10.― JIU WEI ― 紅葉と枯れ葉が混じり合う木々は、誰が為と言う事もなく淡々とライトアップさ れていた。その木々の向こう側に聳えるアクアセンタービル。 ここへ来るのは初めてだった。CrackerImpから海楼商事の事を聞かさ れてから、一度は調べに赴きたかったけど、私も彩子さんも港区の方で手一杯だっ たので、CrackerImpと相棒とやらに任せっきりだった。 彩子さんのタブレットには鵜飼に付いた発信機が、このアクアセンタービルの位 置で尚もシグナルを発している。――悪い衝動が覆い被さってくる。 ここへ来る余裕がなかった事は、ある意味でよかったと思っていた。此処へ来て しまえば、すぐにでも海楼商事の元へ殴り込みたくなる。今、正にそんな衝動がこ の身を駆り立てていた。――“答え”がそこにある。 勿論、馬鹿な真似はしない。これ以上CrackerImpに迷惑をかける訳に はいかないから。だからこそもどかしくて、必死に堪えている。 「ユーチェン、ちょっとこれを見て」 彩子さんが携帯端末を見せて来る。大手SNSの画面が表示されているが、その 投稿動画を見た瞬間、思考がパニックを起こした。言葉にならなかった。 派手な歓楽街、明らかに輝紫桜町だった。そこで忍者が銃を持ったスーツ姿の男 と戦っているのだ。――鵜飼。 別の動画だと、スーツ姿の男が一人、武装した数人と銃を向け合っていた。女性 を人質にしていたが、突如現れた鵜飼が数人を一気に仕留めていく。そして前の動 画に繋がる。数時間前の動画の様だが、一体何をやっているんだ鵜飼。 「これは、どう言う事ですか?」 「私に聞かないでよ……。でも輝紫桜町からアクアセンタービルに向かった感じか らすると、そのスーツの男を鵜飼が追跡している可能性がある。この男、身のこな しも拳銃捌きも間違いなく超一流よ」 何者なのか、海楼商事の関係者か、全く別の何かか。私達の手持ちの情報からで は、このスーツ姿の男の正体を特定する事は不可能に思えた。 ただ一つ確かな事は、今アクアセンタービルでは何かが起きていると言う事だ。 「一先ず、ビルの前まで行ってみましょう」 車の後部座席から黒いショルダーバックを引っ張り出す。 「様子を見るのに、黒衣がいるの?」 自分の背丈とほぼ変わらない、円柱状のショルダーバックの中に黒衣を畳めてあ る。念動力で素早く展開して、身に纏える様にしてあった。 「彩子さんだって、備えてるじゃないですか」 「正直、嫌な予感がする……。今日は動くべきじゃない」 彩子さんのコートの中にはしっかりとショットガンと拳銃が収められている。張 り詰めた表情をしていた。 胸騒ぎが増していくばかり。正しい判断以上に、知らずにはいられない衝動に駈 られていた。 「でも、ここまで来た。彩子さんだって気になってるんでしょ? 今は何をすべき かよりも、知っておく事の方が大切だと思います」 「あんな動画を見た後だとね……。必ず逃げ道は確保する。約束」 密輸船と違って、企業の高層ビルだ。そこまで物騒な事が起きるとは想像できな いが、あの時ぐらいの緊張感は持っておこう。 彩子さんが無理やりにでも私を休ませていた理由がここに来てよく分かった。私 は自分で思っている以上に――ストレスを感じていたらしい。 香港でも黒社会を相手に派手に暴れた経験はあったが、あれ程までの銃弾の嵐と 規格外の強さを誇る強敵は体験した事なかった。一筋縄ではいかないな、この島国 は。 「分かってます」 それでも、今はまだ立ち止まれない。大事な時期だ、何時どんな事が起きても変 わらずに戦える様にならないと。 この森林公園を超えた先に広場があってアクアセンタービルがある。 「ところで、前から思ってたけど……」 唐突に彩子さんが背中を指でなぞってきた。ぞわりと鳥肌が立つ。 