愚神と愚僕の再生譚
5.丑三つ時の狂乱② 僕を馬鹿にするやつは許さない。
「分かってるわよ。反省してるから、とにかく今は『リアム』を追いましょ!」
「そうやってうやむやに――」
「ほら早く! 消えちゃったら追うこともできなくなるわよ!」
「――ぁあくそ、分かったよ!」
セラに急かされ再び駆けだす。新たに得た情報を基に、リュートは思案した。
(つまりはなんだ? あれは堕神に絡んだ、なんらかの現象なのか?)
堕神をその身に宿したことはないが、それ以外のものと身体を共有した経験はある。
違和感があることそれ自体は大して問題ではない。むしろ思考が一体化していないことの証しとなる。
だが封じ込まれていた魂が動きを見せたというのが、気になるところだ。
(大丈夫なのか? 誰かに相談した方が……)
考えながら真っ先に思い浮かんだ顔は、黒髪の少女だった。ただし本来の人格ではなく、居候のくせにたけだけしい、悪辣な性格がにじみ出ている笑みを浮かべる方だ。
(気は進まねーが……今度聞いてみるか)
「にしてもアレは、なんであんな姿なんだ? やたら半端だろ」
2階の廊下を進みながら、あくまで人形を『リアム』とは呼ばずに、リュートはセラに質問した。セラから出てきたということは、あの造形は多分に彼女の影響を受けているということになるが。
セラが小首をかしげて答えてくる。
「私の記憶をたどった……のかしら? 家族とはいえ小さい頃の記憶なんて曖昧だし、詳しい顔立ちなんて思い描けないもの。それがそのまま具現化したんじゃない?」
「ならイカ墨云々はなんなんだ? 昔の俺の授業風景なんて、記憶どころか知ってもないだろ。どこからイカ墨なんてふざけた勘違いが出てくるんだよ」
「セルウィリアとしての記憶が戻った時、事故死した『リアム』に関する噂を集めたのよ。確かその中に、ツクバ先輩が話してたのと同じ噂があったはず」
「それであんなのが出来上がったってわけか……つかお前もよくやるな。セシルに勘づかれるリスクまで冒して、そんな瑣末な噂集めなんて」
「神に反逆しようっていうんだもの。そりゃ瑣末なとこまで必死に情報集めるわよ」
勤勉さ故の論理ということなのか、セラが当然とばかりに肩をすくめる。
「そんなことよりお兄ちゃん、『リアム』のことだけど。あれがもし、堕神由来のものであるなら――」
「ああ」
リュートはうなずき、腰へと手をやった。
「緋剣で斬ることができるかもしれない」
剣柄の感触を確かめつつ、前方へと目を凝らす。ゆらゆらと浮遊する、小さな体軀がそこにはあった。
人形は1階にいた時と同様、適当に廊下を進んでいるようだった。
「おいイカ墨小僧!」
2階は訓練生たちの寮室が並ぶ。リュートは小声で――やや複雑な気分とともに――人形を挑発した。
自分を侮辱する言葉を聞き取った人形は、ゆらりとこちらを振り向いた。
「顔がっ……」
セラの言う通り、人形は顔を形成しつつあった。
切れ込みのようであった口には唇の凹凸がはっきりと現れ――そういえばさっき、犬歯も生えていた気がする――、鼻筋が浮かんできた。二対のくぼみからは、子どもらしい丸い目が生まれ出ている。
それは見ようによっては確かに、かつての自分だった。が、
(ひどくアンバランスだな。今の俺の顔を、無理やり子どもに落とし込んだみたいな)
実際、当たらずとも似たようなものだろう。セラの記憶から引っ張ってきている限り。
人形は出来たての目に早速怒りの感情をにじませ、拳を握って宣言してきた。
「許さない。僕を馬鹿にするやつは許さない」
「そうやって気ばっか張ってるから、大事なことが見えなくなるんだ」
リュートは緋剣を引き抜き加速した。人形がイカ墨を吐いてくる。
「せめてその下品な攻撃スタイルはやめろっての!」
カートリッジを剣柄に挿し込みながら床を踏み切り、斜め前方へと跳躍するリュート。イカ墨をかわした直後には、眼前に壁が迫っている。
リュートは足を突き出し、壁を蹴って方向を変えた。人形の背後に背中合わせで降り立つと、振り向きざまに緋剣で薙いだ。
手応えはしっかりとあり、人形の背中がぱっくりと裂ける。堕神由来であるからか、感触まで人体よりも堕神に近い。しかし出血しない堕神と違って、引き裂かれた肉から血が勢いよく噴き出した。
いや、血ではない。血とは異なる強烈な生臭さを発揮する、黒い液体だった。
(骨の髄までイカ墨かよ⁉)
しかも量が尋常ではない。
「うぶっ⁉」
顔に集中砲火を浴び、目が潰れる。体勢を立て直そうと引いた足は、床を浸したイカ墨で靴底を滑らせた。
「お兄ちゃんっ⁉」
セラの声に応える余裕もなく、リュートは床へと尻もちをつく。
「死ね!」
染みる目をなんとか開くと、リュートにまたがってなにかをふりかぶる人形の姿。人形が手にしていたのは、先のとがった黒い棒。流れからすると絶対にイカ墨を固めたものだが、それで死ぬのはなんというか己の尊厳にかけて、なにがなんでも絶対に死んでも嫌だった。
「くそっ……」
辛うじて形状を維持していた緋剣に力を込めた時――リュートの意思を無視して突然別の場所に力が加わった。
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