愚神と愚僕の再生譚
2.不干渉の境界線⑥ 言われ慣れてるしね。
◇ ◇ ◇
「くそっ」
手が触れるかと思えば、するりと抜けて。
「この!」
ジャングルジムのてっぺんに追い詰めたかと思えば、ぴょんと滑り台に飛び移り。
「なんだよこいつ!」
「ほらこっちだぜ」
怪我をかばっているためか多少ぎこちないが、それでも兄は自由自在に動き回り、子どもたちを翻弄していた。
黒い学生服でひょいひょい遊具間を飛び回る姿は、どことなく黒猫を思わせる。
「あいつ、サーカスの人みたいだな」
ベンチに座る勇人が、目を丸くしてリュートを見つめている。口の端にはスナック菓子の食べかすを付けて。股の上に置かれた菓子袋は、ものの数分で空になっていた。
セラは勇人の口元をハンカチで拭ってやると、彼の股からごみを回収して懐にしまった。そうして勇人の隣に座ったまま、世間話の体で口を開く。
「パルクールって知ってる?」
「ぱる……?」
「走ったり跳んだり登ったり……とにかく自分の身体を使って、いかに速く目的地にたどり着くか、というのを追い求めるスポーツなんだけど」
目線をずらして前を向く。ちょうど子どもたちが、雲梯に飛び移ったリュートに向かって石を投げるところであった。
「くらえ!」
「お、おいっ⁉ それはさすがに反則だろ!」
リュートは引きつった声を上げながら、雲梯の上を駆け抜ける。
セラは苦笑と心配が入り交じった顔でそれを見守りながら、
「守護騎士は街中で鬼を狩ることが多いから、パルクールに似た訓練も行っているの。自由に速く動き回れれば、その分だけ鬼を狩りやすくなる。そして、地球人の経済的損失……お店を壊したりとか、そういった被害を少しでも減らせる」
「へえー。結構めんどくさいんだな、守護騎士って」
「私たちは学校の授業内容も生活も、全て地球人を基準にして決まっているの。地球人を護るために……あなたたちの生活に入り込むとか、そんなくだらない下心はもっていないわ」
「……もしかして怒ってる? ズルイタチって言ったこと」
唾棄の気配が伝わったのか、勇人が人さし指同士をつつかせながら、上目遣いに聞いてくる。
「どうかしら。あなたがもう少し大きければ、怒ったかもしれないけど……言われ慣れてるしね。ただ」
勇人の頭をなでてやりながら、セラはリュートを指し示した。
「ズルイタチかどうかは、あなたが直接見た渡人の姿から、自分で考えてみてくれるとうれしいかな」
「……分かった」
小さくうなずく勇人に「ありがとう」と返し、腕時計へと目をやる。
「そろそろ15分ね」
セラは立ち上がり、ベルトのブザーを鳴らした。警告音ではなく、呼び子を真似た電子音の方を。
ピーッという音を合図に、リュートと子どもたちが動きを止める。
「畜生!」
リーダー格の少年――勇人が言うには、アキラという名らしい――が、玩具の剣を地面にたたきつけた。
「高いトコばっか逃げて、ズルいぞお前!」
「お互いさまだろ。凶悪な飛び道具使いやがって」
鉄棒からひょいと飛び降り、舌を出して応じるリュート。
セラは小走りで彼らの元に合流した。遅れるようにして、勇人が付いてくる。
「とにかく。取り決め通り15分逃げ切ったんだから、約束は守れよ。あと」
リュートがかがんで前髪をかき上げる。血のにじんだ額をアキラに見せつけ、
「石は絶対人に投げるな。痛いだろーが」
「見せるなよ気持ち悪いな!」
「そう思うなら二度とするな。これがお前がしたことの結果だ!」
顔を背けるアキラの正面に回り込み、リュートは畳みかけた。
「男に二言はないんだろ」
じっと、リュートがアキラの目を見据えると。
「……分かってるよ!」
不服げながらも、アキラは承諾の言葉を返した。そして、
「お前なんか二度と遊んでやるもんか! 行こーぜ!」
子どもらしい捨て台詞を残して去っていく。
と、最後尾に続いたケンジがこちらを振り返り、小さく――分からないほどに小さく――頭を下げた。
「さてと」
ケンジらの後ろ姿が小さくなったころ、リュートが口を開いた。
「破壊光線は出ないし、俺にはこのくらいが限度だけど。どうですかね勇人様?」
問われた当の勇人は、考え込むようにしてうつむいている。
無視されたと判断したのか、リュートは肩をすくめて続けた。
「まあいいさ。で、そろそろ話を戻させてもらうけど――」
「あのねーちゃんの家まで、連れてけばいいんだろ」
勇人がぱっと顔を上げ、リュートの言葉を遮る。
「? 急に素直だな」
「お兄ちゃんが無様に逃げ惑う姿を見て、なにか思うところがあったんじゃない? 哀れみとか」
「俺もそろそろ思うところが出てきたよ。ひとりっ子への憧れとか」
「うるさいな! 付いてくるのか? こないのか⁉」
兄との皮肉合戦が始まる前に、勇人がふたりの間に割って入ってくる。
セラはさっと切り替えて、勇人を促し歩きだした。
「そうよお兄ちゃん、早く用事を済ませましょ。ぐずっていいことなんて、今日はなにひとつとしてなかったでしょ」
「だからお前はひと言多いんだって」
視界の隅で、兄が疲れたように――実際そうなのかもしれないが――肩を落とすのを確認すると、セラはさらに足を速めた。
◇ ◇ ◇
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