8.― PORNO DEMON ― 読みが当たったな。新店は三か月ぐらいで落ち着いて来る。この店がオープンし た時は、ショットテキーラ無料と派手に呼び込んでいて混乱していたのを覚えてい る。 レストランバー“ミスティック・ケイブ”。洞窟をテーマにした内装はゴツゴツ した壁にそれっぽいランプ等の間接照明。アンティーク風のボロいシャンデリアも 雰囲気があった。 チャージ料付きの席は、階段十段の高さに置かれた席になっている。フロアの客 を軽く見下ろせる程度だった。客の入りも程々、賑やかだけどゆっくり話すには丁 度良いぐらいだ。 お若いウェイターが大ジョッキと小瓶のビールをテーブルへ置く。結構ハンサム だ、好みかも。 「ありがと」 流し目に笑顔を見せてやる。照れてる雰囲気からすると、結構上手く“オンナ” に化けられているのかも知れない。 “オトコ”の身体と声ではどうやっても成り切れないからな。目の前の相棒さん も何時もより落ち着かない調子だ。俺も落ち着かない。スカートやドレスは脚がス カスカして気になる。 「どうよ? 上手く化けてるだろ?」 「女がそんなデカいジョッキ頼むか?」 「そうかなぁ? 俺の知り合いのソープ嬢はピッチャー抱え込むけどな」 最近、遊びに行けてないな。忙しいせいもあるけど。みなみや武ちゃん、元気し てるかな。この一件にケリを着けるまでは、街の人達との関わりは避けておかない と。今、この瞬間にもドローンの“エイトアイズ”と監視アプリの“ヘルアイズ” が目を光らせていた。――今夜も不審な輩が蠢いていた。 それにしても、鉄志の視線にも参ったものだ、本人も不本意なんだろうけど、明 らかに目のやり場に困ってる。 「言っとくけど、俺だって不本意なんだからね。せっかく鉄志とデートだってのに さ、金を焦がした後で、しかもコスプレしてるし……。意味分かんないよね、どう せ脱いだら何時もの俺になるのに。性癖って千差万別で疲れるよ……」 本当、儘ならないよ。左目のカラーコンタクトを外してケースに戻して愚痴って やる。 たまにはこう言う格好をするのも、割り切れば楽しめるが、鉄志とやっと飲める って時に、これは不本意でしかない。 そう言えば、女装させた俺とヤるのが好きだった他の客からもらったジュエリー とかを売ったら、少しはまとまった金になるかな。 なんて余計な考えが過って、今を楽しみきれないのもウザったい。 「アザラシ獲ってやったろ、それで勘弁しろよ。その目、カラーコンタクトだった のか」 「まぁ、これは前から欲しかったけどさ。アザラシって可愛いよね、この我儘ボデ ィにお間抜けな顔。本物触ってみたいなぁ、きっと生臭いけど」 テーブルに置いたゴマフアザラシのぬいぐるみ。数週間前から欲しかったクレー ンゲームの景品だった。撫でてみると予想通りの肌触りの良さ、帰ったら顔を埋め たい。 ここへ来る前に鉄志をゲームセンターに連れて行った。なんとなく、こう言うの 得意そうな予感がしたからだ。 期待通り、鉄志は一回目でコツを掴み、三回目で見事にアザラシをガッシリ掴ん でゲットしてくれた。俺なんか、三千円かけても獲れなかったのに。 鉄志の話では、ゲームセンターなんて二十年以上振りだったそうだ。意外と楽し そうに遊んでいた。クレーンゲーム以外は下手くそだったけど。 車も銃も、リアルの感覚が身体に染み付いていると、バーチャルはどうしても軽 くて遅く感じるものだ。 「動物、好きなのか?」 「大体、好きだよ。でも一番は人間かな。セックスできるし」 「セックス有りきかよ、よく嫌いにならないな? あんな連中が多いのに」 俺に言わせれば、みんな本当は好きなくせに気取って話さないだけだろ。って言 ってやりたいと思う時がある。 それとも、セクシュアルの事も含めて日陰者な自分を正当化したくて、言葉で飾 り付けているだけなのかな。 