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12.― PORNO DEMON ―  よかった。鉄志は俺の意図を組んでくれた。まだ少し、現実味のない感覚が残っ てるけど、別に動けない訳じゃない。頭も割れそうなぐらい痛いけど、へたり込ん でいたのは鉄志に耳打ちしたかったからだ。  我儘しちゃったけど、思っていた以上の成果はあったんだ。だからこそ、この場 を切り抜ける。――俺と鉄志の作戦は、まだ終わっちゃいない。  下見で何度かこのビルに入り込んだ段階で、このビルの管理システムは既に乗っ 取ってある。林組を相手取った時と同じ様に何時でもコントロールできる。  予備電源や警報の類いにも細工をしてあるから、ここから先どんなに派手な事が 起きても、この建物は完全な孤立状態になる。 「合図で落として、伏せてろ……」  鉄志に手を引かれる間際に囁かれる。  お安い御用だけど、前と後ろ計六人を一人で対処できると言う事でいいのだろう か。いや、鉄志が対処しきれなければ俺がカバーすればいいんだ。  本音は気が進まない。でも――覚悟はしている。  鉄志は手慣れた雰囲気で両手を軽く上げ、手のひらを相手に見せている。 「貴様がクラッカーインプだな?」  先頭の敵が半歩近付いて訪ねてくる。高圧的で厳つい体格、普段から鍛えてるタ イプの身体つき。ヤクザって雰囲気じゃないのは明らかだった。  睨まれる目を横目に逸らすと、鉄志がこちらを見ている。  何だろう、鉄志の考えが読めない。しかし、妙に活きた目をしている。 「人違いだな、コイツはインプじゃない。ただの“チンピラ美人”だ」  なるほど、そういう手を使うのか。下らない会話を繋げて場のペースをこちら側 に引き寄せる手だ。鉄志はタイミングを伺っている。  何だか、鉄志らしくない様な感じもするけど、そう言う事なら、乗るしかない。 「だからさぁ、それ誉めてるの? 貶してるの?」 「誉めてると思うか? おめでたい脳みそだな!」  鉄志がこちらに向いて来て悪態をついた瞬間、両目を左右に素早く二回移した。  正面の三人と後ろの三人の位置情報を確認したとでも言うのだろうか。たったこ の一瞬で。  信じ難い事だけど、鉄志の目が語って来る――実行可能だと。 「そのおめでたい脳みそに頼りっきりの“メンタル雑魚”は誰だよ!」 「ゴチャゴチャ言ってないで、さっさと消せよ!」  俺と鉄志の馬鹿げたやり取りに呆気にとられる連中を尻目に、鉄志は既に拳銃に 手を伸ばしていた。シャットダウンを実行して、言い付け通りに、その場にしゃが み込んだ。  絶え間なく、それでも規則正しい二連射の発砲音が鼓膜を劈き、耳鳴りが脳内を 掻き回す。あっと言う間に暗闇と静寂、そして鉄志の気配だけになった。  視界を暗視モードに変えて辺りを見渡すと、六人の死体が転がっている。一瞬周 囲を確認しただけで、正確に標的を捕らえて躊躇なく、全員を二発で仕留めた。常 人離れの感覚だ。――まるで“超感覚”だ。  鉄志を見上げる。冷淡で鋭く精悍な面持ち。あの夜の、鉄志に追い詰められたあ の夜の鉄志がそこにいた。でも今は、俺を守ってくれる頼れる相棒として。 「目が赤く光ってるぞ……」 「サイボーグだからね」  窓もなく非常灯も機能していない廊下だと、流石に暗いな。出力を最大にしてや っとだ。鉄志の言う通り相当赤く光っているのだろう。 「状況は?」 「クリアだよ、“メンタル雑魚キラー”さん」 「外の状況分かるか?」  “エイトアイズ”の目を視界に重ねる。外は雨が降っていた。湿ったアスファル トがネオンライトを乱反射させている。輝紫桜町程じゃないがウザったい。  数分前までのログも確認しておく。デカいバン三台からゾロゾロ人が降りて、雪 崩れ込む様にビルの表口と裏口へ入り込んでいた。 「“エイトアイズ”からの情報だと表にバンが三台。裏の出入り口には確認出来る だけで五人待機している。表口からは十三人が入り込んだようだね」 「裏口も同じぐらいか……。下手に狭い階段で撃ち合うのは、行動パターンが限ら れる。暗闇を利用して、表から出るか……」 「そのルートだと、あと十人。増援の可能性もあるよ。灯りはどうする? 