愚神と愚僕の再生譚
5.自民族中心主義① 差し迫った現実
◇ ◇ ◇
渡人のまちは面白くない。
地球人――特に都会に住む――が口をそろえて言うことであるが、当然だ。
表向きは各都道府県にひとつずつある、渡人の拠点として。内実は渡人の隔離地として整備された、学園駐屯都市。それが渡人のまちだ。
リュートが生まれ育った第23都市イスガもそれは同様で、娯楽要素など皆無に等しい。
まちの中央部には世界守衛機関本部や初等・高等訓練校、工場などの重要施設が集積し、それ以外の場所は住宅地と耕作地に大きく二分される。必要物資はほとんどが配給で賄われるため、商業施設はほとんどない。
しかしだからといって、つまらないわけでもない。
(襷野高校に入ってから1カ月か……こんなに長い期間外出を繰り返すのは、初めてだな)
渡人は3歳から10歳までを初等訓練校で、11歳から18歳までを高等訓練校で過ごす。18歳になると実地研修のため外出が増えるが、それまでは生活の全てが校地内にあり、『外』を見ることなどほとんどない。
だからこうして出歩くだけでも、リュートたち訓練生にとっては新鮮な体験なのだ。
訓練校から最寄り駅まで徒歩20分の道を、月曜から土曜まで毎日歩く。
そろそろ当たり前になってきたこの行程だが、景色を見飽きるほどには見慣れていない。
そんな景色を今日も眺め歩く。訓練校を出る時間がかち合った時はセラと登校することもあるが、大抵はセラの方が先に学校に着いている(そしてリュートの血抜きを笑顔で待っている)。
国道沿いの道で見かけるのは、ほとんどが地球人の車で、まばらに渡人所有の車が目に留まる。サイレンを鳴らしながら急ぐのは、堕神を狩りに行く守護騎士の車。トラックの方は、配給所に農作物などを納品しに行く農家のものだろう。
(いい天気だな)
突き抜けるような青空を見上げ、リュートは目を細めた。
空は自由の象徴。縛られることなくどこまでも続いていく。この自由な空の果てまで行けば、楽園が見つかるのかもしれない。失われ、意味をなくした神僕の故郷ではなく、本当の楽園が。
そんな妄想に取り憑かれているうちに駅に着き、広がる蒼穹が、コンクリートの無機質な屋根に遮られる。夢想することすら否定された気がして、嘆息する。
(ま、差し迫った現実の方が大事だよな)
改札を抜けてホームに着くと、ちょうど電車が来たところであった。
他に並んでいる人もいなかったため――というより、いつもあえてそういう場所に並んでいるのだが――さっさと乗り込む。
まだ7時前のため、電車内は比較的すいていた。しかし「渡人のくせに座るな」などとのたまう排斥派がいるとも限らない。
リュートは空席を無視して、貫通扉そばの壁に背を預けた。そして鞄から日本史のノートを取り出す。
差し迫った現実。それは、5月下旬の中間テスト。
(……魔の4日目)
昨日までは英語や数学など、訓練校の高等教育課程でもなじみある教科ばかりであったためしのげたが、その分今日は、日本史や古文などの苦手科目が集中している。
これらは初等教育課程で学んで以降ほとんど触れていないため、テスト勉強にもかなり苦戦させられた。高得点のためには、空いた時間に少しでも勉強しなければならない。
だというのに。
(……くそ)
開いたノートに集中するつもりだったが、やはりどうしても気になってしまう。車内から集まる視線が。
ノートから目を離して近くの人に目を向けると同時、さっと視線を外される。
(……まあ、分からんでもねーけど)
学生鞄を持って電車に乗り、授業ノートを読み込む完全装備の守護騎士。
まあ見るだろう、凝視してしまうかもしれない。そうだとしても気分が悪い。
毎朝ほぼ同じ時刻の電車に乗っているため、覚えのある顔もちらほらあるが、いまだにぶしつけな視線を注がれる。
それでもいつもは、手元の単語帳などに集中できていたが、今日だけは絶対に集中しなければいけないという意識が逆に枷となり、集中できない。
(気にするな。気にしたら負けだ)
切り替えるように短く息を吐き、リュートはノートに目を落とした。
と、乗客のひとり、若い男――遠出でもするのか、大きなキャリーバッグを従えている――がスマートフォンを取り出し、こちらに向けた。そして。
カシャッ、というカメラのシャッター音。
「おいっ……」
とっさに声を荒らげるが、思い出す。
渡人の撮影は、公序良俗に反したり、任務の邪魔になったりしない限りは禁止されていない。たとえそれが、本人の承諾を得ていなくとも。
「……どうぞご自由に」
苦虫を嚙み潰したような顔でつぶやき、リュートは貫通扉に手を掛けた。
テスト勉強は、はかどりそうにない。
◇ ◇ ◇
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