4.― PORNO DEMON ― 「大分良くなってきたな……。よし、十分休憩して、もう一度だ」 飄々とした顔でコイツは何言ってるんだと、だんだん鉄志に腹が立ってきた。謙 虚に学んで、今日中にものにしてやろうと気合入れて臨んだが、現実は甘くない。 悔しいけど、こういう直接的な行動にハッカーは向いてないのかも。 「いや、無理だって……。もう五時間ぶっ続けだし!」 「なんだ? もうバテたのか」 “ツーマンセル”。二人一組による最小ユニット。距離を保って取って進む者と 監視する者に別れて行動する。先行、索敵、援護、その場において必要な行動は分 担でなく交互に行う。二人しかいないから当然か。 基礎を忠実に守りつつ常に臨機応変。一瞬たりとも気が抜けなかった。激しく走 り込んだり、筋トレにしごかれる事はないが、五時間途切れずに集中して緊張感を 持続させていれば、流石に疲れてくる。 鉄志に案内された演習場は東区の山間の奥に堂々と構えられていた。簡易的な三 階建てのビル。広い敷地内は埃っぽく、ガラクタを積み上げた物陰や分厚い鉄板の 標的が無数に設置されていた。更にオートマタまでも完備されていた。 鉄志の話では、民間警備会社と公的機関の共同管理によって運営されているそう だが、スポンサーには偽銃の製造会社や“組合”のダミー会社が多く関わっってい るそうだ。白も黒もあった物じゃないな。 「鉄志さん……」その場にへたり込み、鉄志を見上げた。「セックスする体力とこ ういう事する体力って別物なんだね……」 「甘いものは別腹みたいに言うな。一時間の休憩。もう少し精度を高めるぞ」 悪意のない呆れ顔を見せて、鉄志は休憩スペースへ向かう。仕方なく腰を上げて 付いていった。 立派な屋根がついた広いスペースには、厳ついレンガ作りの大きな作業机。大昔 にキャンプ場だった名残なんだろうな。 作業机に拳銃を置いて机に座って呼吸を整える。 「頭じゃ理解したけど、いざ動くとなると……。てか、鉄志さんに付いてくのがハ ードル高いんだよ……」 「仕方ないだろ、俺しかいないんだから。お前に合わせたら、パフォーマンスが落 ちる。それじゃ意味がない」 “センター・アクシス・ロック”。鉄志の銃の構え方をそう言うそうだ。初めて 見た時の独特な姿はインパクトがあった。身体の中心で銃を構え、コンパクトな姿 勢を保ちながら、狙う時は出来るだけ銃を顔の近く、目線に合わせて撃つ。即応性 の高い射撃スタイル。 これに高い集中力と空間把握能力。経験が裏付ける研ぎ澄まされた感覚。鉄志に は躊躇など微塵もなかった。必ず仕留められると言う確信を持って敵に向かって行 く。その速さに付いて行くのは、かなりハードだった。殺される心配のない演習と 言え、緊張や一瞬の及び腰で出遅れてしまう。 戦闘の面において、鉄志の相棒になるには結構キツいものがある。 さて、どうしたものかと思考を巡らせていると、鉄志はハーネスサスペンダーを 外して身体にピタッと密着するアンダーウエアを脱ぎ捨てる。そう言えばスーツ姿 以外の鉄志を見るのは初めてだな。ついでに裸も。 特別、鍛え込んでいる風ではない自然な筋肉と幾つかの古傷は痛々しく、正に修 羅場の年輪と言ったところだ。肩から肩にかけてゴシック調の英字と背筋にはトラ イバルタトゥーと王冠を被る髑髏が刻み込まれている。 なんか、色々と想像力を掻き立てられる身体をしている。このままずっと眺めて いたい。 「お前今……俺の事、性的な目で見てるだろ?」 汗を拭けとタオルを投げ付けられた。顔に出てたかな。そんなつもりはなかった けど。 「うん、思いっきり! そう言う目で見てた。ボンテージとか似合いそう……」 この際だから開き直って、もっとガン見してやる事にした。 