4.― KOGA LIU ― 緩めていたネクタイを締め直し、額に貼った大判の絆創膏を剥がした。アクアセ ンタービルでの共闘から約半日が過ぎた。 十五時二十七分、気が重い。市長室の扉を開く事がこんなにも憂鬱なのは初めて だった。何時もなら五分前を厳守してノックする。 何も恐れる事はない。主君の命をきっちりとこなし報告する。多少の小言や皮肉 等はご愛嬌だ。自分の仕事振りには、それなりに自信を持っている。 しかし、今回ばかりは自分でも“しでかした”と後悔していた。どう考えても暴 走していた。 何が正解だったのか。輝紫桜町で襲われる鉄志を放置して、報告して終わりだな んて、それこそ役人仕事じゃないか。せざるを得なかった筈だ。 鉄志を仕留め切れなかったのが間違いか。そのまま蓮夢の提案に流されてしまっ た事が間違いか。 だが、内心では海楼商事の悪事を暴く絶好の機会だと思ったのは事実だ。 手にした成果を考えれば、鉄志を輝紫桜町で抑えるよりも遥かにこちらの方が大 きい。 そうだ、得た物の方が大きいんだ。ビビる必要なんかない。――鷹野も援護を約 束してくれた。今すべき事をするんだ。 ふう、と息を吐いて叩く二回のノック。力み過ぎて少々乱暴に扉を開いてしまっ た。 「失礼します……」 「お、珍しいな何時も五分前なのに」 西日がキツい。目を細めて氷野さんを見据えるが、鷹野の姿が見えない。一緒に いる筈じゃなかったのか。よく見るとソファに誰か座っている。 赤髪、鷹野ではない。先客なんて聞いていなかった。急な案件なら一度改めるべ きか。一職員の姿をしている俺が気安く市長室を訪れるのは不自然な事だ。 適当に話を合わして退室しよう。 「七分前から気配がありました。何か迷いあって、入るの躊躇していたのでは?」 聞き覚えのある、軽っぽくて高めの声質に、あの赤髪。 ソファから立ち上がった背格好も見覚えのある雰囲気だった。――まさか。 「久し振り! 猿也兄ちゃん」 「知隼(チハヤ)! お前、どうして此処に……」 やはり弟の知隼だった。反射的に何故と尋ねてしまったが、氷野市長の護衛に数 人の甲賀者が配備されていた。よりにもよって、こいつが。 最後に会ったのは何時だったろうか、もう一年以上は経っているが、相変わらず 私服は独特な風貌だった。浮付いているというか、軟派と言うか。 ロング丈のダボッとしたシャツにピタッとしたスキニー。カラフルな羽根が付い たネックレスと合わせる様に、右耳のピアスにはチェーンが絡みつくシルバーの羽 根細工。何か所、穴を開けてるんだ。 里を出てからの知隼は、会う度に雰囲気が変わっていった。始めは垢抜けた程度 にしか思っていなかったが、天真爛漫で子供っぽい性格の中に、ある種のあざとさ を感じる様になっていった。 なんて言うか、あの蓮夢に近い雰囲気だと、今思った。もう少し、男らしく振舞 ってもらいたいものだ。 「六連合の議会中に、会場でたまたま私が“見付けて”しまってね。聞けばお前の 弟だと言うから、警護組の連絡役をしてもらってたんだ」 耳を疑う話だ。影となって然るべき忍者が、保護対象にあっさり見付かってしま うなんて。 氷野さんは抜け目ない人だが、素人だ。何をどうしたら見付かるんだ。 「お前……尾行がバレたって事か?」 「いやぁ……何て言うか、まぁちょっとした気の緩み……」 ヘラヘラとした笑顔でよく言えるな。やはり弟は未熟だ。自覚が足りてない。 しかし、今は怒りを抑えなくては。氷野市長の手前もある。何よりも、俺自身も しくじっている身だ。 拳は使わずに頭を一発叩いてやる。 「バカタレが! それでも忍者かお前!」 「ごめんよ、兄ちゃん! 堪忍して!」 「まぁ、勘弁してやれ鵜飼。お陰で私は退屈せずに済んだよ。それに面白い情報も 幾つか聞けたしね」 わざとらしく頭を押えて、ちゃっかり氷野さんにアイコンタクトまで送ってる。 氷野さんの雰囲気を察する限りでは、知隼は随分と気に入られているらしい。僅 か数日で打ち解ける辺りは、性格のお陰と言ったところか。 知隼に視線を戻す。情報とやらを聞かせてもらう為に。 「最近は何処の流派も“林山党”と“風火党”に分断している。大きな揉め事にな らないように、互いに情報収集を徹底してるんだ。