愚神と愚僕の再生譚
6.守護騎士失格⑧ 呪文のように繰り返す。
………
………声が聞こえた。
――お兄ちゃん……
……セルウィリア。
――お兄ちゃん、大丈夫。大丈夫だからね。
優しく包み込むような声。だがリュートが返せるのは、懺悔の言葉だけだった。
……ごめんな。兄ちゃん、護ってやれなかった。
悔恨を伝えて満足するためだけに、何度も妹を夢に見て。夢の中だけでも会えるのが、つらいと同時にうれしくて。
自己嫌悪で目が覚める。分かっているのに終わらない。
……ごめん。ごめんな。
呪文のように繰り返す。再び意識が沈んでいく。
それでもやまない。ずっと、ずっと……
「――た時は――耳を疑――」
どこからか言葉が聞こえてくる。断片的だったが、次第に形を成してくる。
「――本当、お前には驚かされるよ。女神様を襲うなんて」
それがテスターの言葉だと分かった時、リュートは完全に目が覚めた。
横たわっていたのは冷たい床などではなく、洗剤の香りが残る白いシーツの上。
そばには丸椅子に腰掛けたテスターがおり、クロスボウを物珍しそうにいじっていた。
仕切りカーテンの隙間からのぞくのは、入学以来何度も世話になったものたち。教員用の机、椅子、薬棚……
どうやらあの後、保健室に運ばれたらしい。
「……思っていたより温情な措置だな」
なんの束縛感もないことを確認し、覇気なくテスターを見上げる。
「少なくとも、手足の拘束くらいは覚悟してたよ」
「学校内で守護騎士を拘束してるなんて、もし見つかったら説明が面倒だろ。それにほら、お前割と重症だし」
クロスボウを片手に、ばさっと布団をめくるテスター。
肌の感触から分かってはいたが、上半身は服を着ておらず、包帯がきちんと巻かれていた。むき出しの肌――この分だと恐らく、包帯の下も――に広がる青黒い痣は、堕神の体液によるものだろう。
傷の割に包帯に血がにじんでいないのは、こまめに何度か巻き直されたからか。どうやらもう、血は固まりかけているようだが。
「っ……」
力を入れると当然痛む。
顔をしかめながら上体を起こし、リュートはパイプベッドの縁にもたれた。改めて部屋を見回し、視界の違和感に気づく。
左目を手のひらで覆うと、視界全体がかすんでほとんどなにも見えない。右目の視力が、著しく低下しているらしい。
その動作から察したのか、テスターがリュートの手を取り、目からどけさせた。
「視力のことなら気にするな。たぶん見えにくいだろうけど、そのうち回復する――あ、あと学長からの伝言な。今回の背信行為については自ら踏みとどまったことを鑑みて、女神様にお伺いを立てるまでは、ひとまずは不問に処すそうだ」
先ほどから内情をべらべらしゃべっているあたり、人払いは済んでいるらしい。
リュートは皮肉交じりに傷口を見下ろした。
「不問、ね」
「そう言うなよ、学長にも立場があるんだ――他の神僕に見られなかったとはいえ、ある程度の制裁はないと示しがつかない。学長の中での示しがな」
「分かってる」
女神を傷つけようとするなど、その場で殺されてもおかしくなかった。
「立場については、分かってるつもりだ」
握った拳に布団が巻き込まれ、皺が寄る。その皺を視線でなぞりながら、
「世界のことを考え、神僕全体のことを考え、決断を下す。長だったら当然のことだ……ただ、セシルを認めたくない。幼稚だってことは分かってる。それでも、俺はどうしても……」
「どうしても贄のことが許せない、か?」
「なっ……」
目を見開き、ばっとテスターを向く。
贄に関することはその存在に至るまで、秘密にされているはずだ。
テスターは肩をすくめ、困ったように笑みを浮かべた。
「知ってるさリアム。お前のことは全て。お前が本当に反逆の意思を示したとき、報告するのが俺の役目だからな」
「……いいのか、それを俺にばらしちまって」
「目の前に女神様がいたのに殺さなかったんだろ? なら心配ない」
そこまで言って、にっと笑う。リュートがよく知っている、テスターらしい笑みだ。
「それに俺みたいな爽やか好青年には、こそこそした監視役はきついんだ」
「自分で言うなよ」
力なく笑ってから、気づく。
「そういや、なんでお前がここにいるんだ?」
しごく当然のように振る舞っているが、ここにテスターがいるのはおかしい。しかも守護騎士の制服まで着ている。
いじくり倒し、矢を装塡するところまでいって気が済んだのだろう。テスターは満足げにクロスボウを掲げた後、床の上へとおざなりに置いた。
「まあ理由はいろいろあるけど、ひとつはお前かな。学長にだって親心はある。本当に愚痴りたいとき、友達をあてがうくらいのことはしてくれるってことさ。訓練生でお前の事情を知ってるのは俺くらいだし」
「問答無用に刺された後でなきゃ、その心配りに感謝するところだな」
「なに言ってんだよ、助けられたくせして」
「へ?」
テスターが、あきれたように大口を開ける。
「まさかお前本気で、刺されたのは制裁だけが理由だと思ってんのか? そりゃあ学長は狂信的な厳しさはあるだろうけど、実の息子を意味もなく殺そうとはしないだろ」
「なんかノリノリで刺してた気もするけど」
「それは学長の性格だ」
やけに危ないことを断言して、テスターは続ける。
「お前、堕神の体液大量に浴びたんだってな。まだ運が良かったんだぜ? 学長はたまたま今日、ここの校長と面談があったんだ。で、セラからの連絡を受けて、串刺しリュート君の出来上がりって訳さ。皮膚は無理だが、浸食された血液なら出せるからな。まあ出血性ショックの可能性もあったけど、結果オーライだろ。増血剤も投与しといたし、安静にしてれば治る」
「……そうか」
「俺だって、急に呼び出し食らってびびったんだぜ? 至急、守護騎士の装いで襷野高校まで来い、だもんな」
「そう、か」
ゆっくり、ゆっくりと息を吐き出す。
気づいてみれば、窓の外は暗闇だった。もうとっくに日は暮れている。
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