愚神と愚僕の再生譚
1.垣間見える幻妖⑨ 悪魔の手足
「来いっ!」
「ちょ、待っ……」
制止の声も無視して、彼女はリュートの腕を取ったまま、教室の外へと走りだした。
「お前、勝手に出てくんな!」
声の感じから、今の明美の意識は、彼女のものでないことは分かっていた。
彼女――女神はなおもリュートを無視して廊下を突き進み、反対突き当たりにある非常階段の扉を開けたところで、ようやく立ち止まった。
女神に扉の外へと押し出されながら、リュートは毒づいた。
「なんなんだよ⁉ 俺は今お前に付き合ってる暇は――」
「貴様、憑かれてるぞ」
「憑か……?」
ぽかん、と口を開ける。
女神は扉を閉めると、つかんだ左腕をこちらに見せつけるように、顔の高さまで持ち上げた。
「昨夜の残魂に憑かれてる」
「憑かれてるって、お前――」
「どうも貴様の身体を利用して、未練を断ち切ろうとしているらしい」
「はあ?」
さらなる突拍子もない言葉に、まじまじと自分の左腕を見つめる。たっぷりと時間をかけてまばたきをした後――リュートは、冷めたまなざしを女神に返した。
「……つまりお前が俺を残魂の前に突き飛ばしたせいで、こんなことになってんのか」
「難儀だな」
「謝れよちょっとは人として!」
「人ではない神だ」
「揚げ足取んな!」
リュートは女神の手を振りほどいた。それができるほどに左腕の自由が戻ったことに、ほっとしたまさにその時――左足が勝手に動いた。
「なんっ……」
罵声を上げる暇もない。
はやるように後ろに踏み出した足は、階段を踏み外し、リュートは後ろ向きに階段へと投げ出された。背中からたたきつけられ、そのまま段差を滑り落ちていく。
勢いを引きずったまま最後は後転し、壁に衝突してようやく止まった。
「くそ……がっ」
壁に手を突き身を起こそうとし、その支えが突然消えて前のめりになる。
なんのことはない。壁だと思っていたのは非常階段の扉で、内側からそれが開けられただけだ。
扉を開けた女生徒が目を丸くして、こちらを見下ろしている。
「大丈夫? 落ちたの? なんかすごい音したけど……」
「大丈夫だ問題ない」
リュートは早口に平静を取り繕ったが、すぐに破綻した。
左の手足が女生徒を押しのけるようにして、校舎内へと動きだしたのだ。
「まっ……やめっ――馬鹿!」
「貴様なにをやっている!」
非常階段を駆け降りてくる、女神の声を聞きながら。
制御を失った左手足に引きずられるように、リュートは廊下を進んでいった。はたから見れば、ひどく不格好で不器用な走り方だ。
(どこかに向かっているのか……?)
残魂は、明確な目的地をもっているようだった。もしかしたら女神のいう『未練』とやらに関係あるのかもしれない。
いいように操られるのは癪に障るが、状況把握のために、残魂に従うべきか。
迷っているうちにも、残魂は幾人もの生徒を追い抜き、すれ違いながら、リュートを引っ張り続ける。
と、目に入る生徒たちがことごとく、なじみある顔ばかりであることにリュートは気づいた。
(クラスのやつら……? そうか、次は体育だから着替えに――)
はっとする。
残魂が向かっているのは、まさか。
残魂は男子更衣室の前を素通りし、隣の部屋へとリュートを引っ張り込もうとした。クラスメートの女子たちが向かうのと同じ場所――女子更衣室に。
「それは、さすがに、まずいだろっ!」
リュートは右足を、暴走する左足の前へと差し出した。当然足が絡まり合い、派手に転倒する。
転がる身体を、壁にしたたかに打ちつけ。
「なんなんだよ、畜生……」
右手右足、とにかく全身を使って悪魔の手足を押さえつけながら、リュートは泣き言を漏らした。
◇ ◇ ◇
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