9.― DOUBLE KILLER ― 「何で、アザラシを抱き抱えてんだ……」 当たり前の様にジンを注いでもらい、飲んでしまった。そう思っている間にも二 杯目を蓮夢は注ぎ、自分のグラスにも一杯目を注いだ。アザラシのぬいぐるみを膝 に置きながら。 「あ、なんか手持ち無沙汰で……。鉄志も抱く?」 生々しく人殺しの話なんか、するもんじゃないな。差し出されたぬいぐるみを受 け取って、空いてる椅子に立てかけた。間抜けなフォルムをしてるな。 「悪くないな……。こんな話でも話してると、少し身軽になった気がする。その姿 も見慣れて来たしな。お前、可愛いよ」 「俺は何時だって可愛いし綺麗だし、イケてるんだよ。酔っ払ったの?」 刺々しい物言いだが、照れ隠しをしているのは分かった。 “組合”なんて組織にいるせいなのか、元々の性格なのか、こんなに自分の事を 人に話した事はなかった。 蓮夢が聞き上手なのかもしれないが、渋る事なく不思議と言葉が出て来た。 「お前がいい感じで注いでくれるからだろ」 「究極の接客業をしてますので……」 そう言えば、料理も真っ先に皿に盛って先に渡してくれた、当然の様に。客商売 のプロフェッショナルか。 それなりに知り合った仲のせいか、少し申し訳なく思えて来た。次、蓮夢のグラ スが開いたら俺が注がないと。 「とにかく、俺は目が覚めた。引き返す事のできない、とんでもない所に来てしま ったって。だからこそ、改めて結束を固めて、みんなを引っ張って行く為に気を引 き締めたよ。俺を含めた施設出身の八人と、訓練所の同期十二人。二十人の一個小 隊だ」 ガキの頃からずっと一緒だった施設の兄弟達。そして、二年間同じ釜の飯を食っ た訓練所の仲間達とも絆は深かったが、この殺しのテストを通して全員が“組合” の人間になった事は間違いなかった。――俺が先導してしまったのだ。 「戦場の事については特筆するものはない。任務を成功しようがしくじろうが関係 ない、誰も死なせない。それが俺の任務だった。三年間、世界中のあらゆる危険地 域を駆け巡ったよ。幸いにも誰も死なせる事なく。それが“組合”に高く評価され て、待遇もかなり良くなった」 「三年も戦場に……」 “組合”も日本から来た若輩部隊なんて誰もが期待していなかっただろうが、俺 達は常に意識を共有し合って、任務の遂行と生存に努めた。 評価の高い部隊や味方になってくれる同業者に、時に媚を売ってコネクションも 広げていった。なりふり構っていられなかった。 「任務がない時はロサンゼルスの豪邸に住んでいた。と言ってもチーム二十人での シェアハウスだけどな。大昔の映画スターの家だったらしいけど、二十人でも余る ほどの部屋数に庭とプール。中々快適だったよ」 アメリカに来た時は、流石に胸が躍ったのをよく覚えている。崩壊した惨めな日 本とは違い、何もかもが洗練されてて解放感に溢れていた。 “組合”で兵士になって良かった。不覚にもそう思った時もある。 カットライムを加え、程よく冷えたジンを飲んでいると、蓮夢は席を立ってウェ イターを呼び止めて灰皿を受け取った。わざとらしい色目を惜しみなく向けて。 席に戻り、髪を掻き上げて煙草を手にする。そう言う仕草は女性の格好をしてて も、普段の蓮夢と変わらない様な印象を受けた。 「そこだけは羨ましいよ」 「戦場とそこでの生活にはギャップがあり過ぎた。みんな、ここぞばかりに羽目を 外してたよ。知らない連中を呼び混んで派手なパーティーをしたり、街のセックス ワーカーを沢山呼び込んで乱痴気騒ぎもしてた……。