今の状 態じゃ鉄志さんもキツイんじゃない?」  非常口の鍵を締め直して来た道を静かに慎重に進んでいく。内心では緊張で身体 がガチガチに強張っている。  チンピラやヤクザに囲まれて凄まれたり、脅されたりした経験は随分多い方だけ ど、ここに来てる連中からは、明確な殺意を感じた。 「一応ライトはある。それでどうにか対処するところだが、“チンピラ美人”の意 見は?」  鉄志は拳銃にフラッシュライトを装着する。詳しくはないがレバーを下げてる間 だけ発光するタイプの物だろう。  戦闘と言う分野において、鉄志が俺に意見を求めて来るとは、それなりに必要と されているのかな。――ビビッて緊張なんかしていられない。  思考を巡らせ、最もリスクの少ない手を考える。この建物を出るまでに必ず戦闘 状態に陥る。それを最小限にしないと。 「そうだね……。窓を開けて“エイトアイズ”を入れて先行、索敵させる。詳しい 情報があれば、鉄志さんの精度が上がるだろ」 「悪くない、それで行こう。今の撃ち合いと、この暗闇だ。連中も警戒してる筈だ から用心しろよ」  共有スペースへ向かう階段の手前で、窓をこじ開けて“エイトアイズ”を中へ入 れた。サイレントモードに切り替えて低空飛行させる。  “エイトアイズ”は最高出力なら一五〇キロのスピードが出せるが、最低出力な らブレードの回転音もほぼ消す事が出来る。自然音がある場所なら真後ろを飛ばし ても気付けないぐらいに。  作るのに一番苦労して、最も金がかかってる。――優秀な俺のドローンだ。 「建物の防火シャッターを全て下ろした。防犯カメラも確認してるけど、この暗闇 じゃ意味ないな……」  俺の、CrackerImpの常套手段だ。建物の全システムを奪い取り、電子 ロック、防火シャッター、カメラ、警報機。物理的なシステムをコントロールして 一本道を作る。 「しばらく敵は建物に入れない。確認は出来ないが、入り込んだ敵も閉じ込められ た状態と言う訳か」 「あとは“エイトアイズ”の索敵で補強するしかないね。リスクの少ないルートを 選んで、ここを出よう。共有スペースのエリアにも非常階段があるから、そこから 下に行けば、建物に入った連中を閉じ込めたまま逃げられる」  覚悟を決めて、俺も腰に突っ込んでいた拳銃を取りだし、スライドを引く。  これを手にする度、脅し以外に使うなとか、極力使わない道を選べとか、柄にも ない事をすれば、取り返しのつかないしっぺ返しを食らうだけだと逃げてきた。  しかし、そんな事はもう言える状況じゃない。何よりも、鉄志だけにやらせては いけないんだ。――俺は鉄志の相棒だから。 「お前がいると、何もかもが有利になっていいな。もっと早く相棒として出会えて いたら、日本に帰ってからの苦労事も、楽になっただろうに……」 「タラレバは嫌いだよ、今しか考えない。先が少しでもマシになれる様に……」  輝紫桜町に流れ着き、あの地獄で生きていくと決めたその日から、俺は“今”し か考えない様に努めている。後悔は空虚、期待は失望。分かっているのに考えてし まう。時間の無駄でしかない。 「そうだな、今を切り抜けないと」  先行する“エイトアイズ”が階段に人がいない事を、携帯端末で確認した鉄志は 拳銃のライトをつけて下っていく。その後ろを付いて行った。  防火シャッターの先が共有スペースとロビー。“エイトアイズ”が通れる程度に シャッターを上げて潜入させた。  共有スペースの真ん中あたりに五人。カウンターに二人。右端には共有スペース を利用していたお客とカウンターのスタッフ、計六人が地べたにしゃがみ込んでい た。――あそこに非常階段がある。 「連中、ほぼ一か所に集まってるね。客は右端に寄せられてる」 「流れ弾がそっちに飛ばない様に、コンパクトに済ませたいな」 「“エイトアイズ”にもライトが付いてる。囮にもなるし、フォローもできるよ」  携帯端末の画面の光に照らされる鉄志の表情を見つめる。数ミリたりとも逸れる 事のない真剣な眼差しはまるで、先端が見えないぐらいの鋭い針の様だ。  それぐらいの鋭い眼差しで俺の事を見てくれたなら。俺の事も分かってもらえる のかな。俺の事を――受け入れてくれるのかな。 「よし、位置は把握した。