愚神と愚僕の再生譚
1.守護騎士来校② 威厳だけは年相応に振りまいているのが癪に障る。
◇ ◇ ◇
「は?」
漏れいでた言葉はそれだけで、それだけであるが故に、なんの意味も成さなかった。
静寂に満ちた室内は広くはあったが、内装のせいかいつも窮屈な感じを受ける。
趣味の悪い――とリュートは思っている――ワインレッドのカーテンも、本棚に並べられた分厚い本の数々も、重苦しい厳粛さを強制されているようで気分が悪い。
そしてそれは、リュートと机を挟んで向かい合っている、この男にもいえることである。
「おや、君の頭では理解できなかったかね?」
男は椅子の背をきしませ、小馬鹿にするような笑みを浮かべてみせた。
言葉と表情に多少引っかかるところがあったが、それよりも優先すべき問題は、たった今聞いたばかりの内容だった。
「今……なんて言ったんだ?」
「なんとおっしゃいましたか、セシル学長――だろう? 君もそろそろ、私に対する必要最低限の礼儀くらいは、身につけてもいい年だろうに」
嘆く口調とは裏腹に、こちらを見上げる薄青の目は笑っていた。
男――セシルはわざとらしくかぶりを振ると、組んだ手の上に顎を預けた。肩まである銀髪が艶やかに揺れ、ローブの襟を優しくなでる。四十を過ぎているとは思えないほどみずみずしい顔を保っているくせに、威厳だけは年相応に振りまいているのが癪に障る。
「つまりはもう一度、愚鈍な君にも分かりやすく言うとだな。守護騎士として、地球人の高校に入学しろ――私はそう言ったのだよ」
しばしの時間、沈黙を挟み。
「……はあぁっ⁉」
リュートは裏返った声で、やっとそれだけを叫んだ。照度を抑えた学長室――正確には世界守衛機関総代表執務室兼第23初等・高等訓練校学長室――に、場違いに高い声が響き渡る。
が、セシルは平然とその叫びを無視し、
「任務は至極簡単だ。高校生活を送りながら、学校専属の守護騎士として鬼を狩る――実に単純で分かりやすいな。君の名はすでに、天城龍登として件の高校名簿に登録してある。気をつけるべきは我々渡人と鬼の呼称だが、さすがの君でもこれくらいの規則は守れるだろう。そしてもうひとつ、おまけの任務があるわけだが――」
「ってちょっと待てなんでいきなりそうなるんだよ⁉ 守護騎士が地球人の学校に通うなんて聞いたことねえっつーか、そもそも俺はまだ訓練生だろっ⁉」
身を包む学生服を親指で指しながら、唾を飛ばしかねない勢いで、机越しにセシルに詰め寄る。訳が分からなかった。
堕神――セシルに合わせるならば鬼だが――を狩るのは確かに守護騎士の役目だ。22年前、カルテンベルクの誓いで全地球人に約束した。だからこそ渡人は存在を許されているのだし、これからもその誓いは遵守していかなければならない。
リュートも渡人でありG専科訓練生である以上、いずれは守護騎士になる。実際、実習で堕神を狩ったこともある。
しかし、あくまでまだ訓練生の立場だ。卒業までにはあと4年かかる。
守護騎士が足りないわけでもないのに、何故リュートを使うのか。しかも、学校に入学させるという異例の処置付きで。
「横暴過ぎんだろ、長だからって調子に乗るなっ! 納得いくよう説明してみろよ!」
勢いに任せてまくし立てるリュートとは対照的に、セシルは至極落ち着いていた。前髪が触れ合うほど詰め寄られたにもかかわらず、身体を引くことすらしていない。ただ目に不快な色を浮かべただけだ。
「君こそ調子に乗り過ぎではないか。あの件以来ずっと、君にはよくしてきたつもりだが――別に免罪処置を恩に着せるつもりはないがね」
ひくりと頰を引きつらせ、リュートは机から身を離した。なんとか笑みの形を作り、セシルを見下ろす。
「まるで俺が全面的に悪いみたいな言い方だな」
「まるで少しは君が正しいような言い草だな」