酒の量が増えるのは仕方ない と思えたが、ドラッグに手を出す奴も出てきて、堕落し切ってたよ……」 「鉄志もそこで童貞卒業?」 目敏く聞いてくるな。そんな事を聞いて何が楽しいのか。 「乗り気じゃなかったが、付き合いだと思ってな。年上のお姉さんにお世話になっ たよ。金髪で胸もでかかった」 とでも言っておけば満足するだろう。よく知りもしない相手と快楽目的であって も、気乗りしない感情の方が欲望に勝っていた。 そういう周りとのズレやギャップを。自分は冷めた人間だと言って適当にあしら ってきた。煩わしい。 「あっちの人達は、身体付きいいからねぇ。太いしにょろにょろしててさ、でもあ んなのが入っちゃうから、人体って不思議だよね……」 「なんの話だよ……、いや! いい! 言わなくても」 煙草の煙を一筋吐いて、しみじみと言われてもな。やはりこの手の話は蓮夢の方 が一枚も二枚も上手だな。 「居心地は良かったけど、俺はそこでの生活は好きにはなれなかった。仲間が女を 連れ込んでくるのも嫌だったしな。独りで車乗り回してる時が一番好きな時間だっ た」 「車、拘ってるもんね」 その時は中古だが、プリマスバラクーダを乗り回していた。コテコテの如何にも なデザインの車が好きだった。 施設暮らしで唯一気に入っていたのが、小さな車の玩具。その中でもクラシック カーが憧れだった。 “組合”にでも入らない限り、一生かけても手に入らなっただろうな。 ロスアンゼルスでは、誰もが自由に好き勝手をしていた。次の任務で死んでも悔 いのない様にと、後先を考えない生活をしていた。 「でも、何故かメリハリはあった。戦場ではみんなが意識を共有して、信じ合って 助け合って結果を残した。戦場での評価は上がる一方だったし、年齢と共に発言力 も上がっていった。俺の狙いは何れ戦場を離れる事だ。“組合”から抜ける事が出 来ないにしても、傭兵以外の選択肢はある。だが、それにもリスクもあった。評価 が上がれば期待値も上がる。困難な任務に抜擢される事も増えれば生存率も下がっ ていく。それでも、突き進むしかなかった。仲間と話し合って、状況を打破しよう と奮闘する日々……」 悪循環だという認識はあった。“組合”における自分達の評価を上げて、発言力 を強めていく。ただの傭兵に過ぎない俺達には、それ以外に方法がなかった。 厄介な期待値ばかりが上がっていき、課せられる任務が困難になっても、ひたす らやり遂げていく。――我武者羅に。 「五年目にして初めて犠牲が出た。前に行き過ぎた連中が待ち伏せにあって十字砲 火を浴びた。任務の遅れを取り戻そうと誰もが焦っていた状況だった。俺は慎重に 事を進めるべきだったのに。その判断が出来なかった……」 「鉄志……」 「それからは積み木崩しだったよ。仲間の生活は荒れていく一方だった……。遊び が過ぎて借金漬け、クスリで正気を失う奴、部屋から一歩も出ずに籠る奴。グルー プセラピーに通う奴……」 全員、同じ歩幅でとはいかない。でも、あの頃は俺はそれが許せなかった。今な らそれなりに理解できるが、揉める事が増えていった。 絆で繋がった仲間同士であっても、プライベートは必要なのに。 俺自身、独りで過ごす時間が増えていった。結局、変わらない関係のままだった のは、特に親しかった施設出身の二人だけだった。 「セラピーはいいんじゃないの? むしろ一番の解決方法だと思うけど」 「そうだな、多分そうだと思う。誘われた事もあった……。蓮夢、お前が俺ならそ の誘いを受けたか?」 「俺は……断るかも」 「俺もお前も、心を開くのが下手くそだからな……」 会話の最中にさり気げなく、グラスの氷を新しく入れ替え、酒を注いでくれてい た。