愚神と愚僕の再生譚
私のリュート様② 女神を殺せるかもしれない。
◇ ◇ ◇
(怪しい。絶対に怪しいわ)
世界守衛機関本部棟にある資料室の机を贅沢に占領し、セラは広げた報告資料とにらめっこをしていた。
本来なら今日は、リュート――兄と一緒に襷野高校に登校しているはずだった。
しかし個人的な懸案事項がいまだ解決できていなくて、欠席したのだ。セシルには後追いで伝えたため報告怠慢の処罰を食らったが、体調不良の診断書が効いたのか、比較的軽い罰則で済んだ。
さすがに明日も欠席するわけにはいかないため、今日でなんとか答えを見つけなければならない。
窓から差し込む斜陽に時間の経過と疲労を自覚させられながら、何度も目を通した指令書のページをめくる。
大枠としては単純だ。
地球人の通う学校――襷野高校を中心に、堕神の幻出率が異常値をたたき出している。
その対処には守護騎士の駐在が望ましいが、教育機関への駐在は現行法に抵触する恐れがある。
だから抜け穴を通るため、訓練生を交流学生として送り込む。
しかしその訓練生というのが、リュートとセラのふたりというのは……
(でき過ぎた話よね。しかもこの学校、二重幻出が起きたっていうじゃない)
今度は資料室保管の地区別報告資料に、すねたまなざしで目を落とす。
指令書には二重幻出についての記載がなかった。それもなにか意味があるのか。
(……いえ、それは考え過ぎね)
まさか指令を受けて、該当地区に関する報告資料を確認しない者などいるはずがないということなのだろう。
報告書をぱしんと指ではじき、頰杖を突く。
(私とお兄ちゃんが襷野高校に行くことで、セシルにはなんの利があるの……?)
自分と兄の共通点は――女神に同化されたこと。
(一度女神と同化した者は、堕神になんらかの影響を与えるとか?)
それもない。むしろ自分は影響を与えられている側だ。
顔をしかめ、セラは胸に手を当てた。女神に押しつけられた堕神の心は、今も中に巣くっている。
昔は気にならなかった。気づきすらしなかった。
だけど記憶が戻った時、取り残されていた違和感に気づいた。
そのことに不快感を抱かなくなったのは、いつからだろう……
(……って、駄目よ駄目、今は目の前のことに集中しなくちゃ)
一瞬、兄はまだ女神と同化しているのかとも考えた。が、だったらなおさら、堕神が大量発生する場所に放り込まれるわけがない。
(第一お兄ちゃんは、とっくの昔に神室から解放されているのよ? だったら同化も解かれ、女神の方は神室にいるに――)
決まっている。
そう続けようとして、心の声が途切れる。
(決まっている……本当に?)
記憶が戻って以降、兄が女神に喰われていくのを知らないふりして過ごすのは、苦痛の日々だった。いつか女神に一矢報いたいと思いながらも、耐え忍ぶだけの日々だった。高等訓練校の入校式を迎える頃には、もう捨て身で女神の間に殴り込もうかとすら思い始めていた。
そんな折……学長につっかかる、威勢のいい黒髪の少年を見かけた。彼はセラと同期で、リュートと呼ばれているようだった。
懐かしい面影。聞き覚えのある声。かつて兄から教えてもらった、母が考えてくれたというリュートの名。
兄だと確信した時、心は打ち震えた。なぜ女神は兄を喰らい尽くさなかったのかとも思ったが、至大な喜びの前ではささやかな疑問だった。女神への復讐という昏い決意がなければ、手放しで飛んでいったことだろう。
しかしセラはこらえ、兄が解放されたことを胸の内だけで祝福したのだ。復讐を果たすために。女神が兄から離れたならば、なおさら好機ではないかと。
そう。
一方的に思っていた。兄は同化から解放され、女神は神室で身を休めているのだと、セラが勝手に、当然そうだと思っていたのだ。
(……でももし女神の意思でなく、そうせざるを得ない結果として、お兄ちゃんが解放されたのだとしたら……?)
女神は今、本当は神室にいないのだとしたら……?
なんらかの事故で、兄ではなく別の誰か――例えば地球人とか――に同化しているのだとしたら……?
それをセシルは、裏で必死に探しているのだとしたら……?
つと、頰に汗が流れる。
こんなのは推論だ。妄想と言ってもいい。
だけどその妄想は妙な現実味をもって、セラの頭を支配しつつあった。
セラはぎゅっと拳を握った。巻き込まれた資料が無残に折れ曲がる。
(もしそれが本当なら……)
本当なら。
(私自身の手で、女神を殺せるかもしれない)
突如舞い降りた可能性に黒い希望を見つけ、セラは焦点の定まらぬ目で笑った。
◇ ◇ ◇
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