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 バックドアからアクセスと同時にスパイウェアを発動。偽装コードを作成してフ ァイアウォールをスルーして“デコイ”達を潜り込ませる。  その間にファイアウォールのプログラムを書き換えて通信状態を固定。シャット ダウンさせない様に抑え込む。その頃には“ガーディアン”も動き出すだろう。  “ガーディアン”が修正プログラムを行使するのを妨害する。ここから先は電子 世界の殴り合いだろうな。  的確なコードを放つ、それを相殺できるコードを放つ。その攻防戦において、嚙 み合わせが悪かった方の負けになるだろう。“デコイ”達がどこまでついて来れる か、俺の役目はそこまでエスコートして、“デコイ”達を暴れさせる事だ。  ここまでで想定される主要時間は、およそ一八〇秒弱。その頃にはこちらの位置 が特定される可能性が高い。  仮に中央区からここ西区の端なら二十分強、三十分と考えるのは楽観だ。  どこまでやれるかな。中枢まで潜り込めるか、或いはガーディアンを無効化させ るか、正体を暴くか。――人の脳も凌駕する、あの異常な演算速度を相手に。  俺のデジタルブレインと俺のカオスなアドリブで対抗するしかない。バカバカし いけど、高度なAIには予測できない動きをするしかない。  ハイスペックな電子戦も行くとこまで行くと、人間臭くなるな。意地のぶつけ合 いみたいに感じる。  地べたに座り込み、咥え煙草の煙を一筋吐く。何度なくシミュレーションしてき た段取りを確認していた。  輝紫桜町とは中央区を挟み反対に位置する西区の小さな歓楽街。飲食店やアミュ ーズメント施設が多く、宿泊施設や風俗はほとんどない、刺激の緩い街だった。  輝紫桜町の全てが非合法ならば、この街は全て合法で成り立っている。だから俺 達、輝紫桜町の人間は此処を“キッズランド”と蔑称していた。実際、この街の羽 振りは輝紫桜町の足の爪先にも及ばない。  もうじき零時、八時間以上の睡眠と充分な休息を経て、頭は冴えていた。  身体の方はまだ、疲れが抜け切れていなかったが、ハッキングに肉体は大して役 には立たないので問題ない。  メンタルの方は最悪だった。やっぱり昔みたいに泣き腫らして、一眠りすればリ セットできると言う案配にはいかなかった。こんな大事な時に、本当に情けなくな る。そろそろ鉄志も来る頃だ。どうにかして気持ちを切り替えたかった。 「珍しく早いな……」  見上げると鉄志が立っていた。会うのは三十時間振りぐらいかな。そうは思えな いぐらい、長く会えていない様な錯覚を覚えた。  気にせいだろうか、元々、精悍な顔立ちにすこし丸みを感じた。剃刀の様な薄い 鋭さではない、肉厚な鋼を研ぎ澄ましたような鋭さを感じた。 「まぁね……。今日は、俺の日だから」 「お前、その顔どうした?」 「こんなの大した事じゃないよ、それよりこっちの方がエグいだろ」  煙草を投げ捨てて、シャツを捲り上げる。朝よりはマシになったが、縄で締め付 けられた痕が真っ赤にうっ血している。シャワーを浴びればズキズキ沁みるし、服 の擦れでヒリついて不快だった。 「実はさ、また雄也に捕まっちゃった……」  顔の痣を見られれば、必ず聞かれるだろうから、適当な理由でも考えておこうと 思っていたが、その事をすっかり忘れていた。  今更、取り繕うのも面倒なので、何が起きたかを話す事にした。 「拘束プレイすんのは別にいいんだけどさ、嫌いじゃないし。でも素人って加減を 知らないからさ、ギッチギチに締め付けてきて、耐え兼ねて、痛い無理! って言 ったら殴られた……。冷めた事言ってんじゃんねぇぞ、売女野郎のクセに。