仕切り直して話を再開するまで。 「路頭に迷ったよ。三年後が二年後になって相も変わらずで、十五になった時には 将来に希望が持てなくなっていた。そんな時、施設を出た二個上の奴が施設に沢山 の玩具や本を持ってやって来た。施設にいた頃よりも一回りたくましい身体つきに なって、高そうなスーツを着こなしてた。その年に施設を出る事になっている連中 と俺に向かってそいつは言った。“組合”に入らないか。と……」  来た、鉄志のターニングポイント“組合”。 「兵士となって戦かったり、警護をしたり。危険もあるし肉体勝負な仕事だとハッ キリ言われたよ。その代わり、人生は約束される。スキルを学ぶ為のバックアップ も生活も全て保証してくれる……。命尽きるまで忠誠を誓えば、と。この先に不安 しかなかった俺には、魅力的に思えた。自分の価値を高める事が出来るんじゃない かって。その日は夜通しでみんなと話し合った。正規軍でもない身分で戦場で戦う なんて捨て駒だ。ヤクザな道に行くよりは信用できるとか……。結局、最後はリー ダー格の俺に判断を委ねられた……」  児童養護施設は輝紫桜町にもある。年齢によるタイムリミットも。鉄志の話して いる内容と大して変わらないと言うのが現状だった。  この街で手広く事業を展開してる胡散臭い連中だって、そんな施設の若い労働力 に目を付けている節があった。  鉄志の二個上の先輩とやらも、半分は好意であっても、もう半分には組織の意思 が絡んでいる事は間違いないだろうな。  鉄志達と同じ気持ちだった時期を知っているだけに、エゲつないと感じる。 「先に言っておく。俺の人生最大のミスはその時の判断だ。俺は自分の人生から逃 げた。八人の仲間を引き連れて」 「選択の余地がない時に判断を迫って来る。よくある手だよ……。言ってたじゃな いか、それしか道がなかったって」 「それすらも言い訳だよ……。関東の山間に“組合”の施設がある。そこで訓練を 受ける事になった。規則正しい生活と食事、合理的な戦闘訓練、数学と語学、世界 情勢の講習。メンタルトレーニングに、少々の自由もあった。何もかもが洗練され た世界に思えたよ。そこで二年過ごした頃には、俺を含めて全員が早く実戦で戦い たいと息巻いていた。緩やかな洗脳なんだ」  後悔が滲み出ているものの、当時を思い出して話す鉄志の声は少し明るい雰囲気 を感じ取った。  仲間想い、と言うよりは仲間意識が人一倍かそれ以上だ。  何となく知っていたが、鉄志は広く浅い関係を嫌い。狭く深い関係を好んでいる 様だ。それとも、人間不信から情をかける対象を厳選しているのか。 「いずれ戦場で戦う事になるって、不安や恐れがなくなったの?」 「訓練を始めて半年程でその考えはなくなってた。イケるんじゃないかって、みん なが自信を持ち始めていた。それぐらい質の良い訓練を受けてたんだ」 「“組合”ってホント金持ちだね。まぁエジプト文明だなんて大昔からあった暗殺 組織が発祥だから、世界中に根を張ってるんだろうけど……」 「何が興味ないだ。しっかり調べてんじゃないか」  鋭く指摘されてしまい、苦い笑いしてしまう。  でも、これぐらいは最低限の好奇心だと思うけどな。これ以上鉄志には話さない が“組合”のネットワークは広大過ぎて把握し切れていない。おそらく鉄志だって 把握していないだろう。  表でも裏でも、世界中にその名を轟かせている様な組織や、財団、政治結社すら もこの“組合”と深い関りを持っている。世界を裏で操るなんて、漫画の様な事が 現実可能なレベルだった。と言うより、世界を操っているのだろう。  鉄志がそれを証明している。鉄志はその組織で直接的な行動を行う、権力者が運 用する側の人、言わば末端の人間である。  その末端の人生すらも保証できる程の“力”を持っている。良心的でクリーンな システムを持った、この世の闇そのものに思えた。 