見渡す限りの白い部屋。白い正方形のタイルが床と壁に敷き詰められ、隅には白い本棚、対角線上には白いピアノが自動で音楽を奏でている。4人がけくらいの白い長椅子が5脚と奥に真っ白なカウンターがひとつ。そして、左右に『S』と『R』と表札のある扉があった。 横開きの自動ドアがプシュ! と閉まって、私は椅子に腰かけた。今出てきた『診察室』と、自分の腕をそれぞれ見やって小さく溜息をつく。 『SoR』。一般的にはソルと呼ばれ、いわゆる病院と呼称されている施設。 ……ただひとつ違うのは、ここは人間のためのものじゃない。 「5番でお待ちの、警護型0428の……ヨツハさん」 「はい」 型番と名前を呼ばれてカウンターへ行く。名前も呼んでくれたのは嬉しいかな。 「診察、お疲れ様でした。後は――」 「結果を待つだけですよね。私は『S』でしょうけど」 受付の女性、彼女の言葉を食い気味に遮って、椅子に戻る。彼女は少し困ったような、哀しそうな顔をしていた。 そのカウンターの左右にある、『S』と『R』の扉を交互に見て。紙の受付表をぐしゃりと握る。 その扉は、私達にとって天国の階段か地獄門のようなもの。 スクラップオアリビルド。廃棄か、再構築か。それを審判する場である。 審判内容は単語の通り。傷が修復可能ならRの扉をくぐり修理を受け、不可能ならSの扉をくぐりそのまま廃棄。それでおしまい。 お偉いさん方が廃棄工場を建築する手間を省いた結果がこの病院……診断所との統合だったらしい。何やらキタナい節約の話だ。あまり好ましい場所じゃない。 「ついに私も、ここに厄介になるとは……仕方ありませんね」 椅子に姿勢正しく腰かけ、ただ待つ。 着ている黒いスーツはボロボロだ。 「それにしても、左腕がまるまる損失、と」 もう一度腕部を見やって、自嘲するように笑って、嘆息して肩を落とす。 どうせ私は廃棄なのだから、早く結論を出してほしい。 「これ以上はもう――」 「すまない。前、通るぞ」 一体の女性アンドロイドが私を横切り、わざわざ私の隣に座った。他に空いた椅子があるのに。 赤い軍服とマントを着て、同じ色の軍帽を被り、腰にはサーベル、金髪で綺麗な碧眼のアンドロイド。 見た目はどこも損傷しているように見えない。そういう機体もここに来ることがあるのか。 「失礼。私は軍人型7777、ナナと呼ばれている。少し、話さないか?」 「えぇ、いいですよ。警備型0428のヨツハと言います。縁起の良い数字ですね」 堅そうな軍人さんの割には可愛い名前だ。縁起が良いには反応しなかったが、そう言うと彼女はどう感じるんだろうか。 「ナナさん。雰囲気に反して可愛いですね、お名前」 「んっ! そ……そう、かもしれないな。ありがとう」 おや、照れてはいるけど意外な返しだ。私の想定と違う。気にしてそうだと思ったのに。 左手で頬をかきながら少しだけ顔を逸らしながらも、彼女は微笑んでいた。 その仕草は私はもうできないなと少し羨ましくなる。おっと、妬んでも仕方ない。 「そなたは……そうか、外傷ともなると生々しいな」 「まぁ、男女の姿関係なく身体を張るのが警護型なので。ところで、ナナさんはどうしてわざわざ私の隣に?」 「いやなに。どうにもそなたはこの部屋で一番落ち着いているなと。気が楽だと思った」 他の椅子に座っているアンドロイド達に目を向けた。 椅子から落ちるように崩れ、地面に手をついて嗚咽を漏らす作業服の男性型。 「良かった」と連呼して狂喜し、どこかに連絡を取っているメイド服の女性型。 ただひたすらにカタカタと震えて、SoRの職員に寄り添われている一般的な服の女性型。 外付けのパソコンを開いて通信をしながら淡々と状況を伝えている私に似た黒スーツの男性型。 確かに、私のいる椅子以外は落ち着かないか。 「それぞれ、『どっち』になのか一目瞭然だな」 「……そうですね」 スクラップかリビルドか。その結果は広く伝わらないように、本人にだけ頭の中に静かに伝達される。 必要以上に騒ぎ立てたられないようにしたSoR側の配慮だが、こうも人間臭い情緒溢れたアンドロイドが多いとあまり意味がなさそうだ。 「こう、進歩しすぎるのも考えものですよね」 「あぁ。私らのような最新モデルだと人格がしっかり宿ってしまうからな。所有者の影響を強く受ける」 「こういう最期なら、もっと古いモデルで無感情だったらって思っちゃいます」 「最期?」 「あ、私も多分『S』だと思うので」 「そ、そうなのか? 腕の一本だろう、それくらいなら――」 「はは、そう思いますよね。でも、無理なんですよ」 気をつけてたはずなんですけどねぇ、と鼻で笑って無くなった左腕部分を指さす。 