11.― KOGA LIU ― 俺は黒狐と手を組む。知恵を貸して欲しい…… 鵜飼……。それは出来ない相談よ 何故だ? 仲間に加えるってのは、お前のアイディアだろ? もう状況が違う、公の名の元に従うのが絶対条件だったけど、今の黒狐はアウト ローを貫いてる。それどころかここ最近は、密輸業者を相手に派手に暴れ過ぎてい る。相手は犯罪者かもしれないけど、度を越した破壊行為よ。こっちもそれどころ じゃないから、黙認しているけど 黒狐には大きな情報網があるらしい。共有できれば、こちらも先手を打てる なら、手を組んだ“ふり”で充分でしょ? 最後には裏切れと? 捉え方は自由よ。どのみちアウトローならば、私達の立場上、敵になる。黒狐の 想いも理解できるけど、償いはしてもらわないと。 それは、そうだが…… 鵜飼、いずれあの二人だけじゃなく、輝紫桜町のハッカーや、“組合”の殺し屋 も排除しなくてはならない。それが私達の立場と役目よ。善意と正義は違う…… 氷野さんも、そう言ってるのか? 当然でしょ、今後は私と貴方でこの件を請け負う。もう引き返せない。氷野市長 の意向が最優先よ……。公平な正義を徹底的に行使する。例え辛くても…… あれから三日。ユーチェンと段取りを決めて今日に至る。三日前のあの日、鷹野 と交わした会話を思い起こし、彼女の言葉を何度なく噛み締めてはいるが、砕く事 が出来ないでいた。 整備の済んだガントリークレーンの天辺。眼下に浮かぶ密輸船。ここからひとっ 飛びで船のブリッジへ降り立てる。 鷹野の言っていた事は正しい。善意と正義は違う。俺とて混在しかけていた。 だからと言って、あんな嘘をついてユーチェン達に協力するなんて、よくも白々 しく。女ってのは恐ろしいと言うべきか、鷹野が一本芯が通った奴なのか。 居酒屋で話していた時は、いやに黒狐の肩を持っていたのに、状況が変われば即 座に切り替える。何にしても畏れ入る。 サイキックに殺し屋とハッカー。いずれも自分なりの信念で行動している。俺だ ってそうだ。しかし、正義を名乗るには――独り勝ちでなければならない。 「ユーチェン、聞こえるか」 『どうしたの?』 無線のノイズが酷かった。ユーチェンは船倉の方にいるので、かなり離れている 状態だった。 彩子の話では、密輸品は全て船倉の方へまとめられているそうだ。上海の港で積 まれたコンテナの数と此処へ入港する際のコンテナ数が違う。これを事前に知るに は、幾つもの輸入業者や企業、管理会社の情報を元に照らし合わせしないと分から ない様な事だった。 俺達ではまず手に入れられない情報だ。今、ユーチェンと手を組んでいなかった ら、俺独りで積み荷のリストを奪って探すところから始めなくてはならなかった。 船に忍び込んでから、そんな事をしていては見つかるリスクが大き過ぎる。あの 二人に協力している者とはどんな奴なのか。 「これからブリッジに侵入する。そっちの状況は?」 『例の危険物は船首に仕掛けた。迂闊にボタンを押すなよ。見張りが多くて動けな い。予定よりはもたついている』 想定内の状況の様だ。段取りはユーチェンが密輸品の証拠映像を撮り、俺が船内 にあるデータや情報を奪うと同時に鷹野へ送信して、そのまま警察を動かせる。セ キュリティを操作して船内を混乱させて初動を遅らせねば、後は警察でも充分制圧 できる。 そしてもう一つは、“危険物”を船首へ仕掛けてもらう事。これを使うかは決め 兼ねているが、何にしても――謹んで、伊賀流にお返ししよう。 その手順を前後させて、ユーチェンが動き易くする事も可能だ。あとは船外に待 機している彩子の手引きでこの場を離脱する。 「分かった。先にブリッジを制圧する。必要なら警報を鳴らして人払いだ。その代 わり、行動時間は一気に縮まるぞ」 『分かってる。そっちこそしくじるなよ』 生意気な狐め。通信が切れる。 俺の見立てでは船長室に情報が集約されている。予定では先に船長室へ忍び込み たかったが、ユーチェンが回収する予定の画像も重要だった。先に船のコントロー ルを奪ってしまおう。 ガントリークレーンの先端に固定したワイヤーを確認してクレーンから飛び降り る。