愚神と愚僕の再生譚
8.神苑を生きる者たち② 思い出は美化されるもんなんだな。
◇ ◇ ◇
晴天の下、どこかから鳥のさえずりが耳に届く。
閑静な住宅街を進みながら、リュートは拳が入るほどのあくびを嚙み殺した。
「っ痛」
動いた横隔膜に刺激された下腹を押さえ、顔をしかめる。
痣は判別できないくらいに薄まり、右目の視力もほぼ回復したものの、やはりまだ本調子とは言い難い。
「あー。休みたい」
「土日含めて、丸5日は休めたじゃない」
地図アプリを起動したスマートフォンを片手に、隣を歩くセラが指摘してくる。
セラ。セルウィリア。やはりセラ。
――セルウィリアという正体が判明した後も、彼女はセラと呼ばれることを望んだ。なんでもセラとは、母が考えていたセルウィリアの名前らしい。
彼女の気持ちはリュートにも分かったので、ふたりで話し合った結果、互いに今の名で呼び合おうということになった。やり直すという意味でも。
そしてやり直した結果、世にも手厳しい妹が誕生した。
(思い出は美化されるもんなんだな。全然結びつかねえ)
リュートは過去の甘えん坊の幻影を、頭の隅へと追いやりながら、
「でもまだ完治はしてねえし。昨日はテスターの用事に付き合って、結局動きっぱなしだったじゃねーか。もう少し休みあってもいいと思うんだけど身体に穴空いたんだけど俺」
「お兄ちゃんは特に回復が早いし、二度目は自分でやったんでしょ。後先考えずに馬鹿なことするからよ。私だって肩治りきってないんだからね」
よほど腹に据えかねているのか、やけに冷たい。
「あれくらいしなきゃ、お前びびってくれなかっただろ」
「確かにしたわよ。ドン引きした」
ばっさり切り捨て、セラが立ち止まる。
「ここよお兄ちゃん」
ふたりがいるのはベージュ色を基調とした、ある戸建て住宅の前。道路を挟んだ向かいには小さな公園がある。そこのベンチに腰掛けているのは。
「あれは警護の守護騎士か」
青の上着は脱いでいるようだが、緋剣を装備しているのが遠目にも分かる。守護騎士らしき壮年の男は、じっとこちらに視線を注いでいた。というより、
「なんかお前をにらんでる気がするんだけど。知り合いか?」
「んー、ちょっとねー」
口を濁すセラ。そういえばあの夜、体育館で彼を見たような気もする。
と、背後でガチャリと金属音。振り返ればそこに明美が立っていた。
彼女は門に手を掛けた状態で、おずおずと口を開く。
「あ……おはよう、ふたりとも」
遅れて振り返ったセラはにっこり笑い、
「おはようございます。今日から私たちが、須藤さんの登下校にご一緒することになりました。よろしくお願いします」
「あ、うん……よろしくね」
気まずげに顔を伏せる明美。原因は分かっていた。
「須藤。その……この前は悪かった、ひどいことして……顎、大丈夫か?」
弁解の余地もない行為に頭を下げ、その状態で明美の顔をうかがい見る。
「大丈夫、平気だよ……ただ、なにか気に障るようなことしたのか気になって」
こちらの視線から逃げるように目をそらす明美に、リュートはぱっと顔を上げ、慌てて否定の言葉を並べ立てた。
「いや! 君は本当、全然全く悪くないんだ! あれはちょっと女神と口論になって……」
大きくなりかけた声を抑えようと、尻すぼみになる。周りに人の目はなかったが、かといって声高に叫んでもいい単語ではない。
リュートの言葉に、少なくとも見て分かる程度のしこりは消えたらしく、明美がほっとした表情とともに聞いてくる。
「口論って、天城君。神様に喧嘩売ったの?」
「あ、いやそれは……つか女神とか、やっぱその辺の話は聞いてるんだな」
「うん、一応……聞いてもいまいちよく分からなかったけど」
いまだ頭の整理がついていないのか、難解な証明問題を前にした時のように眉をひそめる明美。
当事者の明美に全てを隠し通すのは無理なので、女神や神僕に関する知識は伝達してあるとは聞いていた。セラが女神を殺そうとしていたことは、さすがにうやむやにごまかしてあるらしいが。
「うんざりするほど念押しされてるだろうけど、女神のことは他言無用な」
「もちろん身内にも駄目ですよ。しゃべるメリットないどころか、あなた自身もきっと不利益被りますから。これは須藤さんのためでもあるんです」
「うん、分かってる。でもお母さんが、数日前から公園に変質者らしき人がいるって、騒ぎ始めてるんだけど」
明美の視線の先には、じっとこちらを見つめ続けている守護騎士の姿があった。
どうやら彼は、ひそかに警護する仕事には向いていないらしい。
「……分かった、相談しとく」
「それじゃあ行きましょうか」
3人連れ立って歩きだす。
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