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5.― PORNO DEMON ―  またお前達か、何を話す訳でもなく俺の前に立ってるだけで、本当、鬱陶しい奴 等だな。でも会うのは随分久し振りに思える。一年以上は会っていないかも。  初めてこいつ等に会った時は、ぼんやりとした黒と灰色の丸い影だったが、此処 で会う度に形を少しづづ変えていく。今では立派な人影になっていた。それどころ か、その人影も俺に似てきている。もう俺の影と言っていいだろう。  俺は夢を見ない。見れないと言うのが正確だ。今見ているこれも、夢じゃない。  何時も同じ状況と景色。俺の身体は動かず、目の前の黒い影と灰色の影と対面す るだけ。景色は案外悪くない。  水面に立っている様な感覚。波打つ事もなく空を反射している。その空からは絶 え間なく無数の一筋の光がゆっくりと流れていく。その光は水面へ沈み、更に地の 底まで流れて行く。空を反射している地面の筈なのに、空から降ってきたものが空 へ登って行く様を見下ろしている。不思議な感じだ。  色彩はその時々で変わる。今回は夕暮れの様な赤とオレンジのグラデーションが 緩やかに流れていて鮮やかだった。  一度だけ、その移り変わる色合いが七色だった事がある。あれはもう一度見てみ たいな。  何故、こんな現象が起きるのかは不明だが、おそらく悪い事ではないと俺は思っ ている。身体は動かす事が出来ず、こっちを見るだけの俺に似た二つの影がゆらゆ ら揺れて、不気味ではあるが、これを見た後は心なしか、パフォーマンスが向上し ている様な気がするんだ。  お前等が何者かを言葉で尋ねた事もある、怒鳴り散らした事もあるが、言葉なん て面倒なものは始めからいらなかったんだ。  今はハッキリと俺も認識している。――俺達は二進法で繋がり合っていると。  ふと気づくと、違う景色に飛んでいた。ぼやけた視界のピントが次第に合ってい く。ルビー色の布のしわは枕か。  この部屋で一番高価な家具はこのキングサイズのベットぐらいだ。ヘッドボード に置いてある、携帯端末へ手を伸ばす。時刻は十七時二十三分の表示。  服のまま寝ていないと言う事は、とりあえずシャワーぐらいは浴びてから寝たら しい。寝心地の良いベットだが、肝心の俺の目覚めは何時もクソな気分である。  昨日の記憶を呼び起こす。先ず印象深いのは、人の忠告を無視して、危うくレイ プされかけた、優等生気取りのクソガキを助けた事。あのガキからずっと浴びせら れていた、“普通”じゃないって雰囲気の視線に、始終苛付いていたっけ。  その後も苛付いてたからか、中々客が掴まらず閑古鳥だった。深夜二時ぐらいま で粘ってなんとか一人相手にして、朝の八時ぐらいにホテルをチェックアウトする と、同じく仕事上がりの春斗達に出くわして、結局、昼ぐらいまで安酒を浴びてし まった。頭が痛いのはそれか。それならまだいい。  そう言えば、昨日は春斗と同じく後輩の、雅樹の妬みやっかみが何時も以上に酷 かったな。  酒の席でも当たりがやたらキツかった。元々そう言う所がある奴だったが、HO Eの妬みは本当に面倒だ。こっちの気も知らずに好き勝手言ってくれる。  うつ伏せから仰向けに寝返り、溜息をつく。最近は本当に嫌な事があると、長く 引きずってしまう様になってしまったな。昔からそう言う所はあったが、年々粘り 気の様な物が増していく。年齢的な物なのだろうか。  気持ちの切り替えなど出来ないが、とりあえず身体を起こした。今日は本職はお 休み、待望の二〇〇万をゲットする日だ。と言ってもそれも借金返済に消えるが。  キッチンにある冷蔵庫を開けるが、ビールとエナジードリンクぐらいしか入って なかった。  戸棚を漁ると、即席スープと僅かに黒カビが生えかけた食パンが一枚。最近、忙 しくて買い物もしてなかった。