愚神と愚僕の再生譚
5.立場の選択⑦ ほらね。
少年はこちらの近くまで寄ると立ち止まり、机の縁に腰を預けてもたれ込んだ。不調というのは本当のようで、確かに顔色があまりよくない。
「私は君の味方をしたじゃないか……!」
弁解にもなっていない、鈴井の筋違いな物言い。未奈美は内心あきれ果てた。
龍登がどう感じたのかは分からない。感情のない目で鈴井を見ている。
「我々を支持してくださるのには感謝していますよ。その信頼に応えるためにも、義務は果たさないと」
若き守護騎士は言葉を切り、鈴井と未奈美を見比べた。
「目の前で脅迫行為が確認できたんです。対処するしかないでしょう?」
「これを編集すれば、君に不利な動画を作ることもできるんだぞ!」
「ほらね。だから立場なんて関係ないんですよ――都合が悪くなれば、すぐに裏切るんだから」
そう言う龍登の顔には、どこか諦めたような疲れがにじんでいた。
「消してください。今、ここで」
スマートフォンを手にしたまま、龍登が鈴井の上着ポケットを指さす。
「…………」
「俺は事を荒立てる気はありません。消してくだされば、この件については忘れます。それができないというのであれば、相応の処置を取らざるを得ません」
駄目押しに観念したのか。
鈴井がスマートフォンを取り出し、苦々しげな顔で操作を開始する。
龍登が一部始終を見届け、消去を確認したところで、
「コピーはありませんね。もしあるのであれば、それも消去してください。なんらかの事情で――コンピューターウイルス等で、故意なく世に流出してしまったとしても、俺は問答無用でこの音声を公開しますから」
自分のスマートフォンを鈴井に見せつける。
鈴井は気色ばんで背を向けると、
「守護騎士気取りの子どもがっ……」
小声で腐し、生物室を出ていった。
「変態教師が」
スマートフォンをしまいながら、龍登が吐き捨てる。静かになった室内では、実際以上に大きく聞こえた。
思わぬ状況でふたりきりになり、未奈美は焦った。今緋剣のことで詰め寄られても、どう対応すればいいのか分からない。
が、龍登はなにも言わない。腹に手を添え、ただ無言で目を閉じている。初めて会った時に見た顔の痣は、今ではもうほとんど消えているようだった。どうしてそんな痣があったのか、自分は考えもしなかったことに気づく。
気まずさが最高潮に達し、仕方なく未奈美の方から口を開いた。
「私のこと、馬鹿だと思ってるんでしょ。自分のしたことで窮地に陥るなんて」
「別に」
目を閉じたまま、龍登。
「……小さい頃、鬼が殺されるのを見たの。その鬼は、なにもしてないのに殺された」
未奈美は独りごつように吐露した。
「そりゃあ私だって、なんらかの形でなんらかの命は奪ってる……でも、だからって疑問を感じちゃいけないの? もしかしたら害になるかもしれないというだけで、鬼を殺す……それって正しいの? 命は大切にと教えられながら、だけど鬼は殺してもいいと教わる。私には分からない」
龍登が目を開ける。その目に未奈美は訴えかけた。
「鬼が幻出したら、渡人も地球人も、近づかなければいい。それじゃあ駄目なの?」
「怖いのは万が一だ」
机から身を離し、龍登が答える。
「万が一鬼が顕現して、うっかり近づいた地球人が殺されたら?」
「近づいた地球人が悪いのよ!」
「割り切れるのか、本当に」
ひやりとした龍登のまなざし。
「もし犠牲になったのが、鬼に近づく幼児をかばった地球人なら? それでもやっぱり自業自得か? 君や君の大切な人がそうなったとして、すっぱり割り切れるのか?」
講義するように手を掲げ、龍登が言葉で追い詰めてくる。
「……分からない。そんなの、分からない……」
未奈美はうつむき、両拳を握った。
「……それでも……私は、私の気持ちが間違ってるとは思わないっ!」
「そうだな」
「え?」
まさか同意されるのは思わず、未奈美はきょとんと顔を上げた。
苦しいのか、別の理由からなのか。顔をゆがめて龍登が続ける。
「君はたぶん、本当に純粋に、目の前で命が刈り取られることが嫌なんだ。当然の反応かもな。だけど……」
龍登はかぶりを振った。
「悪い。やっぱり鬼は、野放しにはできない。その代わり……絶対に地球人は犠牲にしないから」
(ずるいじゃない)
そんな顔で言われたら、こっちが悪者みたいではないか。
「……緋剣、返したいとは思ってる」
話題をはぐらかす形で、未奈美は自分から切り出した。
「ただ……もうちょっと時間が欲しいの」
「分かった。信用する」
龍登は短く承諾し、懐から紙切れを取り出した。
「俺の番号だ。返す気になったら連絡くれ」
未奈美の手に押しつけると、龍登は返事も待たずに去っていった。
(……変な子)
突っかかってきたり助けてくれたり、いっぱしに組織の一員を気取ってみせたり。忙しい渡人だ。見た目はまだあどけなさが残る、ただの少年なのに。
(そうよね。ただの高校生。異世界から来たってだけの、ただの人間)
「……さーてと。授業日誌、書かなきゃ」
考えを断ち切るように、未奈美はひとりつぶやいた。
◇ ◇ ◇
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