愚神と愚僕の再生譚
5.自民族中心主義⑫ そんなことで揺らいでいる場合ではない。
リュートは縄を解くのを諦め、集中力を総動員して矢をにらみつけた。
破れたカートリッジから飛び出す血が矢尻を包み込み、固形化するイメージ。それを高速で飛ぶ矢につなぎ続けなければならない。
必死に目で矢を追い、深紅の円錐を維持し続ける。実際にできているのかは、視認できないからよく分からない。
だが、そんなことで揺らいでいる場合ではない。
(飛べ……硬く、鋭く……突き刺されっ!)
矢尻に意識を乗せていたからか。命中先が、確信ともいえるレベルで分かった。
その命中率は皮肉ともいえた。矢尻は堕神の《眼》に向かい、一直線にその身を飛ばしている。
「っ⁉」
動揺しながらも身体は反応し、跳び上がるようにして立ち上がっていた。射った反動でよろめいている明美を身体全体で押しのけ、前へと飛び出す。
矢が堕神の《眼》に刺さる瞬間。刺さった瞬間。《眼》が確かに傷つき、体液が吹き出すその瞬間。
それら全ての瞬間を、低速で見ているような錯覚を経て――
「ち、くしょ……っ」
顔の一部から首元、胸にかけて、灼けつくような痛みが広がる。堕神の前に立ちはだかったまま、リュートは歯を食いしばってじっと耐えた。
やがて堕神が消滅すると、今度は明美がリュートの前に回り込んできた。
渡人に対する体液の脅威を知っているのかは不明だが、体液を滴らせて顔をゆがめるリュートを見て、ただ事ではないとは分かったのだろう。焦燥を含んだ声で、手を差し伸べてくる。
「天城君、大丈夫っ⁉」
「……なんとか……でもよかったよ。須藤に、鬼の体液をかけるわけにはいかな――」
そこまで言って、はたと止まる。こちらに差し伸べられた右手首に付着している、深紅の液体を目に留めて。
「堕神の体液が付いたのか⁉」
「ダシ……? う、うん。でもだからといって、なんともないし……」
「そんな訳ねえっ!」
ぞっとしながら叫ぶ。
この世界のものには触れられないはずの堕神の体液が、しっかりと肌に付着している。
そのこと自体が、すでになんとかなっているのだ。痛みがあろうとなかろうと関係ない。
「くそっ!」
唾棄し、今やほとんど解けかけていた縄を強引にほどく。自由になったばかりの手で、明美の右手首をしっかりとつかんだ。体液を覆うように。
「天城君、なにやって……!」
「……っ」
侵食する痛みに離しかけた手を、左手で押さえつける。離れようとする反射行動と、それを抑えようとする動きで、右手が小刻みに痙攣した。
(これで少しは、マシになるか……?)
明美の身体や魂ではなく、こちらの因子を侵食してくれれば……
ただの思いつきだが、気休め程度にはなるかもしれない。
「天城、君? 大丈夫……?」
「ああ。取りあえず――」
取りあえず難は逃れた。
リュートはゆっくりと息を吐き、明美の顔を見つめた。
「取りあえず――詳しい話を聞かせてもらうぜ。須藤明美」
◇ ◇ ◇
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