だって さ……」  こっちだって、変態プレイを楽しんでやるぐらいの技量と経験は持っているけど 限度があるし、好き嫌いぐらいはある。  結局、雄也がやりたい事は、弱い立場の者を捻じ伏せて悦に浸りたいと言う支配 欲だった。それを満たして自分の身の丈に合わない現実を生きる糧にしている。そ う言う、弱くて小さな心の持ち主だ。 「ふざけたクソガキめ……。断れないのをいい事に……」  恐ろしく低く殺気立った声。俺に言ったと言うよりは、素で呟いた様子だった。  俺と鉄志は、他人よりは近い関係になれたけど。今の鉄志の雰囲気だと、この場 に雄也がいたら、絶対殺されてるな。修羅場は避けられない。  あの日は、あんなに俺の事を否定して蔑んでいたのに、そう考えると少しは理解 してもらえているのかと、嬉しく思えた。 「何だろうね? アイツ……。いやに追い詰められた様な顔をしててさ、目の血走 り具合も恐かったし。仕事で余程、嫌な事でもあったのかな? ホント、ツイてな かったよ」  別にしてやる必要もないけど一応、雄也の事をフォローしておく。ちょっと愚痴 る程度だったのに、鉄志の殺気立った雰囲気はかなり危なげだ。  警戒心が強い反面、仲間意識も強いタイプだって思っていていたけど。なるほど ね、戦場でお仲間さん達とどんな感じだったか容易に想像できるな。  今はこんな状態だけど、本当の鉄志は頼り甲斐があって、人を牽引できる度量と 器の大きさを兼ね備えた人なんだろう。 「でもさ、その前は楽しかったんだぜ。鉄志さんと別れた後、待ち合わせの相手っ てのが、小綺麗な二人の大学生さんでさ、会った途端に、ポルノデーモンさんの動 画を見て、大ファンなんです! だって……。流出してるポルノムービーをタダで 見てんじゃねぇよ。って言いたいのを一旦引っ込めて、二人同時ならオプション料 入れて一人六十万って吹っかけたら、電子マネーを速攻で換金してきてさ。その必 死さが可愛かったよ」  昔“ナバン”とズブズブの関係だった、大手配信サイトでの独占ムービーだった が、その運営と“ナバン”が共倒れしてからは、望まない形で俺の出演したポルノ ムービーは拡散されてしまった。  出演する時点で、何れこうなる事は覚悟してた。デジタルタトゥーとはよく言っ たものさ。  本音を言えば、どんな手を使ってでも削除させたい。でも今は敢えて放置してい る。――いい宣伝になるから。  羽振りの良い奴等が輝紫桜町にわざわざやって来て、俺を求めてくる。道端のH OEに落ちぶれても、これで金と人脈を確保できている側面もあった。  輝紫桜町に生きて覚えた事さ、利用できるものは何でも利用してやる。 「二人とも親が金持ちで、良いとこの学生なんだろうね。何処から来たのか聞いて みたら、わざわざ“エリアAO”からだって。そんで散々搾り取ってやって、ホテ ルから出て間もなく、雄也と出くわしてホテルへUターンって訳、最初は良かった のに、結局最悪の夜になっちゃった……。でもまぁ、一晩で一七〇万は上等だけど ね」  どうせ呆れて軽蔑されるんだろうな。いっそ、その方がいい。鉄志の言ってた通 りに、擦り減って消耗してる。自業自得で間抜けだ。  それでも流石に、この本心だけは鉄志には話せなかった。  何時もの説教でも飛んで来るのかと思ったが、ポケットに入れていた右手を差し 出される。 「大変だったな、大丈夫か?」  それは短く簡潔でいて、丁度良い言葉だった。否定もないが肯定もない、あるの は労への労いと少々の気遣いだけ。今の俺には心地良かった。  差し出された手を借りて、立ち上がる。がっしりとしていて、厚みのある手は力 強く、俺の手なんか簡単に握り潰されそうだった。 「心配ないよ、頭は冴えてる。そっちこそ大丈夫?」 