愚神と愚僕の再生譚
1.共生暴力④ DAG
「やめなさい極悪非道の虐殺者っ!」
突如、背後からかかる制止の声。
無論、本来であればやめるはずがない。
しかし、こちらが従うのを疑わない、あまりに頑然とした命令口調――まるでどこぞの女神を彷彿とさせる――に、うっかり気が散り刃も散った。
堕神から放たれる拳。
対してこちらの手には、相手に触れることすらかなわない、ただの鉄棒に格落ちした緋剣。
「うへあぁっ⁉」
自分でも驚くような反応速度で、腰を落として足を滑らせる。
堕神の股下をスライディングで通り抜け、身を起こしながら振り返るリュート。手はすでに、二刃目を作ろうとカートリッジに伸びていた。が、
「やめなさいって言ってるでしょ!」
「ぅおっ⁉」
堕神に向けたはずの目は、なぜだか女とかち合った。
それもそのはず、堕神の身体に溶け込むようにして、マスク姿の女が顔を突き出していた。
堕神は女神や、その因子をもつリュートたち神僕を除き、この世界のものには触れられない。世界の狭間から存在を割り込ませているだけだ。だからこのように、透過して地球人と重なること自体は不思議でもなんでもない。
しかし、堕神が顕現する可能性が皆無ではないというのに、こうまで豪快に堕神に接する地球人は初めて見た。
……もし今、この瞬間に顕現したらとは考えないのだろうか。
「ちょっ……危険ですからどいてください!」
むしろリュートの方が恐ろしくて――女本人がどう思っていようが、地球人を危険にさらすわけにはいかない――、緋剣を具現化させつつ呼びかける。
しかしマスク女は応じるどころか、唯一顕示できる目元だけで怒りの表情をあらわにし、反発してきた。
「危険なのはそっち! いきなり暴力なんて……鬼がいつ私たちを危険にさらしたっていうのっ?」
「俺今結構危険ですけどっ!」
つか邪魔!
喉元まで出かけた言葉をのみ込み、リュートは大きく身を引いた。堕神の蹴り足が空を切る。
女が重なっているため、堕神の動きが読みづらい。その上、女が邪魔で斬ることもできない。
さらにはわざとなのか、彼女は動く堕神を追うかのように、自身もその身を移動させている。
「あなたが狩ろうとするからでしょ! それに地球人を護るためとか言うけど――ほら見て、私は今安全よ!」
安全を叫ぶ女の胸元から伸びた爪を緋剣で打ち払い、己の腹から届く引きつった痛みに顔をゆがめる。すぐに終わらせるつもりだったのに、予想外に長引いている。
女の口上は続く。
「鬼だって生きてる、誰にだって生きる権利はある。なのにあなたたちは、どうしてそう残虐なの⁉ もっと博愛の精神をもちなさいよ!」
(あーもーうっせえな!)
だんだん分かってきた。
リュートの推測を裏づけるように、彼女が肩に下げた大きなトートバッグが目に入る。
帆布生地の内側に、隠すように付けられた缶バッジ。やたらポップにデフォルメされているが、描かれているのは堕神だった。赤い《眼》から大粒の涙を流している。
(鬼擁護団体――DAG!)
その名の通り、堕神――鬼の生命権尊重を訴える組織だ。缶バッジの絵柄はDAGを示すマークでもあり、要注意団体として訓練校でも教わる。
(こいつもその一員ってわけか)
であれば、容易には説得できないだろう。
気づかれないよう舌打ちし、リュートは左へサイドステップを重ねた。車道すれすれまで移動したところで止まり、腰を落として緋剣を構える。
リュートの動きに堕神は当然付いてきた。だが女は反応が遅れ、堕神との重複が、一時的に解消される。
(よし!)
踏み込み、堕神の下顎から突き上げるようにして緋剣を刺す。
同時に吹き出す堕神の体液から身を護るため、強く地面を蹴――ろうとし、
「なにしてんのよ⁉」
悲鳴じみた声とともに、堕神の身体を突き抜けて女の肩が張り出してくる。
「は?」
全力のタックルに、リュートはどんっ、とはじき飛ばされた。
車道に。
応援コメント
コメントはまだありません