「分からないな……」 「何が?」 「同性をそう言う目で見れる感覚だよ」 あまり嫌な気がしなかった。勿論、大した関係でもない奴に聞かれれば、俺の勝 手だろ。って言うところだけど。 鉄志の事は信用している。そして鉄志も俺の事を信用している。でなきゃ、こん な事は尋ねられない。 「分かる訳ないさ、鉄志さんはその経験がないんだもん。経験すれば分かるよ」 「経験ね……」 「考えてもみなよ、ぶっちゃけセックスなんてさ、その気になれば誰とでも出来ん るんだよ。物理的な制約なんてないだろ? お互いのイイとこ刺激し合って、身も 心も満たし合う行為なんだから。ま、俺は金で一方的な刺激を提供するビッチだけ どね」 鉄志がどこまで聞いてくるのか知らないけど、全て答えてあげようって気になっ たていた。 昔は自分でもよく分からなくて、とてもじゃないが人に説明なんか出来なかった 事だ。悩んで、沈んで、落ち着かなくて。 輝紫桜町に流れ着いて、翻弄される日々の中でようやく納得のいく“ラベル”を 手に入れて、自分に向き合える様になった事。 「理屈はそうかもしれないが、同じ気持ちで接するには、色々と違い過ぎる様に思 えるがな……」 「勿論、同じじゃないさ。向き合い方とか受け入れ方は、その人によって違う。で も隔てる必要だってないだろ? ねぇ、鉄志さん。この世界には二種類の人間しか いないんだ。何だと思う?」 濡らしたタオルで身体を拭く手を止めて、鉄志は俺の問いを受け止めて考えてい た。 一息ついて作業机の煙草に手を伸ばす。 「身体的な違いという意味では、男と女しか思い浮かばないな」 「“良い人”と“嫌な奴”。それだけだよ……」 この話をする時、少しだけ身体が強張る。それを誤魔化す様にタオルで汗を拭い ながら話した。 二十四の頃だった。パンセクシュアルって言葉を知って、やっと自分を人に話せ るって、舞い上がって勘違いしてた頃だ。同じ様な事を、ゲイの先輩に話した。 いかにも、バイやパンの考え方だな、シンプルぶった考え方で結局はビッチじゃ ねぇか。そう言われた。 酒の席の、酔っ払ったお仲間との出来事さ。ちょいと茶化されて一笑い。その先 輩だって良い人だし、悪気はない。 お陰で俺だけでなく、バイセクシャルの後輩まで肩身に狭い思いをさせてしまっ た。――セクシュアルなんて、迂闊に話すもんじゃない。 鉄志はそんな人じゃないと思いたいだけで、確信なんてものはない。今だって少 し身構えている。 「主観的だな」 「主観だから大切なんだよ。人の心なんて複雑なんだから、それを見る時はシンプ ルな方が良いと思わない? 隔てて差を設けるなんてナンセンスだよ。接し方は違 っても、好きになる感情は等しくあるべき。って俺は思ってる」 「それがパンセクシュアルの感覚なのか?」 「俺の。って言っただろ。言葉で括るのもナンセンス。初めはそれもいいけど、最 後にはちゃんと、心に向き合わなきゃ」 凄いな、こんな事があるなんて。あんなに沢山の、色々な人達で溢れ返ってる輝 紫桜町の連中とですら、こんな感じに話が出来た試しがない。 決して悪い空気じゃない。でも、何時も“そうなんだ”これで終わってしまう。 分かっている。皆、何かを抱えていて、他人に感ける余裕なんてない。程よい温 度で、程よい距離感で。それなりに支え合えばいい。 それ以上を欲しがる俺は、ただの我儘なのかもしれない。しかし、それ以上がこ の場で発生している。それも相手は鉄志で。むず痒くて口角が歪んでいく。 「なるほど、それで良い奴と嫌な奴か……。悪くないかもな、気に入ったよ」 煙草の煙をふうと吐く鉄志の視線を受け止め切れず、それとなく横目に逸らす。 嗚呼、鉄志。何て素敵な人なんだろう。完璧だよアンタは。何故、こんなにも本 心が漏れてしまうのか。