行けるぞ」 「ん? あぁ。俺は、どう援護したらいい?」  中途半端に残っているマガジンを切り捨て、新しいマガジンに再装填した。  こんな時に、馬鹿な事を考えるな。やっぱり俺はカオスなヤツだ。鉄志は大違い だな。思考が彼方此方に飛んでしまう。  それが良い方向に向く事もあるが、逆だってあるんだ。集中しないと。 「俺がヤバそうな雰囲気なら援護してくれ。無理に撃つ必要はない。それよりも非 常階段の方を確保してくれ」  デジタルブレインのAI一機を“エイトアイズ”に回して。囮と妨害の役割を任 せる。俺は俺で撃ち合いの中で一般人の安全を確保して、非常階段の扉を開けない と。緊張で鼓動が早まっていく。 「分かった。まずは囮で注意を引くよ」 「一般人の方向に銃口を向けさせるなよ」 「了解、シャッター上げるよ」  同時に“エイトアイズ”のライトも光り、襲い掛かる様に敵に向かって行く。右 側は飛ばせない。一般人の方に銃口は向けさせない為に。  敵達の叫び声と鼓膜を圧迫する発砲音を尻目に非常階段へ向かう。敵のライトと “エイトアイズ”の閃光がフロアを駆け巡った。  一般人達は全員、頭を抱えて伏せている。それを乗り越えて、非常階段の扉に飛 び付いた頃には、フロアに響く怒号は叫喚へ変わり、飛び交う銃声の中に一際、規 則正しいテンポの二連射の発砲音が圧していく。  あの姿だ“エイトアイズ”が捉えている鉄志の姿。死中に活を求めるかの様に躊 躇く突き進み、断固たる意志と勇気を以て、障害を圧倒する姿。――身震いする程 の勇姿。  少しでも疑った俺が馬鹿だった。リスクを超えて鉄志と組んだのは、これ以上な い正しい選択だった。  非常階段へ通じる扉の電子ロックをピンポイントで解除する。これで何時でも外 へ出れる。 「この場は制圧した……」  絶え間ない銃声によって鳴り響いていた耳鳴りの中、気付くと辺りは静まり返っ ていた。同時に漂って来る硝煙の臭い、それが意味するところを察すると、吐き気 が込み上げて来た。  “エイトアイズ”に回していたAIを引き戻す。一般人達は鉄志を見上げる事も なく、息を殺して伏せていた。 「非常階段から外に出れるが、今出ても危険なだけだ。しばらくここで隠れてろ」  鉄志は拳銃のマガジンを捨て、再装填しながら、行くぞと首を振る。扉を開ける と鉄志が先行した。“エイトアイズ”が巡回していた時よりも、雨脚が早くなって いる。  両手で拳銃を構えたまま、肘を引いたコンパクトなスタンス。銃口の角度が変わ っても、常に目線と銃口は固定されたままだった。素人目にも無駄と隙のない構え に思えた。当たり前かもしれないけど、映画やアニメとは大違いだ。 「外に敵は?」  建物のシステムを手放して、周囲の状況確認に切り替える。“エイトアイズ”は 巡回を再開したばかりで、まだ情報量が少なかった。 「確認中、今のところ人気はない……。外部から警察への通報があったみたい。数 分前だよ」 「まずは此処を離れるぞ」  警戒しつつも、急ぎ足で階段を揺らして下っていく。脳にのしかかる負荷と銃弾 が飛び交う緊張感に、意識が飛びそうになってるのを必死に堪えていた。  こう言う事態を覚悟はしていたが、いざ起きるとやはり対処し切れていない。そ れなりに危険な橋を渡ってきた経験はあるけど、つくづく思い知る。今回の仕事は 確実に身の丈を超えていると。  ここまでやれているのが奇跡に思える。それも行き当たりばったりで“組合”の 殺し屋と、鉄志と手を組んでいるから何とかなっている。――独りじゃ不可能だ。  階段を下り切って路地を突っ切り、やっと表通りに辿り着く。  冬の雨は体温をみるみる奪い、前髪から滴る雫が視界を霞めた。乗りつけた三台 のバンの運転席は無人の様だ。  鉄志の後ろを付いて行き、バンとバンの隙間や死角を入念に確認する。  ギシッ。左のバンがぐらりと揺れたのを二人が認識するのと同時に、左のバンが ギギギと迫ってきた。  声を出す間もなく、あっという間に隣のバンに背中が触れて押し潰されそうにな る。衝撃で割れるドアのガラスが頭に降りかかる中、二人で押し返そうと反射的に 両手をバン当てているが、どうにもならなかった。  