輝紫桜町の外にいる人と話す時に感じるズレには毎度、億劫になる。 それでも俺は怯まない。この人生と、この街のHOEだから。遠慮なんかしない で話してやるさ。 「クソな客は嫌いだけど、セックス自体は気持ちいいから好きだよ。逆に鉄志はど うなんだよ? どんなセックスが好き?」 「そんな事を聞くな……」 「埋め合わせしてくれるんだろ? 七十万円分ぶっちゃげてもらうよ。あ、もしか して、年齢的な衰え? 悟り開いたチェリー? それともセクシュアル的なの?」 そう、何て言っても今夜は圧倒的に俺の方が鉄志より強い。 思うところは沢山ある。正直言うと今は鉄志と距離を置きたいのが本音だったり もする。――冷静でいられないから。 最初の頃の様に、気安く飲みに誘える気分じゃない。今だって胸が高鳴っていて 必死に平常を装うとしているのに。 それでも、俺に頭が上がらない事を理解してる鉄志の口惜しそうな顔は、堪らな いな。 「全部外れだ。元々興味ないよ、遊びの関係とか性に合わないし、かと言ってそこ まで他人と親しくなる機会も時間もなかったし、作ろうする努力をする気もない」 「いいなぁ、何時も自分の話しない鉄志から情報を引き出せる。スゲェ気持ちいい んだけど。乾杯しようよ!」 今はこれを楽しむしかないな。こうなったら洗い浚い、鉄志の事を聞き出してや ろう。 リスキーだけど、やっぱり俺はカオスで距離感のない奴だ。 「なんか音頭とってよ」 ジョッキを持って鉄志を促す。鉄志もつられる様に瓶ビールを手にする。 「厄介な七十万に……」 「チンケな正義感に……」 俺に負けず劣らず、皮肉屋だな、鉄志は。だから話してると楽しいんだ。 風味の薄い安物のビールが喉元をするすると流れ込んで来て心地良い。喉も乾い ていたせいか、全部飲み切ってしまった。 「はぁー! 仕事放っぽって飲む酒マジ最高ぉ。でもさ、七十万は俺にとっては大 きいんだよ」 「正義感か……。久しく忘れてた感覚だな……」 飲み干した瓶ビールを見詰めながら呟いた。一気飲みするならジョッキにすれば いいのに。 俺の皮肉を皮肉と取らず噛み締めていた。 「あの漫画喫茶で敵と戦った時、“意味”のある事の為に戦っている。“守る”べ き者の為に命賭けてるって、戦場で戦ってた時に味わっていた、充実感みたいなの を感じられた。日本に帰って来て、殺しの仕事になってからは一度も感じられなか った感覚だった……。翻弄されてるけど、悪くないな、この仕事」 ふっと鼻で笑い、悪くないと言う鉄志の目から逃れられなかった。会って間もな かった頃を思い出すと、今の鉄志は見違えるくらいに活きた目をしている。 それが無償に嬉しくて、その目の奥に潜んでいる心に触れたくなる。 「ごめんね、本当は心底、ありがとうって言えたらいいんだけどさ。鉄志だけなの にね、俺を守ってくれるのは」 「いいんだ、俺も悪かった。お前は望まないだろうけど、本当に困ったら相談して くれ。金でどうにかなる事なら安い。意味は分かるだろ?」 結局、本音が漏れてしまう。“ナバン”のポルノデーモンが形無しだ。心に入り 込むどころか、自分の心の中に招き入れたがっている。――なんてむず痒いんだ。 金でどうにもならなくなった時が、身を墜とす時か命に係わる時。頼れる者がい るなら頼れと言っているのだろう。 「ありがとう……」 会話が途切れてしまったタイミングで、頼んでいた料理が運ばれてきた。美味し そうな匂いだけで、気持ちが高揚していく。 カットされワイルドに盛り付けられたハンガーステーキ。色鮮やかなコブサラダ に、自分用の挽肉のブリトー、その場でシェイクして注いでくれるマルガリータ。 このお店、とてもいい感じだな。今度は春斗達と来ても良いかも。 それにしても、こんな時は何時も、貧乏性ってヤツがしつこいぐらい染み付いて るなと実感してしまう。 こうして食べたい物がテーブルに並んで、誰かと食事をする。