だから辛い――もう、抑えきれないよ。 「鉄志さんって、結構流され易いタイプだね」 堪り兼ねて、茶化す様に鉄志に言った。何でもと言う訳でもないけど、鉄志は俺 の言う事は大体、受け入れてくれる。 最初の出会い方や、初めの頃の衝突を気にしているのだろうか。短期間の割に密 度の高い信頼関係を築けている。それも人生の中で初めての体験だった。 ふと気付くと、鉄志が目の前に迫って来た。眉間にしわを寄せて。 「あのな、俺は常に周囲の仲間や相棒と上手く連携する事を最優先としているだけ だ。帳尻を合わせてバランスを整える。その上で必要なら自分を曲げるし、譲歩も するってだけだ。流され易い? 流されてやってるんだ。それが一番効率が良いん だって事を、誰よりも分かってるからな」 「分かったよ……。地雷発言だったかな?」 いやにムキになる雰囲気から察するに、流され易いと周りからも言われているの だろう。分かり易いな。 俺が好きにやれて、良い様に思考が冴えるのは、鉄志が達観して調子を合わせて くれているのは知っていた。リーダーの資質、或いは才能か。 「それにしても、お前が狙撃銃なんて持っていたとはな。偽銃の“SL―9”。中 々の上物じゃないか」 作業机に置いてある、俺の持て余している私物を手にする。無機質で流線形なボ ディとサムホールグリップがセクシーな俺の狙撃ライフル。 手持ちの武器を全部持ってこいと言われたので、背中に担いで持ってきた。バイ クでコイツを持ち運ぶのは一苦労だった。持って帰るのも億劫だ。 「それとドローンを使って、ギャラの支払いを渋るクライアントを脅したり、接近 せざるを得ないリサーチ対象に使ったりするのさ。ハッカーなんてちょっと脅せば 黙るとか、舐めた考えの奴多いからね。狙撃用のアプリ使うから、そこそこスコア は高いよ」 とは言え、実際に使ったのは三回だけ。人は一度も撃っていなかった。後は安田 の店でたまに撃ちに行ったりするぐらいだった。 鉄志の言う通り、上等なライフルである。安田の奴、俺が疎いのを良い事に店で 三番目に高いライフルを勧めて来た。 後になって気付いたが、脅し目的ならもっと安くても良かった筈だ。 数メートル先、鉄板の的に向かって鉄志はライフル斜め構えに素早く発砲する。 テンポよく鉄板に弾ける弾丸の小気味良い音。スコープを覗かずに近距離の敵に 対処できる構え方だ。“センター・アクシス・ロック”の応用だろうか。 「少し歪んでるな……メンテナンスに預かってもいいか? と言っても狭い室内で の戦闘には向かないがな」 「お好きにどうぞ」 ライフルを作業机に置く。持って帰る手間が省けてありがたい。 「“M93R”は骨董品だな、しかも偽銃じゃない本物だったとは。中々お目にか かれるもんじゃない、何処で手に入れたんだ?」 「ま、ちょっとね……」 鉄志は所謂、ガンマニアと言うヤツなのだろうか。妙に活き活きとした目で俺の 拳銃を眺めていた。そう言えば安田も、これを売ってくれないかと迫ってきた事が あったな。 正直なところ、銃は苦手だった。撃つのも撃たれるも避けたいが、その原因にな りかねない物を持ち歩くなんて馬鹿げている。頭に三発も食らえば嫌いにもなるだ ろ。 それでも手放せなかった。――忌まわしい形見ってヤツだ。 「ところで、お前。行動時も頭で何かのアプリでも使ってるのか?」 吸い終えた煙草を据え置きの灰皿に投げ入れる。 「え? 分かる?」 「何となくな。俺の呼び掛けに数秒遅れてる事がある」 「軍用オートマタの戦闘アプリをダウンロードしてる。勿論、俺の感覚に合わせて 別物レベルに作り直してるけど」 本格的にハッカーの仕事を始めてから、多少は危ない橋を渡る様になったその対 策で作った戦闘補助のアプリだった。 