13.― PORNO DEMON ― モルヒネってこんなに効きが悪かったかな。昔やった時はもっと良かったのに。 視界に表示されるバイタル情報を認識する度に吐き気を覚える。あばらを三本や られているのは外傷よりキツかった。動くどころか、息をするだけで苦しい。モル ヒネの効きが悪いんじゃない。モルヒネのお陰で動けているんだ。押し寄せる敵を 物ともせず突き進んで行くテツと忍者に圧倒されながらも、どうにか付いて行ってる。――この二人、とんでもなく強い。 忍者もテツも、相手の猛攻に一切怯まずに突き進んで行くスタイルとペースがほ とんど同じで、初めてとは思えない連携を見せていた。この御時世に刀で戦うだけ あって、銃で武装した相手の動きや傾向を忍者は熟知して動いている。 もう少しでエレベーターに辿り着ける。無茶は百も承知だ。まずは一刻も早くア クアセンタービルの現在の状況を把握する必要があった。深い地下では無線が届か ず外部にアクセスできない。オンライン出来ない事が、こんなにも苛付くものだっ たとは。 前も後ろもなかった。エレベーター前を固める連中と、俺達の進行をスルーして た連中が挟み込んで潰しにかかって来ている。 「前が開いた! 蓮夢!」 敵の守りが崩れ、エレベーターの扉が見えた。テツと忍者はエレベーターに背を 向けて背後から迫る敵を牽制する。 その隙にテツから預かった“鍵”アプリが入った携帯端末でエレベーターを呼び 寄せる。壁際に身を寄せて身構えていると、デジタルブレインから電波傍受を読み 取る。地上に近い上に、エレベーターは構造上空洞だから電波の通りが良いのだろ う。――何かがエレベーターに乗っている。 防弾盾を頼りに数人が発砲しながら迫って来た。テツの援護射撃を経て忍者が果 敢に飛び込み斬り付けていった。 エレベーターは今、十階を過ぎた。何が乗っているのか探りを入れる。 この感じはおそらくドローンかオートマタだ。手持ちのアプリでハッキングを試 みる。早くしないとテツ達も危ない。 敵の流れ弾が壁を抉り、身体数センチをかすめていく。ビビるな、タスクに集中 しろ。俺に出来る事をするんだ。――潜り込めた。 エレベーターの中に潜んでいたのはドローンだった。データが脳内に流れ込んで 来る。長方形の小さなドローンだが機銃が装備されてあった。 見た目もプログラムも単純なヤツだ。マーカーのない者を狙う仕様、警戒レベル は五段階中の五に設定してある。 プログラムを書き換えよう、指示系統から隔離してマーカーを削除、遠隔操作の マルウェアを流し込む。たかが二台のドローンだったが結構な負荷がかかる。頭が 破裂しそうな不快感を覚えた。 忍者が敵から奪った防弾盾をテツに渡して、敵の弾幕を防いでいた。押され気味 だ。エレベーターがやって来る。――もう少し。 扉が開くと子供ぐらいの背丈の黒光りの長方形は二本並んでいた。左右の面が開 いて機銃が付いたアームが伸びる。淡々とした殺戮が目的の消耗品だ、無機質さが 際立っている。 ライフルが弾切れを起こしたテツが拳銃に持ち替えて振り向く。 「待って!」ギリギリだった。 ドローンはテツと忍者を避けて陣取り、敵に向かって射撃を始める。慌てふため く叫び声が響き割った。ドローンは弾が切れるまで、ひたすら同じ方向をひたすら 撃ち続ける。 状況を飲み込めていない目で忍者がエレベーターに乗り込む。テツは状況を理解 していた。視線で“流石”と伝わって来る。 次の作業に取り掛からないと、ピッキングツールを取り出してエレベーターの扉 を閉める。メンテナンスボックスの鍵をこじ開けて、コネクターケーブルを差し込 んで、左腕に片方を差し込む。 「貴様、その腕……」 忍者が何か言いたげだったが、今は聞いてられない。現状はドローンもビルのシ ステムも、その場凌ぎで一時的にしかコントロールできない。 エレベーターの運用システムに直接アクセスしてコントロールする。一階の呼び 出しを無効にして、ノンストップで十三階と十四階の間で緊急停止させた。 視界を埋め尽くすコードの滝を一つ一つを、一秒以下で処理していく。肉体的に も精神的にもボロボロだけど、脳のパフォーマンス自体は問題ない。 俺達がこのビルに入って結構経っている。テツが当初の計画通りマルウェアを流 してくれたお陰でこのビルは外部へのアクセスはほとんど遮断された状態だ。ビル のセキュリティ情報にアクセスして状況を探ろうとしたその時、強制ダウンロード の表示が視界を埋め尽くす。――不味い。 パンと左腕から火花が弾け、身体がのけ反って激痛が駆け巡った。視界一面がノ イズで乱れる。 「蓮夢! どうした!」 迂闊だった。最も驚異的な存在がこのビルには潜んでいるのを。