愚神と愚僕の再生譚
1.鬼神の少女⑦ 痛いのが好きなんだ。
「あの嬢ちゃんは学長が呼んだんだ。なんでも、あの方がご所望だそうでな。現れたら対面させろと」
拳をしまいながら、グレイガンが事情を話す。
リュートも体勢を戻し、顔に付いた雨粒を袖で拭った。分かっていることを頭で組み立てる。
どうやらグレイガンは、リュートやセラの事情、そして女神が明美に同化していることまで知っているらしい。そして、
(女神は予期してたってのか? アスラが現れることを)
グレイガンの口ぶりからすると、そうらしいが。
と、
「リュー君いじめちゃ駄目ーっ!」
アスラが声とフォームだけはかわいく、グレイガンの前へと飛び出してグーパンチを繰り出した。
グレイガンは、それを右手のひらで軽く受け止め――顔をゆがめた。
「なるほどな……これが噂の鬼神か。見た目通りの力じゃねえってわけか」
痛みを払うように手を振るグレイガン。
そんな彼に、手を引っ込めたアスラが詰め寄る。
「なんでリュー君をいじめるの? 暴力はよくないよ!」
「立派な暴力振りかざしといて、言うじゃねえか鬼娘」
グレイガンは苦々しくうなると、リュートを親指でさしてきた。
「殴られるのはこいつの趣味なんだよ。痛いのが好きなんだ」
「そうなのリュー君?」
「なわけないだろっ! 変態か俺は!」
リュートはあっけなく丸め込まれたアスラに叫び返し、ついでにぐるっとテスターを振り向いた。
「そしてお前は、『あ、そうだったの?』みたいな顔すんな! くどいから!」
「そんなむきになるなよ。いつものコミュニケーションだろ」
「じゃあキレて殴るとこまでコミュニケーションにしていいか⁉」
「あのー……」
恐る恐るといった感じで、か細い声が割り込んでくる。
はっとして振り返ると、ぎこちなく笑みを浮かべる明美が立っていた。
先ほど見た時は距離があったのに、いつの間にか――馬鹿をやっている間に――近づいてきていたらしい。
「あ……えと、おはよう須藤?」
「う、うん。おはよう」
タイミングを逸した挨拶を交わし、リュートは取りあえず無難な対応を取った。つまりは紹介。
「グレイガン先生……は、ここまで一緒に来たから知ってるか。彼女がアスラ。その……本人いわく堕神――鬼らしい」
念のため両者の間に入りながら、リュートはアスラを明美に紹介した。
「あ、どうも……須藤明美、です」
「知ってるよー、セラちゃんの記憶にあったからね。あたしアスラっ。よろしくね、あっちゃん♪」
「う、うん、よろしくね……」
差し伸べられた手を、握り返そうとする明美。そこにするりと、テスターが割って入った。
「よっす須藤。わざわざ来てもらって悪いなー。せっかくだから、ここの食堂で昼飯も食べてけよ」
外見では軽く構えて見えるテスターだが、リュートは気づいていた。
テスターはアスラから注意をそらしていない。わざとらしいほど軽薄に見える目には、鋭さが潜んでいた。
「てめえら、ここは今立ち入り禁止にしてあるから、遠慮なくしゃべっていいぜ。ただしさっさと本題に入れよ、俺様も暇じゃねえんだから」
グレイガンが腕を組み、髭だらけの下顎を突き出す。
びくびくとグレイガンの隣に立っている明美――よほどグレイガンが怖いのだろう――に、リュートは後頭部に手を当てながら切り出した。
「須藤。ろくに事情も聞かされてないのに、ほんと申し訳ないんだけど」
「分かってる。女神様に替わればいいんだよね?」
「ああ、悪い」
「大丈夫」
短いやり取りを終えると、明美は手を組み目をつぶった。
しばしの時を待ち――
「お前が堕神の変わり種か」
目を開けた明美は、別の人格へと入れ替わっていた。
リュートたち神僕が仕える、全ての母なる創造主――女神に。
場の空気に緊張が走る。
テスターとリュートはそれぞれ、女神とアスラのそばに控えた。いざというとき動けるように。
(つか本当に大丈夫なのか? ふたりを引き合わせて)
リュートは緊張した面持ちで、アスラの様子を探った。彼女が本当に堕神なら、女神など滅殺対象でしかないだろう。
一同の視線を浴び――アスラはにっこりと笑った。
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