愚神と愚僕の再生譚
2.くすぶる憎悪① なにやってんだ、俺。
◇ ◇ ◇
開かれた窓からは陽光とともに、すがすがしい空気が入り込んでくる。まだ朝の静寂を楽しむような時間帯ではあったが、交錯する足音が、一足先に体育館内に活気をもたらしていた。
バスケットボールに興じる訓練生たち――2、3回生くらいか――を目で追いながら、ひとりつぶやく。
「なにやってんだ、俺」
言葉通りの答えが欲しかったわけではない。自分を見失うほどには自棄していない。
ただ、眠気を引きずる土曜の早朝。
体育館の隅に座り込み、いわれのない――いや、一応はあるのだが――咎による雑務に準じていれば、なにかに問いかけたくもなる。
リュートの右隣にあるのは、なみなみと薬液の張られた大きなたらい。底には十数本の緋剣が、折り重なるようにして沈んでいる。
そこから1本を取り出し、タオルで丁寧に薬液を拭き取ると、左隣に広げられたシートへと置く。
「整備に出された緋剣の洗浄か。感心な心意気だな」
不快でしかない言葉は、ローブの衣擦れの音と同時に届いた。
「あんたが指示した罰則だろ」
顔も上げずに言い捨て、リュートはたらいへと腕を突っ込んだ。薬液自体はさほど冷たくもないが、濡れた腕が空気に冷やされるので、少し動きがかじかんできた。
リュートの前に立つ人物が、全く悪びれることなく言い直してくる。
「補講の最中に、暴れだしたという報告が届いてはな」
「残魂が原因と知ってるくせに、よくもぬけぬけと言えるよな」
緋剣を拭く手は止めぬまま、顔を上げる。予想外のものが待ち構えていたわけでもない。
そこにいたのは、学長のローブに身を包んだ男性だ。差し込む陽光に照らされ、青みがかった銀髪が白い輝きを放っている。同様に白く見える肌は地色で、端正な顔にも白い笑みを張りつけていた。白くかわいた微笑みだ。
と、気づけば、体育館内に響く足音がやんでいた。
見やるとセシルに気づいた訓練生たちが、バスケットボールを中断して最敬礼をしている。
セシルは軽く手を上げて返すとこちらに向き直り、面白がるような目で見下ろしてきた。
「相変わらず憑かれているのか?」
「思いきり」
嫌みったらしく答え、手にした緋剣ごと左腕を掲げる。
今は落ち着きを取り戻し、リュートの制御下へと戻った左手足だが、またいつ暴れだすとも限らない。テスターとセラの今日の予定が校外任務――買い物へ行く明美の同伴――なのに対し、リュートだけが訓練校待機なのも、そういった理由からだ。
「ふむ」
考え込むように、顎に手を当てるセシル。だがそれはただの演出だろう。開きかけた口は、すでに決まった言葉を吐こうと形を変えていた。
「存在感の質量を一部欠いているという点において、神僕と残魂は近しい存在であるともいえる。そのため、神僕は残魂に憑かれやすい……とはいえ」
セシルは教科書の引用を中断すると、嗤笑の色に瞳を染めた。
「自ら残魂に突進して、憑かれた間抜けを見るのは初めてだ」
「だから女神に押されたんだって。何回言えば――」
「あのお方を悪く言うのはよろしくないな」
緋剣を置こうとした左手の甲を、セシルの足が踏みつける。
リュートは前髪を跳ね上げ、セシルをぎろりとにらみ上げた。
「ってえな! 足どけろよ!」
バスケットボールを再開しようとしていた訓練生たちが、威嚇の声に驚き、動きを止める。
肝心のセシルはひるみもしなかったが、足だけは言われた通りにのけた。彼は自分の髪を一房なでると、
「霊媒師にコンタクトは取れるが、少々時間がかかる。そこで、今の君にうってつけの人物を紹介しよう。後で訪ねてみるといい」
一方的に場所を言い捨て、毎度おなじみの、人の神経を逆なでするような笑みを浮かべながら、そばの入り口から出ていった。
肩越しにそれを見届けて。
確実に声が届かない距離までセシルの姿が遠のいたころ、リュートはぼそりと吐き出した。
「……あんたが薦める人物なんて、胡散くさくて会う気も起きないね」
◇ ◇ ◇
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