振り子の最高点に達し、ブリッジの頂上のタイミングでワイヤーを切り、不足 分は身体を捻り回して到達する。計算通りに降り立つ事が出来た。 ブリッジの屋上から船を一望する。山積みの色とりどりのコンテナ。あの中に人 間を詰め込んで運んでいたなんて思うと、憤りに心が満たされる。 甲板には作業員が数人歩いてる。船首の方はコンテナが積まれておらず、ハッチ は閉ざされたままだった。ユーチェンがいるのはあっちの方だ。 通気ダクトは大きくファンがフル稼働してる。ここらは入れそうにない。気配を 殺して直接忍び込む。丁度真下に操舵室があった。 物音を立てず、壁づたいに進んでいく。ブリッジ内は人の気配を多く感じる。そ の物音一つ一つに警戒して、遠ざかるのを待って、進む時は素早く移動する。 船の中は陸地の建物と違い、モーターの振動音や機械音が多くて気配を探るのは 一苦労だった。 操舵室に辿り着く。曲がり角から覗き込む。ドアが開いて二人ほど出ていった。 ドアの前にかがみ込み、耳を当てる。相変わらず雑音は多いが人の気配が感じら れない――無人か。 息を殺し、音を立てずにドアを僅に開けて覗き見る。見える範囲内では誰もいな かった。素早く操舵室に入り込んで探りを入れる。大丈夫だ、誰もいない。 年季の入った古い船だと思ったが、この部屋の機材は見るからに新しい物ばかり が目立つ。 「ユーチェン、操舵室に入った。そっちの状況は?」 『目的地に到達した。見張りは武装してる』 武装、当然の事だがこの船は普通じゃない事は確定か。ユーチェンの声から少し ばかりの緊張が伺えた。 「これから船尾方面の警報を鳴らす」 『それでも見張りが動かなければ、強行する。それでいい?』 「待て、こっちはまだデータを回収していない。それが終わるまでは待機だ」 ユーチェンの方も余裕はないが、この警報を鳴らせば俺の方も余裕は失われる。 ここは六階、四階に船長室がある。右側の窓が開閉できるから、そこから外へ出 て船長室へ忍び込む。部屋の中に人がいれば排除して情報を頂くしかない。 『了解……』 制御盤の端末を起動する。視界一杯にホログラムが浮き上がり、ステータスメニ ューが表示された。立体端末か。 警報システムにアクセスして、訓練モードから船尾部分の火災警報と、浸水警報 を起動させる。立体端末は直感操作なので快適だな。 あとはエンターキーの表示に触れれば、警報が鳴り響く。 「何時でもいけるぞ」 『鵜飼……』 「何だ?」 『もし、不味い事になったら、私の事はいいから目的を果たして離脱して』 思っていた以上にユーチェンは緊張しているらしい。十八そこらのガキが言う様 な事じゃないだろ。 『必要なら私が囮になってもいい。私は独りでも何とかなるから。公僕の貴方なら 弟を必ず助けてくれる。本当の正義が行える立場の人になら託せる』 傲慢で才能に溺れかけた若いサイキックとばかり思っていたが、実際は背負った ものの重さに絶えきれず潰れそうになっている。――純情な奴なのかもしれない。 鷹野に今のユーチェンの言葉を直接聞かせてやりたい。これでも、罪は罪だと言 うのが正義なのだろうか。 それが紛れもない正義なのだろう、何て言うか――癪だ。 「役人に期待し過ぎじゃないのか? それに弟が助かっても家族がいなければ救わ れんだろ……。しっかりしろよ」 『ごめん……。準備は出来てる』 この様子だと、おそらくユーチェンの弱気は相棒の彩子には打ち明けてないもの だろうな。 理由は様々あるだろうが、俺と彩子では立ち位置が違う。同じ協力者でも、彩子 は堅気だ。俺やユーチェンの様な血生臭い日陰の世界の住人ではないし、実力的に 釣り合わないからこそ、弱音は吐けなかったんだろう。 それとも、気付いているのか。何れ俺に追われる身になる事を。自分と彩子がア ウトローの報いを受けた時に――弟を託そうとしているのか。 「始めるぞ、今は集中しろよ」 今は考えていても仕方ない。雑念を振り払って、ホログラフに浮かぶエンターキ ーの表示に触れると、立ち所に警報が船内に鳴り響いた。