愚神と愚僕の再生譚
3.故郷の幻影④ 回帰形態
うっすら予想していたとはいえ、リュートは驚きに目を見張った。堕神の鳴き声など聞いたことがない。
(これが次元を挟まない堕神ってことか)
だからといってやることは変わらない。
カートリッジを緋剣の柄へと挿し込み、血の刃を具現化させる。
堕神の方も目標を明確に捉えているのか、迷わずこちらへと向かってきた。
と、ようやくタカヤが追いついてくる。
彼の動きに違和感を覚え、リュートは横目で問いかけた。
「どうした?」
「すみませんっ……なんだか、身体が重くて……」
息を切らしながら答えるタカヤ。
(存在感が寄っているのか……!)
電流の影響で、存在の比重がさらに元始世界へと傾いたようだ。もしかしたらタカヤの姿は、すでに箱庭世界に映っていないかもしれない。
「なら、ひとまずそこで待ってろ」
そう言い置いて堕神へと向かう。近づくことではっきりし始める堕神の輪郭に、リュートは小首をかしげた。最初見たときは、目の錯覚かなにかかと思ったのだが……
いつも見慣れているはずの堕神の形態が、歪だった。
通常時の堕神に確認できる卵形の頭部や、がっしりとした胴回り。
眼前の堕神では、それらは、穴ぼこが空いたようにゆがんでいる。粘土細工で堕神を作ろうとして、失敗したような歪さだ。
(もしかして、あれが回帰形態か?)
完全に消滅させることのできない堕神は、箱庭世界から排された後、どこかでまた『生まれ直す』。かつて元始世界で戦っていた時のように。
生まれ直した直後の形態は、目の前にいる堕神のようにゆがみを生じている。回帰形態では幻出がきかないため、箱庭世界にいては見ることのない姿だ。
教科書でこの項目を見た時は『じゃあ不要じゃんこの知識』と思ったものだが、巡り巡ってここで役立つとは思わなかった。
(通常形態と回帰形態で、基本的な特性が変わることはない。しかし身体能力では前者に、知性では後者の方にやや分がある)
教科書の記述を思い起こしながら、リュートは足を踏み込んだ。
軽く交えたフェイントは――これが分があるということなのか――意外にも見切られた。それでも相手の一撃を避けてしまえば、隙はどこかに見つけられる。
たっぷりと堕神を引きつけてから身体をひねり――がくんっ、と前につんのめる。
「⁉」
慌てて振り向くと、上着の裾を堕神がつかんでいた。
(やべ!)
リュートは上着を着てきたことを痛烈に後悔した。
箱庭世界では、堕神はこちらの装備に触れられない。自然、堕神と対峙した時はそれ前提の動きとなる。
しかし、元始世界に比重を置いた今。過激な地球人に対する防具はそのまま堕神にも通用すると同時に、考慮せずに動けば完全に邪魔な付属物となってしまう。
「くそっ」
堕神の爪が上着の裾を切り裂き、こちらへと迫ってくる。
回避とともに体勢を立て直し、リュートは腰を深く落とした。限界まで絞られたバネのように身体を緊張させ、足裏で強く地面を蹴る。
(このまま懐に飛び込めばなんとかっ……)
そう思った矢先、まさに最悪なタイミングでそれは訪れた。
「――⁉」
ずんっ、と突然身体が重くなる。タカヤを襲った症状が、リュートにも現れたのだ。しかも今朝よりももっと重い。
「やっぱ俺もなんのかよっ!」
罵声を上げて急制動。
全力で撤退する。こんな状態では、緋剣をろくに振るうことすらできない。
「リュート先輩っ……」
状況を察したタカヤが声をかけてくるが、リュートは先ほど同様、指でそこにいろと伝えて道を引き返した。向かうは女神の神殿だ。
(これで役に立ったら、少しは崇め奉ってやるよ!)
記憶の中の暴君に不遜な言葉を吐き、緋剣を解いて必死に手足を動かす。
(くっそ、のろ過ぎんだよ!)
重い。重過ぎる。
これが本来の自分の体重なのかもしれないが、今まで軽減された体重で生きてきたのだから、今更正常値に戻られても困るというものだ。
あまりに鈍い。遅い。のろい。自分で自分の足を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、それでは転倒するだけだ。さすがにそこまで馬鹿ではない。
こうなってくると午前中、疑似質量形成による体重倍加を体験したのが、不幸中の幸いではある。ほんのわずかな幸いだが。
なんとか神殿へとたどり着き、開きっぱなしの入り口へと身を滑り込ませる。リュートがなんとか通れるくらいの隙間なので、もっと扉を開かなければ、堕神には到底抜けられない。が。
鈍い音を立てて石扉が砕ける。
リュートは止まることなく奥へ進んだ。
堕神は身をていして扉を壊しても、さしたるダメージは受けていないようだった。あっという間に追いついてくる。
壁際に追い込まれたリュートは、突っ込んでくる堕神をギリギリでかわした。
これも知性故なのか、堕神は《眼》をかばうようにして壁に激突し、もろくなっていた壁面を崩壊させる。
構わず壁際を走るリュート。すぐに堕神が背後に迫り――
《……クイ……ガミ……》
「?」
避けようとしたところで思いとどまる。
《……エセ……カエセ……ワレラノセ……ヲ……イノチヲ……》
(話した⁉)
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