愚神と愚僕の再生譚
私のリュート様⑥ 今はとにかく伝えたかった。
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◇ ◇ ◇  世界はもう終わりだ。  全てがゼツボウに包まれる。  きっと魔王とかもわんさか来る。 「なにやってんだセルウィリア?」  アンウン立ち込める世界に、ひとりの少年が割って入ってくる。 「私、今日お誕生日なの」  つままれたフードの陰から、セルウィリアはふくれっ面を返した。  少年――リアムがつまんだフードを取っ払って、ざっくばらんに言ってくる。 「知ってる。だからお祝いしようって話なのに、なんでそんな顔してるんだよ?」 「だって、お母さんがいない」  今の自分に太陽の光はまぶし過ぎる。セルウィリアはいっそう深くうつむいた。  腰を下ろしている訓練用アスレチックの床は、手のひらでれるとぽかぽかと温かい。  だけどそんなもの、なんの役にも立たない。 「私の誕生日なのに、お母さんがいない。お父さんも来てくれない」 「仕方ないだろ。今日は訪問日じゃないんだから」 「訪問日でも来ないじゃん!」  バッと顔を上げて、反論する。 「こんな誕生日嫌! なんでお母さんはいないの? なんでお父さんは素っ気ないの? お母さんに会いたいよぉっ……」  再びフードを引っかぶって、内にこもるセルウィリア。 「わがまま言うなよ」 「わがままじゃないもん!」  フードへと伸ばされた兄の手を、セルウィリアはぱしりとはたいた。  リアムはそれでもしばらく話しかけてきたが、セルウィリアが下を向き、かたくなに動かないままでいると、やがてため息をついて去っていった。  時が過ぎる。  ……はねのけたのは自分だが、放置されるとさびしい。 (でも!)  フードの下でセルウィリアは眉をつり上げた。  自分は怒っているのだ。親が誕生日を祝いに来てくれない、このイビツなシャカイコウゾウに、無言の抗議をしているのだ。  意地を貫いていると―― 「ひゃっ!?」  頰に突然の冷たい感触。セルウィリアは跳び上がって振り向いた。  そこにいたのは、両手それぞれにデザートのカップのような物を持った、リアムだった。 「お前本当に鈍いな。もっと意識張ってないと、これからの訓練耐えられないぜ」  リアムはあきれ顔を見せると、セラの隣に座り込んだ。セルウィリアにも座るよう促すと、 「ほら」  と左手に持ったカップと、紙包み――たぶん木のスプーンが入っているやつだ――を差し出してきた。 「なあにこれ?」  受け取って、まじまじと蓋を見る。英語で商品名らしき単語が書いてあるが、アルファベットを習ったばかりのセルウィリアにはまだ読めなかった。  カップはひんやりと冷たく、たぶんさっき頰にれたのはこれなのだろう。 「ストロベリーバニラアイスクリーム。購買で売ってるやつ。甘くておいしいんだぜ。セルウィリアみたいなお子さまにはぴったりだ」  得意げに言って自分の分の紙包みをちぎり、木のスプーンを取り出すリアム。 (……むう)  セルウィリアは閉口してしまった。今は無言の抗議の最中だ。  しかしアイスクリームというデザートを、セルウィリアは見たことがなかった。初めての体験だ。  だから好奇心に負けて抗議をいったん中止しても、ある程度は許されるのではないだろうか。  結論が出れば後は早い。セルウィリアは、リアムに倣ってスプーンを取り出し、カップの蓋をけた。  中に入っていたのは謎の固形物だった。ピンクと白がまだらに混じった色をしている。 (なんかもったりしてる)  プリンやヨーグルトとは全然違う。水っぽさが感じられない見た目で、本当においしいのだろうかと疑問に思いすらした。  スプーンを突き刺すと、予想以上に硬かった。えぐるようにすくい取る。  期待半分、恐れ半分で口に含むと―― 「……おいしいっ!」 「だろ?」  目を輝かせるセルウィリアに、リアムはそう言い、自分もスプーンを口に運んだ。 「冷たくて甘くて、でも時々シャリってする!」  