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6.― CRACKER IMP ―  またお前達か、何時も変わらず俺の前に突っ立ってるだけの二人の影。最近よく 会うな。  俺に似た黒いシルエットと灰色のシルエット。デジタルブレインの二機のAI達 だ。夢の様で、夢ではない現象。或いは此処が俺の、俺達のサイバースペースなの か。今なら解る様な気がする。  今回は色味が全くない空間だった。それでも、波立たない水面と膨大なコードの 流れだけは感じている。目を細めれば僅かにその流れが見えた。  この夢もどきは間もなく終わり、俺は目が覚める。今回も二機の影と向き合って 終わり。ただ、それだけさ。  そう思った途端、黒い影が動き出した。サイボーグになって七年、今までなかっ た事だった。右手を真っ直ぐとこちらへ伸ばしてきた。  灰色の影も同じく手を伸ばしてくる。  触れたい。何故かは分からないが衝動に駆られる。あの二機とは、いや二人とは 確かな繋がりを感じているのに、あの手に触れたいと心が求めていた。  でも無理だ。俺の身体は根が張っているかの様に、此処から一歩たりとも動けな い。筈だったが、身体が大きくよろめき、気付くと右足が一歩前進していた。  俺の脳に何が起きたのか、明らかに今までと違う。理由を探るよりも早く、重い 左足を引きずる様に前へ進めていた。  重い、足が鉄の塊の様に重く関節も軋む様に堅い。でも、あと少し、あと少しな んだ。あと数歩進む事が出来れば、あの手に届く。右手を伸ばした。あと少し。  視界が徐々に真っ白に染まっていく。間も無く目覚めてしまう。待って、まだ目 覚めたくないんだ――あともう少し。  眩しさは感じない、ただ真っ白な光に身体が包まれていき、身体その物が光にな っていくような感覚に染まっていく。あと少し、もう少しなんだ。せめて指先だけ でも、どうか。  白い天井、自分の右手、消毒液の臭い。――戻ってきた。  意識の動きと身体の動きがシンクロしてしまうなんて。まるで夢だな。  触れたのだろうか、触れたような気がする。視界を単色に切り替えてタスクを開 始した。  此処へ来て約二十三時間が経過している。感覚的には二週間ぐらい経っているよ うな気もするが、二十三時間だった。  怪我の痛みも頭痛も完璧なまでに消えていた。体内のナノマシンも残量九十八パ ーセントが待機状態。内と外の損傷もほぼ完治している。安堵の溜息が漏れる。過 去、四十時間分の記憶ログも同期し終えた。 「蓮夢、俺が分かるか?」  何時からいたのか、ずっとそこにいたのか。伸ばした右手を下ろして、ぼんやり とした視界が龍岡を捉えて焦点を合わせる。 「デカチンで対面座位が好きなエンジニア……」 「問題ないみたいだな、予定通りだ。お前に施した……」 「大丈夫、全て把握してる……」  まさか生きながら脳にドリルで穴を開けられるとは。まともに思考できる状況に あれば、承認し難い処置だ。――二度と御免だね。  インテリジェンスでクールな顔立ちの割に、ヤってる時はやたらとくっ付きたが るのが、龍岡先生の可愛いところなんだ。  抱き締めれば、必ず強く抱き返して来る。――それが心地良い。 「“H.D.B.S.”の調子は?」 「問題ないよ、こんなに調子良いの何年振りだろう……。イテテ、身体中バッキバ キだ……」 「その姿勢でずっと眠っていたからな」  整体師がしてくれる様に、関節から筋肉まで丹念に解き解してくれる。グッと圧 迫される度に肺から空気が絞り出された。  大きくて熱を帯びた龍岡の手が身体を握ってくる度に、やたらとムラムラした気 分に襲われる。こんな時に盛り付くなよ。 「龍岡先生……。この前は、その、ごめん……」  最後に会ったのは、借金の返済を確認しに来た時だった。いや、本当は確認なん かじゃなくて――慰めて欲しかった。  なのに、欲しくもない心配や説教ばかり、それを聞き流して、素直になる余裕も なく、喧嘩別れした。  海楼商事を独りで相手取る重圧に潰されてしまいそうだったし、クソな客を相手 すれば心を直接削られて、自分でも不安定だと分かってたけど、止める事が出来な かった。  何時も都合の良い時に甘えれば、受け入れてくれる龍岡に依存していた。