愚神と愚僕の再生譚
1.極めて健全かつ堅実身近な資金調達方法すなわち学内バイト② 疑似質量応用科学研究会
◇ ◇ ◇
土曜の午前10時。晴天。外で活動するにはもってこいの好条件。
(本っっっ当は、来たくなかったんだけどな……)
老朽化の進んだプレハブ小屋の前で、リュートはため息をついた。
同好会のクラブ棟には以前にも一度訪れたことがあったが、お世辞にも良い思い出を残せた場所とはいえない。
(でもなあ……)
手にしたチラシに目を落とす。
『G専科生の研究助手急募。未経験者大歓迎、多額の謝礼を約束。詳細は疑似質量応用科学研究会会長、AR専科7回生フリストまで』
寮の掲示板に張られていたチラシだ。正直言って胡散くさい。
しかし今のリュートには、少しでも多くのお金が必要だった。
無論、有償の奉仕活動にも手当たり次第に希望申請を行った。が、しょせんは訓練校の提示する活動である。報酬額は期待できない上に早い者順なので、すでに受付を終了しているものがほとんどだった。
そういう訳で、金になりそうな話には飛びつかざるを得ない状況なのである。
(疑似質量応用科学研究会――通称ギジケン)
そのギジケンの扉の前に立つと、リュートはノックのために右手を上げた。
――理屈を超えた経験則からの警告というものは、確かにある。
バッと後ろに飛びのくと同時、蝶番がはじけ飛ぶほどの勢いで扉が開く。
(なんだって同好会のやつらはこう、ノックを待たないんだっ……)
以前あった同じようなシチュエーションを、リュートが思い起こしていると。
後方に跳ぶことで宙に上がっていたリュートの右足首に、部屋から飛び出してきたなにかが巻きついた。
(投げ縄っ⁉)
縄の輪っかは瞬時にしぼむと足首を締め上げ、室内へと戻っていく。
当然リュートの足を道連れに。
身体が浮き上がる。
「ちょっと待っ……」
悲鳴は出なかった。代わりに、地面に打ちつけた背中が鈍い音を立てる。それでも右足を引っ張る力は弱まらず、後頭部はがんがん地面にぶつかり、引きずられた身体は最終的に大きく跳ね上がった後、なにやら柔らかい塊に落下した。
暗澹とする視界の中、声が聞こえてくる。
「ふふふ、思い知ったかな莫連女。今度我が研究会に近づいたら、強制措置を取ると言っただろう。このフリストに二言はない」
「っ……」
手探りで起き上がろうとするも、柔らかい物体に囲まれているせいで、手を突いたそばから埋もれていく。
そんなリュートの左腕を、誰かがつかんで引っ張り上げた。声の主だろう。
「まあクッションを敷き詰めておいたから、怪我はないだろう。これに懲りたら少しは僕の研究会に敬意をもって――ん? 君、やけに縮んだな。髪も黒く染めたのか? というか性転換したのか? 顔立ちも変わっているな。というか君は――」
「というか先輩は激烈な人違いをしていますね」
ようやく視界が明るくなり、しかし気持ちだけは暗さを抱えたまま、リュートは立ち上がった。
目の前には長身の男が立っていた。大人びた風貌だが、身に着けているのはAR専科の学生服だ。恐らくは彼が、ギジケンの会長フリストだろう。
「確かに人違いのようだ」
彼はリュートの腕を放すと、枝毛とは無縁そうな金髪をなでつけながら、しれっと認めた。続いて――悪気はないのだろうが、謝るそぶりは全く見せず――顔に疑問符を浮かべる。
「けど不思議だ。彼女でないなら、なぜ我が研究会に来訪者が……?」
「研究会会長がそれを言ったらおしまいな気もしますが……研究助手の件で伺いました」
リュートは右手のチラシを掲げようとし、その手になにも持っていないことに気づいた。今さっきのごたごたで落としてしまったらしい。
が、改めて探す必要はないようだ。リュートの言葉を聞くなり、優男が顔をほころばせて握手を求めてくる。
「そうかそうか、そうだったのか。まさか来てもらえるなんて、うれしい限りだよ。僕は疑似質量応用科学研究会会長のフリスト。AR専科の7回生だ。君は?」
「リュート。G専科の5回生です」
男――フリストの手を握り返しながら、リュートは周囲を見回した。
以前訪れた、ある研究会の部屋も手狭ではあったが……ここはそれ以上に狭苦しかった。
廃棄寸前のものをもらってきたのか、材質だけは立派そうな、ひどく傷んだローテーブルが部屋中央をどでんと占拠している。加えて至る所に用途不明の装置や試験管――液体が入っているものもある――の置かれた棚などが並び、空間を圧迫していた。
しかし、なによりもリュートの気を引いたものは――
「なんなんですか、この匂い……?」
部屋に充満する強い香気に、顔をしかめる。
「キンモクセイさ」
フリストは手を離し、得意げに髪をかき上げた。
「キンモクセイの、芳香剤や香水を使っているんだ。実にエレガントだろう」
「俺にはちょっときついですかね……」
あからさまなジェスチャーでは示さないものの、リュートは口呼吸に変えて匂いを締め出した。ここまで強烈だと、エレガントを通り越してバイオレントの域だ。
「理解できないか……仕方ない。高尚な趣味は人を選ぶからね」
眉をハの字に嘆息するフリスト。
ひどく納得しがたい理由で『駄目な方』に分類された気もするが、こだわっていたら話も進まない。リュートは無視して話題を変えた。
「……ところで、研究助手の件なんですけど」
「ああ、そうだったね。来てくれて本当に助かったよ。じゃあ早速――と、君は5回生と言っていたか。もしかして緋剣は……」
「ええ、帯剣はしてません」
両腕を広げ、丸腰の自分の姿を見下ろす。
訓練校において緋剣の携帯が義務づけられているのは、6回生以上のG専科生と教官のみ。当然リュートに帯剣の義務はない。
平日は嫌というほど緋剣を握っているのだ。せめて身軽になれる時くらい、リュートは剣帯を外すようにしていた。
「ないとまずいですか?」
問うと、フリストはさして困ったふうもなく片手を振った。
「いや、僕のがあるから大丈夫だよ。研究用に借りているんだ。とはいえカートリッジは君用に準備しなければいけないから、血だけ採らせてくれるかな?」
「分かりました。今から採りますか?」
「そうだなあ。他の準備もあるから……ちょうどさっき、部屋の掃除が終わったところなんだけどね」
フリストは言葉を区切り、部屋の隅に積まれたゴミ袋の山を指さした。
「ひとまずは、助手っぽいことでもしてもらおうかな」
◇ ◇ ◇
応援コメント
コメントはまだありません