行き届いた気遣いに、俺が入り込む隙間がなかった。俺が気付く頃には蓮夢は 自分のグラスにジンを注いでいる。と言うより、瓶の中のジンはもう半分ぐらいし か残っていなかった。何時の間にこんなに飲んでいたんだ。やはり蓮夢はザルだ。 「豊かさに堕落して荒れる日々、極限時のみに正気に戻れる。俺自身も、戦場の方 がしっくりと馴染んでいる感じがあった。何時の間にか、戦場が自分達の居場所に なっていた様だ……。緊張感や恐怖がない環境にいると落ち着かない。逆に落ち着 けば、罪悪感や死を間近に感じてしまう。生活が荒れていくのは全て、それから逃 げる為だったんだって、気付いた時には手遅れさ。みんな限界に達していた……」 「鉄志はその時、どんな状態だったの?」 「俺は正気を保ててた方だったと思う。戦場でもロスでも、常に考えて行動する様 にしていた。仲間と共に任務を乗り越える事、仲間と共に戦場を離れる方法を。俺 はリーダーだから、塞ぎ混む訳にはいかなかった。でもそうこうしている内に犠牲 は増えていく一方だった……。その頃には軍事国家の正規軍を相手取ったり、オー トマタの導入も盛んで、従来の戦術が通用しなくなっていった。補充された人員と もオリジナルメンバーの様な関係を作るのは困難だった。数字だけの話なら、犠牲 の数以上に任務の成功率の方が遥か上だったのに、結局俺達は消耗品で終わりが見 えなかった……」 その頃の感情を思い起こすと、腸が煮えくり返る想いだった。独裁政権に立ち向 かい国を開放できたなら。――俺達は英雄に成れるなんて思っていた。 所詮、夢物語だ。どんな戦争も利権争いでビジネスの下地作りに過ぎない。それ でも俺達が戦っている事の意義を金や忠誠心以外の何かで満たしたかったのかも知 れない。 しかし、そんな戯言を言う事も想う余裕すらも次第に失われて行った。 「沖縄からの連れに“涼太”って奴がいた。一番、仲が良かった。何時も一緒に過 ごして、俺の事を気にかけて相談役にもなってくれる。同い年だけど可愛い弟分だ ったんだ。鹿児島の施設に行ってから仲が良かったのが“秋澄”。その三人で戦地 のバーで飲んでた時、こんな話をした」 ジンを飲み干して、煙草に火を着けた。蓮夢は自分の煙草を灰皿に押し潰してか ら、灰皿をこちらへ差し出す。 「死ぬ時は一緒だ。でも、もし独り取り残されたなら、どんな手を使ってでも傭兵 を辞めて日本へ帰る。必ず生き残り続ける事。って……」 人員が次々補充される中で、俺の部隊は当初よりも確実に能力が落ちていた。オ ートマタやドローン兵器との戦闘も過酷さを増していく。 そして戦場を離れると言う想いも、どうでもよくなりつつあった。みんなで戦場 を離れよう。そう言っている内に、そのみんながどんどん減っていく。 正気も狂気もなくなっていった。――感情は既に死んでいたのだろう。 淡々と任務をこなし、死ぬ時は死ぬものだと、人生なんて所詮はそんなものだと 悟ったふりをして、時を浪費していた。 「その後、秋澄は負傷して戦線離脱。俺達は変わらず世界中のあらゆる戦場を狂っ た様に走り続けた。何時の間にか、昔馴染みは涼太だけ……。東南アジアの犯罪組 織の殲滅。消耗戦になった。オートマタを砕き、AKライフルを蹴散らし、方向感 覚も狂うぐらい敵に囲まれ飛び交う銃弾。涼太に背中を預けて集中した。“二発で 仕留める”それだけを考えて撃ちまくった。ふと気付くと、生きているのは俺だけ になっていた……」 その時の事を思い出していると、少し眩暈を感じた。フラッシュバックが起きる 前の感じに近く、必死に堪えていると不意に左手に温もりと圧を感じる。