今にな って思えば、その口実がなくなるのが嫌だったのかもしれない。 「分かってる。気にしてない」  最低限の言葉を囁くと、水平になっていたメンテナンスチェアーが椅子の形に戻 っていく。腰を上げて、自分でも軽くストレッチをした。  デスクの傍に置いてあったリュックの中に詰め込まれた着替えを確認する。 「シャワー、借りるよ……」 「お前、ここのシャワー嫌いって言ってたじゃないか」 「嫌いだよ、痛いし、シャワ浣できないし」  メンテ室を抜けて診療室から給湯室へ入り、その奥の狭い洗面所へ入る。何日も 病院で缶詰めになる事も多い龍岡にとって、この給湯室はコンパクト化された居住 スペースだった。  二畳程のスペースに洗面台とトイレ、箱型のシャワールームがある。狭い洗面台 で脱ぐのは面倒なので給湯室に服を投げ捨てた。 「おい、蓮夢……」 「時間が勿体無いんだよ。これ以上、無駄には出来ない」  ガラス張りの箱に浮かび上がるメニューを開いて設定温度を変える。少し温めに して、温風は強めで。  何もないシャワールームへ入る。シャワーユニットも石鹸もない。シャワールー ムと言うよりも――高圧洗浄機だった。  ビープ音がカウントダウンを始める中、両腕で目と耳を塞ぐ。全方向から凄まじ い勢いで温水が襲い掛かる。一分間の内、最初の三十秒は洗剤入り、残りは除菌水 が身体を打ち付ける。  温水が止まっても息つく暇もなく、竜巻の様な温風が身体に巻き付いてくる。一 分半で大方渇くが、その二分半はロクに息も出来ない。  全工程を終え、ドアが開く。不快ではあるが、スッキリした。洗面台からバスタ オルを持ち出して給湯室に戻ると、龍岡がギョッとした様子で慌て始めた。 「着替えてから出て来いよ」 「今更じゃない。全部知ってるくせに……」  何なら、欲情してくれても構わない。そんな目をして龍岡の事を見つめていた。  人生で初めて、セックスワークを辞めた。しばらくセックスと無縁の生活をして みようなんて思ってたけど、どうやら無理そうだ。職業病ってヤツだろうか。  下着を履いて、テーブルの上にある服に伸ばした手を、龍岡が掴んで引き寄せら れる。  両腕に包まれ、腰に当てた手が更に身体を密着させる。高揚する心を見破られぬ 様、奥底に隠して龍岡を見上げた。  龍岡の目の奥にある、後悔と孤独を含んだ心が透けて見える様な気がした。それ に触れたくて、抑え難い衝動に駆られる。  珍しく龍岡の方からキスしてくれた。深い。行き場を失った舌が龍岡のと絡み合 う。頭の中で“相棒”がチラ付くけど構わない。この心を受け入れてくれる人に身 体を委ねたかった。――どうせテツは、受け入れてくれないんだから。  もっと身体に触れようとしたが、何事もなかったかの様に、龍岡が身体から離れ ていった。間に入り込んでくる空気は冷たく、冷静な判断を促した。  嗚呼、これはもう、これきりって時の空気だ。 「蓮夢、今までの関係には感謝するよ。孤独を埋めて満たしてくれた。でもこれで 終わりだ。これからの俺とお前の関係は、専属のエンジニアとサイボーグだ。お前 も孤独を埋めてくれる相手を、自分で見つけるといい。応援するよ」  都合の良い相手とは、都合の良い自分と変わらない。環境が妨げたり、飽きたり すれば、すぐにでも解消できる。  求めれば拒まない龍岡だったのに。俺がフラれる側とはな。  口実にできるものが失くなってしまった今が、丁度良いタイミングなのかも知れ ない。疼きはすぐに収まるだろう。 「意味分かんないし……」  縋ったりはしない。そこまで安くなる気はなかった。気付かれない様に溜息をし て、さっさと着替えてしまおう。  ワインレッドのレオタード型ボディスーツ、レザーボトムを食い込ませて、ショ ートのレザージャケットを着込む。  リュックにしまっていたマリーのチョーカーを付けた。 「ねぇ? 先生」  ビビットピンクのウィッグとアイシャドウを取り出して椅子に座る。 「俺みたいなサイボーグが他にいる可能性は?」  怪訝そうに見つめる龍岡を尻目に、アイシャドウを塗る。仕事用のメイクではな いので、少し控え目にしておく。  冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、天井を見上げていた龍岡は、言葉を探し終え た様子だった。 