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10.― PORNO DEMON ―  目蓋が重い。眠いし、疲れたし、下半身はとっくに崩壊してる。我ながら派手に 稼いだなって感心するけど、もうヘトヘトだった。  もう少しの辛抱だ、二日連続で中葉の顔を見るのは癪だが、もうじき金勘定も終 わる。早く帰ってベットに沈みたい。 「一晩でこんなに稼ぐなんて、流石ポルノデーモン様だ。どんなブタを引っ掻けた んだ?」 「相手はお金持ちの大学生さんだよ。ま、運が良かったかもね、ブタにのしかから れるより、イケてるマッチョに跨がってる方が楽しいからね」  一本、三千円する栄養ドリンクを飲み干して、中葉に話してやる。年下の客は扱 いやすくて楽だ。体力があり過ぎるのが面倒だが。 「お前、“パン”のくせに面食いだよな。男でも女でも……」  疲れてて面倒臭いから反論はしないが、中葉の言うパンセクシュアルのくせにと 言う意味が理解できなかった。  何となく感じる謎のイメージ。全性愛者は誰でもいいとか、性別を認識しないと か。ホント馬鹿馬鹿しい。  月並みに好みだってあるし、それをひっくり返して好きになる事だって、他の人 と何も変わらないし、性別ぐらい認識してる。――意識してないだけだ。  人は人だ。イイ人を好きになって、イヤな奴を避ける。それだけの事なのに。性 別や性指向でやたら騒ぎ立てて鬱陶しい。  ある程度、諦めている部分もある。他人に自分の心を見せるのは本当にエネルギ ーがいる。俺は全員に対し、それだけの事をする余力なんてない。だから、ある程 度諦めているんだ。 「そんな事より、早く返せよ」  中葉がズーハンに視線を送り、ズーハンがカウンターからチョーカーを取り出し たのをすかさず奪い取る。大事な物なんだ、他人に触られたと言うだけで、苛付い てくる。 「顔のアザはその大学生にか?」  目敏く指差してきた。思いっきり右頬をひっ叩かれた時のヤツだ。昨晩は確かに 儲けたし、最初はとても良かった。でもいい感じには終われなかった。  やっぱり輝紫桜町は地獄なんだなって、しみじみ思いながら数時間前まで犯され ていた。やっぱり――アイツは最悪だ。 「これは別の客だよ。お前には関係ない……」  二人とも静かに呆れた様な顔をしている。どんだけヤッてんだコイツとでも言い たいのだろう。  人数なんてどうでもいい、仕事なんだ。身体と相談して稼げるだけ稼ぐ。仕事な んて、そんなもんだろと言ってやりたい。  買ったばかりの煙草の封を開けて、一本火を着けた。当然店内は禁煙だけど、俺 の知った事じゃない。  今までタダで手に入るからと、ずっと安物のガスライターを使っていたけど、オ イルライターを買って、一発で火が着くのは毎回快感だった。音もカッコいい。 「どうした? もう用は済んだろ?」 「まだだよ、人を待ってる。そろそろ来ると思うけど」  とっくに来ててもいいぐらいの時間なのに。ここへ来る前に電話して呼び付けた が、まだ来ない。さっさと用を済ませて帰りたいのに。  そう思ってたタイミングで、店のドアが開く。やって来たか。 「お前、ヤミ金を呼びつけるって、何様だよ……」  厳つい体格とドレットヘア。それに不釣り合いな丸い小さな眼鏡が可愛いシエラ レオネ人のジェイが高圧的に睨んでくる。  輝紫桜町でジェイコブ金融と言う闇金融を営んでいるジェイ。高利貸しや電子マ ネーの換金と、手広くやってる奴だ。 「俺様かな……。悪いね、もうそっちの事務所行くの面倒でさ。その手間賃も包ん でるから、勘弁してよ」  自作サーバーと拡張バイザーを早く作り上げたくて、まとまった金を借りてパー ツを揃えられた。中々リスキーだったけど、なんとかなった。  手広くやってる。金を返せない奴、トンズラした奴を有効に“再利用”する術や ツテをジェイは沢山持っている。  クタクタになった札束を手渡すと、カウンターで札を整え、見ていて気持ちがい いぐらいの速さでタテ勘定をして、更にヨコ勘定も素早く二回行った。 「おい、ここで金勘定すんなや」 「仕方ないでしょうよ、こっちだって仕事なんですから……」  中葉に突っ込まれ、弁解するジェイはどことなくシュールな光景に思えた。その 原因を作った俺の事を睨んでいるらしいが。