愚神と愚僕の再生譚
6.守護騎士失格④ 貴様ごときに、在り方を変えることはできない。
「母親を喰われたのがそんなに憎いか――世界の護り手だからとうぬぼれるな。貴様らはかけがえのない一個人ではない。世界のために消費されていくのがお前たちだ」
「お前はっ!」
耐えきれず、女神の胸倉をつかむ。身体も頭も、なにもかもが熱い。
女神に従うべきだという本能と、心からの怨憎がぶつかり合ってぐちゃぐちゃになる。
「お前はいつもそうだ! そのために創られたのだから当然だ――そう言って全てを奪っていく! わびも感謝もなにもないっ!」
際限なく膨張していく憎悪に、心がのまれていく。
「なぜだ⁉ どうしてせめて、ほんの少しのいたわりも見せない⁉ お前が主というのなら、示すべき心があるだろう⁉ じゃなきゃ俺たちは、なんのためにっ……」
「私のために存在している。権利も義務も関係ない。貴様自身が、先ほどこの娘に言っていたではないか」
冷水を浴びせるかのように、女神が淡々と返してくる。
それでもこの熱さには届かない。刺すような痛みが激情を後押しする。
「そういえば貴様、必要とあれば堕神への土下座もいとわぬと断言したらしいな」
思い出したように女神が嗤う。
「それこそ貴様が愚僕たる証し。無様に這いつくばることしかできぬ貴様に、私は殺せない。多少歯向かえたとしても、私が滅びるような真似はできない。だから今も、堕神を狩って世界を護っているのだろう?」
「てめえを護るためじゃねえ!」
「その、家族を奪われて憎いという感情。それをもつようにお前たちを創ったのも私だ。今思えば、そんな感情は与えなくてもよかったな」
オプションを間違えた。そんなふうな物言いに目が血走る。錯綜する感情が、冷静な判断を許さない。
「お前なんて――いつだって殺せるっ!」
「見え透いた大ぼらは吹くものではないな」
にやにやと笑みを浮かべる女神。
「貴様ごときに、在り方を変えることはできない」
「っ!」
頭の中でなにかがはじけた。
「どうしてそんなっ……!」
気づけば女神の下顎をつかみ、その身を持ち上げていた。片腕にかかる負荷に骨がきしむ。
「お前なんか――お前なんか、死んでしまえばいいっ!」
止まらない。止まれない。
顎をつかむ手に力が入り、頼りない骨の感触に、衝動がかき立てられる。
女神はもう笑っていなかった。苦痛に顔をゆがめ、目には涙がにじみ、口の隙間からか細い声を漏らしている。
「天城、君……やめ、て……」
「――っ⁉」
はっとし、突き飛ばすようにして手を離す。反動で数歩身体が後退した。
駆ける動悸が収まらない。荒い呼吸の合間から、リュートは問いを絞り出した。
「須藤、か……?」
たたらを踏んだ女神――いや、明美は顎を押さえながら、なにかを言おうと口を開き……結局はなにも言わず、逃げるようにして教室を出ていった。おびえた表情を残して。
……彼女の足音が遠のいたころ、ようやく自分のしでかしたことに気づいた。
「くそっ!」
力任せに机を蹴りつける。他の机と密着しているため倒れることはなかったが、そのために脚が絡まり合い、余計に大きな音が生じた。
「くそっ! 畜生っ!」
リュートは構わず蹴り続けた。明美のおびえた表情が、目に焼きついて離れない。堕神と対峙した時ですら、あんな顔は見せなかったのに。
「なにが『権利や義務は関係ない』だ!」
自分はあの少女に、どんな顔を向けていた?
「馬鹿か俺は!」
身体の熱さも、痛みもどうでもよかった。全てが絡まり合い、訳も分からぬ感情の中で、ただ蹴り続ける。
――激しい目まいに立ちくらみ、半ば強制的に足が止まった。熱を帯びた顔に手を当て、爪を立てる。
「なにを……なにをやっているんだ、俺は……っ!」
「まったくだ。世界を滅ぼすつもりかね?」
不意に――言葉が割って入る。
と同時に、圧迫感。実際に、なにかが身体に割って入ってきたような。
――まるで、なにかが身体を貫通したかのような。
「あん?」
ほうけた声で見下ろす。赤い刃の切っ先が、腹から突き出ていた。
「な……」
次いで、視覚に痛覚が追いついた。
熱い。息苦しい。酸素を求めて呼吸が乱れる。足がふらつくが、突き出た刃――緋剣に身体を固定され、倒れることもできない。
「女神様を殺そうとするとは。骨の髄まで愚かだな、君は」
背後から届くのは、いつも通りの蔑みの言葉。
リュートは顔を上げ――瞬時に襲ってきた吐き気に再び下を向いた。ごぼり、と血が吐き出され、腹から生えた剣身に落ちる。
一切の迷いなく、冷徹なほどに硬く鋭く具現化された刃。その赤色を、リュートの血が上塗りしていく。
遠のく意識に、下唇を嚙み切ることで歯止めをかけながら。
リュートは背後を仰ぎ見た。
「セシ、ル……貴様っ……」
人ひとり刺し貫いているというのに、セシルがまとう空気は、相も変わらず凪いでいた。むしろ優しいとも思える笑みを浮かべ、
「君は愚かな背信者ではあったが……まあ最後に、女神様を見つける探知機にはなれた」
ぽんと、リュートの頭に手を置く。
「父としてもうれしい。たとえ死んでも、今なら英雄だ」
口内に広がる鉄の味とともに、嚙みしめる。
父はそういうやつだ。妻を、娘を、息子を贄としても、なんとも思わない。
「クズがっ……」
最大級の侮蔑を込めて吐き出し、リュートの意識は闇に落ちた。
◇ ◇ ◇
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