「この三、四年の間に、規制が緩んでいる節はある。脳の機械化、脳へのインプラ ント。禁忌としているが、その手の研究は世界中で盛んに行われているって話はよ く聞くよ」 「七年前は研究そのものが否定されていたのに……」  当事者としては、機械化された脳を持つ事への弊害や不便さばかりが目立つ。副 次的に獲得した能力に関しては、箍を外すならば、こんな楽しい能力は他にないだ ろうけど。  本来は脳死を始め、脳に関する障害を克服する為の技術だ。でも同時に、俺です ら思い付く“理屈”を考える者も当然いるだろう。  俺はプロトタイプだ。この先、実用化されるなら、もっと沢山のデータが必要に なる。どれだけの人間がその実験体になるのだろうか。  もう既に――その段階まで来ているのか。 「人間の身体を機械化する。それが始まった時点で、もう止められない。何年掛か るかは予想も出来ないが、いずれ人間の全てが機械と融合する。境界線は消えるだ ろうな」  全身のほとんどが機械仕掛けの人間。身体能力だけでなく。脳は全てのオンライ ンデバイスに意のままにアクセス出来る。まさに“トランス・ヒューマン”だ。  既存の常識が全く通用しない、人工の超人である。 「お前の様なサイボーグがいるか。数は多くないが、今もう存在していると仮定し た方が自然かも知れない」 「認識を改めないとね。存在するとして、世の中やネットワークが混乱しない理由 はなんだろう?」  マスカラを塗ってパレットのミラーで一応確認しておく。ウィッグは感覚で付け て手櫛でならしていく。 「さぁな。仮定の仮定の話だ。強力な支配と管理下でのみの存在か、お前の様に気 高くて不器用な賢人か……」  本当に賢人なら、こんな生き方してないよ。と言い返してやりたかったが、虚し くなるだけだからやめた。不器用なのは認める。  技術面が進歩してるとしても、インプラント適合率が九十五パーセント以上は絶 対条件と思われる。まだまだ誰でも出来るインプラントではない筈だが、かと言っ て、数十億と言う世界人口の中で、自分を唯一無二と言うには、根拠が弱いのかも 知れないな。  金や権力だけじゃない、政府レベルの組織と希少な適合者。それぐらいの体制が あれば、禁忌でも平然と乗り越えられる。  大歓楽街のそこそこ大きな病院と落ちぶれた天才。俺と言う一例は随分クレイジ ーな奇跡だったのかもしれないな。 「誰かのコントロールか。ありがとう、参考になったよ。お金なんだけど……」 「もう支払ってもらったよ、お前の相棒から振り込まれた。お前には“薬代の借り を返す”と伝えておいて欲しいだとさ」  中葉から買った薬は確かに高かったけど、ナノマシンの比じゃない。貸し借りの 帳消しになんて出来る訳ないじゃないか。何か手を考えないと。 「テツ……」 「行けよ、相棒の所へ。仕事頑張れよ、無理はするな」  龍岡とテツの間で何かあったのだろうか。一方的にテツを責めていたのに、眠っ ている間に、龍岡からテツに対する信頼が生まれている。  何時も心配ばかりなのに、激励して来るなんて。無茶をフォローしてくれる相手 がいるから安心してるのだろうか。  テツに会いたい。個人的な想いもあるけど、今後の仕事に関しても“組合”がか なり厄介な存在になる。テツの見解が聞きたい。それによって今後の動き方も決ま って来る。  約二十四時間の遅れを取り戻さないと。リュックに私物を詰め込み、補助端末を 手に取る。 「蓮夢」 「お前“そう言う奴”とこれから戦うのか? スペックのみが全てのデジタルの世 界で、旧式のお前では太刀打ち出来ないんじゃないのか?」  当然の懸念。コンピューターなんて五年も経てば化石みたいなものだ。どんなに バージョンアップやアップグレードしても根幹が変わらない以上、新型には絶対的 に及ばない。――機械とはそう言う物だ。 「“H.D.B.S.”は戦略兵器じゃない。脳の可能性に寄り添ってくれるデバ イスだろ? 可能性はある……。少しづつ、この意識と共に“同化”が始まってい るんだ。俺は、負けないよ」  生憎、俺は機械じゃない。ハナからスペックに差があって、勝ち目がないって事 ぐらい分かり切ってるさ。  根拠を明確に説明する事は出来ないし、数値化する事もできない。