セシルは余裕の笑みを浮かべ、リュートが離れた分だけ身を乗り出した。差し伸べるようにこちらへと手を伸ばし――いきなりリュートの胸倉をつかみ、強く引き寄せた。
「――っ!」
突然のことで抵抗もできず、半ば倒れ込むようにして引っ張られるリュート。膝頭が机の前面を打ち、腹に縁が食い込み思わず咳き込む。
それでもセシルは構わずに、間近に来るまでリュートを引き寄せた。
「我々は神僕だ。世界を渡ろうが、そのことに変わりはない」
実際に見えるわけもないが、こちらを見据える酷薄な目に、締め上げられる自分の姿が見えた気がした。その目に呪縛されたかのように、身が硬くなる。
冷たい声でセシルは続ける。
「行動するのに、理由はひとつあればいい。『神僕よ、女神様のために在れ』――異論は?」
「……説明くらいは、しろよ。なんで入学なんだ」
その言葉を同意と受け取ったのか、満足げに手を離すセシル。
リュートは顔をしかめつつ、体勢を立て直して距離を取った。先ほどよりもやや遠くに。
本当はもっと離れたかったが、セシルの顔を見てやめた。こちらの反応を楽しんでいる。
「世界守衛機関として、当該高校に特別措置を取った。鬼の異常な幻出率を考慮し、専属守護騎士を付ける……とな」
「それなら――」
反射的に挟みかけた反論を、セシルは手で制してきた。言いたいことは分かると目で語っている。
「問題はそこの校長が、非常に真面目な方だったということだ。特殊戦力――つまり守護騎士が教育現場に駐在するのは、現行法に触れる可能性があると主張したのだ。まあそう言われても、こちらも理由あってのことだからな。なんとか折り合いをつけた。守護騎士が生徒という形で入学する、という条件付きでね。だから本物の学生であり、守護騎士としての訓練を受けている者に行ってほしいのだよ」
「それのどこが折り合いなんだ? 実質は駐在と変わんないじゃねーか。真似事とはいえ守護騎士の仕事はするんだろ」
不平だけはセシルに向かって吐き出し、視線は合わさず隅の本棚へとそらした。この男とは、あまり長いこと向かい合っていたくない。
あらゆるものに対する絶対的な自信。セシルは常に、そういった空気を全身にまとっていた。話しているうちにその空気にのまれてしまいそうで、早く退室したいというのが本音だった。
しかし、耳に届いた苦笑の吐息に好奇心を抑えきれず、結局視線はセシルの元へ。
彼は種明かしするように両手を広げ、
「要は体裁の問題だな。法律には穴がある。守護騎士と地球人の交流を図る、という立派な建前さえあればいいのだよ。無論任務はきちんとこなしてもらうがな」
「そういうことなら、なおのこと俺はやめた方がいいな。建前とはいえ交流図るんだろ。同い年のやつにしろよ」
「君が加わるのは、今年16歳になる生徒で構成される、第1学年のクラスだ。大して変わらんよ。君が年下だからといって気後れすることはない」
この男は、人の神経を逆なでするのが趣味なのだ。そう思うことが度々ある。
リュートはぎろりとセシルをにらみつけたが、涼しい顔で無視された。
「……ああそうだったな。たった1歳の違いだよな」
もう話すのも面倒くさくなってきて、リュートは偉大なる学長に従うことにした。
「……分かったやるよ、やってやるよ。それでいいんだろ。了解分かった失礼します!」
強引に会話を打ち切り、形だけの辞儀を残してきびすを返す。
「そんなに急ぐこともないだろう」
背後からの声に足を止めることもなく、リュートは最低限の愛想で言葉だけは投げ返した。
「転所の準備がありますからね。数少ないとはいえ、私物くらいは宿舎に持っていきたいもんで」
「なんだそんなことか。喜べ、寮を出る必要はないぞ」
ドアノブに掛けた手が、ぴたりと止まる。
「なに?」
応援コメント
コメントはまだありません