愚神と愚僕の再生譚
5.立場の選択② 完全無欠の愛想笑い
◇ ◇ ◇
今は絶対に話せない。
未奈美は胸中で断言した。
(今あの子と話しても、きっとうまく伝えられない)
そもそも自分でも分からないのだ。緋剣を返したいのか、返したくないのか。
(もう少しだけ考える時間が欲しい)
授業日誌をつけながら、未奈美の頭は奪い取った緋剣のことでいっぱいだった。
しかし考えても考えても、自分の中で結論が出ない。だから今、彼とは話したくない。
あの守護騎士の少年を避けて、職員室に戻る時間もわざわざずらしたのだ。せめて今日だけでも、彼からの追及は逃れたい。
(たぶん返すべきだろうけど。でも……)
毎回そこまで考えたところで、思考が止まる。
背後を襷野高校の教師が通っていく。
仕事をサボっていると思われては事だ。未奈美は慌てて止まっていたペンを動かした。今度は真横を、他の教師が通り過ぎていった。
こうも近くを人が通るのは、未奈美の座席位置が原因だった。
職員室の一角――出入り口に一番近い――で空いた机を借りているのだが、このように人の行き来にさらされる場所となっており、落ち着かないことこの上ない。職員室で仕事ができる喜びよりも、緊張感の方が勝ってしまう……
「月島君」
「は、はいっ?」
突然名前を呼ばれ、反射で返事をしてから声の主を探す。
出入り口に中年の男性教師が立っている。
「な、なにかありましたでしょうか、鈴井先生」
名を呼ぶ未奈美の胸中は、あまり晴れやかではなかった。
これといって強い理由があるわけではないのだが、なんとなく、この教師が苦手なのだ。常に見られているというか、見張られているような気がして。
(実習生の面倒を見てるのだから、当然かもしれないけど……)
未奈美が抱いている居心地の悪さなどつゆ知らず、鈴井が口の端を上げて頭をかく。
「悪いけど、後で――そうだな、30分後くらいでいい。生物室に来てくれないか。手伝ってほしいことがある」
「はい、承知しました」
未奈美は完全無欠の愛想笑いで、問題のない実習生を演じた。
◇ ◇ ◇
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