10.― PORNO DEMON ― やっぱり、少し引いてるかな。鉄志からそんな雰囲気を感じた。でも俺が話せる 昔話なんてこれしかない。これが中心の生き方だったから。 「続ける? こういう下衆い話が続くよ。ほらね、リアクションし難い話になるん だから……」 「い、いや……。何て言うか……」 神妙な面持ちの鉄志を突いてみると、案の定、慌てて言葉を探し始めた。あたふ たする鉄志が可愛くて、愛おしく思える。笑ったら悪いんだろうけど、つい吹いて しまった。 「別にいいんだよ、もう過去の事なんだし。鉄志が思ってる程、俺は悲観してない よ、受け入れてしまえば楽なもんさ。それに目的があれば頑張れる……。俺は自分 の為に自分の意思で身体を売ってたんだ。それにぶっちゃけ、その頃にはもうセッ クスにハマってたし。例えクソな客でも人肌の温もりを得られるのなら、それも悪 くないなんて思ってたしね……。まぁ、たまにそんな自分が大嫌いになって塞ぎ込 んでしまう事もあるけど、それをやり過ごして前へ進む。中古のパソコンと、携帯 端末を手に入れて、ちょっと危ないマッチングアプリで金持ってそうなヤツを引っ 掻けて、歓楽街に繰り出したんだ」 とは言え、話すと決心して、調子も上がってきたところだ。様子を伺いながら昔 話を続ける事にした。 鉄志のグラスはまだ一口分残っていた。顔に酔いが出難いタイプの様だが、一度 休みを挟んでもいい頃かな。ウェイターに水を二つお願いする。今時、端末制御の セルフオーダーやドローンを使わないお店と言うのも拘りが感じられるし、ウェイ ターさんの目配りと統率もレベル高い。少し騒々しいけどお気に入り確定だ。 「色々、悪知恵を身に付けたよ。客ウケのいい態度とかヤり方とか、チップのおね だりの仕方とか。ゲイカルチャーとか。学校以外で自由に使える端末も初めてだっ たから、夢中になったよ。スペックは低かったけど、ネットワークから沢山、吸収 したっけ。あの頃ぐらいかな、IT系や情報系の道に興味が生まれたのは。漠然と プログラマーになりたいな。なんて思ってたっけ」 十二インチの玩具の様な中古のラップトップ。ポンコツだったけど愛着を持って いた。万引きしたステッカーをベタベタと貼りまくっていた。 俺をネットワークに繋げてくれて、沢山の事を教えてくれた。虐待を受けている 子、受けてきた大人の言葉。セクシュアリティの多様性。自分にとっての都合のい い情報だけあっても、孤独を和らげてくれた。 「夜、客の相手をしてホテルで朝を迎えて学校に行く。三時限目まで寝て、残りの 時間で大学受験に必要な教科を回収して、学校が終われば街にいく。駅のトイレで 服を着替えて、警察の巡回に警戒しながら、未成年を売りに荒稼ぎさ。ホテル行く のかと思ったら、ナイトクラブの倉庫に連れてかれて、危うく監禁されかけて逃げ 出したり……メチャクチャだったよ」 「凄い生活だな……」 「あんまり家にいたくなかったしね。金さえ出してれば父親は黙ってたから、好き にやってたさ」 タンブラーになみなみと注がれた水を、ウェイターがテーブルへ置いてくれる。 たまに帰って、金を出して、尻軽だ淫乱だと毒づかれてから犯される。二、三時 間の辛抱だったけど。奴にとって俺はもう年増だったのだろうか、大して興奮もす る事なく、淡々としていたのを覚えている。 今になって思えば、セックスに対する苦痛や恐怖が麻痺してしまった俺が怖かっ たのかも知れない。その頃は完全に見下して軽蔑していた。言葉や態度には出さな くても、そんな雰囲気を放っていたのだろう。 「学校は相変わらず独りか?」 「彼女いたよ」 「は?」 予想通りのリアクション。