「黒衣の中の格好って、結構セクシーだよね」 黒いホルターネックのトップスは背中が大きく開いている。カーゴパンツもカッ トアウトされて露出は多い。 ガルーシャの黒衣は厚みがあって重い。通気性も悪いので、インナーは薄手で露 出の多いもので構成していた。 「動き易くする為の工夫と放熱対策です!」 急に恥ずかしくなってきた。それでも、からかって笑みを浮かべている彩子さん を見ていたら。少し緊張が解れた。手渡された黒のジップパーカーを着る。 バックを右肩にしょって公園を歩く。ライトアップされていても、静まり返った 深夜だと不気味に思えた。深夜のビジネス街はこうも静かだとは。開けた場所に入 ると、中央に噴水があるが、止まっている。水面は波一つなく透き通っていて、底 に沈んだ硬貨を輝かせていた。 「昼に来たなら、良さそうな所ですね」 「どうかな? 外資系の背広連中で溢れてそうだけど……」 言われてみれば、想像に難くない話だ。休憩中のビジネスマン達で多く利用して いそうだ。 しばらく歩いていると並木の間隔が広がっていき、先の方に広場が見えた。 いよいよアクアセンタービルかと思った矢先、甲高いサイレンが鳴り響き身体が ビクリと跳ねる。一体なんだ。 振り返ると道からではなく、木々の間からゆっくりと歩く人影が迫って来た。人 のそれと似ている様で、どこか違うぎこちなさで悟る――オートマタだ。 「当エリアは現在警戒態勢が引かれています速やかに退去してください」 電子的な声ではないが、抑揚も間もない口調には冷たさを感じた。 「こんな時間に何の警戒を?」 「ユーチェン、この警備用オートマタは武装してる。気を付けて」 ネイビーブルーとアクセントの白。警察官を連想する色合いに細身のボディ。露 出した関節部。華奢な外見の割に音声はかなりの低音だった。 右腕は長方形のシールド。右腕にゴツい拳銃が固定されており、使用する際はス ライドして手に持つ仕組みになっている。 操り人形の機械であっても、妙な威圧感があった。それを敵意と思ってしまいそ うになる。 オートマタの前に一歩出た彩子さんは、警察章のあしらったバッジをオートマタ の顔面に突き付けた。 「緊急コード“Α6600211Ω20200115”」 「認証」 彩子さんの言葉を読み取り、オートマタがその場で直立する。僅かな姿勢の変化 だけでも印象が変わるな。 「警察よ、ここを通しなさい」 「承認」 先へ進む彩子さんの後ろを付いていく。手慣れた雰囲気が様になっていて、格好 良かった。私ではオートマタをかわす事が出来なかった。警察官だった彩子さんに しか出来ない事だった。 「セキュリティ系のドローンやオートマタは警察や軍に協力する様に裏コードが義 務化されている。アレの管理はアクアセンタービルの筈、ビルに入って尋問する口 実が出来たよ」 「でも大丈夫ですか? “元”警察なのに……」 ずっと、アウトローだった私が、警察と言う存在をこんなにも頼もしく思える日 が来るとはな。とは言え、今の彩子さんも同じアウトローだ。 現職の警官を装うつもりらしい。小声で彩子さんに確認してみる。 「とりあえずバッジと手帳で黙らせる。その後はアドリ……」 頭の後から僅かに聞こえた、機械の動作音。――危ないところだった。 耳鳴りが起きているが、ハッキリと発砲音を聞いた覚えがなかった。それどころ ではなかった。反射的に念動力を発動させていた。 オートマタが放った弾丸は、彩子さんと十センチ程度の位置で食い止めた。振り 向いた彩子さんも弾丸を見ている。 二発目を撃たれる前に念動力でオートマタの頭部を“掴む”。感覚が教えてくれ る、これは意外に脆そうだと。オートマタの頭部を“握り”潰した。 セキュリティの範囲やオートマタの判断基準なんて分からないが、確かな事は一 つだけ。――コイツ等は敵だ。 見渡しただけでも、既に十体以上のオートマタが集まって来ていた。