輝紫桜町に来て初 めて実現した事だった。取り皿にステーキとサラダを盛り付けて鉄志に渡す。 こういう場にいると決まって、ひもじかったガキの頃を思い出しては、このあり ふれた料理や人が、とてつもなくありがたく思えるのだ。 この街には散々弄ばれて汚され続けて来たけど、ガキの頃よりマシかも知れない って思うと癪でもあるけど。 ガキの頃か、不意に目の前で静かに食事をしている鉄志を見る。ガキの頃の鉄志 か。どんな感じだったのか、兼ねてから聞いてみたかった事と合わせて聞いてみる のも面白いかもな。 「ねぇ? 鉄志って子供の頃どんなだった?」 「なんだ? 突然」 「七十万のお詫び、見つけちゃったかも……」 マルガリータを口にして、鉄志を見つめた。七十万の侘びと言う言葉に鉄志の顔 は少し強張っている。 「昔話でもしろと? そんなもの聞いて何になる?」 「知りたいだけだよ、ちょっとした好奇心。そうだ、こうしようよ。俺と出会うま でを話す。ってのはどう?」 渋った顔をしながらネクタイを緩め、両手をポケットへ突っ込んで椅子に凭れて 脚を崩した。普段の整った鉄志とはかなり雰囲気が違う。 何も言わず軽い溜息をして、バツの悪そうな目をこちらへ向けている。 「ガチで話したくない?」 「ちょっと!」ウェイターを呼びせる。「この店、タンカレーある?」 「ジンですと、ビフィーターかボンベイサァイアしか……」 「ボンベイを一瓶買うよ。グラスと氷。カットライムも頼む」 羽振り良いな、二万も出すなんて。ボトルキープのない店だから応じるかは在庫 の量次第ってところかな。本格的に飲む気らしい。 それとも酒の勢いで乗り切るつもりだろうか。おもしろくなってきたな。 「確認してみますね」 「グラス追加ね。付き合うよ、ジンが好きなんだ、俺もブルームーンとかマティー ニよく飲むよ。鉄志って酒強い方?」 ウェイターが離れたタイミングでブリトーを頬張る。すきっ腹が踊り出しそうな ぐらい美味しい。もう一本頼んでもよかったな。 鉄志も皿に盛り付けてやった料理を口にしていた。 「それなりかな、お前は?」 「輝紫桜町では負け知らず。性格とか変わる方?」 「相手に寄りけりだよ。でも大して変わらない」 大歓楽街、輝紫桜町だ、あらゆる酒で溢れ返ってる。幸いにも俺は、酒の味も量 も楽しめるクチだった。“ナバン”にいた頃は高い客の相手も多くて、そう言う時 に、このザルな体質には随分助けられたもんだ。 良い酒も安い酒も一通り教えてもらえたし、プライベートでも欠かせない。 ジンを初めて飲んだ時は、芳香剤でも飲んでる気分だったが、カクテルで飲む様 になってから、次第に香りとほのかな甘みを楽しめる様なっていった。 「正直、下らん人生を話すなんてのは気が進まないな。七十万でも割に合わない」 「なら、フェアにやる? 俺のでよければ共有させてあげるけど」 昔話には昔話、これなら対等だ。自分の人生を下らないと言うのなら、俺だって 負けず劣らずだった。 でも、鉄志には違法サイボーグになった経緯を一度話してる。今更、他の過去を 話しても別に構わないって思っていた。 「お前も話すのか?」 「鉄志が望むなら……」 「いいだろう、乗るよ。俺もお前の事が知りたい」 鉄志に興味を持ってもらえるのは嬉しい。でも実際、俺の価値なんて大したもの はない。ポルノデーモンやデジタルブレインと言うアクセサリーが華々しく飾り付 けてはいるが。 本当の俺を知ったら鉄志はどう思うだろうか、でも同じ様な不安を鉄志も抱いて いるんだろうな。表情に出ている。――それが堪らなく素敵に見える。 「鉄志って、ホント、ハンサムだよね。キスしたくなる。今ならヘテロだよ」 「酔ってんのか?」 半分残っていたマルガリータを全て飲まれてしまった。早くジン来ないかな。
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