僅かな隙間に身体を押し当てて、完全に潰される状況だけは回避できた。背中に しょっていたリュックも、クッション代わりになってくれたけど、ヤバい状況って 事に変わりはなかった。――何とかしないと。  何が起きたのか、割れたドアガラス越しに向こう側を覗く。一瞬人影の様なもの が見えたが、今は誰もいない。雨音の中、何かが近づいてくる気配だけを感じる。  早く、此処から出ないと。身をよじってバンとバンの間から抜け出そうとしてい ると、突然右腕を掴まれ引っ張られる。正確には、鉄志が何かに掴まれていて、引 きづり出されようとしていた。  鉄志の腕を掴んで抵抗したが、あまりの力に抗えず持ってかれてしまう。 「鉄志!」  鉄志を引きずり出したヤツ。それは二メートル半を超える――戦闘型サイボーグ だった。  見るからに無茶な改造を施していた。盛り上がった脊髄、大きな三本アームの右 腕。重量とパワーの負荷を低減する為の外部アーマーに身を包み、頭部は拡張バイ ザーと防御の役割を果たす通称“メカヘッド”を装着していた。  どこから現れたのか“エイトアイズ”が見落とすとは思えないが、引きずり出さ れた鉄志が放り投げられた。  早く対処しなければ、あのサイボーグにハッキングして破壊する。僅かな隙間か ら這いつくばってバンから抜け出す。しかし、サイボーグの“糸”が見つけられな かった。無線デバイスを切っているのか、それとも非搭載か。  不味いな、下手に撃ったところで倒せる様な相手じゃないけど、このままだと鉄 志もヤバい――やるしかない。  拳銃を取り出し、サイボーグに向けた瞬間。サイボーグが振り向きアームに仕込 んだマシンガンを向けて来た。あのメカヘッド、全方向を探知している。  一発も撃つ事が出来ず、バンに身を隠す。貫通こそしないが、激しい弾幕に反撃 の余地がない。このまま詰められて殺される。  あのアームは換装型に違いない。近付いて繋ぎ目をショートさせれば外す事も出 来るけど、そんな事は不可能だ。他にいい手はないか。このままじゃ、こっちの脳 が先にショートしそうだ。  緊張と恐怖に全身が満たされそうになるのを、爆発音の様な二発の銃声が吹き飛 ばした。――鉄志だ。  バンに身を隠したまま様子を見ると、鉄志は別の拳銃を手にサイボーグに挑んで いた。サイボーグの銃口が向いても臆する事なくアームに二発撃ち込む。それでも よろめかすのが精一杯だった。  しかし、サイボーグのよろめきを見逃す事なく、鉄志はサイボーグに向かって行 き、無謀にも掴み掛った。サイボーグも面食らった様子だったが、力で勝てる訳が ない。加勢しないと。  銃を構えたまま近づいていくと、鉄志はサイボーグのアームにぶら下がり、全体 重をかけてサイボーグを投げ飛ばし、十字固めで押さえ付ける。なんて無茶な。  いや、チャンスだ。そう思った時には、サイボーグを押さえ付ける鉄志の元へ向 かっていた。  サイボーグの上半身にのしかかり、バタフライナイフを取り出して肩とアームの 繋ぎ目に差し込む。探りを入れながら電流の流れを搔き乱す。  バチバチと火花が飛び散る。サイボーグが抵抗するが、鉄志と共に必死に食らい 付いた。  一際大きな火花が飛び散ってアームが外れた。鉄志は俺が何をしようとしている のかを察していたのか、アームが外れると同時に身を起こして、首筋のメカヘッド とアーマーの隙間に銃口を差し込み、脳天へ向かって二発撃ち込む。  えげつない光景だが。確実に仕留めた事に安堵した。  戦闘型サイボーグを倒せた。しかし、安心も束の間、今度は“エイトアイズ”の 警報が脳内に響く。裏路地から敵が数人向かって来る。  裏路地に銃をを向ける。鉄志も少し前に立ち身構える。――あと数秒だ。  敵の方が先に撃ってきたが、そんな事などお構いなしに、鉄志の二連発と俺の三 連射が交差した。  何て事だ、信じられるか。俺は今、“組合”なんて世界規模のヤバい組織に属す る殺し屋と一緒に、銃をぶっ放している。それも悪い奴等を倒す為にね。  こんなの、柄じゃないよ。昨日のこの時間、輝紫桜町で身体を売っていたHOE の俺が、ずる賢く裏社会のゴタゴタをかわして漂っているハッカーの俺が。  もうワケが分からなかった。恐怖、重圧、緊張、興奮。