鉄志のその顔が欲しくて、つい話してしまった。 「なんだよ、俺別に“オトコ”オンリーじゃないもん。好きな人を好きになるだけ だし。ま、その頃は自分のセクシュアルなんて分かってなかったけどね。多分ゲイ なんだろうなぐらいの感じで。でも、そうでもなかったみたい……。卒業と同時に 別れたよ。少しホッとしたっけ。何時か俺のしてる事がバレたらどうしようって不 安をずっと持ってたから。なのに、人を好きになるって感情に自分を抑えられなか った……」 “オトコ”とセックスばかりしていたのに“オンナ”を好きになる。当時はまだ 感情や、指向と嗜好の違いも分からなかったから、その都度戸惑うばかりだった。 彼女が俺を見ていてくれたから、中学の頃とは違って高校では孤独を感じる事も なかった。感じるのは汚らわしい自分を偽る、後ろめたさだけだった。 「キツい三年間だったけど、全て計画通りだった。金も溜まったし、大学も合格で きたし。借金スタートにはなるけど、しばらくHOEやって稼いでればなんとかな るし……。でも、そんなに甘くはなかった」 初恋の思い出ってヤツにもう少し浸りたいが、その頃の事を思い出すと、忌々し い過去もセットで舞い込んでくるんだ。 「溜めてた金を父親が全て使ってたんだ。ヤクザ稼業のしくじりかなんかの詫びっ て言う下らない事で、俺の三年間も大学入試も全部パーさ……。流石にキレた、怒 鳴られようが殴られようが引き下がらなかった。でも、そんな事しても金が戻って くる訳じゃない。暴れて、泣いて、絶望した」 ちょっとキツくなってきたな。あの時の事を思い出すと。あの時のムカつきが衰 える事なく込み上げてくる。 あれを越える絶望は、ここまでの人生でも味わった事なかった。 「このままだと、あのクソな父親に食い殺される。もう、やられる前にやらないと って、頭の中でグルグル回り始めて抑えられなかった……」 「お前……」 「仲直りしようって言って、夜通し父親とヤったよ、家にあったシャブを打ってキ メセクしたんだ。意識ブッ飛ぶまで……。奴がヘロヘロになったとこで残ったシャ ブ全部打ち込んでやったよ。泡拭いて、痙攣して白目剥いて……。それをじっくり と眺めてやった……。クソも死んだけど、同時に自分の中の何かも死んだ様な気が したっけ……」 根元まで吸って消えかけている煙草を灰皿へ放り、ジンを飲み干した。半端に溶 けた氷も使っていない取り皿に捨てて新しい氷をグラスに入れる。 そう、この吸い殻や溶けた氷みたいなものさ。――必要のないもの。 「自分の、父親を……」 「鉄志は親を知らないんだよね。俺のやった事、どう思う?」 意地悪な、いや、ズルい尋ね方をする。神様だろうが、誰だろうが、この事に関 しては何も言わせない。だからこっちから聞くのさ。 俺の人生を大きく狂わせた出来事だけど、その後の輝紫桜町で起きた事や、とん でもないトラブルに比べれば。取るに足らないものと思い続けてやる。 「どうって……。俺みたいに必要性や道理を無理矢理ねじ込んで殺しを実行する人 間に、肯定する事も否定する事も出来ない。分かってて聞いてるだろ?」 「まぁね……」 煙草に手を伸ばしたので、ライターの火を差し出した。ズルくてもいい、俺の欲 しかったものは、肯定や否定ではなく――理解だけだ。 鉄志は十七で、俺は十八。生まれも育ちまるで違う二人なのに、十代で人殺しと いう共通点も持っているなんてな。 狂っているのは、この国なのか、俺達なのか。 「とりあえず、可能な限り俺を証明する物を処分して、家を出たよ。灯油撒いて火 を着けて……。しばらく外を道なりに歩いて決めた。“輝紫桜町”へ行くって」 ライターの火が、ボロい平屋が焼ける様を思い出させるが、カチンと弾けばすぐ に消え去る。 