愚神と愚僕の再生譚
1.極めて健全かつ堅実身近な資金調達方法すなわち学内バイト⑤ 信じますよ先輩!
◇ ◇ ◇
「ふうむ。どうやら疑似質量形成装置は、現場に到着してから使用した方がよさそうだね」
「そ……です、ね……」
ぜえはあと息を吐き、前方へと視線を送りながら、心底同意する。
視線の先には一体の堕神がいた。
白い身体も巨大な赤い《眼》も見慣れた特徴だ。
しかし広大な運動場の片隅にたたずんでいるからなのか、いつも通り巨体であるはずなのに、堕神は心なしか一回り小さく見えた。
「こっちには、まだ気づいてない、ようですね……」
一息に言えず、途切れ途切れに言葉を吐く。
幻出地点自体はクラブ棟のすぐそばで、さほど距離があるわけではなかった。にもかかわらずこの体たらくというのは、我ながら情けないが。
(それでも、少しは慣れてきたな……)
身体を動かすコツ、というものがなんとなく分かってきた。あとは終始流れ続ける微弱電流が鬱陶しいが、止めるわけにもいかないので、これも我慢するしかない。
「さあ。準備はいいかい、リュート君」
言いながら、フリストが堕神へと近寄っていく。
「ちょ、先輩っ……もう少し待――」
「来るよ!」
フリストが叫ぶ。彼は軽やかなバックステップで、進んだ分を一気に後退し、リュートを素通りして後方に避難していった。
求める獲物を見つけた堕神が、フリストの誘導に簡単に乗って、こちらへと駆けてくる。
リュートも意を決して足を踏み出した。
「信じますよ先輩!」
「ああ信じてくれ!」
力強い応答を背後に、重い身体を強引に動かしながら堕神へと接近する。すれ違いざまに触れてみて、疑似質量の効果を確認の後、緋剣で斬るつもりだった。が、
「?」
頭上から、ふわっとなにかが首に掛かる。ヘッドギアのせいでよく見えないが、それは優しくリュートの首筋をなで、
「ぐがっ⁉」
ぎゅっと首を締め上げられ、リュートは背後に引っ張られた。とっさに伸ばした両手の指が、首と首に巻きついたなにか――恐らくは縄だ――との間に挟まるが、身体は止まらない。
ずざざざっ、と引きずられながら、リュートは首から後ろに伸びる1本の縄を引っつかんだ。それを頼りに跳び上がって後方を向く。
「なにすんですか!」
確認せずとも分かってはいたが、リュートの首を締め上げたのはフリストだった。見た目は優男のくせに、質量が倍加したリュートを苦もなく引きずるとは大した膂力である。
他人の気道を潰したことに思うところはないのか、フリストは縄を手に平然と――むしろとがめるような色を含ませて、
「今、堕神の攻撃をよけようとしただろう。それだと実験にならないじゃないか。君の役目は殴られることだ」
「口で言ってくださいよ! つか殴られるなんて危ないこと、できるわけないでしょう⁉」
乱暴に縄を解いて言い返すと、フリストは打ちのめされたように目を見開いた。
「なんだい君は。僕の成果を疑っているのかい? 口では信じますとか言っておいて、それはないんじゃないかな」
「そうじゃなくて、わざわざリスク冒さなくとも、触れてみるだけで十ぶ――」
馬鹿だった。
排除中に完全よそ見をしていたのは無論のこと、もし危なければ首締め男が警告を発してくれるはずだと、無意識に考えていたことが。
フリストが大きく跳ぶのを捉えると同時、脇腹に衝撃が走った。
「ぐっ……」
「おや」
はじき飛ばされながら聞こえたのは、フリストの間の抜けた言葉だった。
リュートは起き上がると、すぐさま回避行動に移った。獲物に一撃を入れた堕神が、それで満足してくれるはずもない。
ひとまず堕神から距離を取っていると、フリストのため息が聞こえてきた。
「やっぱり透過しないかぁ」
「やっぱりって⁉ 『信じてくれ』って言いましたよね⁉」
聞き捨てならない台詞に物申すと、フリストは妙に気取った仕草で髪をかき上げた。
「まあ遊びで作ったようなものだし。失敗することもあるよ。本気じゃないからいいんだけどね、別に。遊びだし」
「嘘でもほんとでもうぜえ!」
叫んでヘッドギアを取り外す。堕神が透過できないなら、無意味どころか枷でしかない。
リュートはヘッドギアを地面に投げ捨てると、腕輪も外して放り捨てた。
が、身体は重いままだ。どうやら質量が戻るまでタイムラグがあるらしい。
「くっそ、なんの罰ゲームだよ!」
それでも、微弱電流に煩わされなくなった分だけマシともいえる。
リュートは緋剣を抜いて、柄にカートリッジを挿し込んだ。
「身体がもたないし、もう狩っちゃいますからね!」
カートリッジ内のリュートの血液が剣身に流れ込み、その穴から漏れいでる。
いつも通り、血の刃をイメージし――
「っ⁉」
瞬時に広がった強烈な匂いと、なにより慣れ親しんだ感覚とは違う異物感に、干渉が阻害される。そして固形化しかけていた血液はあっけなく溶解し、地面を汚した。
「なっ……」
腕を流れ伝う血を愕然と見て、迫る気配に慌てて飛びすさる。
「あれ。君ひょっとして干渉力低い?」
リュートは堕神の爪をやり過ごすと、きょとんとこちらを眺めるフリストに問いかけた。
「先輩! カートリッジになにかしましたっ?」
「キンモクセイの香料を混ぜてみたんだ」
「はあっ⁉」
唖然とする。
「んなもん混ぜたら意思干渉が阻害されるに決まってんだろ! なに考えてんだ⁉」
敬語を使う余裕もなく狼狽し、リュートは堕神から逃げ回る。
フリストは指先で毛先をいじりながら、
「エレガントな守護騎士も悪くないだろ? 緋剣を振るうたびに、キンモクセイが雅やかに香る」
「……もしかして、混ぜた理由はそれだけ? 機能向上とか全く関係なく?」
「ああ。いいだろキンモクセイ」
「キンモクセイにまみれて死ね!」
「余裕がなくなったからといって、人に当たり散らすのはよくないねリュート君」
「そーですねアホな理由で命の危機にさらされたくらいでキレてしまってすみませんでした!」
「分かってくれればいいんだ」
「言っとくけど妥協してんの俺ですからね⁉」
癇声で返し、リュートはフリストの元へと近寄った。
「先輩、カートリッジください! 今のと同じでいいんでっ」
「ないよ」
「んあっ⁉」
受け取る前提で差し出していた手を引っ込め、金切り声を上げるリュート。
「仮にもAR専科生が、予備のカートリッジ用意してないってどういうことですか⁉」
「頑張れってことだねえ」
「あんたいちいちむかつくな!」
「無駄よリュー!」
凜然と響く声に、リュートは背後を振り返った。
応援コメント
コメントはまだありません