愚神と愚僕の再生譚
7.女神の因子と従僕の意志⑤ 俺はお前を――
保健室で見た夢を思い出す。いつも見る夢だった。
だが、本当にそうであったのか?
お兄ちゃんと呼びかける声は、いつもとは違い、リアルなぬくもりをもっていなかったか?
(あの呼びかけは、夢じゃなかったのか……?)
「……俺は、お前が死んだって聞いてた……」
目の焦点が定まらない。届きもしないのに伸ばしかけた手が、行き場をなくしてぱたりと落ちる。震える声で言葉を紡いだ。
「どうして……どうして早く言ってくれなかったっ⁉ 俺はお前を――」
「言いたかったっ!」
セラ――セルウィリアの泣き声がリュートの言葉を遮る。
「言いたかった……ずっと呼びたかった! お兄ちゃん、って! でも周りを欺くために、私はセラでいなければならなかった。セルウィリアであることを忘れた狂信者を演じて、私は女神を殺す時を待ってた」
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を拭い、セルウィリアは乱れた呼吸を落ち着かせた。
「女神と同化しかけた時……あいつは取り込んでいた堕神の魂を、私に押しつけた。私の中に息づく堕神が、召喚を助けてくれる。地球人と同化した今の女神なら、堕神1体でも簡単に殺せる」
「……殺して、どうする」
「女神が消えれば呪いも解け、堕神は本来の力・知能を取り戻す。この世界が滅びても、神僕は堕神に従えば生き延びられる。だったら私は彼らにつくわ」
セルウィリアの顔は血に濡れた手で涙を拭ったことで、余計に血で汚れていた。泣き笑いの表情で、震える手を差し伸べてくる。
「だから、お兄ちゃんも行こうよ。私と一緒に。新しい世界へ」
(セルウィリアが生きていた……)
二度と戻らないと思っていたものが、還って来た。
そんなもの、涙が出るほどうれしいに決まってる。妹のためならなんでもしてやりたかった。その想いは確かだった。だから、
「……駄目だ」
それをはねのけねばならないのは、えぐられるほどにつらかった。
「どうして⁉ お兄ちゃんだって女神を憎んでるはず! 女神はお母さんを殺し、私たちを殺そうとしたのに……なんで女神を護るのよっ⁉」
癇癪を起こすように首を振るセルウィリアに向け、リュートはかすれた声を絞り出した。
「女神は憎い。でも、女神を殺すということは、須藤も殺すということだ――そして女神が滅びれば、この世界も消える」
「だからなんだっていうの⁉ 私たちを苦しめる世界なんていらない! 地球人だってどうでもいい! 私たちが命を懸けたって、あいつらは感謝しない――いえ、蔑視すらしてる。なんであんなやつら護らなければいけないの? 私たちが神僕だから? そう創られてるから? そんなの嫌よ! 私は……私の意志で生きたい!」
突き抜けるようなソプラノが、真っすぐに心に届く。それはリュートの心の一端を、確かに突いていた。
セルウィリアのように、自分は真っすぐな言葉を返せない。今この瞬間ですら、迷っている。
「確かに俺たちは神の僕だ。俺が世界を護ろうとしているのは、神僕として生まれたからなのかもしれない」
視線をさまよわせながら、惑うように言葉を重ねる。
「つくられた使命感に全てを捧げても、むなしいだけなのかもしれない……それでも」
相反する本心も、ずっとリュートの中でくすぶっていた。
「女神が俺たちに示した身勝手さを、今度は俺たちが世界に示すのか?」
「……っ!」
「俺は、護れるものを護りたい。それは植えつけられた意志なのかもしれないけど……でも、確かに感じてるんだ。今、俺が感じてる」
空の手でなにかをつかむように、リュートはぎゅっと拳を握った。
「須藤を護りたい。山本も護りたい。佐伯も、他のクラスメートも――だから世界も、護りたいんだ」
今精いっぱい、確実ななにかを探して。
リュートはセルウィリアを見つめ返した。
「セルウィリア。俺はもう二度と、お前を失いたくはない。だけど女神も殺らせない。お前が女神を狩るというのなら、俺は……」
拳を開き、右手を上げる。背後の明美をかばうように。
「――命を懸けて、女神を護る」
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