愚神と愚僕の再生譚
1.鬼神の少女⑤ そんな簡単なこと、なんで分からないのっ?
「……アスラ」
「って確かそれって、どっかの神話に出てくる鬼神の名前じゃなかったか?」
問うとセラは、不機嫌そうな顔をこちらへ向けてきた。
「ぴったりでしょ」
「ぴったりっていうか……なんかお前、さっきからこの娘にとげとげしくないか?」
気のせいかと思っていたのだが、そうではないらしい。セラは明らかに、少女に対して敵意を抱いている。
「そりゃあ自称堕神の少女だもの。構えるのも当然でしょ」
「いや、そーいうんじゃなく、もっと別種の敵意を感じるんだけど……」
「気のせいじゃない?」
むすっと答え、あさっての方向を見て口をつぐむセラ。
当の少女はというと、
「アスラ……アスラ、アスラ……」
ぶつぶつと、確かめるように与えられた名をつぶやき、
「うん! なんかいい響き! 好きかも!」
ぱんと手をたたき、歓喜の声を上げる。
「あたしアスラ! アスラだよ! 素敵な名前をありがとうセラちゃん!」
「い、いいのよ別に……」
少女――アスラに手を握られて全力の感謝を示され、セラが圧されたように、こくこくとうなずく。
それを見て、リュートは冷静に指摘した。
「お前、今ちょっと後ろめたいだろ」
「うるさいわね」
「それは俺たち全員かな」
言うテスターの視線を追うと、彼は夜勤室の窓口に目をやっていた。男性守護騎士がひとり、迷惑そうにこちらを見ている。
そういえば先ほど無理言って通行許可を取った際、騒ぎ立てないと約束したような気もする。
『すみません……』
3人そろって腰を低くし、こそこそと前を通り過ぎる。アスラだけは名前を得たことに興奮し、変わらずはしゃいでいたが。
世界守衛機関の本部棟を出ると、外はまだ暗かった。規則外の時間のため、リュートたち以外に出歩く生徒もいない。
にもかかわらずこちらに近づいてくる人影を捉えて、リュートは眉をひそめた。
(守護騎士の出動か?)
しかしそうであるならばば、門の方に向かうはずだ。
「新聞配達さ」
リュートの疑問をくみ取って、テスターがささやいてくる。
なるほど確かに、人影は新聞らしき物を持っていた。本部棟のポストに投函しに来たのだろう。
リュートは女神や堕神の話題に触れないよう注意しながら、取り急ぎの相談事項を口にした。
「それでどうする? 処遇が決まるまでは、3人でこの娘――」
「アスラ!」
耳ざとくアスラが口を挟んでくる。よほど名前が気に入ったらしい。
「あ、ああそうだったな……3人でアスラを見るか? 幸いというか、今日は須藤が来ない日だし」
「そうね」
セラがうなずき、指を立てる。
「取りあえず朝までは私が起きて、彼女と女子寮の洗濯室にでも引きこもってるわ。談話室が開いたら、そこで交代してもらってもいい?」
「ああ、悪いけどそれで頼む」
場当たり的ではあるが、一応話はまとまった。
思い出したように出るあくびを嚙み殺しながら、リュートは新聞配達人とすれ違い――
どんっ。
「きゃっ」
配達人とぶつかり、アスラが地面へと倒れ込む。
配達の男も倒れはしなかったものの、バランスを崩してよろめいた。その後戸惑うように周囲を見回すが、納得できるなにかを見つけられなかったのか、釈然としない表情を浮かべた。
(アスラが見えてないのか……?)
怪訝な顔で凝視し過ぎたのか、男がこちらに気づいて目が合った。
「あ……すみません」
反射的に謝罪の言葉が漏れる。
男は最終的に、リュートがぶつかったのだと判断したらしい。これ見よがしな舌打ちを残して去っていった。
リュートは男の後ろ姿を見送りながら、つぶやいた。
「もしかして……地球人には見えないのか?」
「みたいだな」
「通常の鬼は地球人にも見えるのに……謎だらけね」
と、
「あの人ひどいっ!」
アスラががばっと身を起こし、外灯の支柱を支えに立ち上がる。
「今の態度ひど過ぎるよっ!」
「許してやれって。たぶんあいつには君が見えてないんだ」
テスターがなだめるも、アスラは相当おかんむりのようだった。
「そうじゃなくて! あの人リュー君たちを、とても冷たい目で見てた!」
「それは……」
「まあそれも、いつものことだしなー」
「不愉快ではあるけどね」
三者三様に、しかし諦めだけは一致させて答えるリュートたちに、アスラは一歩も引かない。支柱をグッと握り、
「やられる方の立場になれば、どんな思いをするかなんて分かるはずなのに! そんな簡単なこと、なんで分からないのっ? ひどいよ!」
「ま、まあ落ち着けって」
「ひどいひどいひどいひどいっ!」
駄々をこねるように、両腕を激しく振るアスラ。支柱を握ったままの右手は、なぜか動きを制限されない。
支柱の方が右手に合わせて、その直線をゆがめていた。
「アスラ……君って、怪力なんだな」
アスラの力のままに曲がった支柱を、引きつった顔で眺めながら。
リュートは棚上げしていた疲れが、どっと押し寄せるのを感じていた。
◇ ◇ ◇
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