愚神と愚僕の再生譚
7.女神の因子と従僕の意志① 心臓は狂騒の兆しを感じ、早鐘のように鳴っていた。
◇ ◇ ◇
「お疲れさまです、アシスタントのセラです。予備カートリッジ作製のため参りました」
入り口の壁にもたれるようにして眠る守護騎士の横を通り過ぎ、体育館内へと足を踏み入れる。発した声は思いの外館内に反響し、中央に陣取るふたりの注意を引くという役割を見事に果たした。
中央に置かれたパイプ椅子に、所在なさげに座っている須藤明美。その傍らにはひとりの守護騎士。
そこから注がれる視線を逆にたどり、セラは真っすぐふたりの元へと進んだ。はやる心を抑えて。
ブーツの底が、コーティングされた床に擦れ、きゅっ、きゅっと音を立てる。この場に襷野高校の教師がいれば、土足の入館に注意を受けたかもしれない。
しかし今、それに該当する人物はひとりもいない。
数メートルの距離まで近づいたところで、壮年の守護騎士が口を開いた。
「予備のカートリッジはまだあるぞ」
セラは身の証しであるIDカードを掲げながら、笑みを返した。
「重要任務中ですから。念のためにとセシル様が」
「そうか。なら頼む」
「はい」
手提げ鞄から採血キットを取り出し、手際よく作業を進めていく。
外から聞こえてくるのは虫たちの、夜の始まりを告げる歌声。昼間若い騒がしさに満ちている場所には似合わない、落ち着いた空気が辺りを包んでいる。
だがセラの心臓は狂騒の兆しを感じ、早鐘のように鳴っていた。
見なくとも感じる、須藤明美からの視線。明美――いや、女神がこちらを見ていると意識するだけで興奮する。手元が震えないよう注意しながら採血を終え、
「完了です。増血剤、打っておきますね」
「ああ」
セラは鞄から増血剤の入った注射器――ではなく、ハンドガンタイプの注射器を取り出し、守護騎士の腕へと乱暴に突き刺した。
「⁉ なにをっ……」
守護騎士が反射的に伸ばした手から逃れるように、セラは後ろに飛びのいた。
事態を把握しきれないながらも、守護騎士が明美を護るようにして前に出るが。
「お前、神僕なのに……なぜ……? 役目を……」
がくり、と守護騎士が膝を突く。
役目。使命。役割。それがあるから裏切らない。
「……馬鹿馬鹿しいっ」
いらいらする。善性の期待など気持ち悪い。
セラは注射器を左手に持ち替え、家庭科室からくすねてきた包丁を鞄から取り出した。それを守護騎士に向かって突きつける。
「まさか本当に、神僕が一枚岩だなんて思ってるんですか? そんな考え――反吐が出ますよ」
「反逆者、め……」
守護騎士は――緋剣を抜こうとしたのか――腰に手をやるが、そのままばたりと床に倒れた。
それまでこわごわとこちらの様子をうかがっていた明美が、震える声で口を開く。
「水谷さん? なにを……?」
「大丈夫、即効性の麻酔薬です。ちょっと打ち過ぎましたが、よほどのことがなければ死にません」
口早に説明し、注射器を手に明美に近づく。セラは優しく呼びかけた。
「女神様。また眠ってしまわれたのですか?」
「その、女神様……ってなに? 守護騎士の人、なにも教えてくれなくて。私そろそろ家に帰らなきゃいけないの。お母さんが心ぱ――……え?」
明美が放心したように、自分の右腕を見下ろす。セラがシャツ越しに押し当て、薬を打ち込んだ注射器を。
「須藤明美。あなたに用はありません。私はあなたの中の、女神様に用があるのです。女神様はどうして黙っておられるのですか? リュート様には反応したじゃないですか」
「そう、言われても……」
「今一度、目覚めてください女神様。そして」
包丁を明美の眼前に突きつける。
「報いを受けてください」
「水谷さ……やめ……」
意識を失っていく中で、明美の身体が傾く。セラは助けず、明美が椅子から落ちるのを見届けた。
床に倒れた彼女に、冷たく言葉を投げかける。
「早く、早く目覚めてください。私はあなたに言いたいことがあるんです」
彼女は答えない。
「須藤明美の意識は飛ばしました。あとはあなたが出てくるだけです」
しばらく待つが、反応はない。
セラはしゃがみ込み、彼女の胸倉をつかんで揺さぶった。包丁を持つ右手に力がこもる。
「早く出て、早く、早く……――出てきなさいよ! 狂った女神っ!」
包丁を構え、恫喝したその瞬間。
「――っ⁉」
右肩に衝撃を受け、セラは床に倒れ込んだ。
奇跡的に包丁は手放さなかったが、電流のような痛みが走る。
身体をねじって確認すると、右肩から血が流れ出ていた。なにかボールペンのような物が刺さっている。ただしボールペンには、先端に矢羽など付いていないが。
(これは……クロスボウの矢?)
ばっと、矢が飛んできたと思われる方向を向くと。
「必死になってるとこ悪いけど、女神様に近づかないでくれねーかな」
クロスボウを携えたテスターが、飄々とたたずんでいた。
◇ ◇ ◇
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