愚神と愚僕の再生譚
5.終息――その後② 悔しいじゃないですか。
◇ ◇ ◇
弟が帰った後は、昼食を済ませて一眠りした。
しかしたっぷり意識が沈んでいた反動か、すぐに目が覚めてしまったので、弟が差し入れてくれた本を読んだ。会社のことはまだ考えたくなかった。
と――
信一郎は本から目を離し、病室の外へと顔を向けた。
この病室はひとり部屋のくせに扉がいかれていて、手でしっかり引かないと最後まで閉まらないようだった。
そのせいでほんのわずかに隙間が空いており、足音等の物音が届いたりするのだが。
「――ていうかなんなのよあいつは、適当言っちゃって。なにが『交通事故で死んだようだ』よ! はっきり分かんないんなら断言するなっての」
病院の空気に真っ向から歯向かうような、やたら活力ある声が聞こえてくる。足音は複数あり、どうやら若者――というより子どもか?――たちが誰かのお見舞いに来ているらしい。
「一応断言はしてないんじゃ……それにこうして、この病院に戻った形跡があるって教えてくれたし」
「でも須藤さん。あいつが死んだって言えば、ああ死んだのかって思うじゃない普通」
「セラ、気持ちは分かるけどここ病院だぜ」
「はいはい不謹慎ですみませんお兄さま」
「あ、ここじゃない? 723号室」
(723だと?)
ここにきてようやく信一郎は気づいた。彼らがどこに向かっていたのか。
こんこんこん、とノック音。
無視してもよかったのだが、わずかに芽生えた好奇心が邪魔をした。
「入りたきゃ入れ」
本を置いてぶっきらぼうに応じると、控え目な音を立てながら扉が開いた。
「なんだ、お前たちは」
と先手を打ってから、訪問者たちに視線を注ぐ。
入ってきたのは男がひとりに女がふたり。まだ子ども――恐らくは高校生くらいだろう。3人が3人とも異なる格好をしていた。
一番スタンダードというか信一郎にもなじみがあるのは、黒髪の少女だった。市内にある県立高校の制服を着ており、自分はここにいてもいいのだろうか、とでもいうように、視線をさまよわせている。
黒髪の少年と金髪の少女は、それぞれ守護騎士とアシスタントの制服に身を包んでいた。少年は、片手で抱えられる程度の花籠を右手に提げており、金髪少女の方は、不機嫌そうに唇を突き出している。
ふたりの制服自体は見慣れたものだったが、こんな子どもが着ているのを見るのは初めてだ。
(……いや)
初めてではないのだと、思い出す。
事故に遭ったまさにその日、守護騎士姿の子どもを見た。さらには、その時口論になりかけた無礼な少女が、眼前の黒髪少女と同じ制服を着ていたことも思い出す。
(ということはまさか、それ関係のやつらか?)
であれば、あまりいい訪問とはいえない。もちろんこんな子どもら3人に、言い負かされるとも思わないが。
少年が口を開く。室内の様子をうかがうように視線を動かしながら、
「やっぱり覚えていらっしゃらないんですね」
「なにがだ?」
「いえ。覚えてないなら、それはそれでいいんです」
少年ははぐらかすように答えると、ベッド脇の床頭台へと近づいた。そこに花籠を置くさまを見て、彼が籠の置き場を探していたのだと気づいた。
信一郎は花に関してほとんど知識をもっていなかったが、見た目の感じから、たぶんプリザーブドフラワーとかいうやつなのだろうと見当をつけた。小ぶりではあるが、黄色系の鮮やかな花だった。
と、少女ふたりもこちらへと足を踏み出した。
「直接的ではないのでご存じないかもしれませんが、私たちあなたのお世話になったことがあるんです。だから事故に遭われたと聞いて、心配になって……お身体は大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
痛ましげに眉をひそめる金髪少女に、信一郎は曖昧に答えた。
(世話になっただと? 渡人が俺に?)
全くもって心当たりがなかった。
が、彼らはこちらに心当たりがなくても、特に気にしていないふうに思えた。むしろ安堵しているようにすら見える。一応形式的な見舞いの言葉は続いたが……
そんな奇妙な――というか気味の悪い状況では間ももたず、信一郎はわざといらついたそぶりを見せた。
「もういいか? 俺は疲れてるんだ」
「あ、そうですよねすみません。突然押しかけてしまって……」
話を遮られた金髪少女は、しまったとばかりに手のひらを口元にやる。
なんとなく苦手なタイプの女だと思ってから、子ども相手にそんな気後れを感じてしまう自分が腹立たしくなった。
「では私たちはこれで。お大事にしてください」
「失礼します」
退室する金髪少女に続きながら、黒髪少女が初めてこちらに向かって声を出す。
最後に少年が続き――退室する直前で、足が止まる。
目の前の扉が自動で閉まっていく――しかしやはり最後までは閉まりきらない――のを見届けてから、少年はこちらを振り返った。
「本当は、俺なんかが言うべきことじゃないんでしょうけど」
やや逡巡の色を見せた後、それでも続ける。
「なにかのせいで自分の人生全部台無しになるなんて、もったいないし悔しいじゃないですか。もしかしたら――もしかしたらですが、見方を変えれば、見えてくるものもあるんじゃないですか?」
「なんの話だ?」
「いえ……ただの世間話です。お大事に」
一礼して、少年が退室する。扉をきちんと最後まで閉めて。
結局名乗りもしなかった3人組は、現れた時と同じく、疑問を抱いたこちらの都合を無視して立ち去った。
◇ ◇ ◇
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