感覚的なもの だからだ。しかし、俺達は確かに触れ合った。――可能性はある。  今はそれを信じて、やれる事をやりたいんだ。俺は負けない。  部屋を出て病院の出入口へ向かう。通路は患者と看護士でごった返してる。視線 が集まる。  やっぱり、俺はまだまだイケてるな。表情は緩み、マルウェアの様な色目と流し 目で次々に相手を釘付けていく。車椅子で間抜けなギブスを付けた奴を見下してみ れば、しっかりおっ立ててる。  そんな事する必要ないのに、自然と出てしまう。染み込んだものは落とせそうに なかった。別にいいけど。  こんなにイケてるのに、本当に欲しいものが手に入らない、空っぽな感じは、派 手さに本質を覆い隠している、輝紫桜町の様だった。  病院の外に出て、消毒液の匂いを払う様に深呼吸した。色抜けした輝紫桜町の午 後が空虚に過ぎて行く。  テツに連絡を入れつつ、煙草とドラッグでも仕入れるか。とにかく煙草が吸いた かった。 「蓮夢……」  背後からふっと囁かれた自分の名前に、心臓が飛び上がって身体がつられる様に 浮いた。 「うっ! マジでビックリしたぁ……。勘弁してよ、何で後ろにいるんだよ」  まだ心臓がバクバク脈打ってる。堪らず左手で抑え込んだ。テツだ、テツが目の 前にいる。  認識できる事が、こんなにも尊く思えるものだったとは。――全部分かる。  テツや龍岡が大切な人であり、頼らなくてはならない人だと分かっていても、ポ ロポロと情報がこぼれ落ちて、次の瞬間には誰なのかも分からなくなりそうになっ て、必死に記憶を繋ぎ留めようとしていた。あんな思いは、二度と御免だ。 「殺し屋の性かな」  笑えない冗談に思えるが、素で言ってそうな顔をしているからゾッとする。 「煙草ある?」  煙草の箱とオイルライターを受けとる。最近、テツの前でドラッグをやるのが気 が引けるから、そっちは少し我慢するしかないか。  煙草に火を着けた際、一瞬テツと目が合うが、すぐに目を背けられた。何故だか 妙な間が空く。 「龍岡先生から連絡もらったよ。元気そうで本当に良かった。たった二十四時間で ここまで回復できるなんて、凄い技術だな、ナノマシンは……」 「テツもやってみたら? 適合率八十五パーセント以上が条件だけど」  テツから敬称を聞くのは新鮮だった。やっぱり、この二人何かあったんだ。シャ ットダウンされ、眠っている間にどんな話をしていたのか。  ナノマシンの提案を聞いて少し強ばった雰囲気を見せる辺りは、どんな手術なの か知ってる様だ。龍岡の事だ、オブラートに包まず、ストレートに話したんだろう な。意地が悪いな。  それにしても、テツの視点が何時もより定まってない気がする。 「撃たれる前に撃てばいいし、弾が当たらなければ、必要ないだろ?」 「カッコいいって思ってあげたいけど、脳みそが筋肉なヤツの発想だよね」  また変な間が空いた。なんか調子狂うな。今更だけど服のせいで目のやり場に困 っている。もしかして照れてるのか。 「なんか、二週間ぐらい会ってない様な気分がする……」 「一日だろ。でもまぁ、長い一日に思えたよ」  目を合わせてくれないのが癪だったので、視線の先へ移動すると、今度は僅かに 顔を背けた。そしてまた、変な間と沈黙が始まる。  テツが照れる理由は何か、該当する情報はすぐにヒットした。そうだ、俺が後先 も考えずにやらかした事だった。テツは――キスの事を気にしている。  ヤバい、意識し出したら急にこっちまで照れてきた。嘘だろ、俺達二人ともいい 大人なのに、こんなティーンエイジの不器用な感じとか勘弁してくれよ。  嗚呼、こんなの柄じゃない。テツは別にいいけど、俺には耐えられない。  大歓楽街、輝紫桜町のポルノデーモンだったんだぞ。ピュアな感情なんてらしく ないだろ。落ち着けよ。 「そう、しゃっちょこばるなってぇ! たかがキスぐらいでさ、ほんの少し唇が触 れたぐらいだろ?」  テツの肩を抱き寄せて、笑って強引に取り繕った。  そうだよ、たかがキスさ。本当はそう思いたくないけど、テツに変に意識される のも、なんかバツが悪かった。 「よく言うよ、舌だって入れてきたくせに……」 「マジで? ごめん、なんか癖で……」  嘘だ、本気だったし、もっと長くしていたかった。