愚神と愚僕の再生譚
【第5章 明日讃歌】1.鬼神の少女① こんなあたしは駄目ですかっ?
◇ ◇ ◇
激痛に身体が跳ね起きる。
「っ……」
目を開けてもそこは変わらぬ暗闇で、なにも見えない。
が、今いる場所が、何年も慣れ親しんだ寮室だということは分かっていた。何度も繰り返してきたことだから。
ずっと息を止めていたのかと思うほどに、心臓が激しく脈打っている。
(くそっ……)
ベッドの上で半身を起こした状態で、リュートは呼吸を整えた。
闇夜に慣れてきた目が、見下ろした先の輪郭を捉える。小刻みに震える左手と、その甲をかばうように覆う右手。
夢の内容は覚えていないが、痛みだけが鮮明に尾を引いている。それが紐づける記憶に、自然と顔は険しくなった。
(……くしょう。せめて夢の中だけでも、セシルを殺してやりたくなる……)
もしかしたら覚えていないだけで、すでに何度も殺しているのかもしれないが。
最悪な夢見で目が覚めた時は、しばらくは寝つけない。かといって体感からすると、恐らくはまだ深夜帯だ。起床するには早過ぎる。
リュートは仕方なく、再び寝入るのを待つことにした。
はねのけた布団を引き戻し、寝転がろうとしたその時。
がちゃり、とドアのノブが動く音。
「…………?」
寮室は不在時と就寝時に施錠する規則だが、就寝時は鍵をかけ忘れることもままあった。それで困った事態に遭遇したこともないため、今まであまり気にかけてもこなかったのだが……
気にしておくべきだったかもしれない。
(こんな時間に、誰だ……?)
ちらりと、部屋の反対側を横目でうかがう。
ルームメートが目を覚ました気配はない。起こすべきか否か。
迷っている数秒のうちに扉が開いた。入ってきたのは――
「セラ?」
体格や髪のラインからのざっくりとした見当だったが、間違いないだろう。
リュートはベッドから降りるとセラの元まで行き、ドアを閉めながら小声でたしなめた。
「なにやってんだお前。こんな時間に男子寮来てたら怒られるぞ。セシルに見張られてんだろ?」
暗闇で、彼女に見つめられているのを感じる。しかし返事はない。
「……セラ?」
不安になってきて再度呼びかけると。
「――だぁーい好きっ!」
がばっと抱きつかれる。
リュートの目が点になる。
「は?」
「リュー君大好きっ。愛してるぅ!」
さらにぎゅっとされる前に抱擁から抜け出し、リュートは慌ててベッドまで後退した。
「ちょっ……なんだよお前。寝ぼけてんのかっ?」
「寝ぼけてないよぅっと♪」
「ぅわ馬鹿来んな!」
予備動作もなくこちらに飛びついてくるセラ。
反射的に下がった足がベッドにぶつかり、リュートはそのままベッドに倒れ込んだ。セラに抱きつかれたまま。
「リュー君リュー君! リュー君の全部、あたしにちょーだいっ♪」
鼻先に吐息がかかる。と、誰かが――といってもルームメートしか考えられないが――照明をつけたのか、急に室内が明るくなる。
くらんだ目に一瞬映ったのは、こちらに迫る、ふっくらとした艶のある唇。
「待て待て待て待て待てやめろっ!」
リュートはセラの両肩をつかんで、自分の顔から彼女を引き剝がした。
見当をつけて振り向くと、案の定、照明スイッチのそばにルームメート――テスターが立っていた。
「リュー君ってば、照れなくてもいいのにぃっ」
「テスター助けてくれ!」
のしかかってくるセラを、両腕を突っ張って押し返しながら、助けを乞う。
しかしテスターはその場に突っ立ったまま、寝ぼけの残るぎこちない表情でこちらを見ているだけだ。そして、
「お前ら、仲がいいとは思ってたけど……」
つい、と視線を横にそらす。
「さすがにちょっと、それは引く」
「ふざけてる場合かっ! セラの様子がおかしいんだ! もしかしたら、堕神の魂とやらが関係してるのかもしれねえっ! それか残魂か!」