咥え煙草のまま、天井を眺めてやり過 ごした。 「はい、毎度あり。手間賃は五万か、羽振りいいじゃねぇか」  七十五万の返済、二十八万の薬代のツケ。手元に残ったのは六十七万か。とりあ えず、しばらくはHOEやらなくてもよさそうだな。――特定のお相手以外は。  気が抜けた途端に更に疲れが押し寄せきた。頭痛も相変わらず酷い、シャブでも やって誤魔化したかったが。今夜の事を考えると、今は抑えておいた方がよさそう だ。キツイな。 「じゃ、お疲れ。タクシーも来たし、帰るよ」 「何時タクシー呼んだんだ?」 「何時だっていいだろ」  数分前にネット予約にアクセスして呼んだタクシーが店の前に停まってた。何事 も効率的に、時間は金じゃ買えない。  店を出てミラー越しに運転手と目が合う。って言うかモヒカン頭。変な運ちゃん に当たったな。車も塗装の剥げてる赤の軽で私物感に溢れていた。  煙草を捨てて後部座敷に座る。簡単な挨拶を済ませて、予約に際に入力した行先 のマンションに向かって走らせた。  座っていると睡魔に負けそうになるが、顔をしかめて持ち堪える。肩肘をついて 頬杖で外を眺めた。昼の輝紫桜町は今の俺に似て、生気が失われていた様にモノク ロームになっている。 「お兄さん美人だねぇ、仕事上がりかい?」  コイツ、色々喋るタイプか。嫌な予感はしていたが、勘弁してほしいな。この格 好で午前様な雰囲気を出していれば。セックスワーカーだって見破れるのも無理な いか。 「まぁね」  本来なら取り合う気もないが、少し付き合う事にした。それで眠気が少しでも飛 ぶのなら、それもいい。  それにしても、俺より明らかに年下なのに、妙に貫禄にある雰囲気を出すな。 「大変でしょう? この街は」 「此処しか、知らない……」  と言うより、大変じゃなかった場所なんて俺の人生にはない。片方は俺を見捨て て、片方は犯して売り物にして、学校も同年代も疑わしくて怖ろしくて油断できな い空間だった。何よりも――大人は役に立たない連中ばかりだった。  この街に関しては言わずもがな地獄の輝紫桜町だ。楽に思えた試しは一度もない くせに、どこか依存してしまう厄介な街さ。 「でも年齢的にそろそろなんじゃない?」  コイツ、遠慮もなしに言って来たな。確かに若作りだの若く見えるなんて事を言 ったりするのは、大概年上ばかりだ。本当に若い奴には通用しない。  この街でHOEをやって“ナバン”に拾われ、同業者達と交流する機会が増えて いく中で、よく先輩枠の連中が言ってた。三十路前にこの業界から離れないと惨め だって。そう言うのずっと聞かされてたから、三十になっても抜け出せてない自分 に酷く絶望したのを覚えている。  それでも蓋を開けて見れば、ポルノデーモンの価値は未だに健在だった。  実際、俺は容姿も顔も綺麗なのは間違いないし、テクニックもある。年の功って ヤツで若い頃よりも立ち回りや振る舞いも器用な物さ。  とは言え、このモヒカンの言う通り、そろそろってヤツが迫って来ているのは間 違いなかった。身体を売って稼がないとならない理由は全て潰した。龍岡先生への 貸し、違法サイボーグとして必要なデバイス、多少の蓄え。――それでも。 「かもね、でもやろうと思えばやれるよ。結局金になるし、今更、他の生き方なん か想像できない……。止めたら、俺には何も残らないじゃないかって、恐くなる時 があるんだ。だってそうじゃない? 俺はこの生き方で、この街を生き抜いて居場 所を手に入れたんだ。クソみたいな地獄をさ、人生で唯一の成功体験だよね。それ に見合うものを探してるけど見つからない。ねぇ? どうしたらいい?」  座席から身を乗り出しモヒカンに顔を近づける。こういう時、癖で何時も色目遣 いになる。  同じ客商売だから、邪険に出来なかった。つれない態度をされるのは結構キツい から。客と言う立場なんだから、それでもいいかもしれないけど、つい気を遣って しまう。損な性格だよね。  どうせこのモヒカンとはこれっきりだろうから、本心を話してみた。どんな答え が返って来るか見物だな。  ラジオから流れる捻りのないクラブミュージックだけが車内を包む。  しばらくして、モヒカンが一息ついてから口を開いた。 「一昨日かな、似た様な事を言う女の子を乗せたよ。