3.― KOGA LIU ― 日が暮れるのもすっかり早くなったものだ。忍者にとっては好都合な季節だろう か。 目の前にそびえるガントリークレーンのメンテナンス作業は、先んじて作業ライ トで照らされていた。宙に浮くドローンから溶接の火花が飛び散り、四本足の蜘蛛 の様なドローンが忙しなく這い回って作業している。 数ヶ月に一度、入港するコンテナ船に備えて夜通し行われる作業だ。赤錆びてい て、誰の目から見ても限界がきていた。 伊賀者の望月偲佳。あれから荒神会の監視を強めているが、望月の気配を感じら れない。港区にはもういないのだろうか。 建設現場で遭遇したのは偶然かもしれないが、港区の陰で動く俺を炙り出す目的 を果たしたと言ったところか。俺が市の命で動いていると、暴かれた訳ではないに せよ、どこか――弱味の様なものを握られてしまった気分だった。 厄介な事になってしまった。忍者が忍者と戦う。そんな対立が本格化してしまう 様な予感がしていた。時代の変わり目なのかもしれない。 「ご苦労だったね、鵜飼」 突然、聞き慣れた声が後ろからして振り返った。完全に気を抜いていた。鷹野が 運転する公用車が何時の間にか止まっていて、氷野市長が目の前まで来ていた。鷹 野も降りて来る。 「氷野さん……」 「鷹野から話は聞いてる。厄介だな……。忍者同士でも派閥争いとは」 これまでの事は事前に鷹野に話していた。本来なら、望月を警戒して会うべきじ ゃない状況だったが、氷野さんのたっての希望で、直接会う事になったのだ。 此処を落ち合う場所に指定したは氷野さんだった。人気は少ないがドローンは沢 山いる。下手な騒ぎが起きれば、ドローン達の目が監視カメラとなる。そうなれば 死角はない。賢い手だ。 久し振りに会う氷野さんは少しくたびれている様な印象だった。このご時世に限 らず、使命感を以て公僕として在り続けると言うのは、とてつもないエネルギーが いる事だ。それを思うと堪らなくなる。 「本当に、面目無い……。こんな時に、下らない揉め事に巻き込んでしまって」 無意識の内に膝を付き、うなだれてしまった。土下座の一歩手前だ。こんな事を しても何の意味もない。行動で示し、取り返すしかないのは分かっているが、それ でも護るべき者へ牙を向けようとする同族の存在が恥ずかしかった。 少なくとも、今日まで忍者の業や技術が伝えられ生き延びて来たのは、俺達が人 生を賭けて学び修練を重ねて来たのは、乱破に成り下がる為なんかじゃないんだ。 「鵜飼、顔を上げて。これは組織間の問題で、貴方には非はない。私達は解ってる から」 鷹野の手が肩に触れる――情けないザマだ。 分かっている。この忍者の間での問題は俺だけで背負う事ではないと。それでも 迷惑には変わらない。 憤りとか、不甲斐なさとか。綯交ぜな感情を消化し切れなかった。 「むしろ、施設を守ってくれたんだ。充分な働きだ。とは言え、安全を考えれば当 面は中止した方が良さそうだな……」 結局、港区を護ると言う目的は果たせずに、まだ見ぬ敵に屈してしまった。港区 解放の道はまだまだ遠い。 腰を上げ、氷野さんの目を見る。背けてしまいそうな自分の眼球をしかっかり固 定して、真っ直ぐ主君の顔を見据える。 「万が一と言う事もある。しばらく氷野さんには護衛をつけさせてもらう。甲賀流 の人間だ。生活には干渉しない様に配慮はさせる」 「仕方ないな……。よろしく頼むよ」 二人には話していないが、既に“影”となって数人の甲賀者が護衛に従事してい る。正確な人数は俺にも聞かされていない。同じ忍者故に、僅かばかりの気配を感 じる程度だった。 「ほらっ! ヘコむな! 