それを抱えきれない自分 の心が何かに寄りかかりたくて。――鉄志の姿に魅せられて。 「蓮夢、行くぞ……」  言われるまま、鉄志の後ろ付いて一心不乱に走った。雨のせいで視界は最悪だっ た。ひたすら、鉄志の背中を追いかけて必死に走り続ける。途中から聞こえて来た パトカーのサイレンだってお構いなしだ。――ひたすら走り続けた。  いい加減、息が切れて来た辺りで鉄志が裏路地へ入り込む。雨に濡れた地面に足 を取られながらも、飛び付く様に裏路地に入った。  鉄志が大通りの様子を覗く姿を見ている。けたたましいサイレン音と赤橙の明か りが鋭く精悍な顔立ちを照らしていた。  向かい合い、互いに壁に寄り掛かって呼吸を整えるだけ。濡れた髪を絞る様に掻 き上げていると、不意に鉄志と目が合う。鉄志の口角はみるみる緩んでいき、静か に笑い出した。その姿を見て――終わったのだと感じ、胸を撫で下ろした。  鉄志の笑い声は次第に大きくなっていく、つられて俺まで笑い出す始末だ。  一通り笑いあった後、鉄志は真っ直ぐ俺の目を見据えた。 「やったな、蓮夢! 本当、大した奴だよお前は」  その屈託のない言葉と笑み、ゆっくりと胸の奥底に静かに突き刺さっていく様な 感覚。――嗚呼、その心に触れたい。  愚かにも、俺は抑え難いその衝動に身を任せてしまった。ロクな事にならないと 分かっている筈なのに。綯交ぜになって、抱え切れなくなった自分の感情を鉄志に 向けるしかなかった。 「鉄志さんと組んで間違いなかった……。俺独りじゃ出来なかった……」  殴られてもいい、蹴られてもいい。鉄志に抱き付いた。胸元に顔をうずめて鉄志 の鼓動を噛み締める。  恐怖のなのか、雨に熱を奪われたせいなのか。震えが止まらなかった。情けない けど、自分ではもう、どうする事も出来なかった。 「ごめん、“オトコ”らしくないよね? こんな情けないの……」 「お前は、よくやったよ。俺もお前と組んで正解だった」  ほんの軽く、たどたどしい感じで抱き寄せてくれた。身体の中に渦巻いていた不 快なものを高揚が押し流していく。  まだ少し震えているけど、もうどうでもいい。ずっと、こうしていたい。 「鉄志さん」  回した腕を腰と肩にかけて、鉄志を見上げる。このまま流れでとか、勢いとかで キス出来たらなって、欲が沸いてくる。――やっぱり俺は距離感のない奴だ。 「蓮夢、お前……」  頬けている思考を引き戻す、鉄志の神妙な声と表情。鉄志は自分の鼻を指差して いる。それで自分の状況に気付いた。  鼻から結構な血が滴っていた。それが口の中にも入り込んで、口の中は血の味が 漂っていた。  鉄志から離れて背を向ける。鼻血は止まりかけているけど、相変わらずどくどく と遠慮もなく出て来る。 「少し、脳神経が焼けたかも……」  こんな事は本来、起こり得ない事だ。――普通にデジタルブレインを使うなら。  脳の損傷状態を確認する。既にナノマシンが修復作業を開始しているが、ナノマ シンも大分数が減ってきたな。補充するとなると、また大金がかかる。  今回はとりあえず数時間で改善できそうだ。 「大丈夫か?」 「久し振りにフル稼働したからね。平気だよ、こう言う事は何回かやってるから」  血を拭って、少し振り返る。ちょっと恥ずかしかった。鼻血なんか流していると ころ、鉄志には見られたくなかったな。  今回はマシな方だ。もっと限界までやってればこんなもんじゃ済まない事は、よ く知っている。――でも必要なら、何時でもそれをする覚悟はできている。 「鉄志さん、思っていた以上に収穫ありだよ。俺達、負けちゃいないよ……」  表通りから入り込んで来る歓楽街の明かりと、通り過ぎる赤橙の光は、濡れたア スファルトの反射を介して裏路地で向き合う俺達を照らしていた。互いに笑みを浮 かべたまま。  まだ深い闇の中の、入り口に入り込んだぐらいに過ぎない。それでも、突き進ん だその時に、蒔いた種が花開いて道を示してくれるだろう。  悪意塗れの牙城を突き破って、根こそぎ全てを奪い取ってやる。俺達なら必ずや り遂げられるさ。――そうだろ、愛おしい相棒さん。

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