愚神と愚僕の再生譚
1.共生暴力⑥ どのみち俺には関係ないね。
◇ ◇ ◇
「っはあ、はあっ……」
対向する歩行者にあわやぶつかるところをギリギリで避け、未奈美は走り続けた。
下り坂に足がもつれる。
そこまで急な斜面ではないが、ブーツのヒールが余計に身体を前傾に向かわせ、バランスを崩させるのだ。おまけに肩に掛けたバッグが跳ね、右手の緋剣は腕を振るのに邪魔になる。
べっとりと唾液の付いたマスクが、肌に触れて気持ち悪い。
未奈美はマスクを剝ぎ取りポケットにねじ込んだ。
あの、子どものくせにやたら偉そうな守護騎士――守護騎士であるからには少なくとも二十歳近くであるはずだが、とてもそうは見えない――が、ぼさっと見送ってくれたおかげで多少の距離は稼げたが、すぐ追いついてくるに違いない。
(直進じゃ速攻で捕まるっ)
顔を上げると、ちょうど路地の入り口が目に入った。迷わずそこに入り込んで速度を落とす。
いまいましい緋剣はトートバッグへとしまった。柄の部分がバッグの口から大きくはみ出てしまうが、一カ所にまとめた方がまだ走りやすい。
ある程度の落ち着きを取り戻し、未奈美は今更ながら己の迂闊さにほぞをかんだ。
渡人を突き飛ばし、さらには強盗まがいのことまで。
さすがにやり過ぎだと分かってはいた。が、
(あいつらは、緋剣で鬼を殺してる……)
それを思うと、このまま処分してやりたい、という衝動を捨て切れないのも事実だった。
返すなら早い方がいいし、逃げるなら、もたもた考えているのは無駄でしかない。
(どうしよう……)
逡巡しながら歩を進め――衝撃に身体を吹き飛ばされる。
いや、吹き飛ばされるというと語弊があった。背後から突き飛ばされ、地面に倒れ込んだだけだ。
だが、だから大丈夫というわけでもない。
衝撃と同時に感じた、なにかを強引にもぎ取られる感覚。急接近したと思ったら、急速に遠のいていく人の気配。
(奪られたっ……)
緋剣の入った未奈美のバッグを。
(バッグごと奪うなんて……!)
少しでも良心の呵責にさいなまれたのを後悔し、未奈美は両腕を突っ張り上半身を起こした。アスファルトに触れた手のひらが熱い。擦りむいたのかもしれない。
「あなたっ――」
遠ざかる足音に向けて罵ろうと振り返り、はたと止まる。
ひったくり男はすでに、未奈美が先ほど逃げてきた大通りへと消えるところであった。
しかしちらりと確認できた後ろ姿は、どう見てもあの少年ではなかった。彼よりももっと背丈があるし、守護騎士の制服も着ていない。
ということは、
(本物? のひったくり⁉)
それはそれで大問題だ。
追いかけようと慌てて立ち上がると、男が消えた路地の入り口から、見覚えのある少年が必死の形相で駆け込んできた。
「おいお前っ――」
「今の男ひったくり! バッグ奪られた! 捕まえて!」
未奈美はとっさに、守護騎士に向かって叫んでいた。
虚を突かれて、目をぱちくりさせる少年。先ほどは気づかなかったが、こうして見ると顔にうっすらと痣がある。
彼はすぐに事態をのみ込んだらしく、今度はそれを踏まえた上で目をしばたたかせてきた。
「さっきの男か? でもなんで俺が?」
「守護騎士の義務でしょ!」
「犯行現場に居合わせたらな。俺はひったくりの瞬間を見てない。それに」
一拍置いてから、少年が続ける。冷たく突き放すように、
「高尚なDAGのメンバーが、守護騎士なんかに助けを求めちゃ駄目だろ。近くに交番あるんだし、普通に警察頼れ」
「そしたら私も身元を告げなきゃいけないじゃない。それに警察が犯人を捕まえたら、バッグを見られちゃうし……」
痛いところを突かれ、目を泳がせて小声になる未奈美。
少年はいぶかしげに目を細め――思い至ったように片眉を上げた。
「警察に知られたくないのか? DAGのメンバーだって」
その言葉にわずかに含まれた、揶揄の気配。
未奈美は反射的に嚙みついていた。
「あなたたちと違って、私たちには就活ってものがあるのよ!」
DAGそのものは、決してやましい組織ではない。緋剣を盗ってしまった自分が述べても説得力は欠片もないが、これは本当にそうなのだ。
だがDAGはパフォーマンスの派手さから、過激思想というイメージが付いて回っている。その一員であることは、就職活動においてネガティブな要素となってしまうのだ。公安調査庁の監視対象になっているという噂も、それに拍車をかけていた。
自分の主張が間違っているとは思わない。
しかし、炎上すればSNSなどを通し簡単に身元がバレて、かつインターネット上に経緯も含めて半永久的に情報が残ってしまう。
そんな世の中で、堂々と活動する度胸は未奈美にはなかった。だからさっきも、マスクで素顔を隠していたのだ。
(将来を約束された傲慢種族なんかに、就活生の苦労なんて分かるわけないっ……)
うなり声も出しかねない顔でにらみつけるが、彼には全く効果がないようだった。こちらに一歩近づくと、催促するように手招きし、
「どのみち俺には関係ないね。早く緋剣返せ、今ならまだ冗談ってことに――」
ぴたり、と手の動きが止まる。
少年はようやく気づいたらしい。どう見たって未奈美が、緋剣を持っていないことに。
「……おい、緋剣はどうした?」
聞きながらも答えは出ているのだろう。
じり、と後ろに下がり反転の動きを見せる少年に、未奈美は多少いい気味と思いつつ、答えた。
「だから、ひったくりだって」
「それ先言えよっ!」
吐き捨て、少年は大通りへと駆け戻った。
◇ ◇ ◇
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