「初陣は十七の時だった。中東の紛争地域。後方支援と難民の警護が初の任務。日 本から派遣される第一世代、俺達が日本で最初の傭兵部隊だった」  リサーチ済みの情報では。日本に“組合”の拠点が置かれて、まだ三十年も経っ てない。鉄志の年齢からすれば第一世代なのも納得できる。  「現地で一ヶ月、環境に慣らしてから作戦区域で仲間と合流する。その前日、ある テストを受ける事になった。俺達二十人に小口径のリボルバーと弾一発、それとナ イフを渡されて小さな倉庫に閉じ込められた。そこには国籍も年齢もバラバラの二 十人が縛り付けられて猿ぐつわされていた」 「それって……」  それ以上、言葉が続かなかった。質の悪い話、胸糞悪い雰囲気が鉄志から飛び出 してくるのを察したからだ。この瞬間にも脳内でイメージが沸いてくる。  何よりも鉄志の強張った目が、イメージを押し広げて来た。 「異様な光景にすぐ悟ったよ。一人殺せば合格だって。仕留め損ねたら、ナイフを 使え……。心構えは出来てた筈なのに、中々実行に移せなかった……」  椅子の背もたれに身体を倒し、深呼吸する様に言葉を吐いている。鉄志の脳内で も、その時の事が鮮明に呼び起こされているのが見て取れた。  最初の殺人か。それにしてはかなりキツイ状況だろう。衝動的にやってしまうの ではなく、明白に実行しなくはならない。相当なストレスを感じる筈だ。 「縛られている一人の猿ぐつわが緩んで、叫び出したんだ。躊躇と恐怖が静かに循 環する拮抗が破れた。仲間の一人が黙らせようと意を決して発砲したけど、腹に当 たって致命傷にならなかった。頭に押し当てて撃ち込まないと仕留められないぐら い威力のない銃だった。そいつはもう、ナイフで止めを刺すしかない。縛られてい た奴の絶叫が響く倉庫で、撃った仲間は震えていた。あの時……俺は何を考えたの か、もう覚えちゃいないが、自分の持っていた銃をそいつに渡して、俺は訓練通り に実行した。叫んでいた奴の首を切り裂き、両方の肺を二回づつ刺した。狙いが甘 かったのか素早く仕留めたとは言えなかった……。必死に震えを抑えたよ。俺はリ ーダーだ、みんなを導かないとならない。ナイフを握る右手が砕けてしまいそうな ぐらい硬直していて、下唇を嚙んでいると血がボタボタと滴ってくる。仲間に向か って言った。俺は“組合”で生き続ける。と……」  道理や大儀なんて綺麗事すらもない殺人の強要。十代のガキに覚悟なんて重い決 断は出来ない。そうしないと先に進めないと言う諦めが鉄志にそうさせたのだ。そ の時の鉄志の背負った重圧を考えると、胸が苦しくなった。  論理的思考に基づき、強い責任感と高い仲間意識。結束と協調に重点を置いて困 難に立ち向かう情念。きっと、それが本来の――鉄志なんだ。  重い空気を裂く様にウェイターがお酒を持ってきてくれた。青い瓶と二つのグラ ス、銅製のアイスペールからはロックアイス溢れ、汗をかき鈍く輝いていた。 「その後は何も言わず、みんなが続いた、躊躇なく眉間やこめかみに銃口を押し当 てて引き金を引く。数人がナイフで止めを刺した。叫ぶ者、嘔吐する者、失禁する 者もいた。阿鼻叫喚だったよ……。その気持ちの整理もつかないまま、任務に就い た。途切れる事のない緊張状態が続く中で怖ろしいぐらい集中できてたのを覚えて いるよ」  ウェイターが去るのを待って、話を続けた。凄惨な光景が目に浮かぶと俺まで吐 きそうになる。  気を紛らわす訳じゃないが、大き目のロックアイスをグラスに入れて、ジンを注 いで、鉄志に渡した。  鉄志の初めての殺人は十七歳か。――俺と大して変わらないとは。 「俺が“組合”の人間になったのは、あの瞬間からだった」  グラスの中で踊らせた透明なジンを流し込み、皮肉そうな笑みを浮かべている。

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