これまでの騒動を思い出しながら、リュートは叫んだ。
「なんだって?」
ようやく頭が覚醒したのか、テスターが表情を引き締め、こちらへと寄ってくる。
「リューくーんっ!」
「落ち着けセラっ! 相手はお前のお兄ちゃんだ!」
テスターがセラを羽交い締めにして、リュートから引き離すと、
「やーっ!」
これまたセラが、通常時なら絶対に出さないであろう駄々っ子のような声を上げ、ばたばたもがいた。と、
「え?」
「は?」
テスターは確かにセラを引き離した。
一方で、今にも抱きつこうとせんばかりのセラが、いまだにリュートと一進一退の攻防を繰り返している。
「なんだ⁉ 増えたぞっ⁉」
度肝を抜かれて叫ぶと、テスターが冷静に返してきた。
「いやよく見ろ! お前のとこにいるのはセラじゃないっ」
「確かに……ってどっちみち増えてんじゃねーか!」
テスターも内心、混乱の極みにあったのかもしれない。
リュートは改めて目の前の少女に目を向けた。
大きな瞳は暗闇の猫のように、金色の輝きを放っている。肩の辺りで外向きにはねている銀髪は、彼女のハイテンションにさらなる躍動感を与えていた。肌の色や体格・年頃はセラに近いが、それ以外の共通点は特に見受けられない。
少女はリュートの手を振りほどくと、パフォーマーのように両手を広げる。
「じゃじゃーんっ! えっへへ~。我慢できなくなって出てきちゃった♪」
「な、なんだお前⁉ 残魂なのかっ?」
座り込んだまま、少女から目をそらしてベッド上を後退するリュート。突然現れるなど残魂としか思えない。が、その割には見た目も感触もリアル過ぎる。
少女は人さし指を頰に当て、困ったように上を向いた。
「んー。あたしは残魂っていうか――」
「なにやってんのよお兄ちゃんっ⁉」
つんざくような悲鳴に鼓膜を打たれ、リュートは顔をしかめて声のした方を向いた。
どうやら正気に戻ったらしいセラが、テスターの拘束を解き、目をつり上げてこちらをにらんでいる。
「誰なのよその子!」
「こっちの台詞だ! お前が出したんだからお前が説明しろ!」
「なにそれ意味分かんない!」
「だからお前はさっきまで――」
「リュー君リュー君、リュー君ってばっ!」
説明の途中で、ずずいっと、少女の身体が割り込んでくる。
「うわっ、ちょっ……」
「ねえどうかな? こんなあたしは駄目ですかっ?」
「どうって……取りあえず隠せっ!」
くりくりと無邪気に動く目を見返し、たまらず叫ぶ。
どういうことかというと、少女は一糸まとわぬ姿をしていた。目のやり場に非常に困る。
「隠したら抱きついてもいーい?」
「なんでもいいからとにかく隠せって!」
構わず近づいてくる少女に、リュートはかけ布団を押しつけた。
「分かったよーぅ。リュー君ってば照れ屋さんなんだから」
少女は受け取った布団にくるまり、これでいいよねとリュートを向いた。そして――首元に触れる感触に気づいて動きを止める。
少女の背後から緋剣を首元に押し当てたまま、テスターが静かに問う。
「どうやら残魂じゃないみたいだな。君、本当に何者だ?」
カートリッジを挿していないため、緋剣は発動していない。
そんなもので首などかき切れるわけもないが、テスターの意図は伝わったはずだ。
答えなければ、それ相応に対処すると。
しかし当の少女は緊張感もなく、
「えっとね。明確に、ズバッとは説明できないんだけどね。あたしは――ていうかあたしたちは」
あっけらかんと、大したことないように、その言葉を口にした。
「リュー君たちが言うところの、堕神かな」
◇ ◇ ◇
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