黒カビの部分をちぎって、無事な部分をトースター に放り込む。  粉末のコーンスープをマグカップに入れてお湯を注ぎ、焦げたトーストを突っ込 んだ。 「働けども、働けども。か……」  もう笑うしかないな。輝紫桜町に住む人間のお決まりの言葉が“働けども、働け ども”。  俺もこの街に流れて着いて、ボチボチ十四年か、すっかりこの言葉がシックリく る始末だ。ガキの頃から貧乏には慣れてるが、大歓楽街の夜を華やかに着飾り、妖 艶に漂うポルノデーモンも一皮剝けばこんなものだ。そう、所詮こんなものさ。  一分かかったかどうかも分からない食事を済まして、服を着る。黒のダメージジ ーンズと紫のVネックシャツを着て、自作した大き目のドレッサーに置いてあるパ ソコンを立ち上げる。  その間に鏡を見ながら手櫛で髪を整えた。今日はブルーのウィッグでも付けよう かな。  立ち上がったパソコンのダイレクトメールを開き、傍らでブルーのウィッグを二 本、前髪の方へ付けて、櫛で軽くとかす。 『期限通り 約束のデータと相手先のデータも破壊済み サンプルデータを確認し て報酬を送金してもらおうか 前金なしでやってやったんだ いい加減金で揉める つもりはないぞ』  メールを送信する。後は連中が気付くのを待つだけだ。 『サンプルだけでは信用できない 現ナマで用意する 指定する場所まで来い』  意外と返信が早かった。林組の連中もそわそわしてパソコンに張り付いていたよ うだ。  林組から依頼が来た時は、勘繰りが止まらなかったものだ。よりにもよって俺の いる輝紫桜町のヤクザからの依頼だったからだ。  数年前は賭博と地下闘技場の運営で派手に荒稼ぎしてた連中だったが、今ではす っかり落ちぶれている。その原因に関しては多少、俺の巻き起こしたトラブルによ るものがあるが。  何気に俺と因縁の深い連中だった。正体が俺だとバレたら間違いなく殺されるだ ろうな。  それにしてもこっちの条件も一切呑まずに要求ばかり、金払いの悪い貧乏ヤクザ 共が。 『ハッカーが姿を見せると思うか? お前等と荒神会のやる事なんかに興味なんか ない 早く金を送金しろ』  荒神会、こちらは港町を牛耳る大物のヤクザ共。先客のクライアントの調査対象 だったので、こちらとしては、林組の仕事はついで感覚で楽をさせてもらった。裏 社会なんて狭いもんだ。  それにしても、先客のクライアントとのやり取りは楽しいが、クソヤクザとのや り取りは苛付くばかりだ。  鏡を見ながら化粧をしようか悩む。あれもこれもと盛るのは嫌いだが、アイシャ ドーぐらいは気に入ってる。色気が出ると評判がいい。  雅樹の様な、あからさまに女装は俺の好みじゃない。勿論、奴の自由だからどう でもいい事ではあるが、俺は常々ニュートラルな雰囲気、オスとメスの中間を狙っ てる。要するに好きな様にしてるってだけさ。  今日は面倒だからやめておこう。補強用の透明なマニキュアぐらいはしておこう か、先日も見事に左の薬指の爪が割れた。 『金が欲しいなら直接だ それが出来ないならこの話は無しだ 代わりは幾らでも いる』  全ての爪を塗り終えた頃に返信が届く。代わりってなんだ、舐めた事をほざきや がって。  視界にノイズが入り、ミラーリングしたパソコンの画面が乱れる。それほど腸が 煮えくり返っていた。小さく深呼吸する。このままじゃメールの文章まで乱暴にな る。  下らない脅しだ、奴等は荒神会のデータを欲しがっている事は間違いないし、こ のデータは奪うと同時に、相手先のは壊してる。バックアップされてる可能性もあ るが、今から他のハッカーにやらせても、一ヶ月ぐらいは確実にかかる。   『データの代わりはないぞ そして俺の代わりもな』 『これから指定する場所に来い 0時までに来なければ全て終わりだ』  落ち着いてイメージした文章をメールに入力する。林組の返信は、相変わらず一 歩も譲る気配がない。