どうやらビルに 起きている問題以上に俺を警戒してたらしい。アクアセンタービルと一連の組織を 管理する得体の知れない存在――“ガーディアン”。 激痛に身体が蹲り痙攣が止まらない。早く持ち直さないと。 テツが抱き抱えて何度も呼びかけてくれる。その声に応えたいと思う度に不思議 と処理速度が上がっていった。 「だ、大丈夫……。ちょっと不意打ちを食らっただけ……。今持ち直している」 身体の痛みはどうにもならないが、流し込まれたマルウェアはAI達が手早く削 除してくれた。俺を簡単にクラッキングできると思うなよ。 紙一重でエレベーターのコントロールプログラムは書き換えに成功した。ビルの 状況も大雑把だが把握出来た。 早いところエレベーターを動かすべきだが、一度ちゃんと話さないと。 「貴様、サイボーグなのか? しかしコンピューターに干渉できるサイボーグなん て聞いた事がない……」 仕方のない事だけど、また知られたくない事を知る人間を増やしてしまった。よ りにもよって、俺を差別する様なクソ野郎に。 深く被られたフード、口元は鼻元もしっかり隠されたマスクでも、コイツの眼は 俺の何もかもを嫌い、蔑み、憎んでいた。――鋭くて触れ様もない心。 「“貴様”じゃない。蓮夢って言うんだ、花の蓮に夢。こっちは鉄志、鉄の様な堅 い志を持つ者。って感じでいいの?」 だとしても、今は話せる事は話しておいて知り合う必要がある。大丈夫、蔑まさ れるのには慣れているだろ。行為や関心を持つ割に、理解もなく無意識に発せられ る偏見なんかに比べれば、ずっとマシなんだって言い聞かせる。 テツの名の由来なんて知らない、適当だった。でもテツはこう言う時、名乗らな い性分だから代わりを務める。やはりテツは不本意そうな顔をしてる。 「まぁ、そんなところだ。それで、お前さんは?」 「忍者が名乗ると思うか? 名乗るのはお前等の勝手だ、俺の知った事ではない」 コイツもテツと同じか。素直じゃないし大人じゃない態度をとる。テツに関して は意固地さが可愛く思えたが、コイツは小憎たらしかった。 何となく雰囲気で分かる、この忍者は俺より年下だと。二十代前半ってところだ ろうな。やっぱり俺の好みは年上らしい。自分の頭の中だけに留めておこうとして た配慮は捨てるしかなさそうだ。溜息が出る。 「“鵜飼猿也”ID管理局とか法制課とか、役所の人なの?」 手に入ったの情報は、SNS経由の連絡網のデータだった。お堅い文面で業務内 容の確認や変更に指示等々、まるで会社員だ。興味深いのはそれらの所属する組織 名だった。――公僕の忍者か。 意思とは制御不能な無意識で、思考と好奇心を放し飼いにせざるを得ない。正体 不明の忍者の正体。こんな美味しい情報を我慢する事は出来なかった。 しかし、そのお陰もあり、手伝ってほしいと容易に提案できた。テツに手を組ま ないかと提案するよりも楽に思える。 「鵜飼猿也、お前、携帯端末を持ち歩いてるだろ?」 今となってはテツも、このカラクリを知っているので、鵜飼猿也から漏れる反応 は、さぞ愉快に思っているだろうな。 鵜飼猿也も仕事とはいえ俺達の素性を探って知っているのだから、これでお相子 な状況だ。少しでも互いの距離を縮めないと。 「行政の人間なら俺達を敵視する訳だ……。なるほど、察しが付いたよ。最近、港 区で忍者の噂がSNSで上がっていた。市がやろうとしてる“港区再開発計画”の 手助けをしてるのかな? それなら海楼商事が最も大きな障害だろうね」 港区で頻発していた密輸業者同士の同士討ちや、荒神会事務所の襲撃事件。密輸 品を積載したコンテナ船の爆破事件と、俺達には直接影響がなさそうだとスルーし てたが、公僕の忍者と言う存在なら充分な動機がある。 「忍者って連中に“組合”が興味を持ってるって話は知っていたが、公僕だったと はな。腕は良いが、割に合わないんじゃないのか? この国の歪な行政では」 “組合”も注目する忍者か。手広いものだ“組合”って組織は。腕利きを招き入 れて、優秀な人材も育て、人生を保証して。――安定を約束した消耗品とする。 何世紀も存在し続け、衰えない組織になれる訳だ。この世界で最も尊ぶべき資源 は人間。良くも悪くも人に投資し続けているからだろう。 「アウトロー如きが、勝手をほざくな……。例え歪であっても、我等は国を憂いこ れを護さんとする宿命。貴様等の様な“節操無し”に理解できるものか」 「正義の味方って訳だ、忍者ってのは。俺の事、輝紫桜町の無料案内所で嗅ぎ回っ て、愚連隊とやり合ってた時は、死ねって思ってたけどね……」 猿也が睨んで来た。一体、何時ぐらいから俺やテツをマークしていたのか。