「悪名名高い大歓楽街。どんな犯罪者でも、この街へ潜り込めば逃げ切れる。罪人 とマイノリティの最後の楽園。一度堕ちれば二度と這い上がれない地獄。色んな噂 を聞いていた。もう、どうでもよかった。でも、こんな事で捕まるのだけは嫌だっ た。初めて見た輝紫桜町には度肝を抜いたよ。淀んだ光に包まれ、夜空を赤紫に染 め上げて色とりどりの人達で溢れ返ってる。強烈だった……」 元々、俺にとって世の中なんてものは、何もかもが灰色に見えていた。それがこ の街の正門を超えた途端、視界一杯に様々な色が飛び込んで来たんだ。頭の情報処 理が追い付かず、バグってしまいそうだった。 「東北で最大の歓楽街とスラム街を抱え、数百を越える犯罪組織が犇めき合い、警 察も行政も近寄らない地獄の街か……」 「無法地帯って思われてるけど、実際はその逆さ、輝紫桜町は大きいけど人も組織 もキャパオーバーしている。だから無用なトラブルが起きない様に、組織間で住み 分けや連携が徹底してる。そのバランスの中で、勝手に動く異物が入り込む隙間な んてなかった。裏通りも表通りも、他のHOE達のナワバリも徹底的に統制されて るんだ。歓楽街方面で客を捕ろうものなら、速攻でポン引きやHOEに追いかけ回 されて袋叩きさ。こっぴどくやられたよ……」 最初の夜は意気がって客を一人捕まえ、とりあえず宿と飯は何とかなったが、朝 になってホテルを出た途端に、どっかのポン引きに因縁吹っ掛けられて追いかけ回 された。 その後も何度かトライしたが、噂が拡がる速さが尋常じゃなかった。殺されずに 済んだのは奇跡かもしれない。 「スラムのバラック小屋で雨風をやり過ごして、ノーネームの貧乏人相手に安売り をして飢えを凌ぐ毎日。なけなしの金を奪われたり、レイプされたり……。逆に盗 んだり……。嗚呼、これが地獄かって、これが罰なのかなって。心底打ちのめされ た。自首した方がよっぽどマシなのかって何度も思ったよ。でも、あんな父親の死 を罪だなんて思いたくもないし、償いたくもない。小屋で独り、うずくまって必死 に抗ってた。毎日、泣いてたっけ……」 今思い出しただけでも、泣きたくなってくる。 別にプライドなんてものは持ち合わしちゃいないけど、あんなに惨めで屈辱しか ない日々は二度と味わいたくなかった。 「罪と罰が割に合わないって思う事は、多々あるよな……」 「後悔はするけど、罪悪感なんか絶対持つかってね……。でも悪い話ばかりじゃな い、俺は運が良かった。手を差し伸べてくれる人もいたから。この街でレズビアン 専門のHOEをやってた人に、街のルールや“歩き方”を教えてもらえた……」 水を飲み一息ついたタイミングで、鉄志のグラスにジンを注いだ。自分のグラス にも多めに注ぐ。 煙草の煙を吐いてからジンを流し込む。さっきからその一連の手慣れた動作が様 に成っていて見惚れてしまう。 鉄志とは、永星の店でも飲んでみたいな。あそこは静かだし、酒の種類も豊富だ から、きっと気に入ってくれるだろう。 「“マリー”って言うんだ。境遇が似ていて、何かと世話を焼いてくれた。それで 何とか歓楽街の端で仕事したり、追いかけられた時の抜け道とか隠れる場所も教え てもらった」 少し小柄でカラフルな髪を腰まで伸ばして、盛り上げたり上向きのポニーテール にして遊ばせていた。眼光は鋭く、ピンクが大好きでパンクに乱した服装は刺激的 でカッコよかった。 何よりも“売ってやる”って態度で路地に佇み、客を魅了している姿には憧れす ら抱いた。――この街に似合っていた。 「もう一人、手を差し伸べてきた人がいる。