「お陰様でな……。心配ない、しっかり集中できてる」  スーツのボタンを外し、ベルトに付けられた拳銃の予備弾倉を見せ付ける。六本 は装着していた。  これでも足りなくなる様な事態だけは避けたいものだ。緊張が増し、鉄志の本気 も伝わってきたが、表情に薄っすらとした、もやを感じた。 「そっちも何かあったの?」 「何故そう思う?」 「上司に絞られてヘコんでる、リーマンの顔してるぜ」  鉄志は鼻で笑うと、何かを思い出す様に軽い溜め息をつく。そう、この顔だ。  交渉が成立して、ホテルに入って二人きりになった辺りで滲み出るパターンの顔 だ。胸に支えのある様な、解決に時間が必要なものを引きずっている感じ。  十代の頃からこの手の顔は腐る程見ていた。その度に大人ってシケた生き物だな って思ったものさ。 「サラリーマンね、そうかもな……。上官に当たる奴とモメた挙句、返り討ちにあ った。このまま時代に取り残されて惨めに生きてくのかって説教までされてな」  日本の“組合”がどんな組織図なのは知らないけど、鉄志にも頭の上がらない存 在はいるのか。気の毒に。こんなグダグダな精神状態で、正論じみたクソ理屈を押 し付けられるなんて。 「うぅん、可哀そうに……。俺が慰めてあげようか、パパ」  色目遣いと猫撫で声、どうして何時もこうなってしまうのか。ちゃっかりと鉄志 の胸元に手を添えて、鼓動を噛み締めている。  これって職業病なのかな。何時も着飾って粋がって、卑猥にはぐらして。何の躊 躇もなく自然にそれをしてしまう。――相手の心に侵入しようとする。  ガキの頃から素直なんて言葉に無縁な性格だけど、この数年で更に捻くれたしま った様な気がする。――人を好きなる事を避け始めたあの頃から。  もう、俺の中に残っているものは、シオンから教わった“毒”だけなのかな。 「気遣いは不要。お前の顔見てたら少し気が晴れたよ。間抜け面……」  意外な反応だった。堂々とした鉄志の笑顔には、嘘や誤魔化しは感じられない。  今までどことなく感じていた警戒心や隔たりの様なものが、かなり薄れている様 に思えた。上っ面な言葉なんじゃなく、鉄志の心の中に、確かに俺と言う存在が相 棒として在る様な。――嗚呼、むず痒い。 「やれやれ、ボロボロだね、俺もアンタも……」 「全くだ……だからこそ、ここで挽回しようじゃないか。ヤバくなったら守ってや るから存分に暴れろ。やれるか? 蓮夢」  ネガティブに皮肉っても、鉄志はものともしない。今夜何をすべきか、それを理 解して、その事だけに集中していると、その眼は語っている。駄目だ、敵わないな 鉄志には。  ボロボロの心を引き摺って、壊れかけている殺し屋にどこまで委ねられるかと疑 っていたのは間違いだった。やっぱりこの人は強い人だ。 「勿論だよ、鉄志さん」  俺も昨日までのシケた気分や、ここまでの迷いなんかを、何時までも引き摺る訳 にはいかないな。沈み込んでいた心を、鉄志が力強く引っ張り上げてくれた様な気 がした。――やってやる。今日は俺の日だ。 「それにしても、漫画喫茶が作戦区域とは締まらんな……」  道路を挟んだ向こう側にある雑居ビルの二階から五階までを陣取っている漫画喫 茶は、LEDの白いライトに煌々と照らされた派手な看板の周りには、ウザったい 電飾が彩り、チープでいてナードな空気を放っていた。  でも、この漫画喫茶じゃないと駄目なんだ。他では中々お目にかかれない、一味 違う――マシンがある。  微妙な面持ちで漫画喫茶を見上げる鉄志に行くぞと、背中をポンと叩いて先を歩 いた。 「見せてやるよ、ハッカーの戦場をね」

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