愚神と愚僕の再生譚
2.地球人と疑惑と渡人⑨ ああ彼女か。
リュートはポケットの中身――スマートフォンを取り出した。守護騎士の任に就くに当たって貸与されたものだが、すでに塗装の一部が剝げてしまっている。
いやむしろ、あれだけ激しく動いているにもかかわらず、この程度で済んでいることに対して感嘆すべきか。
(さすがは特殊加工された、守護騎士専用スマホってとこか)
守護騎士のスマートフォンは携帯時の動きやすさを重視しているため、通常のそれよりもはるかにサイズが小さい。その分画面の見やすさが犠牲になっており、スマホ――というより携帯電話の類いそのもの――デビューしたばかりのリュートは、まだまだ扱い慣れずにいた。
ぎこちなく操作するとメールの受信が確認できた。送信者はセラで、5限開始前――つまりは今だが――に、視聴覚室に来てほしいとのことだった。
「悪い、須藤」
リュートはスマートフォンをしまい、明美に断りを入れて立ち去ろうと口を開くが。
「ううん、じゃあ教室戻ろっか」
「あ、いや、そうじゃなくて」
二度目の「悪い」も、スマートフォンを確認したことへの謝罪と取ったのか、勝手に納得して立ち上がる明美。そして、
「……ねえ、こっちから戻ってもいい?」
来た道とは反対方向を、ぎこちなく指さす。そちらのルートは、教室に戻るならやや遠回りだ。
「ちょっと図書館に用事があって。別にここで別れてもいいんだけど……」
リュートの疑問を先取りする形で、明美がぽつりと付け加えた。
言葉とは裏腹に、あまりにも名残惜しさ全開な雰囲気を漂わせていたので、
「いや、途中まで付いてくよ。別に間に合うだろうし」
と思わず言ってしまった。
(まあ言った通り、図書館棟前で別れればいいか)
立ち上がって、明美に並んで歩きだす。
先ほどまで饒舌であった明美はなぜだか突然黙り込み、不自然な沈黙が続いた。
しばらくして、ようやく明美が口を開くが。
「あのね、角崎さんなんだけど」
「角崎?」
あいにくリュートには聞き覚えのない名前であった。
あわや会話終了かと思いきや、
「角崎凜。昨日、天城君にペン入れ投げつけた子。私はその時いなくて、後でクラスの子に聞いたんだけど」
明美のフォローで話がつながる。
「ああ彼女か」
怒りで紅潮した少女の顔を思い浮かべながら、リュートは応じた。
「彼女がなにか?」
「あのね、なんて言ったらいいのか……」
もごもごと、顔を背けて口ごもる明美。元々聞き上手とはいえないリュートには、気の利いた合いの手も入れられない。
なんとなく気まずい空気をまとったまま、歩みだけが続く。
なんの生産性もなく進んで、ついには図書館棟にたどり着いたところで。
「や、やめろよ」
「うるさい。高校生はなにかと入り用なの。足りないんなら親から盗ってきな。せっかく同じクラスにまでなったんだし、これからもまた、よろしくね」
「そんなっ……」
「同じ高校に進学するのが悪いんだよ、ばーか」
棟の裏手から聞こえてきた、仲むつまじさとは程遠い会話に足を止める。
おどおどした男の声と、高慢さがうかがえる女の声。男の声には聞き覚えがないが、女の方にはあった。
その場で数呼吸してから、リュートはきっちり90度右を向いた。そのまま淡々と口を開く。
「なんか変な場面に出くわしちまったな。偶然にも」
明美は後ろめたそうに目をそらす。
「……彼女に頼まれて、俺をここまで連れてきた?」
明美は眉をひそめて、やや不快げに首を横に振った。
「んじゃ、別の理由で誘導した?」
明美の目は泳ぎまくり、視線がぐるぐると辺り一帯をさまよった。分かりやすいことこの上ない。
腕を組み、苦々しく息を吐く。
どうやら明美は、単なるミーハーではなかったらしい。
(裏がなさそうに見えて、ありまくりな親切だったってわけか)
ひとり勘違いしていたことに羞恥を覚えるが。
「痛っ、やめ……っ」
事態は待ってくれないらしい。
リュートは嘆息し、身体の向きを戻して歩を進めた。棟の入り口には向かわず、角を曲がって裏へと回る。
広がっていたのは、大体想像通りの光景だった。
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