そっちは中々の曲者だけどね……」 「“ナバン”のボスか?」 「そう、フリーでやってる未成年の男娼がいるって噂に興味を持ったシオンが、俺 の元へ現れた。今でもハッキリ覚えてるよ。シケた路地を派手なリムジンで乗り付 けてきて、紫の毛皮のコートに黒のレザーパンツ。鍛えた肉体を輝かせるゴールド の網シャツ。薄いブランド物のサングラスから透ける眼光……。圧倒されて、その 姿を見上げる事しか出来なかったよ」 ひもじくて、安売りのセックスに悶える地獄の様な日々。初めて出来たHOEの 友達。そして大歓楽街の支配者。 それまであった俺の中の常識も現実も簡単にブッ飛んでしまう輝紫桜町の日々。 「亜細亜圏、広範囲を牛耳る組織のボスにしては、チャラい容姿だな」 「“ナバン”の元ボスを殺した男娼がシオンなんだ。男娼から組織のボスに成り上 がるなんて、イカれてるけどカッコいいよ。鉄志には解らないんだろうなぁ。あの 危険でセクシーな本物のカリスマ性。そんなヤツがさ、野良犬の様な俺に言ったん だ。“お前、イケてるよ、綺麗だし素質がある。俺のモノになれ、この街で誰より も輝かせてやる”って……」 あの眼は今でも忘れない。甘い言葉とは裏腹に利己的で打算に満ちていた。差し 詰め金の卵かデカい原石でも拾ったぐらいにしか思ってなかっただろう。 その隠す事ない純然たる貪欲さが、シオンが支配者である事を野良犬の俺にまざ まざと魅せ付けたのだ。 「その言葉がさ、全身を駆け巡って心を捕まれる様な感じがしたんだ。気付いたら 泣き崩れて、シオンに抱き着いてた。その夜はシオンが経営するホテルのスイート ルームで夜通し抱き合ったっけ。媚薬効果のあるお香が充満した部屋で、あんなに 身体も心も満たされる様なセックスは初めてだったよ。俺の全てを受け入れてくれ た最初の人だった……」 ヤバいんじゃないかって、何度も理性が呼びかけていたが、抗えなかった。渇き 切った心は、毒だと解っていてもすするしかなかった。 シオンから分け与えてもらった甘い毒で――俺は輝紫桜町の人間となったのだ。 「それが“ナバン”に入るキッカケか」 「まぁね、でも相手が“ナバン”なら断り様もないけど。色々仕込まれたよ、ド変 態なプレイに、エロい着飾り方、客をもてなす作法や話法も……。国内外から、一 晩を数百万で買う様な大金持ちや権力者にシオンは俺を宛がった。それに相応しい ビッチにさせられたよ……」 組織には絶対服従。それは大前提だったが、奴隷に成るのではなく、奴隷を演じ る者となる。その為の捨てるべき羞恥心は全て捨てるしかなかった。 心身共に凌辱に塗れ、精根尽き果てる毎日だった。そうしている内に何も感じな くなって、こんなものだと割り切れる様になっていく。 輝紫桜町に流れる着く前からHOEという自覚はあったが、輝紫桜町のレベルに アップデートした様な感じだった。 「このタトゥー、アゲハモドキって蛾のタトゥーなんだ。“ナバンの所有物”に刻 まれる。でも、背中の大きいのはシオンと同じシンジュツバメなんだ。元々、よく 分かってなかった自分が益々分からなくなっていったよ。性別も性指向も性癖もお 構いなしに何にでもなった……」 右の胸、肩、背中に散りばめたアゲハモドキと背中に一匹のシンジュツバメ。ど れも蛾の中では綺麗な羽根をしている蛾だった。指でなぞり鉄志に見せてやった。 シオンは背中一面に、見事なシンジュツバメが彫られていた。股間や尻にはかな りエゲつないのも彫られていたが、それは鉄志には話さないでおこう。 「でも、“ナバン”のHOEに一番求められるものは“毒”なんだ。最初に教えら れる言葉は“身体に喜びを、心に毒を”。相手の心に触れて虜にするのさ、身体だ けじゃない。