愚神と愚僕の再生譚
1.守護騎士来校③ その偉そうな口、たたけなくしてやる!
喜べと言われた割に嫌な予感しかせず、リュートは肩越しに振り返った。
視力が高いというのは時に厄介なものである。見なくていいものまで見てしまい、気づかなくていい表情にまで気づいてしまう。
一見セシルは真顔だった。だがよくよく見ると、口の端がほんのわずかにつり上がっている。なにを考えているかまでは読み取れないが、陰湿な悦びを隠しきれていない。
「君には今まで通り、訓練校の寮に住んでもらう」
「なんでだよ? 逆にめんどくせえだろ」
守護騎士となった者は、専用の宿舎に移ることとなっている。宿舎は全国各地、それも公共施設の近くに点在しているから、通学には不自由しないはずだ。少なくとも都市から居住区ごと隔離されたまちにある、訓練校よりは通いやすい。
わざわざここにとどまる意味が、リュートには分からなかった。
「補講のことを考えると、その方が都合が良いではないか」
「……なんだよ、補講って」
「地球人の学校に通う以上、訓練生としての講義は受けられなくなる。当然補講が必要だろう?」
「必要だろうって……講義は免除じゃねーのかよっ⁉」
悲鳴に近い声を上げるリュートを見て、
「本気で言っているのかね?」
セシルが最高の冗談とばかりに失笑する。
「君がルームメートくらい出来が良ければ、それも考慮に値するが……君のレベルでは、ね」
「……じゃあそれこそ、ルームメートにやらせろよ。俺みたいな低レベルのやつに任せるのは不安だろ」
「無論大いに不安だが」
「せめて上っ面だけでもささやかなフォローはねえのかよ」
リュートの冷めたまなざしも意に介さず、セシルは続ける。
「まあ大変な負担になるのは事実だからな。学長として、生徒に負担を強いるのは忍びない」
「俺も生徒なんだけど」
「一個人として、君が大変な目にあうのは実に愉快だ」
「…………」
「というのは冗談として。幻出が多いということは、それだけ頻繁に緋剣を使う。君を選んだのは、ひとえに緋剣の持続力――神気の強さを見込んでのことだ」
「本当かよ」
冗談の方が、真に迫って聞こえるのはなぜだろう。
「安心したまえ。専属とはいっても、待機はせいぜいが生徒の下校時刻までだ。教師らが退勤するまでは、通常の守護騎士で対処する。訓練校の補講は夜間に受けられるようにしておいたから、帰宅が夕刻以降になっても十分間に合うぞ」
「……そうだな、完璧だ」
ドアノブから手を離し、リュートは完全に振り返った。舞台上から語りかけるように大袈裟に両手を広げ、
「高校で地球人ごっこをして、生徒下校時刻まで堕神の警戒に当たり、任務終了後は休む間もなく補講を受ける。見事に二足のわらじが履けるわけだ。なんて素晴らしい配慮、さすがだ学長死んでくれ!」
「暴言は慎むように。それとくどいようだが地球人の前では、神僕のことは『渡人』、堕神のことは『鬼』と呼べ。堕ちたとはいえ神を狩っていると知られれば、宗教的な問題に発展するかもしれないからな」
「……分かってるよ、それくらい」
両手をどさりと落とし、投げやり気味にリュートは答えた。
そう、分かってはいたのだ。学長であり神僕の長でもあるセシルが決めた以上、その決定を覆すことなどできるはずもない。
「君に必要な準備はそう多くない。守護騎士の制服や高校の教科書は、後で寮室に届けさせる。部屋で待っていなさい」
リュートの敗北宣言に満足したのか、どこか楽しそうに話を締めくくるセシル。
「……りょーかい。他になにか、俺を絶望させる情報はあるか?」
「ない――あ、いや。ひとつ忘れていた」
再度ドアノブに手を掛けたリュートに向けて、セシルはどうでもよさそうに片手を振った。
「まあ、別に絶望的なことではないのだが」
◇ ◇ ◇
絶望的だ。
(死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!)