兄ちゃんもたまには“里”から 情報を仕入れてね」 義務化された報告以外で“里”にコンタクトする事はなかった。手助けは無用。 少なくとも、今まではそれで充分だった。しかし、今になって考えてみれば、望 月が現れた時点で“里”の情報網を頼る選択もあったかもしれないな。あまり良い 思い出がない“里”には、無意識に拒絶でもしているのだろうか。 「風火党と思われる連中を数人捕捉してる。流派はバラバラ。連中は市長さんに監 視程度で、俺達とは何となく睨み合い程度さ。この街に戻ってから連中の気配はな い。市長さんは多分安全だよ」 睨み合いか。行政機関への無言の圧力と言ったところだろう。奴等もこちらに護 衛がいるのは想定内の筈だ。 伊賀と甲賀の間だけなら遠慮もないが、他流の者がいればそうもいかないか。 「多分じゃ困るんだよ」 「こうも考えらない? 敵側に何かトラブルが起きて、監視どころじゃなくなって きてる……」 密輸船にいた望月からは焦りと執着を感じた。 密輸した兵器、それに人々。今になって思えば、その全てが海楼商事の管理から 外れてしまう瀬戸際なのかも知れない。 断片的な情報、繋がった点と点――全てが俺達の想定外のレベルだった。 「トラブルか……」 加えて昨日の一件。ネットニュースでも大きく取り上げられてる。海楼商事はテ ロの被害者と言う体でいるが、警察は既に探りを入れ始めている。 奴等もいよいよ、後がないとこまで追い詰められてきたが、それが今後どんな展 開に発展するのかが問題だ。予想のつけ様もない。 蓮夢と鉄志から譲り受けた情報が、望月と風火党に繋がった。連中の分別のなさ には呆れを通り越して憤りを覚えていた。 「知隼くん。すまないが外してもらえるかな。鵜飼とは色々話す事がある……」 思いもよらない再会に緩んでしまった気を引き締め直した。大事なのはここから だった。 知隼が励ます様に肩に手を添えてきた。この感じだと、昨日の事や俺の置かれた 状況を理解しているらしい。 「あと数日、警護は続ける。今、この地が各流派の忍者から注目されているって事 は、兄ちゃんも理解しておいて」 「どういう意味だ?」 「その直中に兄ちゃんはいる。それと望月偲佳。風火党の中でも特に一目置かれて いる“超感覚”の手練れだってさ。用心してね……。あと、たまには母さんに電話 してあげて……」 知隼が望月の事を知っているのは、氷野さんからの情報か。厄介な話だが、得心 がいった“超感覚”か。 サイキックを神通力とするなら、超感覚は――心眼。 予知能力の域にまで達した、五感の異常発達と言われている。 初戦にも拘らず“大蛇”の軌道を正確に読み、ピンポイントで刃を破壊した。常 人離れにも程がある。 そう言えば、鉄志も数回“大蛇”の動きを見ただけで、目の前に迫る刃を弾丸一 発で弾いて見せた。あの感じ、似ている。――奴もそうなのだろうか。 おふくろの顔を思い出す頃には、知隼は扉を閉めて部屋を出ていた。アイツだけ は、まだ諦めていないのだ。家族が元に戻る事を。――俺が壊した家族を。 「さて……。まずは聞こうじゃないか、お前の弁解を」 ブラインドカーテンは絞られ、西陽を遮った。氷野市長の神妙な面持ちに緊張感 が高まる。 鷹野がいないのが気になる。アクアセンタービルを出てから、真っ先に連絡をし て事情を説明したのに。何処にいるんだ。 「鷹野を味方に付けようなんて思うなよ。チームであっても誰がボスなのか、まさ かとは思うが、知らない訳ではないよな?」 バレてるのか。氷野さんの目は本気だった。とても小細工が通用する気配は一切 なかった。 自分の行動に正当性があると主張する事ばかりを考えていたが、この様子では何 を言ってもただの言い訳にしかならない。 さて、どうしたものか。 「データは見てくれましたか?」 「質問してるのはこっちだ」 手厳しい、氷野市長の怒りは本物だ。久し振りだな、歳上な人間の圧力に曝され るのは。息苦しくなる。 保身に走る余地もなく、援護もない。まさに年貢の納め時らしい。 ならば、言うべき事を言うだけだ。自分の身を案じてもいられない。この一件に しっかり決着を着けなくては。その為にやるべき事を意見しよう。 深く深呼吸した。相当緊張している。と言うよりも、ここまで信頼し合ってきた 関係性が壊れてしまうのが、苦しい。 