蓮夢の手 が俺の手を握っていた。 反射的に蓮夢の手を払う。蓮夢の顔に視線が合わせられなかった。 「“お前に付いて行ったのは、間違いだったな。日本に帰れるぞ鉄志、しっかり生 きろよ”涼太は笑みを浮かべてそう言うと、俺の腕の中で息絶えた……」 そうだ、全て俺の間違いだ。煙草を灰皿に押し付ける。 何時だって先の事を考えず今ばかりを見て、周囲の為と言って自分に向き合う事 を後回しにして、つまらない意地と自尊心で現実から目を背けた。十五の頃の俺は 施設を離れてみんなとは慣れて独りになる事を、見え透いた過酷な現実から目を背 けた。 それをツケだとか、報いだと言うには背負いきれない程に重い犠牲だ。かと言っ て償う術だってなかった。あるのは――無間地獄だけだ。 「日本の組合長と掛け合って、俺は日本へ戻れた。二十八になってた。ほぼ全滅状 態では傭兵としての価値はない。俺個人の価値を尊重してくれた。本当はセキュリ ティとか楽な仕事に就きたかったけど、“組合”ではもう凄腕扱いだったから、そ うもいかなかった……」 「それで殺し屋に?」 「“組合”や関連組織がオーダーしたリストの標的を仕留める。賞金稼ぎみたいな 方式の他にも、直々に依頼される事もある。歩合制なんだ。初めは人と組んでみた り、リストの標的を追跡する術を学んだりして、それなりにやってたけど、ここ数 年は依頼のみだ。誰かと組むのも止めた、意味がない……。淡々と仕事をして、時 間を消化していくだけの日々……。時間が何かを解決してくれる。そう思いながら 徐々に心が死んでいくだけの十年だったよ」 沈黙がしばらく続く、店の奥の方にいる五、六人のグループが盛り上がる声が店 中に響いていた。 蓮夢の目は真っ直ぐ俺を見ていた。暗紫色の左目は何を思うのか、真っ直ぐで力 強い眼は、ここまでの俺を受け止め様としているだろうか。 ここまで自分の話を誰かにした事はなかった。まして共有したいなんて思った事 もなかったのに。 「でもまぁ……。最近はそれなりに楽しませてもらってるかもな。ハッカーと手を 組むってのも新鮮だし、コスプレをした相棒と酒を飲むってのも想定外だ」 蓮夢は薄く苦笑いをして、ジンを口にする。全く、男なのか女なのか、中間なの か、チンピラ美人め。 そして当然の様に俺のグラスにはジンが注がれていた。 「なぁ? 蓮夢。涼太の言った事は本気だったのかな? 俺は、幼馴染みを過ちで 巻き込んでしまったのか……」 「そんなの、分からないよ。会った事のない人の心なんてさ……。それとも、鉄志 が望む言葉をかけてあげれば、救われるの?」 「手厳しいな……」 しかし、そんな突き放す様な蓮夢の言葉が少し心地良かった。きっと都合の良い 言葉をかけられても、俺は信じない。 蓮夢もその事を知っているのだろう。本当に頭のキレる奴だよ。 「人はね、人の過去に何もしてやれないんだよ。何か出来るにしても、今と先の事 で手助けするぐらいの事だけさ。涼太さんの言葉の真意を考えるよりも、涼太さん が託したものを鉄志はちゃんと受け取らないと。“しっかり生きろ”だろ?」 「もう、手遅れ……」 「早いも遅いもあるかよ、これからさ。鉄志は生きてる。生きなきゃ……」 微笑と共に痛い所を突かれてしまったな。そう、生きていくしかないのだ。その 責任を放棄しかけたあの時、蓮夢は繋ぎ留めてくれた。 “しっかり”には程遠いかも知れないが、俺は生きている。生き続けなればいけ ない。どんなに虚しくても苦しくても。 「生意気め……。