堂々巡りだな。  元々、前金を払わないケチり具合だ。始めからハッカーなんてパソコンオタクな んかに払う金なんかない。何かあれば脅すなり殴るなりで、奪ってしまえとでも思 っているのだろう。  薄々感じていたが――林組は裏切るつもりだ。  林組が指定してきた場所は、中央区にある大きなビジネスホテルだった。部屋の 番号を見る限り、最上階のスイートルームか。  大方、林組が取引事や何らかの処理をする時に利用してる所なのだろう。バスル ームが広いと死体の処理もし易い。そう言う事だ。  俺は既に次に手を考えていた。その為に必要と思われる情報、ホテルのホームペ ージ、部屋の間取り、窓の方角。道筋、道路が混みあう時間帯、全てを検索し把握 する。  鏡に映っているのは、自分の顔と不毛な程に膨大でありふれた、インターネット の情報が雪崩れ込んでくる。目で見るのでない――脳裏に映る情報は速くても理解 し易い。  くしゃくしゃになった煙草の箱から、残り二本の内の一本取り出し、引き出しに 溜め込んでいる安物のライターで火を着ける。 『わかった 今使ってる端末を持って来い データはメモリに入れて渡してやる』  クソヤクザとのダイレクトメールを打ち切る。足を組み直して、煙草の煙を天井 へ放つ。  さて、この気乗りしないトラブルをどう楽しむか。馬鹿が馬鹿をする、それに馬 鹿を重ねる程度のトラブルぐらいが好ましいが、これは血生臭くなりそうだな。  それでも、ここまで来たら引き返せない。ここで踏ん張らなきゃ今の俺の全てが 無意味になる。  あの時、死んだ筈の俺が今、何の為に生きてる。こう言う敵わない物に、どうし ようもなく不利で勝ち目のない物に立ち向かう為じゃないか。  携帯端末を手にし、電話機能から必要な物を呼び出す。コールは八回を過ぎるが 出るまで止めるつもりない。この始めのステップで躓く訳にはいかない。十五コー ル目でようやく電話が繋がる事に少しホッとする。 「安田? 急ぎで悪いけど、預けてるヤツを一つ飛ばせるようにしといて……なん でそんなのに三時間もかかるんだよ、一時間あればできるだろ?……とにかく外に 置いておいてくれよ。一時間したら飛ばすからな、よろしくね」    一方的なやり取りになるが、安田の言い訳がましい話は聞けない。この凶暴なる “助っ人”が、すっ飛んで来てくれなければ話にならないからだ。それに安田は適 当で、だらしのない奴だから多少、強引な方がいい事を知っている。  煙草を灰皿へ放り、お気に入りのチョーカーを首へはめる。七色に輝くクラブを 模したチタンプレートを親指で摩る。クラブは労働と春の象徴、セックスワーカー の俺にぴったりなシンボルだった。  窓の外を眺める。外はすっかり暗くなっていて輝紫桜町が妖しい光に溢れ返って いた。今宵も輝紫桜町は様々なネオンの色が交わり合う地獄模様。  その混沌とした光達がこの部屋に差し込んで照らす、その雰囲気が好きだった。  でも今夜はその光には染まらず、背を向ける。今日の仕事は輝紫桜町の外だ。  二十二時三十分を過ぎる辺りで中央区へ到着した。林組の指定するビジネスホテ ルの看板が見えてきた。  空っけつだったガソリンを入れるのは憂鬱だったが。傾向通り、渋滞もなく落ち 着いてる車道を、久し振りに乗るドゥカティの黒いストリートファイターは快調だ った。  数年前に、踊り子達に売春を強要していた、ショーパブのオーナーをとっちめて やったついでに頂戴した高級バイク。そんなトラブルでもない限り、手の届かない 代物だ。  ホテルの前で一時停止し、十五階建てのホテルを見上げる。“助っ人”は既に屋 上で待機してる。出来れば使う事なく済ませたい所だが、どうなる事か。  再びバイクを走らせてホテルの地下駐車場へ降りていく。適当な所で止めてヘル メットを外し、ライダースジャケットのジッパーを降ろした。