「私、結構な旧式でして。もう替えが生産されてないんです」 「それで……か」 暴漢どもからマスターを守って、左腕を失った。千切れた腕はもうない。暴漢にバラされている。結果、色々あって私は連中を倒し彼を守ることはできたが。 マスターは不安そうな顔をしていた。私はここで廃棄された方がいいと判断した。 どうせ『S』というより、『S』であってほしいというのが私の個人的な判断だ。 「片腕のボディーガードなんかが仕事続けてたら、万が一が起きますからね。旧式でしたし、ここらで買い替えた方がいいってマスターへのいい薬ですよ」 「そうだったのか……その諦観が、落ち着いている証拠だったのだな」 「マスターにも困ったものです。警護型こそ常に最新のモノの方がいいというのに」 「……そうかも、しれないな。時にヨツハ殿。もしよかったら、そなたのことやそなたのマスターの話をしてくれないか?」 「え? 別にいいですが、変わったことなんてありませんよ?」 「診断結果が出るまで手持ち無沙汰だろう。時間つぶしだ、私も同じように語らせてもらう」 言いながら、彼女は古ぼけた茶色い皮のカバーがかかった、手帳のようなものを開いた。 「それは?」 「私は誰かの話を聞くのが好きなんだ。それをこうして書き留めておくのが趣味みたいなものでな」 「趣味ですか。軍人型でもそういうのあるんですね」 「殺伐とした環境だからこそ、だな。良ければ聞かせてほしい、話せる範囲でいい」 「そこまで面白いものではないですけど。まぁ、そうですね――」 それから私は、他愛ない話をナナさんにした。 マスターの幼少期から私は御付のボディーガードとして稼働していた話。 大人になってからのマスターは忙しく、世界中を飛び回っていた話。 今はほぼ隠居状態だが外出時に狙われることもある話。 そんな中で今回は私の不注意で左腕をやられてしまった話。 もう使い物にならないと私の判断でここに来た話。 気づけば結構な時間話していた。時間的には、1時間と14分と32秒。 診断結果は……まだ順番待ちらしい。あと1人待ちと自分の目にだけ表示されている。 周りを見ると、アンドロイドは私達以外いなくなっていた。 「ありがとうヨツハ殿。酸いも甘いも色々な話を聞かせてもらった」 「私も時間潰しになりました。時間もあとちょっと、ってところですね」 「……そうか。なぁヨツハ殿」 見ると、ナナさんはどうにも悲しそうな顔をしていた。 「どうしました?」 「今、自分の半生……思い出を振り返っても、自ら廃棄されにいく思いに変わりないか?」 「そりゃあ、変わらないですよ。だって必要ないでしょう、手負いのボディーガードなんて」 「合理的な話では確かにそうだ。だが、そなたのマスターの思いはどうなる?」 「人間が私達に何か思うところなんてありませんよ。私達は仕事として、役目として人間の役に立ってるだけなんですから」 私が損傷した時のあの顔も、今後の自分を思っての表情だろうし。 言うと、ナナさんは「むぅ……」と唸って腕を組んで考え込んでしまった。 「果たして、そうだろうか? そんなに、人間は冷たい存在だろうか?」 「ナナさんは、そう思わないんですか?」 「……そなたには酷かもしれない。ただ私は、戦地の戦意高揚のためにつくられたモデルでな」 「確かに、名前も可愛いし、容姿も美しいですもんね」 灰色の髪に黒スーツの、特に目立たない私と違ってナナさんは綺麗だ。 それはさぞかし、周りから大切にされたんだろう。それが仕事で役目だったとしても。 「ナナという名前は、戦地の皆がつけてくれたんだ。似合わないのは、少し自覚しているんだが……」 「皆がつけてくれたから、気に入っていると?」 「あ、あぁ。それもあって人間がそんなに冷たい存在とは思えないんだ」 「だから、マスターも私に対して何か思うところがあるかもしれないと?」 そうだ、とナナさんは私をジッと見て頷く。 対して私は、彼女が思っている以上に冷めていた。 「どうでしょうね。私はただの警護型ですから。ナナさんとは違う」 「し、しかし――」 「仮に何かあったとしても、利用価値のないアンドロイドを側に置くなんて不合理です。損傷した警護型をこれ見よがしに置いておけば、つけ入る人間は必ずいる。私が隙になっては本末転倒じゃないですか」 「そなたは人間を、マスター殿をそんなにも思っているではないか」 「……思っているからこそ、彼のために私はいない方がいいんですよ」 最新の警護型に守ってもらえば、彼は安全だ。 私の役目は終わっている。これが良いタイミングだったに違いない。 「私の話は終わりです。ところで、ナナさんはどうしてここに?」 「私か?」 