言葉で、仕草で、眼で。相手が自分から目をそらす事ができなくなる くらい魅了する。そして快楽を流し込んでやれば、形振り構わず俺を求めにやって くる様になる……。シオンが金と権力を持った者を輝紫桜町へ誘い込み、俺達が中 毒にさせる。俺はボスの愛人の一人さ、シオンは何時もクソエロいオスとメスを数 人引き連れて街を歩くんだ。圧倒的な存在感を放ってね」 「大変だったな。俺の理解を越えた話だが、苦労は察するよ」 まだ飲み切ってないのにジンを注がれた。雑だな。 「シオンも厳しい人だったからね。殴られる事もあったし。この街へ来る前の俺は もう影も形もなかった。自分じゃない自分が、自分に成っていくのが何となく悲し かった。それでも、シオンに気に入られたくて、愛されたくて必死だった……」 「やっぱり洗脳じゃないか」 「洗脳なんてチープな物じゃないよ“虜”さ。偽りのない愛を悪用する。とんでも なく質が悪い……」 鉄志の不可解そうな表情。何故そうまでしてそんな奴に尽くすんだ。って伝わっ て来る。別に構わない。 自分でも馬鹿だ分かってるけど、その頃の俺の心は紛れまなくシオンに夢中だっ た。シオンから受ける毒を自分の毒にしていった。相手を手玉に出来た時の快感と 優越感は、安物のドラッグでは決して味わえないだろう。 シオンから教わったこの術は褒められる様なものじゃないが、お陰でそれなりに 世渡り上手に成れたのは確かだった。 少なくとも、それのお陰で鉄志に撃たれたあの夜、鉄志に殺されずに済んでいる のだから。心には入り込めなかったけど。なんとかやり過ごせた。 尤もそれ以降、鉄志にはこの手はほとんど通じてない。――だから厄介だ。 「シオンは何時も誰かを気まぐれに抱く、俺もその内の一人。二十歳になった頃か な……。その時にさ、大学に行きたかったって話をしたら、偽造IDを作ってくれ て、シオンと裏でズブズブの学長がやってる大学に入れさせてもらえたんだ。嬉し かった。自立して普通に生きる、なんて目的はもう果たせないのは分かっていたけ どね。費用はシオンへの個人的な借金。そして条件として、ポルノムービーに出演 する事。今更、何て事なかったよ」 「今だにネットで流出しててもか?」 「覚悟の上さ、それでも大学生やりたかった。昼はITと情報を専行する普通の学 生を演じて、夜はスタジオに入ってビッチを演じる。最初の撮影がハードな輪姦も のでさ、六人のムッチムチのマッチョに囲まれた時は、迫力に負けて泣いちゃった っけ。でも役者さんも監督もスタッフさんも、みんな良い人ばかりでさ、なんとか こなす事が出来たけどね。演技指導受けて役者みたいな事もした。上手いって誉め られた事もあるんだぜ。みんながプロ意識を持っていた。ま、一つ人生経験もらえ たかなって思ってる。セックスワークもポルノムービーも、ただヤってりゃそれで いいんだろって思ってたけど、輝紫桜町で立派な仕事の一つだと思える様になった よ。勿論、胡散臭い連中も多いから油断はできない業界だけどね」 シオンの前で中途半端な答えは許されなかったから、イエスと答える以外の選択 は有って無い様なものだったけど。覚悟はしていた。 これから先の人生、死ぬまで。此処にいても何処へ行っても、俺の知らない人間 が俺を知っているかもしれないんだ。そして何も知らないくせに、蔑んだり哀れん だりしてくる。 だから、もっともっと、意気がって虚勢吐いて、強くならないと。そう腹を決め て臨んだ――それしか方法がなかった。 「その頃、シオンが大物を釣り上げてね。アミールって奴で、世界シェア一番のス トリーミング企業のCEOをビジネスパートナーにした。