船尾の被害状況を伝える 北京語のアナウンスが定期的に流れる。 ここからは迅速に動かなければ。立体端末のログを消去して閉じる。ドアには鍵 をかけて、警報ができるだけ長引くようにしておく。 熊手をはめて、窓を開けて身を乗り出す。ガチャガチャとドアを開けようとする 音を尻目に外へ出て、窓を閉めた。 小さな凹凸に足をかけ、壁に熊手を突き刺しながら横へ移動して。大きなパイプ へ飛び付いた。幸いにも照明の当たらない位置で目立たなかった。このまま下って 行き、船長室へ向かう。 警報を鳴らした時点で敵の警戒度は上がる。俺もユーチェンも長居は出来ない。 もし、船長室に人がいたとしても、強行して密輸品の証拠を回収しなくては。致 し方ない。 幾つかのパイプや配線を伝い、斜めに下って行く。熊手の先端を念入りに研いで おいたお陰で、壁にしっかりと刺さる。 船長室の窓を捉えた。明かりが点いているので人がいるのだろう。慎重に窓に近 づいて行き、そろりと中の様子を伺った。厳つい男の後ろ姿が視界に入る。 アンカーを静かに差し込み、足場を作って身体を固定する。もう少し中の様子を 伺いたい。 ウィンドウスルーの小型マイクを窓に付けて音を拾い。鏡を使って中の様子も覗 き込んだ。 「わざわざ、お前等が出張って来るとはな。噂は本当らしい……」 「何の話だ」 「海楼商事が狙われているって話さ、嗅ぎ回っている連中も捕まえられずに振り回 されているってな」 男が話している相手は女らしいが、聞き覚えのある声だった。まさかと思って鏡 の角度を変えると、嫌な予感は的中した――望月偲佳。 伊賀者が何故こんな所へ。いや、そんな疑問を抱く方がおかしいか。望月は間違 いなく海楼商事に雇われているのだから。 厄介だな、素人相手なら何人でも問題ないが、腕利きの忍者が一人では手早く制 圧するなんて不可能だ。 今までの借りを返してやりたい衝動に駆られるが、耐えるしかない。それどころ か、妙な殺気は勘付かれる恐れだってある。 「大体、金も払ってないのにブツを先に回収するだと? 冗談じゃねぇぞ!」 「海楼商事のシステムが復旧すれば何も問題ない。その程度の事で騒ぐな」 会話の全貌は分からないが、密輸品の取引で揉めているらしい。海楼商事が何ら かのトラブルを抱えている。 男の方は多分、船長だろう。高圧的な態度で望月に凄んでいる。望月の方は表情 には出してないが、大分苛付いている様にも思えた。 「お前等、沈みかけの船に見えるぜ。“監視者”の話じゃ、アクアセンタービルの システムが完全にハッキングされるのも時間の問題だって話じゃねぇか。“組合” も目を付けてるって話もある」 「海楼商事が潰れても、我等の計画はほぼ完了してある。何の問題もない……。回 収の手筈もこちらで用意してるんだ。ハッチを開けろ、後は海楼商事と好きに交渉 すればいい」 ハッキングに組合。気になる言葉が飛んできたな。輝紫桜町で見た“組合”の殺 し屋に、ハッカーのCrackerImpか。やはり手を組んでいるらしい。 数日前のハッキング騒動が、海楼商事に予想以上のダメージになっているのか。 鷹野が言った通り、奴等は俺達の上を行っている。これはいよいよ、野放しに泳 がせておくのは危険かもしれないな。奴等の目的が何であろうと、全て奪われてし まえば、俺達の出る幕もなくなる。その先は吉と出るか凶と出るか、正にカオスな 状況になる。 “監視者”とは何者だろうか。海楼商事のシステム関係の協力者か、情報を奪わ んとするCrackerImpの敵となる相手と言う訳か。 「お前等、何か勘違いしてないか? このビジネスにはな、バカでかい“元締め” 様がいらっしゃるんだ。その駒の一つが海楼商事で、お前等はその下の飼犬に過ぎ ないんだよ……。代わりなんて、幾らでもいるんだぜ。俺達、上海の組織を海楼商 事の代わりにすべきかって、検討段階まで来てるんだよ」 海楼商事だけでなく、海外のあらゆる犯罪組織が大きく関わっている。予想でき ていた事だが、望月とこの船長の雰囲気からすると、一枚岩ではない様だ。それど ころか、旨味のあるポジションを盗り合っているかの様だ。 