見た目は損傷しているように見えない。診察を受けているのかすら怪しい。 何故、彼女はここにいるのか。 「手帳に記すのが趣味の軍人型……引退して、記者に転向でもしたんですか?」 それで、私みたいに諦めの良いアンドロイドに話しかけて自ら廃棄されるのを思いとどまらせにでも来たのか? と、皮肉交じりに聞いた。 「……いいや、現役だったさ。じきに引退だがな」 「それって……」 少し間があって、ナナさんはふぅと一息吐いて、続けた。 「私は『S』だよ。ちょっと、順番をズラしてもらったんだ」 「え……な、何故ですか? 壊れているようには見えません」 私らしくなく狼狽して言うと、彼女は残念そうに微笑みながら、トントンとこめかみ部分を指で叩いていた。 「少し前に撃たれてね。頭の内部が損傷しているんだ。端的に、私は常に記憶が1日しかもたない」 「っ。趣味だとかなんだとか言って……!」 「嘘ではないさ。皮肉にも、そんな趣味が私の記憶の紐づけになってくれたんだがな」 記すことを教えてくれた、趣味にさせてくれた人間に感謝だな。とナナさんは笑って手帳のページをたくさんめくって見せてくれた。 「流石にもう辛くてな。毎日、互いの自己紹介から始まる。役割を教えられるところから始まる。筆まめなことを伝えられる。手帳を見て自分の障害を自覚する。翌日にはまた忘れる。その繰り返しだ。私はそんな私がもう嫌なんだ」 「そんな……」 「ここにも、皆に黙って来た」 「結局、あなたも私と同じじゃないですか」 「そうだな。もう皆に面倒をかけたくない、そういう動機だ。でも、そなたは違う」 何が! と声を荒げそうになったのを、ナナさんは私の頭に手を置いて続けた。 「そなたらには、素晴らしい善い記憶があるじゃないか。羨ましいよ」 でなきゃ、私の問いにあんなにも長く話したりしないとナナさんは言う。 ……そういう気持ちが、私は理解できない。生きる、なんて単語もよくわからない。 アンドロイドと人間の関係は、便利な道具程度の認識しかない。使えなくなったら、捨てる。新しいモノにする。それで終わりの合理的な思考しかない。 「それでも『S』を望むなら、せめてそなたのマスターにお別れくらい伝えたらどうだ?」 ――そんな矢先に、SoRの入口のドアが乱暴に開かれた。 そこには、息も絶え絶えになった、マスターがいた。 私を見て、泣きながら良かった……と声を漏らしている。 家からここまで距離もあって、かなりの老体なのに、護衛もつけずに走って来たようだ。 「ま、マスター?」 「ヨツハ。あぁヨツハ……」 私を呼んで、私を抱きしめるマスター。 ただ、一言。「帰ろう」と彼は連呼し続けていた。 ……どうして? マスター? 私に利用価値なんて、もうないのに。 わからない。わからない。 わからない……けれど、マスターの体温が、私の内部にまで伝わっているような感覚だけはした。 「な、ヨツハ殿。人間はそんなに冷たい生き物じゃないさ」 「……理解できません」 「そのうちわかるさ。だから今だけは、そこのマスター殿の命令に従っておけ」 するとナナさんは、自分の手帳を私に差し出してきた。 「ついでで申し訳ないが、この手帳を届けてくれないか? 苦労をかけてしまった、私の戦友達に」 「本当に、ナナさんはこれでいいんですか?」 「確かに少し怖いし、寂しいし、名残り惜しい。だが、この身はなくなっても……そこに私のいた証があるなら、本望だ」 私が受け取った手帳を指さし、今日一番の優しい微笑みを浮かべていた。 人間の善意とナナさんの善意はすれ違ってはいるけれど、きっとこれが彼女達にとっての最善なんだろう。 「……わかりました。その命令も受理します」 「あぁ、ありがとう」 「私に、貴女や人間の想いの重みが……理解、できる日が来るでしょうか?」 「来る。きっと来るとも。隣に優しい人間がいるじゃないか。人生、何をしたかより誰と出会ったかの方が大事だ。私の経験上な」 そしてナナさんは、姿勢を正し、キリッとした顔つきで私とマスターに敬礼をしてくれた。 「では、達者でな。ヨツハ殿」 「……ありがとう、ございました。ナナさん」 私の方は達者でとは言えない。ナナさんはマントを翻し、堂々と『S』の扉をくぐっていった。 その先は真っ暗で、どうなっているのかまったくわからない。 ここはアンドロイド専門の病院、SoR(スクラップオアリビルド)。 嫌な場所だと思っていたけど、残酷でありながら美しい場所なのかもしれない。と、不合理にも生き長らえることになった私はそう思えたのだった。
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