愚神と愚僕の再生譚
2.くすぶる憎悪⑨ ……あんたら全員、頭大丈夫?
◇ ◇ ◇
一応おとなしくついてきた凜は、視聴覚室に入るなり不機嫌そうに口を開き、
「で、なんなのよ、こんな所に連れ込んで。リンチ?」
腕を組んで渡人組をねめつけた後、最後に明美へと視線を定める。
射すくめられて硬直している明美の前に出ながら、リュートは凜をにらみ返した。
「違う。お前に聞きたいことがあるんだ」
その言葉の内容に、凜はわずかばかりも気を引かれなかったらしい。こちらの頭をただ一瞥した後、
「だっさ」
半目を見せてそっぽを向いた。
「誰のせいだと――っ⁉」
頰を痙攣させて毒づきかけ、リュートは跳ね上がった左腕を慌てて右手で押さえ込んだ。
「くそっ、近いと暴れだすのかっ……」
「……あんた、マジでなんなの?」
なにか危ないものを見るような顔の凜に、リュートは忍耐強く問いかけた。
「お前、誰か――たぶん最近亡くなった誰かから、なにかとてつもない恨みとか買わなかったか?」
「は? なにそれ。意味分かんない」
「こいつに憑いてる――いわゆる幽霊が、君に恨みをもってるらしいんだ」
テスターがリュートの左腕を指さし、助け舟を出してくれるが。
「……あんたら全員、頭大丈夫?」
凜は完全に理解を拒絶してしまった。
(やっぱり、鬼は信じても霊は信じねーか)
それが見えるものと見えないものの違いなのだろうが、話が進まず歯嚙みする。
(せめて残魂が、明確な姿を見せてくれれば……)
と考えた瞬間、左腕が膨張した。正確には、そんな感覚に陥った。
左腕から、靄をまとった空気圧のようなものがはじけ出て霧散し、即座に寄り集まって、なにかを形作っていく。こちらからでは正面が確認できないが、それはどうやら男性の胸像のようだった。
(俺の思考に反応して、実体化した……?)
それはリュートが残魂を支配しつつあるということなのか、リュートが残魂にのまれているということなのか。
小さく芽生えた恐怖を掘り下げる前に、凜が驚愕に顔をゆがめた。
「な……にこれ⁉」
左腕から突然虚像が表れれば驚きもするだろうが――というより、この場にいる全員が動揺しているのは間違いない――凜の声には、それ以上のものが含まれているように感じられた。
「このおやじ、あの時のっ……」
その反応で、凜が残魂の姿に心当たりのあることが明確になった。そして不意打ちだったのが、
「リュート! この男、俺も見覚えがある!」
「本当か⁉」
まさかテスターも知っているとは思わず、リュートは目を見開いた。
「ああ。でもその時の様子だと、強い恨みをもつほど、彼女との関係があるようには思えなかった」
見つけた糸口に自ら水をさし、テスターが顔をしかめる。リュートは詳しく聞き出そうと口を開き――
「ふぐわっ⁉」
虚像が突如かき消え、再び左腕が暴れだした。伸ばした右手は今度は左腕をつかみ損ね、
「っ痛!」
自らの左拳に側頭部を打たれ、片目をつぶる。
「リュート様っ⁉」
「ってえな! なんだこいつ! なんで俺に――っ⁉」
再び打撃。衝撃に頭が揺れ、左腕の位置を見失う。そしてまた衝撃。
「なんだよもうっ! くっそ! お前こいつになにしたんだよ⁉」
「知らねーわよ!」
「リュートっ!」
テスターがリュートの左腕を捕まえようと手を伸ばしてくるが、運悪く残魂の支配がまた一歩進んだ。
「ぅわっ⁉」
左脚の支配権を奪われたリュートは前方に引っ張られてつんのめり、テスターの手が空を切った。左腕はそのまま凜に向かって拳を振り上げ――
「おい洒落になんねーぞっ!」
リュートは声を裏返らせ、右拳で左腕を全力で殴りつけた。そのまま下方へと打ち落とすが、途中でずれて左腕が跳ね上がった。
それはちょうど、凜のスカートの裾を巻き込んで、
「げっ⁉」
「ひゃぁっ⁉」
たぶん二度とは聞かないであろう女の子然とした声を、凜が上げる。
彼女は、華麗に舞うプリーツスカートを慌てて押さえつけると、真っ赤な顔でリュートをにらみつけた。
「わ、わわ悪い角崎っ! マジで申し訳ない!」
いうことを聞かない手足と格闘しながらも、さすがに平謝りをするリュート。
「今のは本当に俺が悪かった! すまない!」
踏ん張るために大股に開いていたのは、完全に失策だった。そう悟ったのは次の瞬間。
「最っ低!」
「はぐっ……」
凜から怒りの一撃を急所に食らい、リュートは床へと崩れ落ちた。
「変態! 痴漢! 訴えてやるからっ!」
凜は蹴り足を引っ込めると、いまだ赤い顔で吐き捨て、視聴覚室を出ていった。
「角崎!――セラ、俺が彼女を追うから、そっちは任せた!」
返事を待たずに言い残し、テスターも去っていく。
残されたセラは『そっち』――リュートを沈痛な面持ちで見下ろした。
「お兄ちゃん……私、お兄ちゃんのこんな姿、見たくなかった」
「俺だって見せたくなかったよ!」
床に倒れたまま、股の間を両手で押さえ、叫ぶ。
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