「氷野さん、俺は正義より善意を行使したい。それが公僕として、あるまじき事だ としても。今成すべきは、巨悪を倒す事だ。その為なら筋の通らない事でも大局的 に見れば正義と言えるんじゃないか……。急がないと本当に手遅れになる」 石頭な性分のくせに、厳格な正義を行使するある種の非情さに染まり切れないの は、俺の未熟さ故だ。 ユーチェンは被害者だ、行動を起こした被害者だ。 ハッカーの蓮夢と殺し屋の鉄志は、彼女を善意で援助している犯罪者。 共に戦ったからこそ、一括りに悪と決め付けたくない。乱波な忍者でも人情ぐら いある。 手にした情報によって敵の規模が分かった今、ユーチェンに全面協力をするべき だ。海楼商事の抱えるものが今後どうなるのかは分からない。行政機関でどこまで やれるのか“組合”は何を狙っているのか。 ユーチェンの弟を救うなら、早急に行動を起こさなければ。 「その言い分は、風火党の連中と同じで“過激派”の発想だ。分かっているのか」 鋭い指摘だ。望月が言っていた事同じ事を俺は言ってる。それが最も正しい事だ と信じているからだ。公正には程遠い。 「分かっている。結局のところ、争いの種だ。でも俺達は一体何を保守しているん ですか? 機能していない国である事を良い事に、余所者が何の躊躇もなく、この 地で無秩序な外道の限りを尽くしている。今、俺達がやるべき事は……」 「思い上がるな鵜飼!」 覚悟はしていたが、いざ氷野さんの荒げる怒声に鼓膜が襲われると、一瞬で身体 が強張った。 “里”と違って殴られる事もないだろうけど、迫って来る氷野さんに身構えそう になる。 「輝紫桜町の出である俺だから甘く見てるのか? 舐めるなよ若造……」 右肩をグッと掴まれる。氷野さん、そんなコンプレックスを持っていたのか。分 別なんかない地獄の街。 氷野さんって人を完全に理解できている訳じゃないし、受け入れ難いとこもある のは確かだ。それとも自分でも気づかない内に蔑んでいたのだろうか。 「此処が“要”なんだ。秩序を語れる唯一の要だ。六連合であろうと、日本であろ うと、厳正な正義を行使して模範とならなければならない。これは絶対に踏み外し てならない事だ。俺達まで混沌に堕ちれば、いずれ腐敗が始まる。この島国はそう やって崩壊したんだ。その上に俺達は生きている。退廃を止める事も出来ずに、堕 落を貪って……」 初めて氷野さんの元へ来た時。完璧な人だと思った。甲賀三羽烏も、家族も崩れ 去り“里”で孤立したはぐれ者の俺には勿体ないぐらいの人だった。 恵まれていると思った。――立派な主君に出会えたと。 この人はあの頃と何も変わっていない。立派な政治家だ。俺が知らず知らずの内 に隔たりを作っていたのかも知れない。 「大局と言ったな鵜飼……。お前は“五年後”の未来をどう描く?」 あと五年も経てば六連合も崩壊する。海外の経済学者やら専門家があれこれと根 拠を示して他人事の様に言っている。五年と言うワードは日本人とってはナーバス な数字だった。 「お前のその決断が、五年後のこの地を、そして日本を再び活かすと約束できるの か? お前はどんな未来を見ている?」 乱破の俺がそこまで考えて行動してる訳がない。大半の連中だってそうだ。五年 と分かっていても何も出来ないから考えもしないんだ。 でも、氷野さんは常に考えている。何も言い返せなかった。この人と対等に話せ る程、俺には志すものがない。 詰まりそうな息を整え、発する準備に入る。ここで黙ったら負けだ。 「未来なんか見てませんよ……」 俺は未熟だ。分かってるさ、実力ばかりで先走ってる。それさえあれば、多くの 事は罷り通るって考えで生きて来た。 しかし、それだけじゃ通用しない時が来たのだ。――だとしても。 「俺が見てるのは“今”すべき事だけです。どうかやらせて下さい……。坂内彩子 とリィ・ユーチェンの想いに悪はない。あの“組合”の殺し屋も輝紫桜町のハッカ ーも己の犠牲も厭わない、確固たる意志と善意で動いていた。アウトローでも悪じ ゃありません」 視線を真っ直ぐ向けると、氷野さんも瞬きせず真っ直ぐと睨み返して来た。まだ 納得はしてくれそうにないな。それでも、引き下がる訳にはいかない。 「共に戦い、心が震えました。