基本ものすごく甘いのに、所々に混じっている濃い赤色の部分は甘酸っぱい。そこだけは食感も少し違うから、どこを食べるかで口に広がる世界も変わる。 「すごーい! おいしいっ!」  夢中になって食べ続ける。どうやら氷と同じで、時間がてば溶けていくものらしい。だから余計に急いで食べた。  セルウィリアのペースが少し落ち着いたところで、リアムが口をひらく。 「母さんは大事な役目を担ってるんだ。父さんも忙しいから、誕生日だからって会いに来れるわけじゃない」  リアムはセルウィリアではなく、前へと顔を向けていた。その横顔が少しだけさびしそうだったから、まるで自分自身に言い聞かせているようにも見えた。  だけどぱっとこちらを振り向いたその顔は、いつも通りの――ちょっとだけ偉そうで自信たっぷりな――兄の顔だった。 「でもその代わり、僕が必ず祝ってやるよ。毎年ストロベリーバニラアイスクリームを食べさせてやる。ふたりで豪華にパーティーだ」 「ほんと?」  セルウィリアは目を丸くした。 「ああ、本当だ。だから元気出せ」 「うんっ! お兄ちゃん大好き!」  カップを横に置いて、リアムに抱きつく。  早く食べなきゃアイスクリームが溶けてしまうけど、今はとにかく伝えたかった。  自分のためになけなしの貯金でアイスクリームをプレゼントしてくれた、優しい兄が大好きなのだと。 ◇ ◇ ◇ (なに思い出してるのよ私。今思い出に浸ったって、いっそう惨めになるだけじゃない)  結局一文も書けていない日報帳をぱたりと閉じ、なんの面白みもない表紙をにらみつける。  最終下校時刻から1時間が過ぎ、運動場からもさすがに生徒の姿が消え去って。  荷物をかばんに詰め込み、セラはようやく重い腰を上げた。  このまま帰校して、補習でまた兄と顔を合わせるのかと思うと、気が重い。 (なんだってあんなこと言ったのかしら)  愚かな自分が嫌になる。  むきになる必要などなかったのだ。アイスクリームが欲しいわけでもない。というより妹ということは隠しているのだから、そんな可能性はもとより考えていない。  ……それでも。 (妹の誕生日よ? もうちょっと今日という日に対して、なにか反応あったっていいじゃない)  どうしても気持ちが割り切れなくて、セラはとぼとぼと歩きだした。  ため息をついて扉をけると。 「……え?」  予想外の光景に立ち止まる。  向かいの壁にリュートがいた。壁に背を預けて単座している。どうやら眠っているらしく、うな垂れるようにして、立てた片膝に額を付けていた。 「おに……リュート、様?」  戸惑いながら声をかけると、リュートの右手がぴくりと動いた。けんに添えていた指に力がこもり、次いで垂れていたこうべを持ち上げる。 「ん……用事は終わったのか?」 「は、はい……でもなんで。帰校したはずじゃ……?」  訳が分からず問い返す。  リュートは眠気を振り払うように立ち上がると、当然とばかりに答えてきた。 「アースデーこんな日にひとりで帰るのは危ないだろ。排斥運動に乗じた変質者だって現れるかもしれねーし」 「待ってて……くれたんですか?」 「まあ、一応」 「……ありがとうございます」  込み上げる気持ちを、抑えることなどできなかった。  だからセラは潔く身を任せ、満面の笑みをたたえた。  気恥ずかしくなったのか、リュートが顔を背けて歩きだす。 「んなことより早く帰ろうぜ。補講に遅れちまう」 「はいっ!」  セラはリュートの後に続いた。  誕生日を忘れられても構わない。記念日にこだわる必要もない。  ささやかな喜びを積み重ねていけば、いつかきっと、毎日が記念日になるのだから。 (そしてもし私が女神を滅ぼしたら……)  使命もなく、ただの兄妹きょうだいとして生きていける。  兄の背中を追いながら、改めて誓うセラ。 (私がお兄ちゃんを解放してあげるからね)  それまで待っていてください。  私のリュート様。 《番外短編》私のリュート様――了
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