可能 な限りの警戒はしていたけど、所詮は個人運営のハッカーだし、デカい組織にも必 ず穴はある。 これも縁ってヤツなのだろうか――混沌としている。 「でも、改めて感謝するよ猿也。手伝ってくれて」 良い印象なんかないし、嫌な奴だけど、今は頼るしかない。ハッカーなのに行政 に目を付けられる事になるのは最悪の事態だ。テツの時といい、何時も何時もその 場凌ぎを四苦八苦して。 でも今は、自分の心配よりもクライアントさんに答えを渡す事が最優先だ。その 為にテツと二人でここまでやって来たんだ。 「輝紫桜町の男娼でハッカーでサイボーグだ……。ふざけた男だ、つくづく害悪だ な街だな。危険物の掃き溜め。この件が終わったら、あそこを潰すのも悪くないか もな。貴様の様なヤク漬けで詰め物だらけのホモ野郎も一巻の終わりだ」 マスク越しにでも嘲笑してるのが分かる。ホント嫌な奴だ。 輝紫桜町は掃き溜めだし、この世の地獄だよ。でも外の人間なんかに、ましてや 街を形作る側の奴等に言われたくない。弱者をスラムに追いやって、犯罪組織に歓 楽街を作らせて。蓋をして放置する。そもそもお前等が蒔いた種だろ。 「今の市長さん、輝紫桜町育ちだろ? そんな事するかな。行政がどうにか出来る 程、あの街は単純じゃないぜ、俺が詰め物のHOEだって言うのなら、お前は脳み そにカビでも生やしたホモフォビアのクソだろ? あと俺はホモでもないし、オカ マでもない、イケてるビッチさ」 悪い癖だけど、差別されたり馬鹿にされると挑発したくなる。そんなに嫌いなら もっと嫌われやろうかなって気分になる。 こんなボロボロじゃなければ、迫って耳でも舐めてやってたのにな。その後に始 まる殴り合いだって、やってやるよ。 「よさないか、多少の叱咤や罵倒はいい。でも差別はやめろ猿也、俺達は一時的で もチームだ。それも共有できない特殊なスキルを有している。自分の実力を最大限 に発揮しつつ、互いを頼り合うしないかないんだ。お前程の男なら、それは分かる 筈だ……」 大人だなテツは。俺と猿也の間に入って諭した。俺の味方でいてくれて、猿也の 事も尊重する。リーダー気質か。 真っ直ぐ猿也を見据えてる。猿也も睨み返してるが、勝ち目はなさそうだ。 「気安く名前を呼ぶな……呼ぶなら苗字にしろ」 鵜飼は一歩下がってバツが悪そうにしていたが、少しだけ心が近くに来た様な気 がした。名前にコンプレックスでもあるのかな。お猿さん。 「蓮夢、状況は?」 自己紹介も終えて、テツは仕事に話を切り替える。テープで巻き付けたライフル のマガジンを外し、反対側のマガジンに手早く再装填した。 「これからエレベーターで二十八階へ向かう。でもエレベーターの電光掲示は三十 階を表示する様に細工した。敵を三十階へ陽動出来るかもしれない」 「子供騙しな手だ、そんな物に引っ掛かるのか?」 「事前に潜入させてるドローンがジャミングを行う。敵はビルのシステムから隔離 されて情報を引き出せない。通信関係が麻痺すれば必ず遅れは生じる。完璧じゃな いにしても効果は見込める」 こっちの決めてた段取りに鵜飼は即座にケチを入れてくる。ウザい。 単純な手段なのは認める。けど効果はある筈だ。俺の予想ではサーバールームが ある二十九階が特に守りが堅いと思われる。二十八階だって、このまま着いて扉が 開けば、直ぐにドンパチになり兼ねない。 「二十八階に着いたら扉は開けずに、このドローンを先行させよう」 「俺も出て探りを入れる、発見が遅ければ、少しは有利になる」 鵜飼がエレベーターの天井を指差した。アプリなしでこのビルの地下へ来れたの は、そう言う方法か。 段取りは決まった。敵陣のど真ん中、そこでハッキングを仕掛ける。戦闘は避け られないけど、余計なプレッシャーを減らせる。 “ガーディアン”も待ち構えている。俺が潜り込めば、すぐにでも仕掛けて来る だろう。システムを制圧するのも、データを奪うのも、先ずは“ヤツ”とケリを着 けてからだ。――それが最短ルート。 「それと、どう言う訳か大半のオートマタが外へ配備されてる……」 もう一つ、仕入れた情報をテツと鵜飼に話した。これに関してはそれ以上の事は 分からなかった。セキュリティシステムのタスクステータスを見る程度で妨害を受 けてしまったからだ。 「外? アクアセンタービルの外か?」 「配備すべきは、俺達が暴れてるこの中だろ? 何故だ?」 「知らないよ、でもそれが本当なら幾らか有利だ。もう着くよ」 エレベーターが止まる。心なしか外の音が騒がしく感じた。テツも息を潜めてい る。緊張感が高まってくると傷の痛みも疼き出す。
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