勢い任せなんかじゃない。今はそれをすべきだと確 信しています。どの様な処遇も甘んじて受け入れます。ユーチェンの家族を取り戻 して、この事態に決着を着けさせて下さい」 「お前は輝紫桜町のハッカーと、犯罪組織の殺し屋と関りを持って、私情で動くサ イキックと元刑事に手を貸すと? それに我々行政も関われと?」 要点をまとめられると、自分の言っている事が正義に反している事を、まざまざ と突き付けられている様だった。 この時代、この日本で“公”を貫くのは本当に難しい。 俺達、忍者だって黒に過ぎない存在だ。それが“公”の元にいるからグレーな存 在になれる。 ここから先は黒になる。黒にならないと勝てない。 「ここで“出遅れたら”腐敗よりも先に無力になる」 結局、俺は氷野さんを納得させる事も求められる答えを言う事も出来ず、我を突 き通すしかなかった。それが正しいと言う個人的な見解のみで。 依然、氷野さんの鋭い眼光に曝されている。話すべき事は全て話した。この沈黙 は拷問の様に思えた。かなり辛いな。 「まったく、青臭い……。入りたまえ!」 氷野さん言葉と同時に、別室へ繋がるドアが開いた。反応の早さからすると、ず っとそこで待機していた様だ。 「ユーチェン、彩子……。どうして此処へ?」 約半日振りの再会。私服姿のユーチェンと何時ものスーツ姿の彩子が部屋に入っ て来る。最後に鷹野が入ってきてドアを閉めた。 氷野さんの表情が少し緩んでいた。状況を正しく把握出来ない。フォローしてく れる筈だった鷹野に視線を移し無言で尋ねる。 「この二人は街で不正を働く企業と関連組織の調査の為に、氷野市長が独自路線で 雇っていた“私立探偵”の二人よ。鵜飼、貴方も今後はサポートするように。と言 う事でよろしく」 「鷹野……」 私立探偵へのオーダーと言う体か。アウトローを招くよりは聞こえがいい。 規模は違うが、組織と組織の間での連携にしておくなら、氷野さんのリスクも少 ない。――考えたな鷹野。 「命懸けで手に入れたデータは見させてもらったよ。そして、事情もユーチェンか ら聞いている。分かっているよ鵜飼」 分かってるなら、何故こんな押し問答をと思ったが、俺はどうやら試されていた らしい。――どこまでやる気なのかを。 だとしても、意地が悪い。このやり取りは全て、ユーチェン達にも聞かれていた のだろうか。 「残念だが、私も手を汚さざるを得ない様だ。このエリアの警察を含む行政機関で は、この案件への対処は不可能だ。相手の出方次第では、エリアM全域が戦場にな り兼ねん……」 「氷野さん」 「だから、覚悟を決めた。忍者一人背負うのとは訳が違う。どうやら私は、もう少 し“上”を目指すしかないらしい。この島国の五年後の為に、今後のリスクに対処 できる立場にな」 頭を軽く掻く氷野さんからは僅かばかりの気後れを感じた。 これから俺達がやる事は静かには終われない。必ず大掛かりな“後始末”をする 必要がある。氷野さんの言う覚悟は、それを請け負うと言う意味だ。 市長と言う立場も越えていこうと言うのか。決してた易くない道のりだ。 「若さと決め付けたくはないが、目先の事ばかりで突っ走る……。先の読める人間 が必要だ。すべき事をしたいなら、もっと先を読んで示して見せろ鵜飼」 氷野さんは俺とユーチェンの想いを組み、自らの立場をも変えて未来へ突き進も うとしている。懐の深さに圧倒された。――敵わないな、この人には。 これからも変わらない、この人の期待に応える。この人が望む政策の実現の為に 惜しみなく、この業の限りを尽くさねば。 「氷野さんが許してくれるなら、俺は何処までも付いて行きます」 「当たり前だ、しっかりしてもらわないとな」 横に並んで背中をバンと叩かれる。ついでに両手で顔を一発バチンとやって、気 合でも入れたいところだったが、ユーチェン達がいる手前、やめとく。 「情報は全て手に入った。ジャラや攫われた人々、密輸された兵器の類も一ヵ所に 集約されている。問題はここからどうやって人々を救出するか。そもそも、彼等が 救いを求めているかどうかも……」 「今すぐにでも、そこへ向かいたいけど。流石に私と鵜飼だけは返り討ちに遭うの は目に見えている。知恵を貸してくれる人が必要だ」 攫われた人々の状態を懸念している彩子、ユーチェンの言う向かうべき場所。