愚神と愚僕の再生譚
4.終息する変事⑤ 本当に言いたいのは、そんな言葉じゃなかった。
痛みを感じたのは、その衝撃に押されるようにして転倒し、身を起こしてからのことだ。
「ぅう……」
急激にもよおされる吐き気。凜は息を荒くした。息苦しいというよりは、呼吸を重ねることで吐き気をごまかしたかった。
「ったい……」
逃げるべきなのに、足が痛くて立ち上がれない。
誰もかばってくれない。かばってもらえるのは、かばうだけの価値がある人間だけだ。
「……別に大したことないし……こんなの、幽霊が疲れるまで、しばらく耐えればいいだけだしっ……」
歯を食いしばり、頭を抱えて下を向く。それが精いっぱいだった。もうなにも考えたくなかった。
……予想してた衝撃と痛みは、いつまで経っても訪れなかった。代わりに、鉄パイプがなにかにはじかれる硬い音が耳に届く。
「え?」
顔を上げる前に、左腕を強引につかみ上げられ、後方に突き飛ばされた。
「ひゃっ⁉」
「どいてろっ!」
壁にたたきつけられ、息が詰まる。踏ん張った右足の痛みに悲鳴を上げながら、凜は前を向いた。
目に入ったのは緋剣とかいう武器を構えた、いけ好かない渡人だった。大して広くもない背中で、凜をかばうようにして立っている。本当は嫌なくせに。
ほとんど条件反射で凜はかっとなり、
「……なによ、ほっといてって言ったでしょ! あんたなんか――」
「悪かったよ」
罵倒を遮り、渡人がぶっきらぼうに口を挟んでくる。
「……え?」
彼はこちらを振り向きもせず、むすっとした口調で続けた。
「あんなに傷つくなんて、思ってなかった」
途端、顔が紅潮するのを自覚する。
「はぁ? べっつに傷ついたりなんかしてないし! 第一――」
口上は、再度の打撃音で遮られた。
「ぁあくそ! 誰だよこんなもん放置したのはっ」
渡人は舌打ちを放つと、ちらりと肩越しに聞いてきた。
「走れるか?」
「右足が……ちょっと休めば、走れそうだけど……」
苦々しく答えると、彼は凜の足元に目を向け、すぐにそらした。
もちろんじっと見ている状況ではないのだが、まるで直視するのを避けるかのような動きだった。
「これが収まったらすぐ、訓練校に行くぞ」
「だからそれは――」
「嫌と言っても連れていく。幽霊なんて俺の手には負えない。呑気に霊媒師を待つんじゃなく、もっとセシルをせっつくべきだったんだ」
渡人が追い込まれているのは明らかだった。幽霊はコツをつかんできたのか、数本の鉄パイプを同時に放ってきていた。短めの緋剣――こちらは刃を創っていない――も使ってなんとか裁いているようだが……
「っ……」
短い緋剣では威力を殺せないらしく、渡人がうめき声を上げる。
「だいぶ手慣れてきちまって……これじゃ、どこ行っても危険じゃねーか」
「なによ……そんなに渡人の評判落ちるのが怖いわけ⁉」
彼の左手首に残る、痛々しい手錠の跡。散々擦れて、締めつけられたのだろう。同様につながれたはずなのに、凜の手首には目立つような跡はなかった。
「やめてよ! うわべだけの親切なんて、気持ち悪いだけなんだから!」
本当に言いたいのは、そんな言葉じゃなかった。
悪態を吐かれても、どんなに打たれても、渡人は凜をかばうのをやめない。
こちらに届こうとした鉄パイプをはねのけた渡人の腕が、鈍い音を立てる。
「偽善者のくせに! なのになんで……なんでそんなに必死になんのよ⁉」
見せつけられるほど、思い知らされる。自分がどれだけ惨めなのかを。
「やめてよ……これじゃあ私……本当に、クズじゃない」
歯の隙間から漏れるように出た声はか細く、自分でもよく聞き取れなかった。
その時――
◇ ◇ ◇
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