リュートは歯ぎしりしながら、呪いの言葉を吐き続けた。
罵声だけでは殺せないとは知りつつも、怨念があの不愉快な男にささやかな不幸をもたらしてはくれないかと、心を込めて罵り続ける。そうすることで、いまいましい現実から逃げているともいえた。
「――であるから、この定理は成り立つってわけだ。分かったか?」
と、心の中の罵声に飯島の声が重なる。
どうやら頭の中の冷静な部分が、現実に戻れと指令を出したらしい。ノイズではなくきちんとした講義内容として、飯島の言葉が耳に届く。
「この証明はテストに出すからな。しっかりと復習しとけよー」
(知るかってんだそんなこと!)
そう毒づくも、ノートに『テストに出る!』マークを書き込むのは忘れない。現実逃避中も、手だけは機械のように動き続けていた。全てはテストのために。
(そう、全てはテストのために、だ!)
絶望的とはまさにそれだった。セシルの言葉がよみがえる。
――ただでさえ見下されやすい立場だからな。守護騎士が馬鹿だと思われたくはない。我々の名誉のためにも、学校の定期考査では常に上位に食い込みなさい。君は一時的にとはいえ、高校生になるのだからな。
(はん! くだらない見栄張りやがって。だったら最初から頭のいいやつ使えっての!)
怒りが筆圧を上げたらしい。シャープペンシルの芯が、感情とは裏腹に小気味よい音を立てて折れる。
それすら気に障りながら、リュートは素早いノックで新たな芯を出した。
「――次はこの公式だが……」
気だるげな飯島の言葉――教師が率先してだらけてどうする!――に耳を傾けながら、頭の中では同じ言葉が繰り返し。
(くそっ。なんで俺が、なんで俺が、なんで俺がなんで俺がなんで俺がなんで俺がなんで俺がっ!)
怒りに任せてペンを握ると、みりみりと音がした。その感触に我に返るも、脳内のセシルは消えることなくリュートを笑う。
(なにが『一度は習ったのだから大丈夫だろう』だ。そうじゃないこと知ってて言いやがって!)
確かに一般教養については、初等訓練生の頃に多くを学んでいる。地球人と対等な関係に立つには、知識の面で劣るわけにはいかないという方針からだ。特に理数科目については、研究員の道を選んだ場合に有益ということもあり、積極的にカリキュラムに組み込まれていた。
しかし守護騎士の方に適性があったリュートは、そんな知識とっくに記憶領域の奥底に追いやってしまっていた。その上文系科目のほとんどは、そもそもが悲惨な成績を収めた記憶しかない。
(それで上位だぁ? 無理だっての!)
とはいえこれも任務のひとつだ。無理でも無理やり可能にしなければならない。
(くそ、絶対いつか復讐してやる! 長だからって好き勝手やりやがって。最年少で長を継いだのだって、渡って来た後の混乱を収めるための成り行きじゃねーか!)
その当時リュートは生まれてもいないため完全な決めつけだったが、取りあえず罵倒できればなんでもよかった。
(絶対、絶対だ! 絶対いつか目に物見せてやるっ!)
目の前にいない人物に散々悪態をつきながらも、リュートは必死にノートを取り続けた。
◇ ◇ ◇
なにやら必死の形相でノートを取っている守護騎士が目に入る。その青い姿は地味な制服姿の自分たちを嘲るかのように、鮮やかな色彩を誇示していた。
……気に入らない。
黒板を見つめる鋭いまなざしに、今朝の言動を思い出す。
……気に食わない。
かちり。手にしたシャープペンシルを一押し。
彼女はどうしても気に入らなかった。あの守護騎士、いや渡人が。
かちり、かちり。
(ふん。自分は特別、みたいな顔してさ。ここは私たちの世界よ。異世界人が偉そうに! 要はバケモノじゃない。鬼と同じよ、気持ち悪い)
かちかちかち。
(私は認めないから。その偉そうな口、たたけなくしてやる!)
かちかちかちかちかちかちっ!
芯を異様に長く出していることにも気づかぬまま、彼女はリュートをにらみ続けた。
◇ ◇ ◇
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