蓮 夢の手に入れた、海楼商事の情報を全員が共有していた。そして、誰もがその想定 外の状況に有効な手立てを見出せていない。 俺達だけでは役不足だ。――頭の切れるアイツなら妙案を思い付くだろうか。 「それと、腕利きの犬畜生もな。いけ好かないが、奴の統率力も必要だ……」 やたらと仕切りたがりで、始終殺気を漂わせていた殺し屋の鉄志。しかし、その 指示と段取りは的確そのもので、完璧なまでに合理的。認めざるを得ない。あの二 人には、俺とユーチェンが持っていないものがある。 「どうやってコンタクトを取るの?」 鷹野から携帯端末を受け取る。アクアセンタービルで鉄志から渡された携帯。こ れで連絡出来れば一番楽だが、メーカーや市販の物とは違う独自のプロテクトが掛 かっていて、蓮夢のデータ以外は一切開く事が出来なかった。 専門家を呼んで対応させる手もあるが、時間がかかる上に下手にシステムを抹消 されても困る。 可能性は低いが、鉄志から連絡が来るかもしれない。しばらくは持ち歩いて連絡 を待ってみるのもいい。 「CrackerImpとは今だに連絡がつかない……」 奇妙な縁なのか、世の中は案外狭いのか、これだけ近くに存在していながら、繋 がりを示す糸は細くて、僅かな警戒や秘密で見えなくなる。 ユーチェンの警戒を解き、本当の意味で協力関係を築く事が出来ていれば、Cr ackerImpと繋がって、鉄志も敵ではなくなっていたのに。 或いは三人を敵に回す事になっていたか。ゾッとする話しだ。 「昨日の今日だ。今は待つしかないだろ。でも連絡はし続けろ」 アクアセンタービルを出て数時間には暗号解読されたデータが転送されてきたの で死んではいないだろうが、蓮夢の怪我は数日では治るレベルではない。コンタク ト出来ても、使い物にはならないだろうな。 「分かっている。鵜飼、ありがとう……」 ユーチェンの言葉を素直に受け取るには、遠回りをし過ぎたな。後悔は尽きない が、ここからは躊躇なく迅速に事を進めて行ける様、努めなくては。 「今は手に入れた情報を、より掘り下げて行きましょう。例の“施設”はエリアM とエリアYの境目に存在している。資料室、使いますよ」 「頼んだぞ、鷹野」 鷹野は扉を開けてユーチェン達を資料室へ案内する。二つのエリアの境目、厄介 な場所にある。資料室で得られる情報だけで、どんな準備が出来るか。とは言え今 出来る事なんて、それぐらいしかないか。 ネットの情報も欲しいところだ、ずっとバタついていてロクに確認出来ていなか った。 「鵜飼」 扉が閉まり、氷野さんと二人きりになる。このタイミングで呼び止めると言う事 は、あの三人にも知られたくない事を話そうとしていると察した。 「これから俺達は“組合”と深く関わらざるを得なくなる。しかし“組合”の全貌 すら見えていない……。本当に世界の裏そのものだと言うのなら、侵食は避けられ ない。既に蔓延しているのかも知れないがな……」 可能性は充分に在り得る。特に警察辺りには、賄賂や潜入者いると思って間違い ないだろう。――その方が自然だ。 “組合”と六連合の行政機関との間にどれだけの繋がりが存在するのかも、今後 は調べておく必要があるかもしれない。 「俺にどうしろと?」 「個人には協力しろ、お前なりの正義で構わん。得られる情報は逃すな、不器用な お前には難しいかも知れないが、信頼関係を築きつつ、油断はするな」 弱味を見せず、弱味を探れ。氷野市長を始め、俺達全員の身を守る為にも対等か それ以上の力関係を築いていく。 あの殺し屋を、鉄志を上手く欺けるだろうか。その鉄志を慕っている蓮夢にも油 断出来ない。中々、骨の折れる仕事になりそうだ。海楼商事の件を片付けてからは 忙しくなりそうだな。 「承知……」 一礼と共に市長室を後にする。資料室の向かいつつ、鉄志の携帯端末を手にして 無地の画面を睨み付ける。 “組合”の殺し屋、輝紫桜町のハッカー、九尾のサイキックか。 アクアセンタービルでも共闘から約半日が過ぎた。あの悪党共は今、何をしてい るのだろうか。上手くやって行けるだろうか。
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