柄にもなく……」 鷹野の遠慮のない平手が背中に直撃した。痣だらけの身体にはキツくて腹立たし い一撃である。 「別にヘコんじゃいない。忍びないってだけだ……」 「忍者だけに?」 鷹野と俺のやり取りに、氷野さんが静かに笑い出した。なんとも締まりのない雰 囲気だ。 考えてみれば、ここまでの俺の姿も護衛の甲賀者に見られている。もし同郷の者 だったら。そう考えると憂鬱になってきた。そうじゃない事を願うばかりだ。 氷野さんは電子タバコの電源を入れ、宵の口に消えかかる地平線を眺めていた。 「海はいいな。輝紫桜町にいた時は外に行く事がほとんどなかったからな。こんな に近くにあるのに……」 電子タバコの煙が潮風に引き伸ばされて薄く渦巻いた。 「鵜飼、この壊れた日本で、東北エリアが経済や福利厚生がある程度安定してるの は何故か分かるか?」 「外資系の誘致と利権のコントロールだと理解してる」 「そのコントロールの為に、アップタウンとダウンタウンがハッキリ分かれてしま った。多くの企業が常に最新の状態へアップデートしやすいようにアップタウンは 作られている。“余った人達”を限定されたエリアに詰め込んでな……。そんな人 達が暮らすエリアは、自然と歓楽街やスラム街と成ってしまう。今では六連合のあ らゆるエリアで、そんな事情を持った場所が点在してる状況だ……。この悪循環は 簡単には抜け出せない」 “余った人達”と言うのは――日本人の事だ。 パンデミックに大災害、自力では再建不能なまで混沌を極めた日本が、辛うじて 日本で在り続けられるのは、金と権力を際限なく欲求して、増やし続ける事に執着 出来る民間の組織だった。 ある程度、好きにしてもらって構わないから、少し恵んでおくれ。この手段を上 手く運用出来ているエリアが安定している。 日本人は安く買い叩ける労働力。それからも弾かれる者達がダウンタウンへ追い やられている。 東北の六連合特別自治区の此処、エリアMの輝紫桜町は、特に最大級の歓楽街と スラム街だった。 「今、六連合も北海道も都市国家として独立を推す気運が高まっているが、それこ そ列強諸国の餌食になる。日本政府が再構築され、新しく発足されるまでの間、我 々は形を保って、踏み止まらなければならない」 独立と聞けば少々聞こえは良いが、元々狭い島国の一部分程度の国土に出来る事 なんて何もない。根深い事情と言うヤツだ。 外国への脅威に対し、北海道の武装化を望む声が日増しに高まっている。その為 の独立思想。しかし、そんなものは一部の権力者が持つ利権と、それを狙う外資系 企業を潤すだけの行為に過ぎない。独立すれば、貧富の格差は更に広がり、此処は 無国籍な土地となって世界中が弄ぶだろう。 かと言って、既存のシステムにしがみ付くだけの無能な臨時政府では何もできな い。――現実は八方塞がりだった。 「鵜飼、何もかもが、まだ程遠い状態なんだ。一々、気に病んでも潰れてしまうだ けだぞ。それに、港を解放すると決めた時、危険がある事は覚悟してある」 煙草を吸い終えて、氷野さんが振り向き様に覚悟を示す。あの雑多で猥雑、醜い 欲望を毎夜毎夜曝け出し堕落してる輝紫桜町の育ちでありながら、一本筋の通った 強固な志には感服する。 それともあんな場所で生き抜いたからこそ、この途方ものない現実に向き合える のだろうか。 「三日後、この港に大型のコンテナ船が入港するのは知ってるな?」 「荒神会の積み荷も含まれている」 「コンテナ船は海楼商事と言う外資系企業の船よ。この国の貿易産業を支配してる 巨大企業」 その事もあって、氷野さんはこの場所を選んだのだろう。あのガントリークレー ンのメンテナンスも、そのコンテナ船の為だった。 