愚神と愚僕の再生譚
4.抜き打ち模擬戦トーナメント⑨ こんなんただの象徴だ。
まるで祈りの言葉で全ての力を使い果たしたかのように、セラが長く、大きな息を吐くのが見えた。次いで両手を広げ、深呼吸の動作。
「ふふ。神室に入れなかったのは残念ですけど、ここでも十分、女神様を間近に感じられる気がします」
「そうだな」
玉座の裏からおざなりに同意し、懐へと手を入れる。
取り出したのは、小さな二輪の花。制服に着替え終えた後、訓練校の敷地内に咲いていたのを摘み取ったのだ。春に咲く雑草の一種で、初等訓練生の時に名称を習ったような気もするが、よく覚えていない。
多少強引に入れていたため、花弁が少し折れてしまっている。リュートはそれを指で整え、扉の取っ手部分に、引っかけるようにして差し込んだ。
(入れないとは思ってたけど。せめてこれくらいは、な……)
これで用は済んだ。リュートとしては、こんな不快な部屋はもう退出したいのだが、いかんせんセラが陶酔モードだ。
仕方ないので、玉座に腰掛けて終わるのを待つ。肘掛けに頰杖を突き、組んだ足をゆすっていると。
「あっ、リュート様なにやってるんですか! 勝手に座っちゃ駄目ですよ!」
気づいたセラが、腰に手を当て叫んできた。反響した声に、全方位から説教されているような錯覚が生じる。
それを跳ね返すように、リュートも叫び返した。
「いーんだよ、こんなんただの象徴だ。誰にも使われずに終わるより、誰かに座ってもらった方が玉座も本望だろ。つか俺はセラを待ってんだぜ? 座るくらいいいだろ」
空いた片手を振りながら、そっぽを向いて適当に返す。
「しょうがないですね、もう。罰が当たっても知りませんから」
「望むところだね」
憎まれ口をたたいて、リュートは目を閉じた。
模擬戦後、ろくに休まずここに直行したため疲労がピークに達していた。座り心地のいい椅子に身体を預けていることもあり、次第に意識が遠のいていく――
「ねえリュート様っ」
「ぉ、おう?」
割り込んできたセラの声に、リュートは寝ぼけ眼で返事をした。
「ここ、机とか本棚もそろってるんですね。それに……」
困惑するように、言葉が切れた。
セラがなにを言いたいのか思い至る。同時にひやっとしたものが背筋に走り、一気に眠気が吹き飛んだ。
入室時は死角に近いことと興奮が手伝って、気づかなかったのだろう。
入り口に向かって右奥の隅。セラはその付近に立ちながら、顔だけをこちらに向けていた。
セラの言う通り、彼女のそばには書き物机と、本がぎっしり詰まった本棚が鎮座していた。しかしセラを惑わせたのは、高級木材で作られた家具などではないだろう。
リュートは玉座から腰を上げると、セラの方へと歩きだした。家具やセラを通り越した先の、部屋の隅に視線を定めて。
そこは薄いL字の壁で仕切られた、5畳ほどの間仕切りスペースになっていた。扉ほどの幅を残して壁で覆われているため、むしろ部屋に近いといえる。見えはしないが、そこには硬い寝台やトイレなど、閉塞的な生活空間が押し込まれているはずだ。
壁のない部分は鉄格子で塞いであり、一部が扉のように開く造りとなっている。格子は先鋭的かつ冷厳な意匠が複雑に施してあり、ぱっと見にはその役割を感じさせない。
視覚というより記憶で補完しながらその姿を描いているうちに、実物の元へとたどり着く。
リュートは目の前の部屋をにらみつけながら、隣に立つセラを意地悪く促した。
「それに、の続きは?」
「あ、えと……部屋? みたいなものもあるんだなって……」
女神の間に対して負の印象を与える言葉を用いたくないのか、言葉を濁して返すセラ。
リュートは一瞬だけセラと視線を合わせると、そのまますり抜けるように反転し、そばの机上へと腰掛けた。壁画の、神僕の始まりを描いた部分へと目をやる。全ての始まりである女神に。
「特別講習だ」
「特別?」
「女神の存在に異を唱えた者は、ここで女神様至上主義をたたき込まれるんだよ。徹底的にな」
壁ごと顔をえぐられ、補修の跡が残る女神を見据えながら、感情の伴わない声で告げ――
「冗談だ。女神様に異を唱える神僕なんて、いるはずがないだろ」
さらりと撤回し、リュートは視線を床に落とした。目を凝らさなければ気づかないほどの、赤みがかった汚れが目に入る。
リュートが黙り込み、間というには長過ぎる間を挟んでから。
「……あの、リュート様」
意を決したように強く、でもどこか様子をうかがうように語尾を揺らしながら、セラが声をかけてくる。
リュートはうつむいたまま応じた。
「なんだ?」
「リュート様は、以前ここに来られたことがあるのですか? 女神の間を見知っているようですし。もしかして……」
「女神の間の警守に聞いたんだよ。女神の間なんて、そうやすやすと入れるものか」
あまりにもしらじらしいその言葉は部屋に反響することもなく、空気にのまれて無意味に消えた。
◇ ◇ ◇
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