さ、俺は全部話したぞ、次はお前だ」 取り皿の盛られた残りの料理を掻き込んでいると、きょとんとした蓮夢がこっち を見ていた。 「ああぁ……。俺の話はさ、なんかよくない?」 「は? 何を言ってるんだ?」 「だってさ、鉄志の過去が壮絶過ぎて、俺の昔話がトリとか荷が重いんだけど。し かも盛り上がり所のサイボーグになる話、前にしたし……」 一瞬、不誠実な言葉にキレそうになったが、一度蓮夢の言葉を受け止めてみて噛 み砕こうするが、やはり腹が立ってきた。 「ふざけんな! 冗談じゃないぞ、お前も話すって言ったから、こっちだって全部 話したのに。おもしろい話をしてる訳じゃないんだ、トリも何もないだろ」 「そりゃそうだけどさ……。だって十七歳で鉄志は海を渡って戦場で戦ってたんだ ろ。俺が十七の時なんて、学校終わったら速攻で街に行って、おっさんのちんぽを しゃぶってる様な感じだぜ。話すだけで情けないよ……」 さらりと、とんでもない話が飛んで来て、付け合わせの様な怒りも悉く萎んでし まった。 「お前、そんな時から……」 肩をすくめて見せる。それが俺の普通です、とでも言わんばかりに。 「話すの、嫌か?」 「いや、そこまでじゃないけど……」 「俺もお前の事が知りたい。よければ、話してくれないか」 蓮夢が渋っている理由はおそらく、話す事で俺に嫌われる事を懸念している。 確かに蓮夢の話す事に対して俺の免疫は脆弱だったが、それでも俺は知りたいと 思っていた。 乗り気じゃない自分の昔話をしたのも、蓮夢の事が知れるからだ。相棒である以 前に、どうすればこんな両極端を司りながら成立する人間になれるのか。 大歓楽街の頂点に立つセックスワーカーにして、一流のハッカー。そして唯一無 二の違法サイボーグ。そのルーツを聞いてみたかった。 ふう、と息を吐いて残ったジンを飲み干して髪を掻き上げる。こちらを見つめる 数秒の後、グラスを前に注げと差し出し来た。 「“エリアF”にいた。クソ貧乏な平屋に、役立たずの母親、可愛い妹、下っ端ヤ クザで酒とクスリに溺れたクソな父親の四人家族。俺と母親はクソな父親のサンド バッグ。母親は殴られて顎が外れて、ヨダレと血を垂れ流す。母親を庇えば俺も蹴 り飛ばされて肋骨にヒビが入る。なのに、母親は俺が殴れていても助けてもくれな い……」 注がれたジンが冷えるのを待たずに蓮夢はジンを飲み干した。蓮夢にも親がいる んだなと、当たり前の事を何故か思ったが、最悪の家庭環境だな。 その手の話は施設暮らしなら、耳を塞いでいても入り込んできた。親がどういう 存在なのかピンとこないところはあったが、年齢と共に憤りを覚えたものだ。 「その内、母親と妹が家からいなくなって、取り残されたガキがイカれた父親の相 手になった。サンドバッグとか、オナホールの代わりとか……」 冷めた瞳で淡々と話している蓮夢を見ていると、いたたまれない気持ちになると 同時に、やはりなと納得もしていた。 あの時、輝紫桜町の正門で蓮夢が放った言葉。“親も選べない、生き方も選べな い”。それがこの事だったんだ。 「相談できる相手は……」 「そんな物あったら、こんな生き方してないよ。馬鹿な事聞くなよ……。俺の過去 にダメ出しして、何か変わるの?」 御尤もな言い分だった。また考えもなく馬鹿な事を言ってしまった。 「そうだな、すまない……」 「やったさ、その手の相談所に一人で。そしたら、そこの職員に何て言われたと思 う? 親と来いだってさ……。しかもその後、勝手に家に来て、直接父親に訪ねる もんだから、その日の夜は半殺しにされた。抵抗する事は止めた、そして大人は役 立たずで信用できない。ホント、嫌になるよね……。