望月の存在が気掛かりなのもあったが、荒神会の連中からもしっかり情報は調達 していた。最近、ユーチェンが黒狐になって密輸業者を引っ掻き回してたせいもあ って、荒神会の連中も連日下請けの様子見に動かされていた。あの事務所と違って ガードが甘い場所が多くて、おもしろいぐらいに情報が聞き放題だった。 鷹野の言う海楼商事は名前ぐらいは知っているが、当然荒神会の連中からはその 名を聞いた事はない。 「それが黒幕だと?」 「確証はない。最近になって港の再開発に協力的なアピールをしてきている。他の 企業が撤退した事をいい事に、港区での影響力を強めたがっている様に思える」 「官民連携を断った企業の中には海楼商事の傘下にあったところも結構いる。タイ ミング的にも出来過ぎていると思わない?」 いよいよ出るところが出て来た。そんなところだろうか。悔やまれるな、本来な らもっと早くに手に入れるべき情報だ。現時点でその事を知っても手遅れだ。 しかも、相手が強大過ぎる。警察は当然だが、忍者一人でどうにかなるレベルじ ゃない。 「その提案、受け入れるのか?」 「このまま状況が動かず時が過ぎれば、断れなくなるだろうな。港区が完全に外資 系の言いなりか、非合法も合法化される。もっと酷くなるかもしれない……」 薄汚い金にドラッグ、軍用兵器、そして人間までもがコンテナに詰め込まれて好 き勝手に輸入出されてしまう。――地獄絵図だ。 「三日前に西区の漫画喫茶でハッキング騒動と銃撃戦があった。建物の全システム が乗っ取られ、ロックダウン状態に陥り、国籍不明の武装グループ数名に死者が出 てる。警察が調査中だけど。ハッキングの手口がホテルで林組を襲撃した時と似て いるので、間違いなくCrackerImpの仕業よ。武装グループの相手も数人 と言うより一人の可能性が高い。ほとんどの遺体は二発で仕留められている。例の “組合”の殺し屋かもしれない」 「手を組んでるとでも言うのか? “組合”の一流が、輝紫桜町の男娼なんかと」 「意図は分からない。私達はまだまだ情報不足な状態だから。でも彼等が私達より も更に上のレベルで行動している事だけは確かね」 ポルノデーモン、思い出すだけでも反吐が出る。男娼の片手間の様に裏社会に首 を突っ込む下らないハッカー野郎だ。 そう思っていたが、早い段階から黒幕が巨大企業と知った上で探り続けていたと いうのか。荒神会に捕まり、“組合”にもマークされながら。 一体どんな神経をしていたらそんな真似ができるのか。理解できない。 「輝紫桜町の昔馴染みに頼んで、ポルノデーモンと呼ばれる男娼の動きは俺の方で 探れる。お前は三日後のコンテナ船を調べて欲しい。必要ならその日の内に警察も 動かす」 本音を言えば、すぐにでも輝紫桜町でポルノデーモンを探し出して吐かせてしま いたいが、一筋縄ではいかない街なのも身を以て知っている。此処は氷野さんに頼 るしかなさそうだ。 本来、こんな考え方は忍者として望ましくないが――俺達はチームだ。 「分かった、準備を進める」 「頼むぞ、鵜飼」 肩をポンと叩かれ、氷野さんは車に戻った。鷹野からは無言の激励を視線から浴 びた。互いに溜まっているであろう、愚痴の一つや二つを肴に酒で流してしまいた いと不意に思ってしまう。 「鷹野……」運転席へ戻ろうする鷹野を呼び止める。 「俺は黒狐と手を組む。知恵を貸して欲しい……」 今はまだ、酒を飲み交わすべき時ではない。不味い酒になる事は目に見えている からだ。まずはやるべき事を、選択の誤りを正す事から始めねば。
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