そのまま、その気になってく れて押し倒してくれないかなって、期待もしてた。  なによりも、押し潰さそうになってるテツが痛々しくて、でも俺なんかに出来る 事は何もなくて――流れ込んで来るテツの心を受け止めたかったんだ。 「謝るなよ。泣き言で沈み込んだのを慰めてくれたんだ。そうだろ?」  相変わらず目が泳いでいる。かと言って、真っ直ぐ見つめられても、こっちの心 臓がイカレてしまいそうだから、これでいい。気持ちが伝わっているのは嬉しいけ ど、胸の奥がむず痒くなって、身が捩れそうだった。  瞬間的に高い集中力を発揮するが故、冷徹な判断も躊躇なく実行できる。非情な 殺し屋かもしれないけど、それは環境による後天的なもの。  テツの心は“輪”だ。少し狭い輪だけど、その中にある者には無償の情を注ぎ続 け、何事も惜しみなく行う。単純に言うならリーダー気質だし、流され易い性分。  独り占めしたいな。輪の中の、中心の中心へもっと深くまで入り込みたい。厄介 だよな。危険だって分かってるのに――留まる事なく惹かれていく。 「退院したばかりで悪いが、ドライブ付き合ってもらえるか?」 「車変えたの?」 「マスタングは今、警察が押収してるから、しばらく戻ってこない。でもバイパー も悪くないぞ」  ピカピカの黒い車体を赤いラインが一筋走っている。テツの趣味だからアメリカ 製の高くて速い車なんだろうけど。狭そうな車内だった。  何時までも惚けてもいられない。テツの声色で気持ちが半分ほど切り替わった。  俺をすぐにでも車に乗せたて連れて行きたい場所。現状、一つしかない。テツが いるから大丈夫だと思うが、少し緊張するな。 「“組合”の本拠地に余所者が行ってもいいの?」  これはアクアセンタービルを攻略する前から考えていた事だ。テツはどう考えて いたか分からないが、テツが任務を終えた後、その意図をどこまで明かしてくれる か。様子からすると――“組合”の意図はまだハッキリしていないらしい。  クライアントさんの弟を海楼商事から救い出すにしても、そこに“組合”がどう 関わって来るのかは、下手をすれば海楼商事側の妨害以上の脅威になり兼ねない。  この二十四時間の間でテツは情報を回収できなかった。直談判は最終手段なんだ ろう。 「察しがいいな、どこまで把握してる?」 「全てだよ」 「これは俺達の仕事だ、全て知る権利があるし、まだケリも着いちゃいない。そう だろ?」  俺を“組合”から遠ざけたいって、テツは思ってるみたいだけど。俺にはどうで もいい事なんだよ。  だって、そうだろ。随分ド派手で荒っぽい事になってしまったけど。俺達がやっ てる事って正しい事の筈だ。――限りなく正義だと信じている。 「当然だよ、頭に穴だって開けたんだ。とことんやるよ」  投げ捨てようとした煙草を留めて、テツに携帯灰皿を催促する。燃えカスを人差 し指で叩き落として、吸い殻を灰皿へ落とす。  歩き出すテツの後ろを付いて行く。顔を覗き込むと視線を合わせて、少しだけ笑 みを浮かべていた。それを見て、こっちの口元も緩みそうになる。 「行く前に一ヵ所、寄り道するぞ」 「何処行くの?」 「お前も知ってる店だよ。ところで蓮夢」  寄り道の場所が気になるけど、立ち止まって振り向いたテツの視線の方が気にな った。腰の辺りを見ていた。  嫌な予感がして、反射的に半歩ほど後ずさる。 「また、つねりたくなるな。その服……」 「や、やめてよ! あれスゲー痛かったんだよ」  ジリっと近づいてきたので、テツは本気だって分かった。一気に警戒心が跳ね上 がる。やめてくれよ、ガキのじゃれ合いじゃあるまいし。  やっぱり腰の皮膚を狙って手を伸ばして来た。かわしても跳ね除けても、猛攻は 止まらない。かなりしつこいぞ。やっぱりコイツは、ドが付くサディストだ。  不意に“組合”の入る前の鉄志は、こんな風に笑って悪ふざけをしていた無邪気 な奴だったのだろうかと思った。  そんな悪ふざけや、じゃれ合いを放棄していた、あの頃の俺には縁のないもの。  悪くないかもね。テツと馬鹿やってる“今”が何よりも愛おしい。手放したくな いと心底思う。  ずっと一緒にいたい。この先もテツの傍にいたい。――諦めきれないよ。

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