幸い今日まで本格的に使う機会はなかったけど、使ってみて、中々上々だと感じ ていたが、鉄志の雰囲気を察するに、お気に召してない様子だった。 「どこで手に入れるんだ、そんなもの」 「オンラインの闇市なら色々転がってるものさ。標的を捕捉、追跡するアプリと連 携して、視界にエイムを表示する。銃口の角度から弾道予測もするから、射撃精度 も上がる」 「お前の弾がそれなりに当たってるのはそれか」 核兵器と生もの以外なら新品、中古、盗品、まがい物。何でもござれ、亜細亜の ブラックマーケット“福倒(フー・ダオ)”。ハッカーのお師匠さんから紹介して もらって、今ではすっかりお世話様だった。 「精度が高い分、かなり重いアプリになったけどね」 「それのせいで俺との連携に遅延が起きるなら、使うな」 「そうはいかないよ、これ使ってやっと今の状況なんだぜ」 「ツーマンセルは二人で何事も二倍に上げるのが最低条件だ。お前の死角となる敵 を俺が補足しても、数秒の遅れが命取りになる。実際、何度かミスしてるだろ」 「それはそうだけど……」 ここまでの数十回の演習で、鉄志の指示に出遅れがあったのは事実だったが、そ れがアプリのせいとは限らないのに。確かに視界に集中しがちな状態だけど、その 判断を決めるには、もう少し回数こなさないと。 慣れれば改善できるかもしれないのに、頭ごなしに使うなって乱暴な判断だ。 「そのアプリなしで、今と同じぐらいになってもらわないとな」 「冗談じゃない! 目の前にスコップがあるのに、素手で穴掘る馬鹿が何処にいる んだよ。根性論嫌いとか言ってて、おかしいよそんなの」 「確かに根性論は嫌いだ。でもある程度は必要だろ」 結局、そう言う事かよ。まるで俺がズルか楽をしてるみたいなイメージを持って いるんだ。堪ったもんじゃない。 「現実的じゃない。ツーマンセルで行動する機会もアクアセンタービルに仕掛ける のも、先の話じゃない、近い内なんだ。限られた中で出来る事には限界がある事を 鉄志は把握してない。利用できるものは利用しないと」 「分かってないのはお前だ。そのアプリがオートマタ用なら単独戦闘用だ、二人で カバーし合うのに向いてない。そんなものに命は預けられないぞ」 このままだと止めどなく揉める事になりそうだった。これでは五時間もかけて息 を合わせてきたのも無駄になってしまう。それは避けたい。 かと言って、折れる訳にもいかない。俺は戦闘向きじゃないハッカーってカテゴ リーの人間かもしれないけど、俺だってサイボーグなんだ。 月並みの事をするなら――サイボーグである価値がなくなる。 「一人用か……。そうかも知れない、問題は俺達じゃなくて。アプリの方だ!」 「え……」 「そもそもメモリを圧迫してるのも良くない。書き換えよう、もっと軽くして認識 範囲を少し狭める、予測計算を失くせばいいんだ……」 鉄志の言い分から察するに、オートマタの戦闘アプリは敵を制圧するのが最優先 と言うところだろう。理にかなっている、オートマタなんて消耗品だから庇い合う よりも手早く確実に敵を倒す事が最優先だ。 今、俺が使っているアプリはその核となる部分がそのままだった。そこから作り 直す必要がある。 誰かと組んで戦うなんて事を想定していなかっただけに、盲点だった。 「何をする気だ?」 作業机の上に置いていた補助端末を開いて、プラグを左腕に差し込んで戦闘アプ リのプログラミングに取り掛かる。 二機のAIと連動しての大型アップデートだ。数週間はかかるであろう作業量も 数分でそれなりの形に出来る。先ずは鉄志を納得させないと。 「標的はザックリ捕捉するだけでいい、立ち回りや戦略は鉄志さんから教わればい いから、より直感的な動きに対して補助する程度の精度に敢えて落とす。