規模が大き過ぎて統率が取れていないのか、それとも、そんないざこざなど取る に足らない程度のものと言える程“元締め”とやらは力のある存在なのだろうか。 そうなると、やはり日本人の立場はかなり弱い。望月は敵だが、その心中は察す る。 風火党の忍者達はこんな下働きの様な扱いを望んでいるのだろうか。どんなに優 れた業を持っていようと、日本と言うだけで劣等な扱いを受ける。忍者の業と知恵 は世界に通用する事は間違いないが、このままだと安く消費されるだけだ。それは 望月だって望むところではない筈なのに。 「お前みたいな奴、何て言うんだっけ? 確か、クノイチ? 男を淫乱にたぶらか して情報を奪うんだろ?」 船長が望月の後ろに回り込み、馴れ馴れしく肩を抱き寄せる。くノ一とは、笑え ない冗談だ。アニメの見過ぎかゲームのやり過ぎか。 冷やかに目で肩にかけた手を見下していたが、その手は次第に望月の胸にまで伸 びていき、挙句には鷲掴みにした。 「今の内によぉ、俺達に尻尾振った方が良いんじゃねぇのか? この国はもうじき 俺達の物になる」 立場が上なのかどうかは知らないが、よりにもよって武闘派の伊賀者を相手に馬 鹿な事をしているなと思わざるを得ない。鏡越しに見る望月の表情を見ていると尚 更だった。 船長の方に振り向いた望月は、表情穏やかに船長の頬に右手で軽くなぞり、笑み を浮かべている。――そこを潰すのか。 腑抜けた船長の下顎を潰さんばかりの力で鷲掴みにすると、軽々と持ち上げて壁 に叩き付けた。長身とはいえ、おそろしい腕力だ。 「海楼商事がどうなろうが、貴様等が後釜になろうが、日本がどうなろうが、私達 にはどうだっていい事だ……。我らの進むべき道は既に決まっている。ここまで磨 き上げた、五年だ、五年かかった。誰の自由にもさせない。それともう一つ……」 左手で情け容赦なく股間を握り潰す。船長の叫び声がマイク越しに鼓膜を劈く。 「忍者に男も女もない。同じ業を磨き、同じ知識を学ぶ、そして高みを目指して変 化していく……。時代がどんなに揺れ動こうともな、分かったか?」 共感できる言葉だった。俺達忍者の家系は、どんな時代であっても忍者で在る事 を変化を幾重にも重ねて伝えて来た。それは流派や派閥に違いがあっても変わらな い事だった。 それにしても、望月が執着する五年越しの目的と一体何なのか。その目的と言う のは組織の望むものなのか、それとも組織の思惑を超えたものなのか。 「さっさとハッチ開けて、このうるさい警報をなんとかしろっ!」 考えを巡らせていると、何時の間にか望月は船長を開放していた。股間を押さえ ながら情けなく船長が部屋を出ていく。 これで望月も部屋を出て行く事だろう。早いところ頂く物を頂いてユーチェンの 元へ向かわないと。 そう思ったが、マイクが携帯の呼び出し音を拾った。再び鏡を覗いてみると、望 月が誰かと話していた。気が逸る。 「どうした? ん? そうか……。加勢するか? 了解……。もうじきハッチが開 く、予定通りに回収する……」 誰とどんな会話をしているかは流石に分からないが、ハッチを開く話をしていた のなら、電話越しの相手もこの船にいるのだろう。 「やれやれ、お楽しみは独り占めか……」 携帯端末をポケットに突っ込み、ようやく望月がいなくなった。急がないとユー チェンのいる船倉のハッチが開いてしまう。 密輸したコンテナを回収されても、こっちには充分な証拠がある。とは言え俺も ユーチェンも人知れずこの場を撤退するのが理想だ。 しかし、ハッチを開けてどうやって密輸品を回収するのだろう。ガントリークレ ーンを動かす気配はなさそうだが。 鳴り響いていた警報がピタリと止まった。それによって、遠くの空から聞き慣れ ない音が空気を伝って来る。プロペラ音、ヘリにしては小刻みで僅かにジェット音 もこだましている。――何が近づいて来ている。 周囲の空気がヒリヒリと張り詰めてきている様に思えた。ユーチェンが気掛かり だ、何か嫌な予感がする。
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