ビル周辺を 巡回させて人払いでもさせていたのだろうか。やはりあのビルで今、何かが起きて いる。 「この鉄クズ共は義務を“外されて”いるようですね。これだから機械は信用でき ない……」 パーカーを脱ぎ捨て、バックを浮かして黒衣を取り出す。九つ全ての念動力を使 い、浮かんだ黒衣に袖を通した。襟から腰まである全てのベルトも、念動力で素早 く締める。 「ユーチェン」 「嫌な予感、当たりましたね。私達はもう、何かに巻き込まれている」 黒衣の右肩に付けてある狐の面を手に取る。徐々にユーチェンから九尾の黒狐に 変わっていくのを感じた。面を付けてオートマタ共を見据え、ワイヤーを引いて九 尾を解き放つ。 ゆっくり九尾を念動力で持ち上げた。この瞬間が最も気持ちが盛り上がる。 「それも悪くない。むしろ望むところだ……」 「コイツ等は警察のオートマタより装甲が薄い分、俊敏に動ける。用心して……」 「広場に向かいつつ、倒していきます。彩子さんは広場側の敵をお願いします」 広場の方へ後退りして、囲まれない様にする。森林公園側のオートマタを倒して いきながら広場へ向かおう。 そっちにも敵がいるのだろうか。混戦状態に陥ったら、彩子さんを庇いきれなく なる。その時、彩子さんだけでも離脱しやすいように森林公園側の敵は出来るだけ 倒しておかないと。 「了解」 反時計回りに敵を潰していこう。二本の尾は常に防御に使う。低姿勢のまま一番 左側にいるオートマタへ向かっていく。 一本の尾で簡単に胴体を貫けた。見た目通り脆い。そのままもう一本の尾で頭部 を叩き潰し次の獲物に狙いを定める。 オートマタ共が無慈悲に撃ってくる。二本の尾がそれを弾く度に緊張感が増して きた。これはセキュリティの領域を越えている、機械であっても殺意を感じた。 彩子さんに撃つショットガンの破裂音も絶え間ない。あのショットガンは四発し か装填できない。 オートマタの射撃は人間に比べて、かなり正確に狙ってくるが、逆に手の内が読 めた。こう言う雑魚が群がってくるのを薙ぎ払うのは得意だった。 突き刺し、叩き伏せ、握り潰して行く。六本の尾を振り回せば二体ぐらい粉々に 出来た。着実に数を減らしていく。 「リロード!」 彩子さんの声で一旦後ろへ下がる。四本の尾を前方へ重ねて自分の身を守り、四 本の尾で彩子さんをカバーする。 残り一つの念動力でオートマタを一体潰して、他のオートマタに向かって振り回 して投げ付けた。 彩子さんが背中を叩く。リロード完了の合図だ。彩子さんから離れて残り六体の オートマタを潰しにかかる。 密集しつつある六体。尾でガードしながら近づいて念動力の射程距離に入れた瞬 間、九尾を解いて一網打尽に六体のオートマタを念動力で捕らえ様とするが、一体 が飛び上がり襲い掛かって来る。確かに俊敏だ。 だが隙などない。五体を捕らえた状態でも――まだ四つ残っている。 尾を持ち上げて串刺しにして、五体の頭部も“握り”潰す。 森林公園側のオートマタは粗方潰しただろうか、銃声は止んでいた。このまま私 達が広場へ行けば追って来るか。下手に身を隠されるよりも、その方がいい。 彩子さんのショットガンが撃ち抜いたオートマタが吹き飛んで、アクアセンター ビル前の広場への道が開けた。彩子さんと目が合う――行こう。 森林公園を抜けた途端、再びオートマタの攻撃が始まった。待ち伏せていたらし い。九尾を地面へ突き刺して跳ね上がる。 オートマタ共の集まる中心に着地して、全方向へ九尾を振り回して蹴散らしてい く。金属と樹脂の破片が火花と共に飛び散った。 前方には燦然と聳え立つアクアセンタービル。後方の森林公園からオートマタが まばらに姿を見せ始めていた。 さて、これからどうしたものか。彩子さんも呼吸を整えながら、次の一手を考え ている様だった。 アクアセンタービル内で何かが起きているのなら、このまま私達も乗り込むべき なのか。