エイムも 大雑把でいい、今日撃ちまくって少し感覚が分かって来たから……。動きながら微 調整した方が良いかも。これ持って」 補助端末のプラグを外して鉄志に渡す。連動を有線から無線に切り替える。少し 処理が遅れるが、ケーブルぶら下げて動く訳にもいかない。 「お、おい……」 「捕捉マーカーの種類を増やす、敵と味方に。そして味方マーカーにだけ予測計算 をさせて位置を把握する。いいね、かなり軽くなってきた」 拳銃を構える。覚えたての“センター・アクシス・ロック”。自動的にエイムが 銃口を追い、視界に入る的を敵と認識してマーカーが輪郭を囲う。鉄志に視線を移 して鉄志にもマーカーを付けた。 今までは視界に入り認識したターゲット全てに同じ処理が施されたが、これを味 方のみに限定すれば、負荷はほとんどなくなった。この方が遥かに効率が良い。 「目は後ろに付いてる。ってヤツだな」 「何となくさ、鉄志さんだって後ろに人がいる時、気配で何となくの位置は分かる だろ? うん……。これなら味方への意識がかなり向く。これを使って演習を重ね れば、かなり効率が上げられるよ」 俺の視界の映像は、例によって補助端末のモニターを通して、鉄志にも見せてい る。鉄志を視界に入れずに左右に蛇行して移動する。鉄志に付けたマーカーがしっ かり捕捉している。その処理も程よく大雑把にしてるからかなり軽くなった。 「適切な“何となく”って訳か」 「いい表現だね。早速、試してみようよ!」 「まだ休憩だ。元気な奴だな、途端にやる気を出して」 補助端末を閉じて胸元に押し付けられる。有線に戻して調整を継続する。休憩の 残り時間でアプリにもう少し肉付けしておきたい。 「だって嬉しいじゃん。サイボーグとして人間以上の事が出来た時って、なんか元 取ったって感じがして」 「元って……。貧乏性だな」 「執念深く、染み付いちゃってるからね」 一応、笑顔で応えておくけど、鉄志から滲み出る余裕が時に妬ましく思える事が ある。おそらく鉄志は、ひもじさを経験してても、貧困を経験した事がない。 損する事は許されないし、時間の流れすら経済力の違いで変わる。 ま、つまらない事で隔ててもしょうがない、人それぞれさ。今更、良くしていき たいなんて望みは持ってない。陽が沈むそれまでは、そう言う事を忘れて集中して ないと。やるべき事をやるんだ。 「蓮夢、これが終わったら、飲みにでも行くか? 今日ぐらいは悪くないかもな」 俺が誘っても頑なに拒んで来たのに。思っている以上に信用されているのかな。 鉄志と一緒にお酒が飲めるなんて、何処で飲もうか。輝紫桜町のお気に入りのB ARを思い描いたり、“宮”のBARにもまた行きたいな。でも。 「あぁ、ごめん。夜は予定入れてる……。ごめん」 今は思い出したくなかったな、今夜の予定を――本来の俺を。 「少し余裕出来たって言ってたじゃないか」 鉄志も本来の俺を思い出した様だ。そう、俺は鉄志にとって信頼できる相棒かも しれないけど、本当の俺は大歓楽街、輝紫桜町のHOEなんだ。 「この前、“ガーディアン”相手に無茶したろ。あれで修復ナノマシンがほとんど 消失してね。補充しないといけなんだ。何百万もする……」 この七年、良くもったものだが、流石に今回は消耗し切ってしまった。加減して デジタルブレインを使えるなら急がなくても良いけど、間違いなく近い内に“ガー ディアン”と再戦するだろう。 確信している。その時の“ガーディアン”は必ずCrackerImpに執着す るだろうと。およそAIとは思えない様な、感情と受け取れるアプローチを何度か 繰り出された。 次、ハッキングする時はその時以上に、フルアタックするつもりだ。様子見も対 策もプランBもない。今度こそケリを着けてやる。 それでも、格好がつかないよな。