愚神と愚僕の再生譚
1.鬼神の少女⑥ 落ち着けっ!
◇ ◇ ◇
灰色の分厚い雲から、ぽつりぽつりと滴が落ちてくる。
「あー、降ってきたな」
雨粒の付いた手のひらを引っ込め、どうしたものかと空を見上げるテスター。
リュートも全く同感だった。
「ったく。なんだってあいつ、わざわざ外に呼びつけるんだか」
午後にはアスラの処遇を決める。
その言葉を守ろうとしてくれるのはありがたかったが、なにもこんな雲行きが怪しい時に、運動場の片隅に呼び出すこともないだろう。
現在時刻は午前10時15分。明け方までアスラを見てくれたセラと交代し、今度はリュートとテスターがアスラに付いていた。セラはただいま仮眠中で、正午には再び合流してくれる手筈になっている。
だが思いの外早く、セシルからの呼び出しがあった。処遇を決めるための確認事項があるとかで。
そういう訳で、リュートはテスターやアスラと共に、指定の第3運動場へとやってきていた。
しかし呼び出し時刻はとうに過ぎているにもかかわらず、セシルの姿はまだ見えない。
「リュー君リュー君。こんな所でなにするの?」
雨に濡れるのが楽しいのか、空に向かって顔面をさらけ出しながら、アスラが聞いてくる。
その問いこそリュートが抱えていた疑問だったが、
「これからちょっと、君のことについて確認事項があるんだ」
リュートは取りあえず、分かっているふうを装って返した。
と、視界の端に人影が入り込む。
ようやくかと思い、罵声のひとつでも浴びせてやろうと、リュートは口を開いた。
そして、ひぎっと口の端をつり上げる。
「グ……グレイガン先生っ……⁉」
現れたのは、かつていろんな意味で世話になった師、グレイガンだった。
彼は昔と変わらぬ――いや、もしかしたらより進化したかもしれない、いかつい顔を笑顔にゆがませ近づいてくる。
「よお、元気してるか?」
(しまっ……)
リュートは焦った。
リアムと違ってリュートはグレイガンの授業を受けていない。こんな拒絶反応を見せたら怪しまれる。
となれば、ごまかすまでである。リュートは即座に好青年の笑みをつくり、
「初等訓練校の、グレイガン教官ですよね。初めまして、俺はリュートです。受け持っていただいたことはないのですが、噂の方はかねがね――」
「くだらねえ小芝居はやめろ!」
「がぐっ⁉」
怒声とともに放たれた拳を額に食らい、リュートはなす術もなく後方へと吹っ飛んだ。
「リュー君っ⁉」
「イカ墨小僧。お前が生きてたことは、学長から聞いて知ってるぞ。妹のこともだ。てめえら、とんだ反逆兄妹だな」
吐き捨てるような言葉とは裏腹に、こちらを見下ろし近づいてくるグレイガンの顔は、面白がるように笑っていた。
アスラに助け起こされながら、リュートは額を押さえてうめいた。
「つまりこれは、先生なりの制裁ですか?」
「いーやただの勢いだ!」
「相変わらずのようでなによりです……」
身体に付いた土――雨で濡れつつあるので、べっとり付着してきて不快だ――を払い落とし、力なく立ち上がるリュート。
その隣で、テスターが口を開く。
「それで、どうしてグレイガン教官――初等訓練校の先生がここにいらっしゃるんですか?」
「護衛に決まってんだろ。てめえらだけじゃ不安だからな」
さらりと答えるグレイガン。
「護衛……って、誰の?」
リュートは首をかしげ、はたと気づいた。グレイガンの後方に控える、もうひとつの人影に。
黄色い雨傘を差し、困ったようにこちらを見ている黒髪の少女。
「須藤⁉ なんでここにっ……」
声を裏返らせると、リュートはグレイガンへと顔を向けた。
「先生、彼女はっ……」
「落ち着けっ!」
ズビュッとえぐり込んでくる拳。
「事情は知ってるっつっただろーが。なんだってそうすぐに取り乱す?」
「す、すみません……以後気をつけます……」
背中と首を限界まで反らせて雨雲――と顔面ギリギリを通り過ぎた頑強な拳――を見上げた状態で、リュートは反省の弁を述べた。なんだってそうすぐに拳が飛んでくるんだと思いながら。
応援コメント
コメントはまだありません