それが鵜飼やCrackerImpの邪魔にはならないか。だとしても私 は行きたかった。弟が生きているという確証や居場所が分かる何かが、このビルの 中にあるのなら、闇雲もで手当たり次第漁り散らしてでも、答えが欲しかった。 「彩子さん……」 堪り兼ねて彩子さんの方を見る。ショットガンに弾を込めていた。彩子さんは私 を睨んでいた。狐の面越しでも、見透かされてしまった様だ。 「引きましょう、ユーチェン。これだけ騒いでも警察が来ないのはおかしい」 「でも……」 「外でこんな状況なら、ビルの中はもっと守りが堅い筈。たった二人で、勢い任せ に乗り込んでも、何も出来ずに無駄死にするだけだ……」 彩子さんの言う通りだ。CrackerImpが苦戦してる相手なんだ。サイキ ック一人、暴れまわってどうにかなる様な相手じゃない。 もどかしい。何時も何時も届きそうで届かない。それを未熟な焦燥だと分かり切 っていても、抑えられないのだ。 諦めるしかない。受け入れかけたその時、アクアセンタービル前から聞き慣れな いブザー音が響き渡り、広場の地面が競り上がっていった。四隅が赤く点滅してい る。 ビルの入口を塞ぐように、太い三本の柱が聳える。残ったオートマタ共は攻撃の 手を止め、隊列を再編成している。 何が始まるのかと、疑問が沸くよりも早く、三本の柱の正面部が展開し甲高い駆 動音を鳴らして全貌を見せ付けてきた。 大型の戦闘用オートマタ。――港区で戦った物と酷似している。 海楼商事はこんな物騒な代物を三体も配備しているのか。アクアセンタービルは 普通じゃない。コイツ等が間違いなく黒幕だと言う証だ。 港区で倒した大型オートマタは武装していなかったが、コイツ等の右腕には機銃 が装着されている。鋼鉄製の九尾でも、あの口径の弾丸を長くくらえば、削られる かもしれない。 衝撃波を使おうにも三体が相手では迂闊に使えない。その後の隙は命取りだ。 「彩子さん……ここを離れてください。私が食い止めている間に車を……」 念動力も衝撃波も、あの大型オートマタを倒す事に集中しなければならない。今 回ばかりは、相棒をフォローする余裕はなさそうだ。フォローは欲しいが、私はそ れに応えられる自信がない。 「そんな、無茶だ。いくら貴方でも三体も相手には」 「コイツ等の弱点も身のこなしも分かっています。港区で彩子さんが教えてくれた から、私なら大丈夫。早く、お願いします」 彩子さんが察しているのが伝わって来る。そんな目をしていた。 手持ちの武器では対処が難しく、サイキックの力や忍者の様な俊足や跳躍力もな い事を自覚している事を、無力感に打ちひしがれている事を。――ごめんなさい。 広場と森林公園をから離れる様に彩子さんが走り出した。エリア外ならオートマ タが追わない可能性がある。戻るのに時間はかかるが、出来る限り安全な手段を選 んで欲しい。これでいいんだ。 先ずは一体、早々に潰してしまおう。大きな金属の塊が一つあれば、盾の代わり になる。そして機銃を破壊する事も最優先だ。 倒す為に必要な事ではなく、死なない為に必要な事をする。鵜飼から教わった鼻 持ちならない指導に頼るしかなさそうだ。 しかし、今は何よりも大切な事だと思う。私は生き残らなくてならない。弟の為 にも、彩子さんの為にも。――全て薙ぎ払って私は生き残ってみせる。 今にも撃ってきそうな先頭の大型オートマタに仕掛けよう。一気に距離を詰めて から右腕を念動力で“掴め”ば、残りの念動力で動きを封じる事が出来る筈だ。き っと、上手くいく。 眼前に構える操り人形達を、荒れ狂う妖の如く睨み付ける。今は全てを解き放っ て荒ぶる時だ。それが正解ではないにしても、この身体と心にあるもの全てを、解 き放つべき時だ。 「ホント、一筋縄ではいかないな……この島国は……」
コメントはまだありません