その為の資金作りが身体を売るだなんて。 「蓮夢、お前は“組合”が協力を要請した体で俺と行動している。その金、肩代り させる事を俺からする事も……」 「嬉しいけど、もう誰かに貸しを作るのはウンザリなんだ。例え鉄志さんでも」 「でも、どこかで断ち切らないと変われないって分かってるんだろ? 余計なお世 話だって事は百も承知だ。それでも俺は、お前に別の生き方をして欲しい」 見え難い虚ろな心、断固たる意志で突き進む鋼鉄の様な心。壊れかけているくせ に、いとも容易く俺の心の中に入り込んで来る。何故、こんなにも惹き付けられる のか。 こんなの辛過ぎる。俺は俺でしかないのに、俺の求めるものは、欲しくてたまら ないものは、余りにも遠くて、そして壊さないとならない壁が多過ぎる。 鉄志の頬に右手を添える。拒む事もなく、憂いが含まれた目で俺を見ている。 「いっそ、鉄志さんが俺の事、買えばいいんだよ。そうしてくれれば、俺も気が楽 なのにな……」 客には感情を抱かない。時々危うい時はあるけど、割り切れた。もう、そうでも してくれないと、俺は耐えられない。 「蓮夢……」 「俺は大丈夫。もう少しだけ、勘弁してよ……。さっ、この話はもう終わり。今は ツーマンセルの特訓! もう少しだけ、ポルノデーモンでもCrackerImp でもない、相棒の蓮夢でいさせてよ……」 机の上のマガジンに弾丸を詰め込んで、演習の準備を進める。まずは少しでも鉄 志の足手纏いにならない様に、残りの時間を有効に使わないと。 それでも、汚らわしい自分と愛おしい鉄志に、何もかもにウンザリするよ。 そう、まるで夢物語の道化だよ。この虚しい夜からかけ離れてる。凄腕の殺し屋 の頼れる相棒のハッカーが俺なんだ。笑えるよね。 でも、笑って気付かないふりは許されない。それは現実で助けを求める人が俺を 頼っている。それに応えないとならないからだ。 だからこそ、俺の世界は、俺の現実はマジでクソだよ。 もっとクソなのは、気を紛らわしたくてキメたシャブが効き過ぎてる事だ。覆い 被さる白豚から滴る汗が、皮膚に伝う感覚すら気持ち良かった。そう感じる度に心 が沈んで行く。これじゃ仕事にならない。 「今夜は心、此処に有らずだな」 「キメ過ぎて、ワケ分かんないだけだよ……」 ふと気付くと、両腕の自由が利かない。手錠をはめられ、頭の上で固定されてい た。そう言えばシオンとヤる時も何時もこうだったな。強い支配欲と用心深さ、そ れでも不思議と服従したくなる様な包容力もあった。 「お前としてると、心の中に入り込まれる様な感覚になる。それが好きだったんだ けどな」 身が入ってないとでも言いたいのだろう。確かに身体は敏感でも、これ以上ない くらい気が乗ってない。この白豚には申し訳ないが、俺もげんなりしてるんだ。 “ナバン”のボス、シオンから直々に仕込まれた麻薬の様なセックス。身体に喜 びを与えて心に入り込んで虜にする術。 甘い毒ってヤツさ。でも、今日は全くそれが出来てなかった。しようとする気す ら起きない。 「なら、アンタの方から入ってくればいいだろ?」 「ポルノデーモンの中か、さぞかしグロテスクなんだろうな……」 ぬらりとした感触と湿り気が、下腹部から全身にかけてビリビリと這いずる様に 拡がっていき、連続的に繰り返さる。 耐え難い快楽に半身が反り返り、乱れる呼吸と望まない声が漏れ出す。コイツま だヤる気だ。朝までの辛抱か。必死に――思い浮かべない様に堪えている。 欠けたシャンデリアがぶら下がる天井を眺めながら、俺は初めて実感していた。 もう、潮時なのかもしれないと。でも、どうしたらいいんだ。
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