そう言えば、この革 ジャケットを買った時は少しきついぐらいだったのに、今は割と余裕を感じる。  また瘦せたかもしれない。この二、三日何を食べたかより、何回ドラックを使用 したかの方が思い出し易いから、そう言う事なのだろう。我ながら荒れてるな。  確認と準備を進める。サイドバックにしまってある補助端末を取り出して、起ち 上げて同期する。本当は有線で同期していたいが、人目もあるかもしれないので無 線接続でいく。ベルトに付けたアタッチメントに補助端末を装着する。  左手に巻くブレスレッドもチェーンで飾り付けているが、あらゆる端末に接続で きる特注品のコネクターケーブルである。左腕をまくり、こちらも調子も探る。前 腕には鳥の黒い羽が無数に舞い散るデザインのタトゥーを散りばめている。これは カモフラージュ。  手首から前腕の柔らかい部分と固い部分を揉み解す。特に問題はなさそうだ。  最後にサイドバックから拳銃を取り出し、ジーンズに突っ込んでおく。詳しい人 間に言わせれば、相当な骨董品らしい“M93R”。引き金を一度引くだけで、弾 が三発出る。これも使わずに済めば、望ましい事ではあるが。 「それじゃあ、始めますか……」  髪を掻きあげて呟く。そして何となく天井の方を見上げる。これには特に意味は ないが、何となく集中できるのだ。  視界が一瞬で単色に染まる。その方がモニターが見易く余計な処理が減る。  先ずは“糸”見つける。今、手繰り寄せたい“糸”はこのホテルのシステムだ。  世の万物はネットワークに無線接続されている。その一つ一つは糸の様にか細く て、そこら中に垂れ下がっている。その中の一つを手繰り寄せるのだ。コツと呼べ るものはない、勘を目安に、虱潰しにやるしかないが、その程度の高速処理は楽勝 でこなせる。――見つけた。  ホテルの“糸”を傍受して接続する。肩甲骨と頸椎の温度が上がっていくのを感 じる。  膨大な羅列が流れ込んで来ると同時に、こちらもそれを流し込む。ただし、こち らの羅列の中にはウイルスが仕込まれている。この程度のシステムを乗っ取る程度 なら、頭痛は起きない。かなり楽勝だ。  ホテルのシステムなど大したセキュリティーも暗号化もない。全てがぴったりと 合致する瞬間、これが快感でたまらない。これで今、俺とホテルは直結した。  これで準備万端だが、それでもクソヤクザと会うのは憂鬱だ。しかも、同じ地元 だと言うのも面倒くさい。何人来てるのか知らないが、輝紫桜町で顔の知れた俺を 知る奴は確実にいるだろう。いや、下手したら客として相手したヤツも紛れてるか もしれない。  左手の甲に一列整列したコカインを鼻から脳天へ向けて一気に吸い上げる。深く 深呼吸、手の甲に残る粉を舐め取り、重い脚をエレベーターへ向けて一階のロビー へ、ビジネスホテルと言っても、寝泊りだけの味気ない小さなホテルではなく、冠 婚葬祭から、大規模な公演ができる会場も完備された大きなホテルだ。ロビーの装 飾は、大理石柄と白とグレーで統一されたモダンな雰囲気になっていた。たまには こう言う落ち着いたホテルで客の相手をしたいものだ。  客室へ繋がるエレベーターは、やはり宿泊者のカードキーがないと使えないよう だ、ここは面倒だが、受付へ頼み、招いてもらうしかなさそうだ。  受付へ話し、林組の下っ端が降りてくる。厳つい角刈り、如何にもって感じだ。  やたら俺を睨んで来ると言う事は、俺の事は知らない様だ。 「どうも、林組の人でしょ? CrackerImpと言えば伝わるって聞いてる けど……」  ジャケットの内ポケットに入れた封筒を取り出し、角刈りに見せると、乱暴に封 筒を奪い取り、携帯で連絡する。  ここから間抜けな猿芝居が始まる。俺は他人事の様に俺を語り、俺を演じる。 「ついてこい」

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