会員制の裏ポルノ系配信 サービスをシオンがプロデュースする様になった。俺はそこの看板俳優になったっ て訳さ。視聴回数もダウンロード数も一位を獲った事もある。世界規模で、何億っ て会員が、俺が誰かとヤってる動画を見て金を落としてく。直接ヤれる訳でもない のにさ……。ホント、ボロい商売だよね。ポルノスターもヤバい。地獄の街、輝紫 桜町の“ポルノデーモン”さ」 何時、誰が言ったのか分からないが、俺はそう呼ばれる様になっていた。 下らない。そう思っていても、その名を最大限に活かして、この街の“成り上が り”のスターを気取って。自分を大きく見せかけていた。 不意に周りを見てみると、空いてる席もちらほら出てきた。何時の間にか奥の方 の騒々しい連中もいなくなっている。少し落ち着いてきたかな。 ジンばかりも飽きてきたので、ウェイターにバーボンのロックをダブルで注文し た。 「シオンの言った通り、俺はこの街で誰よりも輝いた。誰もが俺を欲しがり群がっ て来る……。でも、俺の欲しいものは遠ざかって行った。シオンとアミールの関係 が深くなっていってね。シオンの心から俺が離れていくのを感じたよ」 グラスに残ったジンを飲み干し、煙草に火を着けた。ライム風味の煙が天井に広 がっていく。 「勝ち目なんかないよね。あっちは世界でも五本の指に入ってた程の大金持ちでネ ットやメディアを介して世界中に幅を利かせていた。二人がプライベートで愛し合 ってる時に“穴役”で呼び出された時は、スゲェ切なかった……」 なんで俺がこんなヤツに、俺はシオンの物なのにと不満しかなかったのに、演じ れてしまう自分にも、心底嫌になったのを覚えている。 「屈辱だな……。お前の努力を察すると切なくなるよ」 「その後だって最悪さ。大学の学長がなんかの不正で捕まって。学長が変わった途 端に、“ナバン”の人間だって理由で退学させられたし……。結局、俺は輝紫桜町 の人間なんだ。此処からもう抜け出せないって思い知って気分はドン底。ポルノム ービーに出るのも辞めた。シオンは大学に行かせてやった恩とか金の話を突き付け て来たけど、とっくに返済出来てる事は知っていたし、それを証明できるデータも かき集めて逆に突き付けてやったよ」 セックスワーカーである事が問題ではなく、“ナバン”を仕切っているボスの関 係者。そう見なされてしまった。あと一年で卒業できたのに、弁解の余地もなく終 わった。 高校の時といい、何時もあと一歩で台無しになる。 「どうやってそんなデータ集めたんだ?」 「配信サイトとアミールの会社のデータバンクにハッキングした。俺のギャラもど れだけ中抜きしてたのかも調べ上げた。これが初めてのハッキングだったかな。高 校と大学で教わってきたものが結構役に立ったよ」 「ハッカーデビューか?」 間の抜けた言い方をする。ウェイターがバーボンの入ったグラスを置き、空にな った料理皿を手早く片付けた。 鉄志のグラスにジンを注ごうとしたが、拒まれた。休憩かな。 「そうなのかな……。でも、そうだね。システムに侵入できた時は爽快だった。全 て思うがままになるってのも、気分良かったし」 ハッキングの醍醐味は、〇と一で均一に構成された余地のないシステムに、如何 に影響を及ぼせるかだ。秩序の中に混沌を垂らして、その反応を楽しむ様な感覚で ある。その反応を意図的に支配して自分好みに書き換えるのも、人の心を虜にする のとは、また違う快感が味わえる。 この感覚を覚えると、ハッカーって仕事は病み付きだ。しかし、その快感を覚え るのは、もう少し後の事だ。
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