慣れて来ると殴られるよマシ って思えて来るし、ちょっとの辛抱だって納得しちゃんだからさ……」 苛立った調子でジンを一気飲みして、睨み付ける様におかわりを催促してきた。 所謂、血縁者と言う存在を持たない俺には蓮夢のされてきた事への残酷さを正確 に知る事は出来ないだろうけど、グロテスクだとしか言い様がない。 「でも、一番キツかったのは家の外だったな。自分のしてる事は“セックス”と言 う行為で、好きな異性同士でするのが“普通”で、俺のしてる事は異常なんだって 雰囲気がキツかったな。自分が恥ずかしかった。どうして自分は異常な目に遭って んだって。でもそれが俺の普通なんだよ、異常だって言われてもさ、どうしようも ないじゃん」 学校の事を言っているんだろうな。自分の普通が全てだと思っている連中が固ま って、そうではない者を排除しようとする。厄介なコミュニティ。 俺は徒党を組める仲間がいたが、蓮夢は独りか。 「中学に入って間もない頃、父親に知らないマンションに連れていかれてさ。これ また知らないおっさんに身体中弄られて。あれはマジで怖かったな……。扱いは優 しかったけどさ、とにかく気持ち悪かった……。で、終わった後おっさんから三万 円貰ったんだ。その金を握り締めて、外で待ってる父親の元に戻って、何となく自 然とその金を渡した。そしたらさ、一万円が取り分だって貰えたんだよ。学校じゃ 教わらない事さ、セックスは金になる。その日の夜、コンビニ行ってお菓子とかア イスを買ったんだ。好きなだけ」 グロテスクでおぞましい体験をさらりと話しながらも、蓮夢からは恐怖や怒りの 様な感情はなかった。それどころか、金を稼いだという満足感の方が強い印象だ。 過去の事だ。蓮夢が俺の話を静かに聞いていた様に振舞いたいが、俺の内心は既 に平常ではなかった。反吐が出そうだ。 親子や血縁者の絆の具合など知らないが、蓮夢の父親が理解できない。何故、そ こまで子供に残虐になれるのか。 「相変わらず学校はウザかった、盛り付いたオスやメスが話す“普通のセックス” だとか、ホモだオカマと決め付けて、いじめられている奴とかを見て、バレたら俺 も酷い目に遭うと身構えたりして……。誰ともつるまなかった、友達ゼロ。行事だ の体育だ部活だ全てスルーして目立たない様にしていた。孤独こそ最良の選択さ」 「どこの学校も、そこの人間も、下らないな……」 「全くだよ……。学校で進路とか将来とかのダルい話をする様になった頃。進学し て高校や大学に行って就職して自立する。とかの話を聞いていて、そのルートを辿 れば父親の元を離れられるのなら、悪くない話だって思えた。父親からは卒業した ら本格的に売春で稼げって言われてたけど、突っぱねた。学校の金も稼ぎも全部や ってやるから高校には行くって。あんなに怖ろしかった父親が俺に何も言い返せな かった。そう、俺の方が稼いでいたからな、機嫌を損ねるのは収入が危ういだろ」 ここまでの蓮夢の話から聞く凄惨な幼少時代は、俺の知る蓮夢と重ねる事が出来 なかったが――今、重なった様な気がした。 不敵な笑みと流し目。俺の知る蓮夢の妖艶な雰囲気。 「俺なりの戦い方だよ。身体で稼いで、家を出て独りで自由に生きてく」 ジンを飲み、煙草に火を着け一筋の煙が漂う。蓮夢はやはり凄い。俺が浅い考え で現実から逃げようとしていた時、たった独りで現実に向き合っていた。 「鉄志風に言うなら、俺が“HOE”になったのは、その瞬間からだった」
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