何時までも、こんな生き方し てたら先がないけど、何だかんだ言って周りから優しくされてチヤホヤされる今の 環境が捨て切れないって。だからこう言ったのさ、傍で一緒に歩いてくれる人を一 人、たった一人でいいから見つけてみなって。意外にあっさり手放せるもんだよっ てね。人なんて生物は、そう言う小さいもので案外満たされる生物さ。逆に、人で ある事を捨てれば、何か大きな事が出来たり、手に入ったりするのかもしれないけ どね。兄さんはどっちがいい?」  同じ穴の狢ってヤツか。モヒカンの雰囲気から読み取るに、自分の経験談をその 子に話したのだろう。  後者の考えは同調できた。そう言う人を知っているからだ。シオンは人を超越し ていた。俺と同じ様な立場から始まり、この輝紫桜町を牛耳る程の大物にまで成り 上がった。底なしの欲望を叶える為なら、どんな事でもやってのけたし、どんな相 手でも屈服させた。俺なんかじゃ、到底足元にも及ばない。  なら、前者を求めろって事になるんだろうな。モヒカンに是非とも聞いてみいた いね。――そう言う人を失った俺に、どうしろと。  それにしても、本当に変わったタクシーの運ちゃんだ。輝紫桜町には色んな人間 がいて、そして関われる。それは楽しくもあり、とても疲れる。  それから程なくしてマンションに到着した。 「お釣り、いらない」  万券一枚。モヒカンに手渡して車から降りた。 「お疲れ様」  煙草に火を着けて、車が視界から消えるまで待つ。俺の住むオンボロのマンショ ンは――向こうにある。  歩く度に、足の裏がアスファルトを踏みしめる度に、足腰の力がガクンと抜ける 様な痛みが走ってきて不快だった。ホント、ウンザリだ。服の生地が肌を擦る度に ヒリつくのもムカつく。  ボロマンションの入り口はホラーハウスの様に真っ暗闇だ。通路の照明は壊れた まま放置されている。手慣れた感覚でエレベーターまで辿り着き、気が気じゃない 音を軋ませながら、最上階の四階で降りる。何時かワイヤーが切れるだろうな。  ドアの三重ロックにアクセスして、ドアを開ける。俺の脳じゃないと、この鍵は 開かない様に細工してある。  この部屋は借り物ではなく“ナバン”にいた頃に買い取った部屋だ。あの頃は自 由はなかったけど、それなりに金は持ってた。大半はドラッグと酒、烏合の衆との お遊びで吹っ飛んでは稼いで、そんな不毛な事を繰り返していた。今も大して変わ ってないけど。  ブーツを脱いで、ジャケットをその辺へ放り。フラつきながら何とかベットへ沈 み込めた。長い一日だったな、額に手を置いて天井を虚ろに見つめる。  鉄志を介抱して、借金増やして、夜通しヤリ倒して、こんなボロ雑巾みたいな状 態で、要塞みたいなシステムにハッキングしようってんだからさ。ホント何やって んだろ。  考えないとならない事、思い出したくない事、身体を休めなければと言う焦燥が 綯交ぜとなり、脳内を激しく掻き回していた。その大きなうねりが、ドクン、ドク ンと血管を圧迫して脈打っている。それでも思考を止める事は出来ない。  三つの事柄の中で、ほとんどを満たしていたのは、思い出したくない事だった。  ガキの頃からそうだった。ヤッてる最中は何も感じない。目の前のヤらないとな らない事に集中して、早く終わってくれと無心になれるけど、今みたいな時に反動 で一気に押し寄せて来るんだ。自分のしてた事への羞恥の念と嫌悪感。相手が俺に してきた事、言ってきた事への恐怖。胸の辺りまで込み上げてきて苦しくなる。  いっそ、涙なんか出ない義眼だったらよかったのに。横たわる身体が小さく蹲っ ていく。  ポケットから取り出したチョーカーは潤む視界に歪んでいる。七色に輝くクラブ のチタンプレートでは、この凌辱を拭えない。気休めだけじゃ虚しいだけだった。  こんな時、このチョーカーの持ち主は何時も俺の傍にいてくれた。無様なぐらい に噎び泣いて、崩れ落ちる俺に手を差し伸べ、そしてそっと触れてくれた。  この煌びやかに淀む地獄の輝紫桜町で、色欲の染められ悪魔になっちまった俺を 独り置いて、独りぼっちのまま虚しく時間だけが過ぎて行く。  “マリー”会いたいよ。傍にいて、どうか俺の手を握って共に歩んでおくれよ。

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